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一章:幸せを知らない男は死にたいらしい
存在しない男 08
寂しかったと言うように甘えてくる男に煽られる。
すりすり、と頭を擦り寄せた後で「ユキさんや。帰ってきて良かったです」と満面の笑みを向けてくるサチに理性が切れそうになる。
唇に触れて赤く色付く口唇を舐め、吸い付き食んでしまいたい。
そんな欲求に苛まれる己を無視し、薄い肩を掴み、そっ、と引き剥がす。
「ご飯はちゃんと食べたか?」
零仁が留めたのだろう、長い前髪を横に流しヘアピンで固定されていた。
あんなあんな、と勢い良く頷いて話そうとする青年に苦笑が浮かぶ。
頬に手をやり親指でついていない肉を撫でていく。
「たまごがな、美味しくてトロトロやねん。キャベツもシャキシャキなんです。オレ、オバケに食われてまうから、ユキさんとおんなじご飯、毎日は食べられへんです」
一大決心をしたようなキリリとした眼差しで言い募るサチに口端が上がる。
また出てきたオバケに、どれだけ恐れているのか、と笑いたくなるが、ぐっ、と堪えた。
真面目に訴えてくる姿が余計に可笑しい。
「オバケは倒してやるから安心しろ。塩でも撒いときゃ逃げんだろ」
サチの身体を反転させ、背を押しダイニングキッチンになっているスペースに押しやった。
床に転がした荷物を持ち上げ玄関の床に置く。
何故かキラキラと輝いた目を向けてくるので、過剰な期待を抱かれるのも面倒で話を逸らそうと矛先を変える。
「勉強はどうだ? 無理に覚えることはないが、楽しいだろ?」
靴を脱ぎ捨て幸在もダイニングキッチンにと上がり、青年の顔を覗き込んだ。
「オレ、オレ! あいうえお、と、かきくけこ、と、さしすせそ、と、たちつてと! 書きました。すごいんよ。木の棒で擦ると黒くなるんです」
褒めて欲しい、と顔に書いてある気がして、幸在はサチの頭を胸に抱き込む。
くしゃくしゃ、と髪を撫でるも胸に腕を置いた青年の体躯は離れていく。
腕を取られ引っ張られるままに自室にと移動した。
「おかえりなさい、幸在さん。お昼はどうされますか?」
学習机の前で腕を組み立っている零仁と目が合う。
何か言いたいことがある顔をしていた。
「ただいま、零仁。適当にやるから昼は気にしなくていい。それよりも、玄関にサチの服がある。着れる状態にしておいてくれ」
顔で玄関を示せば、彼は無言で部屋から出て行く。
擦れ違い様に「報告はいつすれば」と問われた。
「後で聞く。また呼ぶから待っていろ」
低い声で返し、サチに引かれ学習机の前に立つ。
紙を差し出してくる男から受け取ると、紙一面に不格好な平仮名が書かれていた。
「まだ上手いこと書けへんのやけど」
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