1 / 7
01
しおりを挟む
――いい加減に、してほしい。
幾度となく零れそうになるため息を押し込め、私はゆっくりと騒がしい集団の方へ足を向ける。
決してそこに用があるわけではない。ただこの道を通らないと目的地へ辿り着くのに時間がかかりすぎてしまうから。
そうでなければ積極的に〝それら〟に近づこうとは思わない。
周囲が遠巻きに見る〝それら〟は、白を基調とした制服に身を包む一人の少年と数人の少女で構成されている。
少女達は誰もが姦しく少年へ声をかけ、少年はその全てに答えようと首を巡らせ笑みを振りまく。
王侯貴族と才ある平民のみに門戸が開かれるこの王立学園で、こんな光景を目にしたことはなかった……ほんの、数ヶ月前までは。
きっかけは、少女達に囲まれている少年だ。
いや、やや幼いがもう青年と言っても差し支えないだろうか。平凡な栗色の髪に同色の瞳。顔は整ってはいるけど麗しいという程でもなく、体型は中肉中背で、殊更目立った外見的な特徴はない。
そんな彼は数ヶ月前にこの学園に編入してきた青年である。
騎士の子息で、荒削りながら魔術も剣術もかなりの腕。正義感に溢れた性格で、皆に分け隔てなく優しい。誰からも好かれるような気質を持つのはある種の才能だろう。
編入してあっという間に皆の中心となった彼は、同じく学園内で知名度のある生徒達とも関わる機会が多かったらしい。青年を囲む少女達はその中でも指折りの有名人であり、青年と彼女達は急速に仲を深めていった。
この王国の第三王女。騎士団総長の孫娘である侯爵令嬢。青年の幼馴染で当代の聖女。隣国から留学中の第四皇女。
学園の中心にいた彼女達は、誰もが大輪の花となれる可憐な蕾だった。学園を卒業した際には何処に出ても誇れる素敵な淑女として花開くだろうと、疑うこともなかった。
……そう、全ては過去のことだ。
周囲に憚ることなく声を上げて、慎みなく異性の腕に縋り付く。
彼女達は自らの立場や地位、肩書きを忘れてしまった。
だけど少しはその気持ちもわかるのだ。私とて、〝知って〟いなければそうなっていたかもしれないのだから……
口の中に苦みが走ったような錯覚すら起こしながらも、私の足は止まらない。
少女達のさえずりに耳を傾けていた青年――セイ・キシュタールはふと顔を上げて私をみとめると、それはもう嬉しそうに笑みを深めた。
「あっ、おはようございます! シェライラ先輩!」
「ごきげんよう、皆様」
ゆっくりと、わずかに笑みを刷いて。
誰に対しても常に微笑みを浮かべている私だが、この時ばかりは神経を使う。
一分の隙も与えない。それを見せた途端、身の内にある妙な感覚が私を支配しようとしてくるから。
キシュタールが声をかけたことではじめて私を認識した彼女達が、口々に挨拶をしてくれる。
だけどその視線のどれもが、わずかな敵意と嫉妬を含んだもの。
彼女達は他人にこんな目を向けるような子達ではなかった。変わって、しまったのだ。
「シェライラ先輩、今日も図書館ですか?」
彼女達の輪からするりと抜け出したキシュタールが、さも当たり前のごとく私の行動を推測する。
この瞬間の感覚を、何と言えばよいだろうか。
胸がきゅう、と締め付けられるような。背筋がざわり、と撫で回されるような。
〝私のことを見てくれている。たくさんの女の子から好意を向けられても、私を意識してくれて嬉しい〟
〝挨拶程度しかしない仲でファーストネームで呼ぶなんて、礼を失するのではないか〟
キシュタールに甘い好意を持つ自分と、キシュタールにわずかな嫌悪を抱く自分。
この男の前に立つと、私は常に自分がふたりに分裂したかのような思考に囚われる。
しかし、私はそのひとつが自分の感情そのものではないことを理解している。
なぜかと言えば……私は〝知って〟いるから。
「いえ、今日は別の用があります。わたくしは、これで失礼しますね」
