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2.第一界
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思い切り男がロープを引っ張ると、ガタン、と音がして額が落ちてきた。
どうにでもなれ。
予定通り男は取り逃さなかった。
そのまま賽銭箱から降りる。木がきしむ音がした。
と同時に、神社の奥だろうか。足音が聞こえてくる。
「かがんでこっちに来い」
男がいる賽銭箱の正面側に移動する。
足音が大きくなってきた。
俺は悪くないぞ。
男は鞄から何か出している。
赤いゴムのボタンのようなものを中心に、放射状に3本の金属のジッパーが等間隔にまっすぐ伸びている。ちょうどいつも飲むサイダーのマークに 似ていた。
左手で低めの位置にぶら下げると、手早く右手を3本のジッパーに沿って地面とおおむね垂直に動かす。壁に貼る感じだ。
プラプラしていたジッパーは空中にぴったりと固定された。
そこに見えない平面があるように平らに浮かんで動かない。
ぎしぎしっぎししっ
足音が近い。
男は赤いボタンに人差し指を当て、上にちょっと押し、下に戻した。
チャッと小さい音を立て、中央に寄っていたジッパーのつまみが3つとも一様に2、3センチだけ開く。
男は小声で言う。手は動きっぱなしだ。穴を開いている。
「お前先に出ろ」
3つのジッパーが開ききり、三角形の穴ができた。穴の外は薄暗い。
男に言われるまま穴の前に移動する。
「おい」
斜め上のほうから人の声がする。近い。
穴の前で振り返ると、男は斜め上に首をやってじっとしている。
「ない。ないぞ! おい!!」
だんだんでかい声になっていく。
どう考えても賽銭箱の後ろにいる。一人じゃない。誰かに話しかけている。
「早く行け!」
穴の前でかがんている俺の背中を思いきり左手で押した。
急いで穴から転がり出ると、あたりは暗い。
振り返るなという言いつけを意図的に破ってしゃがんだまま振り返ると、もう男が出てきていた。
シャーっと音が聞こえる。
あ、これ、川藤さんの横で聞いたやつ。
ジッパーを閉じる音だったようだ。
ごそごそしてから立ち上がった男の向こうでは、川藤さんが看板に縋り付いて楽しそうな笑みを浮かべている。男を追いかけて入った時と、全く同じ姿勢だった。
「もう戻ってきたから、大丈夫」
「川藤さんは?」
「大丈夫」
俺の脇にしゃがんで、手首のビニールロープを切る。引っ張られたりしたから、お互いの手首に赤い擦り跡ができていた。
当然そのまま男が抱えている物が目についた。
「その額は?」
上諏訪神社から盗んできた額を指さす。
「大丈夫」
「そのせいで川藤さんになんかあったりしないか」
「大丈夫。妄想は無限だから」
力強いお言葉。
あれだけうだうだ言っておいて、泥棒はいいのかよ。
あたりは暗い。男を俺が追いかけたときと同じ。
月明りとスカイツリーと街頭でぼんやりと照らされる宵中の夜は静かで。
男がケチャップで汚れているのと、俺が買ったケチャップがなくなっているのと、どっと疲れているのが、しばらく前との大きな違いだ。
ポケットのケータイを見た。お子様向けだが時計にはなる。
小一時間うろうろしたはずなのに、買い物の後走って時計を見ていた時とそんなに変わっていない。
「次の土曜日」
立ち上がった男が上から言い放つ。
説明もなく一方的で偉そうな感じがイラついて立ち上がる。
「詳しい話をしたい。待ち合わせはここでいい。時間は、そうだな、十三時でどうだ」
有無を言わせぬ口調がますますムカつく。
「いやなのはわかる。でも内世界に入ったことで一番の不利益を被るのはお前だ」
そんなに大げさにいうことには思えない。
「しらないよそんなの。死にゃしないでしょ」
間髪容れずに返される。
「する。死ぬっていうより、消えてなくなる。
ほっとくと多分あと2週間くらいだ。
対策はあるらしいが、嘘かほんとかわからないようなやつなんだ」
目の前が見慣れた風景になったのもあって、ほんとかよ、という気持ちが先に立つ。
「悪い。俺も今説明しきれない。出てこれただけでもう。ちょっと。
今はちょっと、これ以上は無理だ。
落ち着いて、いろいろ調べて、まともに説明できるようにしとくから」
俺の両肩に手を置き、細い目を開けるだけ開いて俺の目をのぞき込んで懇願する男。
「信じられない」
これでなんかまずいことになったんだったら、次に会うときに俺がこいつに殺されるっていうのもあり得る。
目撃者は消す。よく聞く筋書じゃないか。
男は悩んで、
「その花びら」
と、俺の首筋を指さした。
触ると、くっついた桜の花びらがそのままだ。
「そのままつけて帰って、家に置いておけ。で、どうなるか観察しろ。お前もそうなる」
消えるといいたいのか。そんなに証明したいのか。
「そうなったときに連絡するのにSNSかメアドか電話番号教えてよ。連絡取れない」
「ない。できない。その辺も、後でまとめて説明するから」
男は必死だ。
でも大人って嘘つきだしなぁ。
「あと、わかると思うけど警察とか他人に話しても頭おかしいと思われるのがオチだからやめとけ」
お願いしているのか命令しているのか。
一から十までムカつくが、さっき見てきたものの説明が自分でも付かない。
訳が分からない。
…もういいや! 考えるのやめだ!
