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第二章 二人の行方

二節 天使、探索旅へ

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「ありがとよ」

 レイモンはルシフェルの傍に寄ってそう言った。

「肩は広がったようですね」
「幾分な。それにイネス様には大恩がある。護衛をできるなんざ、一生ねーもんだと思ってたんだが、夢もかなったわけでよ。そう言う熾天使様だって、昨日より顔色がいいみたいだが?」
「ラジエラが戻ってきましたからね。親代わりの兄だと言えば、あなたはわかるでしょう?」
「あー」

 察しがいいのはいいことだ。
 再会を祝して、天の神殿でささやかな祝賀会になり、久しぶりに同じ部屋に寝て、また朝に泣いてそれを抱きしめて、そうして地上の神殿に舞い戻っているわけだ。

「いくつなんだ?」
「十五です」
「まだまだなぁ、心配だよなぁ。イネス様が十七だから二つ違いか、そりゃ、気も合うだろうな」

 舞い戻ってすぐ、ガエルと二人にラジエラを紹介した後の移動中の事だった。
 種族的な隔たりを予めラジエラに教えておいたのと、地が人懐っこい事で、ラジエラはイネスに話しかけていた。だんだんと話が弾んでいっていたのを言っているのである。
 今回の旅では、四つ足の大鷲、グリフォンに騎乗して移動するわけだが、今はその準備中という訳だ。
 神殿側は初めの内、馬車を用意していたが、ルシフェルに能無しと評されて肩を落としていた。で、ガエルとリアムが裏で用意していたグリフォンを使うことになった。
 歩くより乗り物があれば幾分楽に早く捜し出せる。それを空から行う方が圧倒的に早く、捜すことに集中できることまで読んでいる二人はさすがとしか言えない。
 グリフォンは気難しい性格をしているが、熾天使と智天使を前に跪き、撫でているうちに懐いてしまった。瞬時に格を見抜くところは流石の野生生物だろう。
 決して人懐っこくはなく攻撃性も強いのだが、怪我したグリフォンの子供を神殿が保護したのが始まりで、今では騎士たちの足となっている。
 で、準備が必要なのは聖女の方だった。

「あなたの後ろか前に乗せてしまえばいいと思いますが?」
「俺はそれでもいいというか、万々歳なんだが、お上はそうもいかんらしいのよ」

 ラジエラは騎乗の経験などないので、グリフォンに乗せてもらう訳だが、懐いているというよりまるで忠犬のようなふるまいをするグリフォンに乗るので別に問題はない。と言うか早速その一匹を眷属にして、その毛並みを堪能している。
 時間がかかる理由は、今まで聖女にそれが求められなかったので四苦八苦しているからだ。
 業を煮やしたルシフェルの鶴の一声によって、レイモンのグリフォンに同乗することになった。

「お疲れですか?イネス様」
「いいえ、いつものことなので大丈夫です。寧ろ、狭くて暑苦しい場所にこの格好で押し込められるよりも楽です」

 この世界には冷房などありはしない。都市の中であればともかく、都市の外でいたずらに魔力は消費できない。
 そこまで暑い時期ではないものの、寒い時期でもない。その姿は暑苦しいと言っても過言ではない。体型に即していないので厚着に見えるから仕方がなく、実際にそのとおりだ。
 見えている肌は顔を手のみで、その手の中指のリングで止められたアームカバー、分厚い生地に袖は手首まで延び野暮ったく、裾は地面を擦りそうなほど長い。インナーで調整するのだろうが、この地域の日差しはそこまで強くはない。

「はっはっはっ、違いない。上空は思った以上に寒いので、気を付けてくださいね。それでは情報の確認と今後の方針について話をします」

 ガエルの集めた情報では、神殿のある聖国プリミティヴにはそれらしい情報はなかったようだ。教会のネットワークを使ってそれらしい情報が引っかかった場合、聖女経由で伝えてくれることになっている。
 旅をする間の基本方針は、