「えっ……こうして会えたんだし、ちょっとだけでもお話ししませんか? これから皆とお茶会をしようと思ってて」
「せっかくのお誘いですが、少々急いでおりますので」
ため息を殺し過ぎて、吐き気すらする。
妙に食い下がってくるキシュタールに微笑みかけて、そのまま視線を巡らせた。
「では、皆様……あまり廊下の中央で立ち止まっていてはいけませんよ」
そう言うと少女達の幾人かは謝りながら端に寄ろうとし、残りの幾人かは更に私へ敵意を向ける。
……いい加減にしてほしい。
彼女達に怒りたいのではない。こうなる原因を作った男、キシュタールに怒りが募る。
なぜ、この男はこの学園を変えてしまったのだ。
この舞台は、この世界は、こんなにギスギスしたものではなく、もっとほろ苦くも甘く優しい世界だったはずなのに。
『魔術騎士と花の淑女』
それがこの世界のタイトル――私がひとつ前の人生で出会った恋愛シミュレーションゲームだ。
× × ×
私の生家はやや特殊な家系で、一世代にひとりだけある能力を持って生まれてくる子どもがいる。
その子どもは己の魂に刻まれた記憶の全てを覚えているのだ。
私もまたその能力を有するため、前世もその前の世も、更に前の世も覚えている。
ただし私はそれらの人生を経験しているわけではない。それぞれの『人生』という名の本を熟読して記憶してあると言った方が表現としては正しいだろう。
『魔術騎士と花の淑女』は私が前世で大いにのめり込んだゲームだ。
主人公が男性だったので男性向けのゲームだとは思うのだが、性別関係なく人気を博した作品だったようだ。
ファンタジーの世界観だが特に世界を救う戦いなどがあるものではなく、攻略対象なる淑女達との恋愛ストーリーに主軸を置いたシナリオで、前世の私はよく泣きながらプレイをしていた。
淑女達の心に寄り添うために心身共に強くなっていく主人公は好感が持てたし、最後には隠しヒロインなるものを含めた攻略対象の八人の淑女の誰と結ばれてもお似合いと思えるような、立派な青年へと成長するのだ。
私はその世界が好きだった。
この学園の話を耳にした時にもしや、と思ったのだが、やはり私の予想は間違っていなかった。
しかし、ここはゲームの世界……というには大いに語弊がある。
ここは紛れもなく現実であるが、前世のゲームと今世の現実がリンクしていると言った方が正しい。
私の積み重なった記憶によれば、こういったことはよくあるのだ。鏡のように別世界を映し出す縁が生まれることが。
数多の世界はどこかでリンクしている。それはひとつであることも、いくつも重なることもある。
五つ前の世ではおとぎ話に七つ前の世と九つ前の世の国々が出てきたし、逆に三つ前の世は二つ前の世で大人気だった長編映画そのものだった。そんなリンクが今回は前世のゲームという形だっただけだ。
世界のリンクに順序や法則などはなく、リンクしているからと言って何か特別なことが起こるわけでもない。私も前世という概念こそ理解していても、今世で能力を得るまでリンクなど全く知らなかったくらいだ。
だから私は自分が虚構の人間などと思うこともない。
『魔術騎士と花の淑女』の中に登場する、攻略対象のひとりだったとしても。
リディシオン王国ヒメネス辺境伯のひとり娘、シェライラ・ヒメネス。
それが私の立場であり、『魔術騎士と花の淑女』の攻略対象とも全く同じでもある。
王女に侯爵令嬢に聖女に隣国の皇女、そして辺境伯令嬢。メインの攻略対象はその五人だ。
……そう、非常に頭の痛いことに、キシュタールを囲んでいた彼女達は全て攻略対象である。
キシュタールの周囲には私以外の正規ヒロインが勢揃いなのだ。しかも、全員があからさまにキシュタールに好意を抱いている。
ここまでくれば当たり前だろうが、『魔術騎士と花の淑女』の主人公はキシュタールだ。