「土曜日の、午後一時な」
「ありがとう。そうだ、あと、ノートと筆記用具持ってきてくれ。飲み物もな」
ノートと筆記用具と飲み物。弁当があったら完全に遠足だ。注文多いなぁ。
「…持ってこりゃいいんでしょ持ってこりゃ」
しぶしぶ返事をすると、男は肩から手を外してほっとした顔をした。
せめてこれだけは。
「あんたの名前は?」
男はすぐ横、川藤さんがしがみついていた看板に目をやった。
「コウダでいい」
絶対偽名だ。しかも、
「コルダじゃないのか」
看板には『コルダ・ロハーネス旧居跡 明治初期に宣教師コルダ・ロハーネスが西洋音楽教員として来日後この一角に自宅を構え…』と書いてあるのだ。
これをパクったんだったら『コルダ』だろ。
男は軽く笑った。
「コウダ、でいい」
名前以外にも絶対なんか隠してるけど、どうせまたこれも『後で』だろう。もういい。
一応礼儀として、名乗っておいてやろう。全く。
「俺はア…」
「知ってるからいいよアイちゃん」
「なんで知ってるんだ」
「言えない」
ああっ! むかつくなぁ!
あっちは全部嘘かほんとかわからないことばっかりで、言えないこともある。
そのくせ俺のことはしっかりわかってる。
全部『後で』。いらいらする。
男改めコウダはじゃ、と小さく言葉を切ってゆっくり駅のほうに服のにおいを嗅ぎながら歩いていく。さぞケチャップ臭かろう。
本人が言っていた通りもう遅い。あいつは家族がいるんだろうか。もしいたら、家に帰って家族とかに…。
そうだ親父。帰ってきているかもしれないんだった。
どうにでもなれ。
予定通り男は取り逃さなかった。
そのまま賽銭箱から降りる。木がきしむ音がした。
と同時に、神社の奥だろうか。足音が聞こえてくる。
「かがんでこっちに来い」
男がいる賽銭箱の正面側に移動する。
足音が大きくなってきた。
俺は悪くないぞ。
男は鞄から何か出している。
赤いゴムのボタンのようなものを中心に、放射状に3本の金属のジッパーが等間隔にまっすぐ伸びている。ちょうどいつも飲むサイダーのマークに 似ていた。
左手で低めの位置にぶら下げると、手早く右手を3本のジッパーに沿って地面とおおむね垂直に動かす。壁に貼る感じだ。
プラプラしていたジッパーは空中にぴったりと固定された。
そこに見えない平面があるように平らに浮かんで動かない。
ぎしぎしっぎししっ
足音が近い。
男は赤いボタンに人差し指を当て、上にちょっと押し、下に戻した。
チャッと小さい音を立て、中央に寄っていたジッパーのつまみが3つとも一様に2、3センチだけ開く。
男は小声で言う。手は動きっぱなしだ。穴を開いている。
「お前先に出ろ」
3つのジッパーが開ききり、三角形の穴ができた。穴の外は薄暗い。
男に言われるまま穴の前に移動する。
「おい」
斜め上のほうから人の声がする。近い。
穴の前で振り返ると、男は斜め上に首をやってじっとしている。
「ない。ないぞ! おい!!」
だんだんでかい声になっていく。
どう考えても賽銭箱の後ろにいる。一人じゃない。誰かに話しかけている。
「早く行け!」
穴の前でかがんている俺の背中を思いきり左手で押した。
急いで穴から転がり出ると、あたりは暗い。
振り返るなという言いつけを意図的に破ってしゃがんだまま振り返ると、もう男が出てきていた。
シャーっと音が聞こえる。
あ、これ、川藤さんの横で聞いたやつ。
ジッパーを閉じる音だったようだ。
ごそごそしてから立ち上がった男の向こうでは、川藤さんが看板に縋り付いて楽しそうな笑みを浮かべている。男を追いかけて入った時と、全く同じ姿勢だった。
「もう戻ってきたから、大丈夫」
「川藤さんは?」
「大丈夫」
俺の脇にしゃがんで、手首のビニールロープを切る。引っ張られたりしたから、お互いの手首に赤い擦り跡ができていた。
当然そのまま男が抱えている物が目についた。
「その額は?」
上諏訪神社から盗んできた額を指さす。
「大丈夫」
「そのせいで川藤さんになんかあったりしないか」
「大丈夫。妄想は無限だから」
力強いお言葉。
あれだけうだうだ言っておいて、泥棒はいいのかよ。
