新説 六界探訪譚

楕草晴子

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2.第一界

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「わかった」
 わからないことにもわかりましたと答えてしまう生徒そのもの。
 反射的に口に出すと、コウダはしばらく俺のほうをじっと見ていた。
「持ってきた水でも飲め」
 言われて初めて思い出した。
 ショルダーバックからジュースのペットボトル――ただし中身は麦茶――を開けて飲むと、ちょっとだけ落ち着いた。
「世界は他の侵入を拒む。
 一方の世界に他方の世界のものが入ってくると、一方の世界ではそれを異物認識する。
 そして他方の世界では一瞬だけその存在自体がなくなる。
 中に入るときにジッパーが開いて閉じる時間と、出るときに開いて閉じる時間の数秒だ。
 それだけで、元いた世界からその存在自体がエラー、あり得ないものと捉えられてしまう。
 世界は整合性を保つためにその存在を消そうとする。ほっとくと3週間。
 お前が入った時期から普通のペースで消えていると9月頭までってとこだ」
 シルバーウイークを待たずに、永遠のお休みへ。
 うわーい! じゃなくって。
「一般的な回避策はある。
 ようはこの前のを一回目として、慣らし運転しきってしまえばいい」
「いい話ないって言ってたけどあるじゃんか」
 つい口をついて言葉が出た。
 だがコウダの顔色は相変わらず変わらない。じっとこちらを見つめている。
「ただし今回は難易度がかなり高い。
 普通慣らし運転は1年前から初心者が盗ん…持ってきやすそうなターゲットに事前調査をする。
 お前の場合それができない。もう1人目に入ってしまった。
 さらにまずいことに前例が少ない。
 お前は『こっち』の人間だろう?
 『こっち』の世界の人間が入った事例で現存しているのは1例だけだ」
 中ほどで言い淀んだところも気になるけど、最優先事項は自分の明日。ひとまず横やりを入れるのはやめておこう。
「しかもかなり古い。
 どのくらい古いかというと五百年前だ。
 『六界探訪譚』という古典文学小説がある。
 小説といっても日記形式でかなり事実に近いと言われている。
 歴史学者の研究も進んでいて、業界内ではそれなりに有名な話だ。
 話は今回同様突発的に入ってしまった日から始まって、事前調査できず、ターゲットの目星もつけられずにぶっつけ本番。危険な目に遭いまくる。
 期間は二ヵ月。6人入ってようやく消える傾向が出なくなったとある。
 つまり普通の3週間よりも消えるペースが多少速いうえに慣れるのに人数が必要ということだ。
 単純計算で十日に1人入らないと間に合わない。
 事例が少なすぎてそれで大丈夫な補償もないから、だめそうならさらにおかわりだ」
 こんなに美味しくなさそうなおかわりは初めてだった。
「十日に1人って、コウダにとってはハイペースなの?」
「だいぶ。
 キャリア十年だが、普通はよく一緒にいる複数人をかけ持って、調査に1カ月はかける。
 1日の行動パターンにくわえ、1週間の行動パターンが読めないと背後を狙えない。
 今回は時間が短いうえに、この前のカワトウさんはこの掛け持ちタームの最後の一人だった。
 ストックがない。
 他の奴らに手伝ってもらうのは原則禁止だし、何より特殊事例で協会から緘口令が敷かれているから情報を回せない。
 誰かに内密に協力依頼してうけてもらえたとしても、協会に背くのはハイリスクだ。
 大金を要求してくるか、ヤバイ筋のやつだろう。
 俺にはどっちもできない」
「キョウカイって」
「この職業の免許と労働状況の管理組織。
 で、その事情に加えて、俺が調査する時間がない。
 特殊事例として協会の上のほうまで話が上がった結果、事前・事後の報告をリアルタイムですることになってしまった。
 成功したら5年の免停を免れる代わりにな。
 報告書を書く時間、直前直後のお前との相談などなどを考えると、俺はターゲットを絞りきるのは厳しい。
 そこで、だ」
「俺の親とか親戚とか仲いい友達とか?」