前世の記憶を鑑みるに。現状はゲームのボーナスステージという全ての攻略対象と結ばれた後でニューゲームを選ぶことで開かれるハーレムルートというものに似通っている。確かエンドとしては全員を連れて世界を股に掛ける冒険者になるのだったか。
ハーレムなる単語はいかにも俗っぽくて好ましくないが、結婚ではなく一夫多妻とも違うのでそう表現するしかないだろう。
「だけど、あれは……」
人気のなくなってきた廊下では、誰も私の呟きを拾うことはない。
それをよいことに、私は我慢していたため息を吐き出してしまう。
キシュタールが来て、学園はおかしくなった。
彼はゲーム通り、三年制の学園に二年生から編入してきた。そしてすぐに、ハーレムルートへ突入したのだ。
ストーリーに沿うなら一年間で絆を深めるはずなのに、半年もなくヒロイン達が皆恋の深みに落ちている。そして誰もが判を押したように周囲を顧みず恋に狂った少女と化した。
私は彼女達全員と交流があった。
非常に親しいとまではいかないが、誰もが私とふたりきりで過ごしたことがある仲だったのだ。
『ごきげんよう、ヒ、ヒメネス様……その、大変お恥ずかしいのですが、折り入ってお願いが』
『……まあ、試験が追試に? それはいけませんね、今日からお時間はありますか?』
『勿論です! お手数をおかけして心苦しいばかりですが、非常にありがたい……』
――真面目で礼儀正しい侯爵令嬢は、頭を使うより身体を動かす方が好きだと零していた。
『今日のお茶はどうですか? シェライラ様、わたし、上手に淹れられましたか?』
『ええ、美味しいですよ。濃さも渋みも茶葉を引き立てるものになっています。頑張りましたね』
『やっ、やったぁ! ありがとうございます!』
――やや幼げで無垢な聖女は、やはり私の淹れた紅茶の方が美味しいと笑っていた。
『ねぇ、遙か南方の密林部族には特殊な婚姻式があると聞いたけど。知ってる?』
『それでしたら確か……こういった本に書かれていましたね』
『……さすが。本当に、わたしの未知を知ってるあなた自身が図書館のよう……ふふふっ』
――どこかつかみ所のない皇女は、紹介した本を抱えて楽しそうに読んでいた。
『わたくしの話を聞きなさい、シェライラ・ヒメネス!』
『どうされたのです? どうぞ、こちらへお掛けになってください。今は手元にこれしかありませんが、よろしければ』
『……っ、もらってあげるわ』
――いつも素直になれない王女は、渡した焼き菓子を気恥ずかしそうに食べていた。
「…………」
目を閉じれば、いくらでも思い出が浮かんでくる。
よき学友であり、後輩。
変わったところがあったり、それぞれ苦手なこともあったりと、何もかもが完璧というわけではない。
だがそんな彼女達のことを、私は好ましく思っていた。
……思って、いたのだ。
彼女達はその気質は違えど、誰もが人を惹きつける輝きを備えていた。
その輝きが、薄れたのではなく消えてしまったのだ――恋をしたことで。
キシュタールがゲームの登場時とは違い非常に女性慣れしているため、もしかしたら彼女達と絆を深めやすいのかもしれない。
しかし彼女達の変化はそれで済ませられるようなものではないのだ。本当に、人が変わってしまったかのよう。
キシュタールが喜ぶなら、キシュタールが輝くためなら、誰を貶めようとも自らがどう見られようとも構わない。そんな風に思わせる言動ばかりなのである。
その恋は呪いではないのかと、見ているこちらが寒気を覚える程に。
そして恐ろしい変化は、私にも襲いかかってくるのだ。
「どうして、この胸が高鳴るのでしょう」
はっきり言って、私は全くキシュタールのことを好ましいと思えない。
それなのに彼に話しかけられたり笑いかけられたりすると、勝手に脳が彼を好ましいと判断し胸がときめいてしまうのだ。
私は彼に恋をしていると、そう思い込んでしまう。
ゲームに現実が引きずられている?