 一つ、ラジエラは特定物探索型超広域索敵魔法を昼間中展開する。
 一つ、戦闘に至る場合、ルシフェルがすべてを受け持つ。
 一つ、都市や町が近くにない場合は野営する。
 一つ、職務上面倒なことになるので村にはよらない。
 一つ、野営中の警戒はルシフェルとレイモンで行う。
 一つ、交渉に至る場合はイネスに一任する。
 一つ、二人を見つける障害になるのならこの限りではない。

 としたのだった。
 グリフォンで飛び立った四人がまず目指したのは精霊の里だった。
 主たる目的は、子供で混血と言っても半分は精霊なので、暴走などによる魔素の異常励起が起こっていないかの確認である。異常励起が起こった場合、その痕跡は半年かかってようやく簡単な調査には引っかからない程度に消える。なので、起こっていれば、その残滓で二人の移動痕跡を追えるかもしれないのだ。
 上空に飛び立ち安定飛行に入ってすぐ、ラジエラは特定物探索型超広域索敵魔法を展開して集中している。良くそれで落ちないものだ。
 やはり、器用さにかけては閉口せざるを得ない。余り考えずにやって失敗しないあたりが恐ろしいのだ。それはまるで熟練の勘に似た器用さである。
 朝のごたごたの所為で野営はほぼ決定事項だ。
 当たりを付けていた野営地点まで一時間程となった時だ。

『かなり弱い反応だけど、二人の移動痕跡が引っかかった』

 飛行中の会話は風でまとも喋れないので、同時接続型通信魔法で行っている。

『マジか』『本当か』『本当ですか』
『うん』

 まさに僥倖と言えた。

『記録しておくね』

 予め汎用携帯端末は渡してあり、もしもの為に使い方も教えてある。もたついてはいるようだが、それはルシフェルから見た話なので、知っている人なら常用していない人がここまで使えるのは驚きで迎えられる。知らない二人は、「まぁ、天使様だから」と頭から考えていないようだ。

『頼む』

 探している二人の魔力が安定してしまうと当然痕跡は残らないのでいつまでも追えないが、それによってその先の移動予測ができる。しかも、この世界の現状では縦横無尽は動けない環境になっているので、なおさら予測は容易いと言える。
 初日で、精霊の里にたどり着けなかったとしても、この情報は大きい。そして、ラジエラ自身が改良した超広域索敵魔法が、どこまでバカげているかよく分かることでもある。野営地点から休憩を含め四時間の飛行移動距離(約五百キロメートル)を内包しているわけだ。
 通常の索敵魔法は周囲二から三キロメートル、広域で十から二十キロメートル、指向性で五十キロメートル、超広域索敵魔法で二百キロメートルだ。用途にもよるが、一般的な魔力量ではこんなものだ。なので、彼女の魔力量だからできるというのもある。無論理解さえしてしまえば、一般的な魔力量でプラス百キロメートルされるが、それも直径の話でしかない。
 それだけ、天族と他の種族では話にならないほどの差があるのだ。
 だからこそ、初めて話を振った時に、イネスは過去の伝説を納得して遠い目をした。
 天族に戦争を仕掛けた種族が過去にいるのだが、『半日戦争』と言う伝説の名前のように、半日で壊滅に追い込み、天族の被害はなしと伝わっている。
 魔力量だけを言えば、ミカエラはラジエラを天族最高峰と称した。しかし、それ自体は数値にすると僅差でしかない。その僅差は他種族から言えば数十人分相当になる上に、下限値は種族全体と同じといえば、乖離かいりの激しさがよく分かるだろう。

『野営予定地点だ降下しよう』

 よく訓練されているのか、乗せているのが天族だからか、までは分からないものの、衝撃を感じることなくゆったりとグリフォン達は着地した。
 イネスが結界魔法を起動しようとしたが、既の所でルシフェルが止めた。
 グリフォンと言う種族を怖がらない種族がほぼいないからである。頂点捕食者に近い彼らを好んで襲うような種族が近づいた時点で、裸足で逃げだすのが正解だ。
 無論、万全なルシフェルが一人ならどうとでも調理できるわけだが、三人とグリフォンを守るとなれば話が違って来る。その時点で消耗していますでは話にならないのだ。
 念の為という理由も分かるが、今度は格上に全滅させられ兼ねないので、意識する為にも、今後の温存の為にも結界魔法は許さなかった。
 野営の準備も終わって食事を作っていると、レイモンがそれに興味を示した。

