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第一章 寒けりゃ熱さが恋しくなる

第三節 料理の基本の基の字のき

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 用心棒の仕事は非常勤ということで、寒風は普段は店の手伝いをすることになった。
 圧力魔法使いの店員はこの店の店長だった。店には専属の料理人も何人かいるが、料理の腕は店長に及ばないという。若い頃に心華の国――西の大国である――出身の料理人に師事し、十年にわたってその料理人のもとで修行を積み、この店を開業したのである。名前は師匠の名字を貰って、趙重圧ちょう・しげあつだ。
 店長は下積み時代にまあまあ大きめの料理大会で入賞した経験もあるそうだが、それを宣伝しようとはしないらしい。寒風が店長にその理由を尋ねると、「ハードルを上げたくないから」と返された。
 しかしこれがこの店の美味さの秘訣だったのである。
 店の手伝いをすることになった寒風だが、厨房の手伝いに回された。寒酔のもとで修行をしていたころは寒風が食事の準備をしていたが、心華料理は作ったことがなかった。
 そこで、包丁の握り方から教えてやると意気込んでいたのは料理人の一人、五太郎である。この店で寒風の次に経験の浅い料理人だ。それでは料理人が一人抜けることになるので、店がもっと忙しくなってしまうのではと寒風は心配したが、実は五太郎、心華料理をつくれない。少し物覚えが悪いというか、そもそも五太郎自身覚えようとしているのか、といった具合だそうで。二ヶ月前に店長に弟子入りしたばかりで、作れるのは杏仁豆腐だけ。つまり言い方は悪いが五太郎がいなくなったところで、店の負担が大きくなることはないのだ。しかし五太郎の杏仁豆腐は絶品らしく、こればかりは店長を含めて誰もが達人級だと認めているようだ。理由を尋ねると五太郎の母方の実家は豆腐屋、父方の実家は和菓子屋なのだという。馬鹿みたいな話だが店で杏仁豆腐をつくるとなったら必ず五太郎が担当しているので、よほど美味しいのだろう。
 包丁の握り方を教わるべきは五太郎の方だったわけだが、皿洗いや掃除など店の雑用はすべて五太郎から教わった。寒風がそういった仕事を覚えていくほど、五太郎が包丁を握る時間は長くなっていった。
 寒風はこの店で働くうちに美味さのカラクリが徐々にわかるようになってきた。もちろん店長や料理人たちの料理の腕が良いのもそうなのだが、単にそれだけが理由ではないのである。
 料理大会での入賞経験を宣伝しないのはお客の期待を上げさせないためで、店がぼろっちいのもお客に期待させないためだ。値段が安いのもそうだ。むしろ期待値を標準より下げている。また、お客が店に入ってくると店長はそのお客に「重石の圧」――相手の動きを鈍くする魔法――をかけるのである。気づかれないように徐々に「圧」をかけていき、お客が料理を口にした瞬間にその圧力魔法を解くのである。寒風が中華丼を口にしたときに身体が軽くなったのは気のせいではなかったのだ。
 また、店長は「同調圧力」――相手を洗脳させる魔法――を使うのだ。同調圧力で生み出した「美味しいわけではない」という文字を料理に混ぜるのである。その文字を無意識的に見たお客はその魔法にかかり、出された料理が「美味しくないもの」だと思い込んでしまう。常連客から「あの店美味しいよ」なんて聞かされていた新規のお客の期待値もこれによって下がるというわけだ。
 「当店はお客様の妥協で成り立っております」
 まさにこれだったわけだ。
 つまり寒風のギャグが期待値を上げて期待外を狙ったものならば、店長の料理は期待値を下げて予想外を狙ったものなのだ。
 寒風がこの店で働き始めておよそ一ヶ月、店長が倒れた。町医者に診てもらったところ、命に別状はないようだが二日は安静にということだ。
 こうなると料理人たちは大慌ての大忙しである。その日は残り数時間なんとか乗り切ったが、翌日は一日通して店長不在。「なんとか乗り切る」というわけにはいかないだろう。五太郎もまだ杏仁豆腐しか作れない。料理人たちは困り果てた。
 すると店長が無理を押して厨房に立つと言い出した。それで調子が悪化すれば本末転倒ではないかと言われると店長は黙り込んだ。
 臨時休業にしようという話も出たが、店長はそれだけは避けたがっているようだった。
 しかし不思議なことも起こるもので、店長の師匠、趙さんが突然やってきたのである。店長のご飯を食べに来たそうだが、店長の代打で料理を作ることになった。めでたしめでたしである。
 店長は寒風を呼び出した。
 「またいつこうなってしまうかわからないから君に私の心華料理を叩き込む」
 と店長は言った。五太郎があんな調子なので他に手がないのだろう。寒風は断ることができなかった。むしろやるしかないと思っていた。
 店長の師匠の趙さんは見た目八十歳くらいのおじいさんだが、背筋がしゃきっと伸びていて元気がある。特に料理を作っている間はかなりテンションが高い。
 底が深くて丸い形をした鍋――心華の鍋――を振って炒飯を炒めるのだが、振る度に「フアヤン」と甲高い声で叫ぶのである。炒飯には彼の唾液が混じっているに違いない。