ゲームの設定が強くリンクしている?
どうしてそうなってしまうのか、考えてもわからない。ただただ、強烈に恋心を抱くのだ。
――まるで〝攻略対象は主人公に恋をする〟というルールから逃れられないとでもいうように。
私はそれが気味の悪いものに思えてならない。
恋とは、こんな感情ではないのだ。少なくとも私はこれを恋と信じない。
そう断言できるのは、きちんと理由がある。
ひとつ、己の魂に刻まれた記憶で幾度も本気の恋をしたことがある。
ふたつ、好ましくない相手に胸を高鳴らせるのはおかしい。
みっつ、私は今世も……
思考に深く潜りながらも動かしていた足が、とうとう目的地に辿り着く。
走っていたわけではないが呼吸を整えてしまう自分が子どものように思えて、つい笑ってしまう。
口元を抑えて微笑み程度に抑えてから、私は目の前にあるガラスの扉を開けた。
「――ごきげんよう」
色とりどりの薔薇が咲き誇る温室。
その隅に置かれた長椅子に腰掛けているのは、ひとりの青年だった。
その姿形や纏う雰囲気に至るまで、全てが光輝くかのごとく。
私の声に反応して首と巡らせたその方は、艶やかなプラチナブロンドの髪をふわりと揺らす。
つり上がった深い青色の瞳が私をみとめ、薄く形のよい唇を歪める。
まさに傲慢そのものを笑みの形にした彼は、それでも一欠片も自身の魅力を損なうことがない。
まるで薔薇のよう、と形容してもふさわしく思える方。
「ヒメネス嬢。今日もわざわざご苦労なことだな」
棘のある、だが甘やかに響く声。
返ってきたのは挨拶ですらなく、ましてや私の訪いを歓迎する言葉ではない。しかしそれが拒否ではないというだけで充分だ。
胸がじわりと熱を持つ。
一気に焦がす程の熱量ではなく、身体の隅々まで温かくされて、そのまま消えなくなるような熱。
熱は頬にまで上がってきたが、それを出すことはなく私は微笑んだ。
「わたくしが何の苦労をしたのでしょう。この扉を開くことを望んだのは、わたくし自身です」
「ハッ……物好きなことだ」
肩口にかかるようにひとつに結った髪を背に払いのけ、彼が目を眇める。
その仕草ひとつですら、どうしようもなく魅力的だ。
「お隣、失礼してもよろしいでしょうか」
「お前程の淑女が男と並んで座るのか」
「ええ、お許しいただけますか?」
「好きにしろ」
ふた月は前だったろうか。
私は今と同じやりとりとして、彼の隣に座った。
それからもう幾度となく、この温室での時間が続いている。
許可をもらい、隣に座り、とりとめのない話をして、帰って行く。
お茶のひとつもないこの不思議な時間は、交流というには堅すぎて、逢瀬というにはずいぶんぎこちない。
アンブロジオ・フォルトス・リディシオン――それが彼の名だ。
私と同じ学園の最上級生にしてこの王国の第二王子であり、『魔術騎士と花の淑女』においてはキシュタールのライバルとして登場する、いわゆる悪役。
そして何より、私の想い人である。
幾度となく零れそうになるため息を押し込め、私はゆっくりと騒がしい集団の方へ足を向ける。
決してそこに用があるわけではない。ただこの道を通らないと目的地へ辿り着くのに時間がかかりすぎてしまうから。
そうでなければ積極的に〝それら〟に近づこうとは思わない。
周囲が遠巻きに見る〝それら〟は、白を基調とした制服に身を包む一人の少年と数人の少女で構成されている。
少女達は誰もが姦しく少年へ声をかけ、少年はその全てに答えようと首を巡らせ笑みを振りまく。
王侯貴族と才ある平民のみに門戸が開かれるこの王立学園で、こんな光景を目にしたことはなかった……ほんの、数ヶ月前までは。
きっかけは、少女達に囲まれている少年だ。
