闇呼ぶトビラ

橘伊津姫

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禁 忌

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これは友人の祖母であるミチさんの話。
ミチさんが生まれ育った山あいの小さな村には、決して犯してはいけない禁忌があった。
『村の入り口から続く道沿いに家を建ててはいけない』
『禁所ごんしょにある物は木の1本、花の1輪、葉の1枚、石の1つも持ち出してはいけない』
というものだった。
通りに面した家には「厄」が入り込みやすく、家人に良くない事が起こると言われていたため。
また『禁所』と呼ばれる場所は「山の神様の住まう場所」と信じられており、非常に気難しいこの神様は自分のモノを奪われるのを嫌うため、良質な木材が採れる事が分かっていても伐り出す事は固く禁じられていた。

ある時、高齢の村長が亡くなり、都会の大学で学んだという長男が跡を継いだ。
都会で学問を修めた事が自慢の長男は、村に伝わるこれらの禁忌を鼻で笑って歯牙にも掛けなかった。
それでも父親が存命の間は大人しくしていたのだが、前村長が亡くなってしまうとすぐに、人々が守ってきた禁所ごんしょから木材を伐り出し、見せつけるように通り沿いに大きな屋敷を建て始めたのだ。
何人もがやめるように諫言したが、新村長は「この近代化の世の中に山の神もクソもあるものか。当てられるバチがあるなら当ててみろ」と豪語し、人々を追い返してしまった。
しかし大きな屋敷が出来上がった途端、生まれて間もない村長の娘が急死する。
死因は乳幼児特有の突然死だったのだろうが、村人達は『禁所を犯したからだ』『禁忌を破ったからだ』と噂し合った。
表立って口にする者はいなかったが、狭い村内の事、その噂が村長の家族の耳に入らないはずもない。
幼い子供を亡くしたショックと村人との確執からくる心労で、今度は妻が心を病んでしまった。
虚ろな表情で、また泣き喚きながら村中を徘徊する妻の姿を何人もが目にした。
そんな妻の様子に「恥晒し」と腹を立てた村長は、屋敷内の一室に妻を閉じ込めてしまった。
だが今度は村長の母親が原因不明の高熱を発し、七日七夜苦しみ抜いて亡くなった。
使用人達は気味悪がって次々と辞めていき、とうとう広い屋敷には村長と妻の2人だけになってしまった。
不穏な空気の中で、村人全員が息を詰めて生活している。
やがて村長自身も精神に変調をきたしたらしく、意味不明の叫びをあげながら犬や猫、果ては子供達までも棒を手に追い回すようになっていった。
この頃には村の中でも葬儀が立て続けに起きるようになっていた。
先週はあの家、一昨日はこの家、今日はあそこの家……と言った具合だ。
大人達はどうしたものかと額を寄せあって相談を重ねたが、良い案が浮かぶはずもない。
当時12歳だったミチさんや幼い弟妹、村の子供達は、大人の話に首を突っ込む事を禁じられていたが、それでも緊張を孕んだ空気は理解できたそうだ。
そんな中、村長の妻が自ら命を断った。
屋敷を抜け出し、村境の道祖神脇にそびえる楠の枝に縄をかけ、首を括ったのだ。
ここに至って、ミチさんの祖父母は決心を固めた。
ミチさんの両親に「この村はもうだめだ。禁忌を犯した以上、災厄は村全体に及ぶだろう。お前達だけでも村を出て暮らすように」と告げたそうだ。
一緒に村を出ようと説得する両親に「村長を止められなかった自分達にも責任はある。自分達はこの村の結末を見届ける義務もある。だが、お前達は子供の事を第一に考えなくてはいけない」と譲らなかった。
ミチさん一家は最低限の家財道具だけを持ち出すと、逃げるようにして村を後にした。
同じようにして村を去る家族も数軒あったそうだ。
その後、祖父母が亡くなるまでに数回手紙のやり取りがあったが、文末には必ず「絶対に村には帰ってこないように」と書き記されていた。
やがて祖父が亡くなり、間を置かず、後を追うようにして祖母も他界した。
しかし一家は、葬式に帰る事も出来なかったという。

事態が良くなる兆しは見えず、住民達は1軒、また1軒と村を去っていった。
残ったのは身寄りのない高齢の世帯が数戸のみ。
それも数年前には絶えてしまい、村は廃村となる事が決定した。
村長の交代から10年と経たずに、地図上から村は消えてしまったのである。
たった1人の男が「禁忌」を破ってしまったせいで。

禁じられるからには何かしらの理由があり、それを犯してしまったが故に振りかかる災厄には慈悲も温情もない。
そこに人間側の都合は一切考慮されない。
だからこそ「禁忌」とされるのだ。

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