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一章:幸せを知らない男は死にたいらしい
閑話:ユキさんとちょきちょき 01
【ユキさんとちょきちょき】
夕方、食事を終えた萌 幸在(キザシ ユキアリ)と無平 さち(ムヒラ サチ)は食器を片付け、入浴の支度を始めた。
部屋着と下着、バスタオルを持たされ、サチは風呂場に向かう。
隣には、新聞紙と散髪鋏を持つ幸在がいる。
「床屋に連れて行っても良いんだが。今回は俺が切ってやる。暴れるなよ?」
髪を切るぞ、と言われ思い出したのは、いつもサチの髪を切っていた男のことだった。
無平と言う姓は知っているが、彼の下の名前は知らない。
時折、彼を訪れていた仕事仲間は「ゴンさん」と呼んでいた。
サチが長年過ごした男のことでわかるのは、その程度のものだ。
歳も名前も遍歴も何もかも、知っていることは一つとしてない。
「とこや、は髪の毛ちょきちょきするとこ、なんですやろか? いつもおっちゃんがちょきちょきしてくれたんよ。オレ、外に出るんは怖くて、ずっと家から出られんかったから」
浴室の扉を開け床に新聞紙を広げる幸在に服を脱ぐように指示され、のろのろとシャツから腕を抜いていく。
あまり記憶にないが、無平と出逢う前に何か恐ろしいことがあったのだ。
彼と出逢った時の記憶も曖昧ではある。
幼い頃の薄らぼんやりとした記憶にあるのは、にこり、とも笑わない無平の大きな掌だ。
泣き惑う幼子を見て彼がどう思ったのか、今では知る由もない。
だが、無平は見知らぬサチの手を引き、自宅に連れ帰った。
居てもええの、と問うサチに返事をすることなく、くしゃり、と髪を撫でた。
無平という男は、いつでもそうだった。
何も言わず、ただサチの傍にいてくれる。
ずっと恐怖状態に置かれ緊張を強いられていた幼児は、強面の無愛想な男をいい人だと認識した。
神様が与えてくれた救世主なのだと信じていたからこそ、痛くても苦しくても、男との行為を受け入れ逃げることもしなかった。
大好きな男といつまでも一緒にいたいとすら思っていたのだ。
ずくん、と胸が引き攣った。
服を脱ぐ動作が止まり、頭にシャツが引っ掛かったまま、サチは呆然とする。
もうサチの救世主は何処にもいない。
何処を探しても見付からない。
遠い場所にとサチを一人残して逝ってしまった。
「ユ、ユキさ、ん!」
途端に不安になる。
ばさっ、とシャツが床に落ち、散々「汚い、醜い」と詰られた肌が露出する。
誰からも優しく触れて貰ったことのない体躯を、火傷痕と創傷が覆い尽くしている。
「あ? バカ犬、下も脱げ……って、おい?」
浴室に飛び込んできたサチが下穿きを脱いでいないことに眉を顰めた幸在は尻餅を着いていた。
抱き着いてきた男の背に腕を回す。
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