いや、やや幼いがもう青年と言っても差し支えないだろうか。平凡な栗色の髪に同色の瞳。顔は整ってはいるけど麗しいという程でもなく、体型は中肉中背で、殊更目立った外見的な特徴はない。
そんな彼は数ヶ月前にこの学園に編入してきた青年である。
騎士の子息で、荒削りながら魔術も剣術もかなりの腕。正義感に溢れた性格で、皆に分け隔てなく優しい。誰からも好かれるような気質を持つのはある種の才能だろう。
編入してあっという間に皆の中心となった彼は、同じく学園内で知名度のある生徒達とも関わる機会が多かったらしい。青年を囲む少女達はその中でも指折りの有名人であり、青年と彼女達は急速に仲を深めていった。
この王国の第三王女。騎士団総長の孫娘である侯爵令嬢。青年の幼馴染で当代の聖女。隣国から留学中の第四皇女。
学園の中心にいた彼女達は、誰もが大輪の花となれる可憐な蕾だった。学園を卒業した際には何処に出ても誇れる素敵な淑女として花開くだろうと、疑うこともなかった。
……そう、全ては過去のことだ。
周囲に憚ることなく声を上げて、慎みなく異性の腕に縋り付く。
彼女達は自らの立場や地位、肩書きを忘れてしまった。
だけど少しはその気持ちもわかるのだ。私とて、〝知って〟いなければそうなっていたかもしれないのだから……
口の中に苦みが走ったような錯覚すら起こしながらも、私の足は止まらない。
少女達のさえずりに耳を傾けていた青年――セイ・キシュタールはふと顔を上げて私をみとめると、それはもう嬉しそうに笑みを深めた。
「あっ、おはようございます! シェライラ先輩!」
「ごきげんよう、皆様」
ゆっくりと、わずかに笑みを刷いて。
誰に対しても常に微笑みを浮かべている私だが、この時ばかりは神経を使う。
一分の隙も与えない。それを見せた途端、身の内にある妙な感覚が私を支配しようとしてくるから。
キシュタールが声をかけたことではじめて私を認識した彼女達が、口々に挨拶をしてくれる。
だけどその視線のどれもが、わずかな敵意と嫉妬を含んだもの。
彼女達は他人にこんな目を向けるような子達ではなかった。変わって、しまったのだ。
「シェライラ先輩、今日も図書館ですか?」
彼女達の輪からするりと抜け出したキシュタールが、さも当たり前のごとく私の行動を推測する。
この瞬間の感覚を、何と言えばよいだろうか。
胸がきゅう、と締め付けられるような。背筋がざわり、と撫で回されるような。
〝私のことを見てくれている。たくさんの女の子から好意を向けられても、私を意識してくれて嬉しい〟
〝挨拶程度しかしない仲でファーストネームで呼ぶなんて、礼を失するのではないか〟
キシュタールに甘い好意を持つ自分と、キシュタールにわずかな嫌悪を抱く自分。
この男の前に立つと、私は常に自分がふたりに分裂したかのような思考に囚われる。
しかし、私はそのひとつが自分の感情そのものではないことを理解している。
なぜかと言えば……私は〝知って〟いるから。
「いえ、今日は別の用があります。わたくしは、これで失礼しますね」
「えっ……こうして会えたんだし、ちょっとだけでもお話ししませんか? これから皆とお茶会をしようと思ってて」
「せっかくのお誘いですが、少々急いでおりますので」
ため息を殺し過ぎて、吐き気すらする。
妙に食い下がってくるキシュタールに微笑みかけて、そのまま視線を巡らせた。
「では、皆様……あまり廊下の中央で立ち止まっていてはいけませんよ」
そう言うと少女達の幾人かは謝りながら端に寄ろうとし、残りの幾人かは更に私へ敵意を向ける。
……いい加減にしてほしい。
彼女達に怒りたいのではない。こうなる原因を作った男、キシュタールに怒りが募る。
なぜ、この男はこの学園を変えてしまったのだ。
