新説 六界探訪譚

楕草晴子

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8.第四界

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 地面に置かれた顎がない髑髏の眼窩からトカゲがぬるりと抜け出す絵はキモいからスルーして。
 3歩分くらい離れてしまったコウダとの距離を詰めつつ、額縁に入った団扇型の絵の中で、悪ーい顔の三毛ネコ人間が三味線習ってるのを見て多少気分を中和させた。
 壁はコウダが取った一箇所だけが小さく空白。
 床にはれいこちゃんから取り換えた木彫りの仏様が安置されていた。
 てきとーに丸太から彫り出したようにしか見えないこの仏様。
 内心俺でも作れそうとか思ってたから、コウダが取り換えたのには納得していたりしたんだけど。
 一体全体何とチェンジしたんだか。
 更に一歩進んで空白の向こう。デカい煉瓦の塔の絵。何段にも重なったケーキみたいな形。
 これ、小学校のときに美術館行く授業で見たやつじゃないか?
 確かここらへんに…いた。やっぱそうだ。うんこしてる人いるからあれで間違いない。
 よかった。多少色味は明くなって来…てないな。
 黒っぽい山みたいなのーーUをひっくり返した形をつなげて出来たようなーーをバックに、全裸でしかも全身赤っぽく発光してるみたいな人が両手を合わせて立ちション。
 輝きたいのか燃え尽きたいのか。ありがたいのかありがたくないのか。
 コウダは俺がもたついてる間に距離を広げていく。
 っと! いけね。
 たわんでいた紐が伸び、だいぶ低めにぶら下がってるモビールに絡まった。
 やじろべえのような棒の一方からは赤と青の丸。他方からは赤と黒と黄色のへんな形が、これまたやじろべえにくっついてぶら下がってふよふよしてる。
 紐は丁度やじろべえの根本にひっかかっていた。
 早く解かなきゃ。
 そんな俺の焦りを知りもしないコウダ。
 周りの絵が比較的デカイのばっかになってきた上に足元のものが減って物色しずらいから、先を急ぎたいらしい。
 その歩みに引きずられて動きだすモビール。
 引っ張りどころが悪かったのか、高速回転したやじろべえは紐を巻き取り俺の手を引っ張った。
 うわうわうわ!
 うわっ! とととと…。
「コウダ待って!」
 コウダがピタリと立ち止まる。
 変な姿勢で斜めになり、紐に片手を吊るされて爪先立ち。
 ふとももと脇腹がプルプルする。
「ちょっと戻って!」
 数歩コウダが下がると、足の裏全体が床に着いた。
 そっと足元にあった障害物ーー丸っこい変な形のグミみたいな金色の金属の塊ーーを跨いでさらに手元を安定させ、まだゆっくりとゆられ続けるそれに堅く巻き付くモビールの紐をほぐす。
 ここか? ああっ…もーめんどくせえ。
 めんどくせーーーー!
「っし、外れた」
 言うや否やコウダは前進する。
 俺もひっついて前進する。同じ轍を踏ないためにも。
 視界の背景と化している壁の白いキャンバスからは、黒いぼこぼこした立体的な物体が湧き出すような絵っていうかなんていうか。
 デカい絵ゾーンが落ち着いてきたら、足元の障害物は無くなった。
 ただし壁と床は歪んだ黒い菱形と歪んだ白い菱形でびっしり埋め尽くされだしていて。
 ぐにゃりと波打つギンガムチェックで目がチカチカするけど、また穴になってないとも限らない。
 渋々注視しつつ、必然、時々まともな画面構成になってる絵で目と平衡感覚を戻す羽目になった。
 コウダは魔女っぽい感じのお姉さんが横向きで扇子かなんか差し出してるポスターをスルーして、どっかで見た歌舞伎役者っぽい浮世絵の前で立ち止まっている。
 ああ。コウダ、またチェンジ?
 まだ選ぶのかよ。どんだけカネが好きなんだ。
 相変わらず暗い絵ばっかりだし、なんであるのかわかんない弐藤さんの肖像画ーーそれもキラキラ背負ってる感じに美化されたーーが混ざってるけど、小振りで持ち出し出来そうなのが増えてきたことでコウダの足取りは俄然重くなる。
 武藤さんがいた小部屋みたいに一箇所黒いとこが穴だったりしても、今のコウダじゃ気付かなさげだよなぁ。
 こちらを向いた当のコウダと目が合った。
 今まで見た中で一番の血色の良さ。
 表情はそこまで変わらないものの、興奮度合いがわかる。
 直ぐに壁面に目をやったもののお目当てはなかったらしい。
 代わりに俺が顔面をジーッと追跡してたから気になったのか、チラッと俺を見て小首を傾げた。
 …可愛くない。
 当たり前だ。おっさんだから。お姉さんとか犬猫ならよかったのに。
 全力で首を横に振ると、コウダがぷっと吹き出した。
「ほんとに興味ないんだな」
 だって腹膨れないし。
 コウダはチラッと悪~い笑みを浮かべると、俺の顔を見てそのまますぐ逆の通路の壁を眺めながらさらりと言った。
「筋肉つけるよりこういうの詳しいほうがモテると思うぞ」
 な…、なにぃいいいっ!!
 どどど、どーゆーことだ!!
「デートスポットとして美術館は鉄板だしな。
 所々で訳知り顔出来た方が話しやすいし、トリビアレベルの軽さで小出しにしたりすると相手も関心してくれるし」
