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一章:幸せを知らない男は死にたいらしい
春の日の、拾いもの 14
右も左も解らない、生きていく上で必要な知識を殆ど持たない、人を疑うことも知らない男が、自分のものになるのだと思うと、全身に得も知れない快感が走った。
「なあ、サチ」
ゆっくりとサチの手を引き寄せ、困惑する青年を腕に閉じ込める。
抵抗をみせる彼の細い体躯を押さえ込んでしまう。
耳元に寄せた唇には堪え切れない笑みが浮かんだ。
「誰が死なせてやると言った?」
口唇を開閉させ訳の解っていないサチの額に額を合わせ、至近距離で睨み付ける。
ふるり、と恐怖に体を震わせる男が身動いだ。
「い、意味が、わからへん、です」
逃げようと身を捩るサチだが、到底逃げられる筈もなく、更に強く抱き込まれてしまう。
「一つ、良い事を教えてやるよ。この世にタダなんてない。テメエに掛かった代金は、テメエで責任を持って払うもんだ。サチ、お前には支払い義務がある。きちんと義務を果たさない人間に死ぬ権利なんざねぇんだよ」
幸在の言葉の意味が解らないだろう男にジッと見詰められる。
「あ、の。あの。オレ、お金、持ってへん、です」
理解出来る言葉を拾い大まかな意味は察したのか、青褪めて絞り出すように呟いた青年の顔が俯いていく。
支払い能力がないことなどはじめから解り切っている。
解っているからこそ、敢えて金銭の話に持っていったのだ。
たとえ支払えたところで手放す気はなく、無知な男を言い包める口実など幾らでもあった。
「お前を綺麗にするのに掛かった水道代、石鹸代。その服も着ていくなら服代。それと、食事代。払えないなら、払えるまで此処にいて貰わないと困る」
少し知恵があれば、勝手に連れ込んで許可もなくやったことだろ、と反論も出来るのだろうが、サチには反論するだけの知識がない。
口調に棘を含ませ、男の顎を掴んで上向かせる。
焦茶色の瞳から、ぼたぼた、と零れ落ちていく雫に舌を這わせた。
「せ、せやかて、っ、オレ! 死なな、っ、アカンねん! み、見付かったら、っっ、いやや! 死にたいんよ! 死なせて下さい。お願いやから」
どんどん、と力任せに胸を叩かれる。
ひどく怯えた様子でガタガタと震えるサチの背を緩慢な動きで撫でていく。
「大丈夫だと言っただろ。此処にいる限り、誰もお前を傷付けたりしない。俺が守ってやるから」
何度も「大丈夫だから」と耳元に囁いても、青年は泣きじゃくり「死にたい」とうわ言のように呟くばかりだった。
一向に泣きやまないサチに幸在の中で憤りが芽生える。
彼を泣かせていいのは飼い主である幸在だけなのだ。
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