この舞台は、この世界は、こんなにギスギスしたものではなく、もっとほろ苦くも甘く優しい世界だったはずなのに。
『魔術騎士と花の淑女』
それがこの世界のタイトル――私がひとつ前の人生で出会った恋愛シミュレーションゲームだ。
× × ×
私の生家はやや特殊な家系で、一世代にひとりだけある能力を持って生まれてくる子どもがいる。
その子どもは己の魂に刻まれた記憶の全てを覚えているのだ。
私もまたその能力を有するため、前世もその前の世も、更に前の世も覚えている。
ただし私はそれらの人生を経験しているわけではない。それぞれの『人生』という名の本を熟読して記憶してあると言った方が表現としては正しいだろう。
『魔術騎士と花の淑女』は私が前世で大いにのめり込んだゲームだ。
主人公が男性だったので男性向けのゲームだとは思うのだが、性別関係なく人気を博した作品だったようだ。
ファンタジーの世界観だが特に世界を救う戦いなどがあるものではなく、攻略対象なる淑女達との恋愛ストーリーに主軸を置いたシナリオで、前世の私はよく泣きながらプレイをしていた。
淑女達の心に寄り添うために心身共に強くなっていく主人公は好感が持てたし、最後には隠しヒロインなるものを含めた攻略対象の八人の淑女の誰と結ばれてもお似合いと思えるような、立派な青年へと成長するのだ。
私はその世界が好きだった。
この学園の話を耳にした時にもしや、と思ったのだが、やはり私の予想は間違っていなかった。
しかし、ここはゲームの世界……というには大いに語弊がある。
ここは紛れもなく現実であるが、前世のゲームと今世の現実がリンクしていると言った方が正しい。
私の積み重なった記憶によれば、こういったことはよくあるのだ。鏡のように別世界を映し出す縁が生まれることが。
数多の世界はどこかでリンクしている。それはひとつであることも、いくつも重なることもある。
五つ前の世ではおとぎ話に七つ前の世と九つ前の世の国々が出てきたし、逆に三つ前の世は二つ前の世で大人気だった長編映画そのものだった。そんなリンクが今回は前世のゲームという形だっただけだ。
世界のリンクに順序や法則などはなく、リンクしているからと言って何か特別なことが起こるわけでもない。私も前世という概念こそ理解していても、今世で能力を得るまでリンクなど全く知らなかったくらいだ。
だから私は自分が虚構の人間などと思うこともない。
『魔術騎士と花の淑女』の中に登場する、攻略対象のひとりだったとしても。
リディシオン王国ヒメネス辺境伯のひとり娘、シェライラ・ヒメネス。
それが私の立場であり、『魔術騎士と花の淑女』の攻略対象とも全く同じでもある。
王女に侯爵令嬢に聖女に隣国の皇女、そして辺境伯令嬢。メインの攻略対象はその五人だ。
……そう、非常に頭の痛いことに、キシュタールを囲んでいた彼女達は全て攻略対象である。
キシュタールの周囲には私以外の正規ヒロインが勢揃いなのだ。しかも、全員があからさまにキシュタールに好意を抱いている。
ここまでくれば当たり前だろうが、『魔術騎士と花の淑女』の主人公はキシュタールだ。
前世の記憶を鑑みるに。現状はゲームのボーナスステージという全ての攻略対象と結ばれた後でニューゲームを選ぶことで開かれるハーレムルートというものに似通っている。確かエンドとしては全員を連れて世界を股に掛ける冒険者になるのだったか。
ハーレムなる単語はいかにも俗っぽくて好ましくないが、結婚ではなく一夫多妻とも違うのでそう表現するしかないだろう。
「だけど、あれは……」
人気のなくなってきた廊下では、誰も私の呟きを拾うことはない。
それをよいことに、私は我慢していたため息を吐き出してしまう。