 なんだその実体験っぽい口調。
 誰だ。
 実例は誰だ。
 いやいや、騙されるな。コウダのことだ。
 どうせ例の相方さん一人なんじゃないのか?
 そう思う気持ちとは裏腹に、どこからともなく湧き上がるエネルギーが耳へどんどん集約されていく。
 ゆっくりと絵を眺めるコウダの横顔と上体の動きはスムーズだ。
 前進する様は俺をおちょくっているようにすら見えた。
「先ず最初に手にとった絵だけど、キシダリュウセイ『レイコゾウ』」
 蘊蓄で説明してくれるようだ。
 てかさ。さっきのモテるとかいうのも、今コウダが喋りたいからって理由の前フリでしかないんじゃない?
 ん~、でも…嘘かもしんなくても、それでモテるってことなら。
「次の木彫りの奴はエンクウブツ。作品点数は多いが『あっち』での買手も多いから。
 さっき置いてきたのはインドのミニアチュール。
 16世紀末から18世紀頃のものが良いとされるが、そのキシャンガルハの作は出来栄えも良くて希少価値が高い。
 見る限り細かいところまできっちり現物通りだった。精度の高さでチョイスした」
 やっぱり所々漢字変換できない。
 レイコゾウはたぶん『れい子ちゃんの肖像』ってことだと思うんだけど。
 そもそも今さら言われたってもう全部置いてきてるから作品を名前を一致させられない。
 それが分かってるのに必死に聞いてしまう。
 欲って悲しい。
「今持ってるのは?」
「トウシュウサイシャラク『イチカワエビゾウ』
 役者絵の天才と評されているが、活動期間が僅か10ヵ月と短いうえに作者の情報がほぼない。
 その代表作がこれだ」
 開いて見せられた絵は、どっかのポスターだったか広告だったかなんかで見覚えがあった。
 有名な人なんだ。へー…。
 …ダメダメ! だめだ俺!
 これを覚えるっていう険しい岩場を通り抜けた先にモテへの道ってやつが開かれてるんだぞ!
「その手前のポスターはロートレックっていう19世紀の作家だ」
 あのお姉さんのやつ、スタボの壁にかかってそうとか思ってたけどそんな古いんだ。
「あと、お前が途中で躓いだ便座はマルセル・デュシャンっていう天才アーティストの代名詞になっている作品だし、踏んだか蹴ったかしたのがあったろ。あれはジャコメッティって彫刻家のものだ」
 そーなの!? 人の顔付いてたけど、ちょっと変わった足つぼ健康器じゃなかったんだ…。
 しかしあの超乱雑にものが置かれた空間で、目の前ばっか見てるなーと思ってたのに俺が踏んだ作品もきっちり値踏みしてるとは。
 欲に目がくらむと人間なんでも出来るんだな。
「あのときすぐ横の壁にかかってたのはゴヤの…確か『我が子を喰らうサトゥルヌス』。
  黒い絵シリーズの一作で多分あの作者の作品で一番有名な奴。
  あと、あの邪魔なとこ陣取ってた角つきの鐘は岡本太郎って有名アーティストの作品な」
 思い出しても涎が出そうだ、と付け足しつつ話を続けている。
「あと、イーゼンハイムさいだん画だろ?
 ギョウサイだろ? クニヨシだろ?
 ブリューゲルの『バベルの塔』。
 ムラヤマカイタの『ニョウスルラソウ』。
 モビールはアレキサンダー・カルダー。
 ハンス・アルプに、晩年のポロックなんてマニアックなのもあったし。
 ボッティチェリ、ピカソ、ユトリロ…ああアジア圏もいいのが多かったな。
 モッケイ、特にすごかった。
 足元のトウサンサイもコウライセイジも透き通るような美しさだったし。
 あのクタニはTHEコクタニって図柄だったし。
 ムトウさん、画廊経営者の娘だけあって流石の」
 止まらなくなってきた。
 こうなるとうざいなぁ。
 ちょっとBGMとして聞き流す路線にして、足元などなどに気をつける方向で。
「インのソウヨウソンもあったし。
  そうだ、ラオコーンとかな。ギリシャの。
  あとあれも。ウッチェロとかポントルモなんかもあったから、多分ルーブルは行ったことあるだろうな、ムトウさん」
 ここまでの『中』をもう思い出のように回想してる。
 普段のコウダなら有り得ない。
 『おうちに帰るまでが遠足です』みたいなコウダにはやく戻ってくれないだろうか。
 絵なんかの間にところどころドアがあるみたいなんだけど、気付いてるだろうか。
 …気付いていないほうに100円 。
 壁にかかった緑のテーブルでサイコロを投げる猿顔の男たちの絵を見て、カモイレイじゃないか~と感嘆したり、そのむこうのポスター見ながら、ロトチェン子は今買手つかないなぁ、なんて。
 ぼやいてるのかホクホクしてるのかわかんないような感じだもん。
 『ロトチェン子』なんて、子が付いてるのに変な名前。何がいいんだか。ぽっと出の芸人みたいじゃないか。
「今度はカラバッジョか。しかも『いかさま師』。…いける」
 ドアを挟んで右には、また机を挟んでくわえタバコでトランプに興じる帽子をかぶった男の絵。
 コウダは迷わずカラバッジョと言ったその作品に近付いた。
 その時だった。
 ばりっ
 コウダの踏みだした足は床に見せかけた紙をあっさりと破き、そのまま床の下に吸われていった。
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