「いや、違う。お前の知り合い、特に学校で同じクラスのあまり親しくない同級生。
 その人のキャラクターと行動パターンはある程度わかり、背後を狙えなくもなさそうで、相手がお前のことを普段からそこまで重要視していないというのがポイントになる。
 完全なぶっつけ本番よりはだいぶいい。
 お前が調査するとばれる可能性があるから、今わかっている範囲でやる。
 あと、また別の時に話すが親しい人間の中に入るのは危険だからやらない」
 『別の時に』。ふーん。ほんとかぁ?
 でも確かにもうこれ以上聞いてもかみ砕けそうにない。
「ここまででなんか聞きたいことあるか」
「もうお腹いっぱい」
「もうちょっとだ。
 ここからは、今から見せる資料をこの場でノートに写してお持ち帰りしろ。
 書き写している内容がわからなかったら、書きながら質問してくれ。
 で、うちに帰って、読み返して、今日中には消化してほしい」
「資料そのままくれよ」
「できない。
 俺の存在自体本来『こっち』にはないものだ。
 世界は整合性を保とうとする。
 慣らし運転は済んでるから俺が消えることはないが、俺が残した痕跡は消える。
 つまり資料をそのまま渡しても消える。
 そのノートに俺が写したり、資料をコピーしたりしても、文字・紙のへこみ・コピー機内に残ったデータまで、跡形もなく消えてしまう」
 楽できないシステムらしい。
 だりぃ。
 コウダは書類ケースからA4数枚の紙をホチキスで止めた資料を出した。
 なんかずるいな。コウダだけ楽な気がする。
 しぶしぶノートを出して写し始める。いきなりアルファベットだ。読み方がよくわからない。
 ジ? エ、ヴェ、ス? グイデ。英語か、やだなぁ。
 土曜日なのに、学校で勉強してるみたいだ。
 ところどころコウダが写さなくていいというところを端折って書き写す。
 講義・ノートという大変真面目なお勉強をしているのに、書いていることや真剣にコウダが話す内容はどうあがいてもファンタジー。
 途中疲れて顔を上げると、向こうでウサギが跳ねている。誰かが飼っているのを散歩させに来たのだろう。
 ペットを飼う余裕がない我が家。飼うマメさもないから余裕があってもなくても同じ気もするが、なんだかうらやましい。
 ふわふわ。あ、こっち向いた。かわいいなぁ。
 ぴょこぴょこ跳ねたり鼻をひくひくさせたり、小首をかしげたり。
「おい、大丈夫か」
 コウダに目を向ける。なんとなく不安そうだ。目がいつもより多少余計に開いているように見える。
 一口麦茶を飲んで、息をついて続きを写し始める。
 下敷きなしで書いているから、ぐにょぐにょして書きにくい。
 シャーペンの芯が何度か折れた。もったいねぇの。
 コウダに読めない字を聞いたりすると、無表情に淡々と返ってくる。
 自分自身よく周りから表情が薄いと言われる。
 人にしゃべっている自分や人から見た自分はわからないが、多分コウダは俺と似たり寄ったりだと思う。
 俺のほうに向いているだけで、道すがらもここに座って話し始めたときも、おおむね同じ顔。
 全体的に感情表現が薄口だ。
 口数が多いのは、説明の必要があるからというだけだろう。
「コウダ、やっぱり泥棒なの?」
 写している資料の節々の単語がひと様に顔向けできない感じをにじませている。
「いや、違う。
 その辺は気にするな。とにかく今は写せ。
 これ以上俺が説明しても頭に入らないだろ」
 うーん。
 解散できる状態――といっても書いただけで中身は読んでいない――になったのは、3時を過ぎたところだった。
 明日また午後1時にここにきて話す、ターゲットにできそうだと思っている同級生1人以上を洗い出してノートに書いてもってくることに決めた。
 上野公園でコウダと逆方向に、ノートをパラパラ開いてみながら歩きだす。
 ところどころ見たことがない文明の文字になっている。
 読めるだろうか。
 が、まあ、大丈夫だ。普段から目を開けて寝る技術と解読力はあるほうだし。
 根拠なく納得して鞄にノートをしまい、家に向かって歩き出した。
 疲れたのか疲れていないのか、もうよくわからなかった。
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