「すごい道具だな」
「「そうなのですか?」」

 ルシフェルとイネスが同時に疑問を口にした。聖女がこの関係に疎いのは当然で、ルシフェルは野営の常識がどう違うのか分かってない。

「ああ、基本的には乾燥食材で生は使わないし、こうして火を使う事はない。使ったとしてもこんな小型じゃないし、人数次第じゃ簡易かまどを立ち上げることもある」
「そうなのですね」
「認識の違いがありますね。まず、天族と君たちの技術には大きな乖離があると思った方がよいでしょう。大体二百年程度です」
「そんなにか!」
「じゃあ、君たちはこんなものを見聞きしたことはありますか?」

 汎用携帯端末を見せた。
 彼らからすると黒く、薄い直方体の物体にしか見えない。しかし、彼が画面を起動状態にすると認識が変わる。
 色のついた動く絵、だけでなく秒まで示される時間、触ることで変移する画面、当然見聞きしたことなどあるはずがなかった。

「な、なんだこれ」「これは・・・」

 二人は驚きと戸惑いに満ち溢れていた。

「下手に触ると痛い目にあいます。時間が惜しいから見せたんです。このことは口外しないでくださいね」
「当たり前だな」「もちろんです」

 それから食事が終わり、紅茶をすすりながら情報を整理する。
 記録を見せられたルシフェルの顔が青くなってしまった。

「精霊の里の北側から北西方向三十九度、九百ヤーツ(六百八十四メートル)付近で北方向十点八度に転進、索敵感知外までほぼ直線運動、最低でも時間当たり十九タウヤーツ(十四点四四キロメートル)での移動か」

 この、北西方向三十九度と言うのは、北を零度と固定し、前者で近似を示して分かりやすくし、後者で正確な方向を確定する表現方法で、端末上の計測を伝える為の技法である。転進がある場合は、転進地点を中央とし、北を零度と固定するのは変わらない。
 天体観測から導き出された角度法で、三百日で恒星の回りを一周するので、三百度で零度に戻る。また、時間は一日二十六時間だ。共に元の世界と同じ。
 ヤーツは歩幅から生まれた長さの単位で一ヤーツが七十六センチメートル、タウは十進接頭辞のキロに相当する。
 世界が違い、時代も違うこの世界で通用するわけがないので、地面に縮図を書いている。

「索敵範囲には戻ってきてないと考えてもいいのか?」
「それに関しては二人が落ち着いたのがいつか、あるいは落ち着かせた方法によっては、何とも言えませんね」
「どういうことですか?」
「魔法と言うのは魔力によって魔素励起を起こして現象に変えています。これは分かりますよね?」

 二人が頷くのを確認した。
 現象が終われば励起状態の魔素はすべて変異魔素と呼ばれる状態になる。
 暴走によって魔素励起が起こった場合、現象が終わっても励起状態の魔素が残るのが常識だ。あるいはいつまでたっても現象が収束しない。これは、必要以上の魔素を励起させてしまう上で、処理するところまで頭が回らないからである。
 励起魔素は一定の速度以上で動いていると取り残されてしまう特徴を持っているので、時間当たりの移動距離は十九タウヤーツ以上となる。
 残存量からしても全く現象へ変換されてないので、双子は気絶していると言っていい。
 これは、防衛反応として回復していく魔力をどんどん消費して励起魔素を作り出すのだが、現象への変換は気絶状態では不可能だからだ。
 防衛本能として起きる暴走以外に感情による暴走もあるが、落ち着かせてしまえばどうとでもなる。しかし、感情暴走では何の現象を起こすか分からないので危なくてそのまま運べない。と言うことは、今回のように明らかな移動痕跡にはならない。
 つまり、時速十九タウヤーツ以上で気絶したまま運ばれている以外が考えられない。

「気絶状態で働いている防衛本能を止めるには、防衛本能によって死にかけるか、殺すかの二択です」
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