 常連の客はいつもの店長が作っているわけではないようだと厨房からの奇怪な叫び声を耳にしながら察しているようだったが、出される料理がいつも以上にうまいので何も言わなかった。
 寒風はあまりに恐ろしかったので趙さんが料理を作る様子を見ないようにしていたのだが、聞いているうちにただ意味もなく「フアヤン」と叫んでいるように聞こえなくなってきていた。
 お昼時を過ぎて一段落ついたところで、料理人たちは交代で昼食をとることにした。
 しかしそのとき再び強盗がやってきたのである。寒風は用心棒としての初仕事だと張り切って強盗たちの前に立ちふさがった。強盗たちは寒風の存在を知っていたようで、その対策として厚着をしていた。しかし寒風が何のこれしきとギャグを三発放つと強盗は呆気なく倒れた。用心棒としての見事な働きを料理人たちに誉められたいがために厨房へ向かうとその料理人たちも倒れていた。厨房にまで魔法ギャグが聞こえていたのだ。店長不在で「圧力鍋」に守られることもなく、寒風のギャグ三連発を無防備で受けることになったのである。用心棒が味方を攻撃してどうするのだ。だがそんなことより驚くべきことに、厨房に立って寒風をじっと見ている者が一人だけいた。趙さんだ。強盗なんかよりも万倍恐ろしい。
 「これ、全部おまえがやったのか」
 趙さんは倒れた料理人たちの方に目をやりながら、流暢にこの国――山豚やまとんの言葉でそう言った。戦慄が走るのを感じた。
 「おまえ、何者だ」
 趙さんは落ち着いた口調で続ける。いや趙さんこそ何者なのだ。彼のギャグ三連発を耳にして倒れないなんて、ただ者ではない。料理人であるということすら疑わしい。すると突然趙さんは戦闘態勢をとった。どっかの拳法の構えだ。その手には「炎」という文字を纏っている。
 ――まさか……
 寒風はピンと来た。
 師匠が以前おっしゃっていた、師匠が寒笑拳を極めてから唯一敵わなかった相手……趙炎チョウ・エンではないか。
 火炎魔法の使い手は氷結魔法に強い。師匠が寒笑拳を使って太刀打ちできない相手なぞ、火炎魔法の使い手で且つ師匠に勝るとも劣らぬかそれ以上の技術を持つような拳法の達人でなければならない。
 この人からは酔師匠並みの何かを感じる。間違いない。
 寒風が気づいたのと同時に、
 「酔の弟子か」
 と趙さんは言った。
 「はい、寒笑流の達人、寒酔の弟子でございます。熱叫流ねっきょうりゅうの達人、趙炎様ですか」
 寒風がそう言うと趙炎さんは酔から聞いておったかと大して驚く素振りも見せずに言った。するとにっこり笑い、
 「会えて嬉しいぞ」
 と言った。師匠は趙炎さんと仲がよかったのである。
 趙炎さんは火炎魔法で料理人たちをほどよく暖め、回復させた。
 「相当極めたようだな。なかなか寒かった」
 趙炎さんはそう言って笑った。寒風自身も極めたと思い込んでいたが、あれでびくともしない人間がいるとはまだまだだなと思い、苦笑した。
 ちなみに趙炎さん、やはり「フアヤン」と叫ぶのはただ料理に唾を飛ばしていたのではなく、料理を熱するためにしていたのだった。火炎魔法を使って料理をしていたのである。
 そういえば昼飯を食べていなかったという話になり
 「じゃあプウが賄いを作れ」
 どういう流れか、趙炎さんは突然無茶振りをした。渾身の一発ギャグを振られる方がよっぽどましだ。しかし寒風が何を言っても趙炎さんは寒風に賄いを作らせようとした。料理人たちは趙炎さんの賄いを食べられることを期待していたようで、肩を落とした。こっちだって望んでねえよ。
 とりあえず五太郎に頼んで杏仁豆腐を作ってもらうことにした。趙炎さんはきっとこちらに気が引かれるだろう。
 寒風は厨房に作り置きしてあったスープに火をかけた。趙炎さんが作った胡瓜のスープだ。さっぱりとした味わいである。スープが温まると水溶き片栗粉を少量混ぜた。とろみが若干ついただろうか。そのくらいの量である。塩を少し加えた。
 そして炊飯器からお椀にご飯をよそい、スープをご飯にかけて完成である。
 料理を出すと趙炎さんは、やけに早いと思ったらと笑った。料理人たちは趙炎さんの料理が食べられるので喜んだ。
 そして不味いわけがないのである。お米が汁を吸い始めると雑炊らしくなり、これに海老油を混ぜるとより美味い。
 「料理は人それぞれの好みに合わせて作るのが一番美味い。料理の基本だ」
 趙炎さんはそう言った。海老油はお好みで混ぜてほしかったので、卓上にそれが入った瓶を置くだけにしたのである。
 「その基本をおさえているところは好感が持てるな」
 趙炎さんはそう言った。「ところは」の「は」が気になったが初めてにしては上出来だろう。
 そしてここで五太郎の杏仁豆腐の登場である。これには趙炎さんも驚き、絶賛した。五太郎もまんざらでもない顔をしやがる。今まで誇らしかったはずが、ここまで来るとなんだか悔しくなってくる。
 「こんなに杏仁豆腐がうまいなら他の料理も期待だな」
 趙炎さんがそう言った途端、五太郎の顔から笑みが消えすっかり黙り込んでしまった。
 
 ここで第三節の締めとして寒風から一発。

 給料日に急に売り出すきゅうり 久々勘のいい婆さん買い尽くして冷蔵庫が窮屈
 いや、きゅうり(急に)どうした。なんも上手くね~。でもきゅうりは美味い。あちゃちゃ。大火傷。寒いはずが、あちゃちゃ。
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