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一章:幸せを知らない男は死にたいらしい
閑話:ユキさんとちょきちょき 08
葛藤は残るのだろうが、一応の納得を得たらしい青年は清々しい表情で、ほわほわ、と微笑んでいる。
「好きだよ、サチ」
込み上げてくる愛しさに胸が締め付けられた。
男と出逢うまで睦言など吐いたこともない口から自然と漏れ出る甘い言葉の意味を、サチは正確には理解しない。
それでも幸在は、ただ伝えたかった。
愛されることを知らない男に、自分の想いを全て捧げてしまいたい。
幸在と過ごすことに幸せを感じて欲しいと願う。
「オレも、ユキさんのこと好きです」
屈託のない青年の無邪気な返答に言い知れぬやるせなさを覚えても、その痛みごと全部が愛しかった。
青年の『好き』が幸在の『好き』と同等になる可能性は、限りなく皆無に近いと知っている。
束縛することで幸在に依存させてしまう状況からは、純粋な愛など生まれようもない。
「ほら、流すから目ぇ瞑ってろ」
それであれ、サチを手放すぐらいならば、痛みでさえも受け止めたかった。
同じ想いを抱くことがなくとも、傍にいて気持ちを共有したい。
男を目にした瞬間に芽生えた所有欲の中に紛れていた恋慕の念が強く湧き上がっては少年の心を支配する。
泡だらけの手でシャワーヘッドを掴み、お湯を出す。
鏡の中の男の双眸が、ぎゅう、と閉じるのを確認し、水流を頭部に当てていく。
一通り泡を流しお湯を止めホルダーにヘッドを掛け、青年の髪を掴んでは水気を切っていく。
指の隙間から零れていく水がサチの背中を辿っていく。
醜く引き攣れた肌を雫が流れていく様は、何故か幸在の感情を揺さぶる。
「身体、洗うぞ。今日は暴れるなよ?」
溜息混じりに告げると青年の瞳がゆっくりと上がる。
鏡を通して見える虚像の彼は、眉尻を下げ情けない顔を晒した後で、緩く首を左右させ頷いた。
本当は自分で洗いたいのだと解っている。
だが、その願いを聞き入れられる程に幸在は大人ではなかった。
彼の全て、心までも支配したいのだ。
ボディータオルを手に取り、カランからお湯を出す。
タオルを濡らしていると視線を感じた。
男を窺い見れば、自分で作りたいと瞳を輝かせているので、ボディータオルを渡し、ボディーソープを垂らす。
クシュクシュしろ、とジェスチャーで示すと、彼は嬉しそうに辿々しい手付きでタオルを手の中で揉んだ。
徐々にタオルの布地の隙間から泡が溢れ出てサチの掌は白いモコモコで一杯になる。
ほうわあ、と変な声を上げ泡と戯れる青年に、少年も自然と笑みを浮かべていた。
サチの手からタオルを奪い全身に泡を広げていく。
優しいタッチで肌に触れるかどうかという強さでタオルを滑らせる。
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