あたりは暗い。男を俺が追いかけたときと同じ。
月明りとスカイツリーと街頭でぼんやりと照らされる宵中の夜は静かで。
男がケチャップで汚れているのと、俺が買ったケチャップがなくなっているのと、どっと疲れているのが、しばらく前との大きな違いだ。
ポケットのケータイを見た。お子様向けだが時計にはなる。
小一時間うろうろしたはずなのに、買い物の後走って時計を見ていた時とそんなに変わっていない。
「次の土曜日」
立ち上がった男が上から言い放つ。
説明もなく一方的で偉そうな感じがイラついて立ち上がる。
「詳しい話をしたい。待ち合わせはここでいい。時間は、そうだな、十三時でどうだ」
有無を言わせぬ口調がますますムカつく。
「いやなのはわかる。でも内世界に入ったことで一番の不利益を被るのはお前だ」
そんなに大げさにいうことには思えない。
「しらないよそんなの。死にゃしないでしょ」
間髪容れずに返される。
「する。死ぬっていうより、消えてなくなる。
ほっとくと多分あと2週間くらいだ。
対策はあるらしいが、嘘かほんとかわからないようなやつなんだ」
目の前が見慣れた風景になったのもあって、ほんとかよ、という気持ちが先に立つ。
「悪い。俺も今説明しきれない。出てこれただけでもう。ちょっと。
今はちょっと、これ以上は無理だ。
落ち着いて、いろいろ調べて、まともに説明できるようにしとくから」
俺の両肩に手を置き、細い目を開けるだけ開いて俺の目をのぞき込んで懇願する男。
「信じられない」
これでなんかまずいことになったんだったら、次に会うときに俺がこいつに殺されるっていうのもあり得る。
目撃者は消す。よく聞く筋書じゃないか。
男は悩んで、
「その花びら」
と、俺の首筋を指さした。
触ると、くっついた桜の花びらがそのままだ。
「そのままつけて帰って、家に置いておけ。で、どうなるか観察しろ。お前もそうなる」
消えるといいたいのか。そんなに証明したいのか。
「そうなったときに連絡するのにSNSかメアドか電話番号教えてよ。連絡取れない」
「ない。できない。その辺も、後でまとめて説明するから」
男は必死だ。
でも大人って嘘つきだしなぁ。
「あと、わかると思うけど警察とか他人に話しても頭おかしいと思われるのがオチだからやめとけ」
お願いしているのか命令しているのか。
一から十までムカつくが、さっき見てきたものの説明が自分でも付かない。
訳が分からない。
…もういいや! 考えるのやめだ!
「土曜日の、午後一時な」
「ありがとう。そうだ、あと、ノートと筆記用具持ってきてくれ。飲み物もな」
ノートと筆記用具と飲み物。弁当があったら完全に遠足だ。注文多いなぁ。
「…持ってこりゃいいんでしょ持ってこりゃ」
しぶしぶ返事をすると、男は肩から手を外してほっとした顔をした。
せめてこれだけは。
「あんたの名前は?」
男はすぐ横、川藤さんがしがみついていた看板に目をやった。
「コウダでいい」
絶対偽名だ。しかも、
「コルダじゃないのか」
看板には『コルダ・ロハーネス旧居跡 明治初期に宣教師コルダ・ロハーネスが西洋音楽教員として来日後この一角に自宅を構え…』と書いてあるのだ。
これをパクったんだったら『コルダ』だろ。
男は軽く笑った。
「コウダ、でいい」
名前以外にも絶対なんか隠してるけど、どうせまたこれも『後で』だろう。もういい。
一応礼儀として、名乗っておいてやろう。全く。
「俺はア…」
「知ってるからいいよアイちゃん」
「なんで知ってるんだ」
「言えない」
ああっ! むかつくなぁ!
あっちは全部嘘かほんとかわからないことばっかりで、言えないこともある。
そのくせ俺のことはしっかりわかってる。
全部『後で』。いらいらする。
男改めコウダはじゃ、と小さく言葉を切ってゆっくり駅のほうに服のにおいを嗅ぎながら歩いていく。さぞケチャップ臭かろう。
本人が言っていた通りもう遅い。あいつは家族がいるんだろうか。もしいたら、家に帰って家族とかに…。
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