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一章:幸せを知らない男は死にたいらしい
春の日の、拾いもの 07
しゃがんでいた体勢から立ち上がり、洗顔フォームを数cmほど手に取る。
手の中で泡立て、青年の顔を泡で擦り立てた。
「あっ、あっ、なんやの、コレ! すーすーするです。変です。オ、オレ、何にも持ってへんよ」
メンズ用の洗顔フォームの中でも爽快感が強いもので、びくり、と肩を跳ねさせたサチが戦慄いている。
それでも大人しく目を瞑り洗われている姿に庇護欲を擽られた。
「それは好都合。下着と服と、歯ブラシにコップ、食器に勉強道具も必要だな。まあ、追々揃えるとして。おい、サチ。お前、家事は……掃除、料理、洗濯は出来るのか?」
頭の中で必要な物を思い描きつつ、蛇口からお湯を出し、彼の顔に掛けていく。
家事という単語で伝わるのか解らず、細かく言い直す。
もう一度洗顔剤を掌に、ぐにゅり、と出し、泡を作っていく。
ぶるり、と水気を飛ばすかの如く首を振るサチの髪から水滴が飛び散った。
「オレ、掃除と洗濯は得意やねん。料理は……おっちゃんに教えて貰ったやつなら作れます」
何処か誇らし気に胸を張る青年の頬に、ほわり、と泡を乗せる。
まだ落ち切らない汚れを泡で撫でていく。
恐らく彼は、字も読めなければ、数字や量の概念が解らないのだろう。
身体で覚えたものしか作れないのだと幸在は受け取った。
逆に言えば、身体に教え込んでしまえば問題はないと言うことである。
「サチ。何か食べたい物あるか? お腹空いてるだろ。風呂上がったら食事にしよう」
食事、と聞いて空腹感がやってきたのか、青年の腹部から「ぎゅるるるる、ぐるる」と盛大な音がした。
「死ぬ前に神様からのご褒美やろか? でもオレ、何にも返せんよ。何でユキさん、ようしてくれるん?」
きゅ、と眉間に皺を寄せ戸惑いがちに見詰められる。
よくよく見るとサチの瞳が茶色いことに気付く。
誤魔化すみたいに青年の顔を覆う泡をお湯で濯(ゆす)いだ。
「笑った顔を……見てみたいと、思った気がする。俺がお前を幸せにしたい。飼い主としての責務だ」
ん、ん、ん、と言葉を漏らし首を傾ぐサチには理解が追い付いていないようだった。
「せきむ、とか。かいぬし、とか。難しい言葉はようわからへんです。俺が笑ってもユキさんにはなんもええことないですやん。やっぱり、ようわからんです」
そっ、と伸ばした指先でサチの目尻を撫でる。
真っ直ぐに視線をぶつけてくる彼の額に唇を寄せた。
「今はまだ、解らなくて良い」
皮膚と接触する手前で停止した幸在の唇は弧を描いている。
耳元に移動した口唇が囁きを落とす。
「これから時間を掛けて教えてやる」
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