キシュタールが来て、学園はおかしくなった。
彼はゲーム通り、三年制の学園に二年生から編入してきた。そしてすぐに、ハーレムルートへ突入したのだ。
ストーリーに沿うなら一年間で絆を深めるはずなのに、半年もなくヒロイン達が皆恋の深みに落ちている。そして誰もが判を押したように周囲を顧みず恋に狂った少女と化した。
私は彼女達全員と交流があった。
非常に親しいとまではいかないが、誰もが私とふたりきりで過ごしたことがある仲だったのだ。
『ごきげんよう、ヒ、ヒメネス様……その、大変お恥ずかしいのですが、折り入ってお願いが』
『……まあ、試験が追試に? それはいけませんね、今日からお時間はありますか?』
『勿論です! お手数をおかけして心苦しいばかりですが、非常にありがたい……』
――真面目で礼儀正しい侯爵令嬢は、頭を使うより身体を動かす方が好きだと零していた。
『今日のお茶はどうですか? シェライラ様、わたし、上手に淹れられましたか?』
『ええ、美味しいですよ。濃さも渋みも茶葉を引き立てるものになっています。頑張りましたね』
『やっ、やったぁ! ありがとうございます!』
――やや幼げで無垢な聖女は、やはり私の淹れた紅茶の方が美味しいと笑っていた。
『ねぇ、遙か南方の密林部族には特殊な婚姻式があると聞いたけど。知ってる?』
『それでしたら確か……こういった本に書かれていましたね』
『……さすが。本当に、わたしの未知を知ってるあなた自身が図書館のよう……ふふふっ』
――どこかつかみ所のない皇女は、紹介した本を抱えて楽しそうに読んでいた。
『わたくしの話を聞きなさい、シェライラ・ヒメネス!』
『どうされたのです? どうぞ、こちらへお掛けになってください。今は手元にこれしかありませんが、よろしければ』
『……っ、もらってあげるわ』
――いつも素直になれない王女は、渡した焼き菓子を気恥ずかしそうに食べていた。
「…………」
目を閉じれば、いくらでも思い出が浮かんでくる。
よき学友であり、後輩。
変わったところがあったり、それぞれ苦手なこともあったりと、何もかもが完璧というわけではない。
だがそんな彼女達のことを、私は好ましく思っていた。
……思って、いたのだ。
彼女達はその気質は違えど、誰もが人を惹きつける輝きを備えていた。
その輝きが、薄れたのではなく消えてしまったのだ――恋をしたことで。
キシュタールがゲームの登場時とは違い非常に女性慣れしているため、もしかしたら彼女達と絆を深めやすいのかもしれない。
しかし彼女達の変化はそれで済ませられるようなものではないのだ。本当に、人が変わってしまったかのよう。
キシュタールが喜ぶなら、キシュタールが輝くためなら、誰を貶めようとも自らがどう見られようとも構わない。そんな風に思わせる言動ばかりなのである。
その恋は呪いではないのかと、見ているこちらが寒気を覚える程に。
そして恐ろしい変化は、私にも襲いかかってくるのだ。
「どうして、この胸が高鳴るのでしょう」
はっきり言って、私は全くキシュタールのことを好ましいと思えない。
それなのに彼に話しかけられたり笑いかけられたりすると、勝手に脳が彼を好ましいと判断し胸がときめいてしまうのだ。
私は彼に恋をしていると、そう思い込んでしまう。
ゲームに現実が引きずられている?
ゲームの設定が強くリンクしている?
どうしてそうなってしまうのか、考えてもわからない。ただただ、強烈に恋心を抱くのだ。
――まるで〝攻略対象は主人公に恋をする〟というルールから逃れられないとでもいうように。
私はそれが気味の悪いものに思えてならない。
恋とは、こんな感情ではないのだ。少なくとも私はこれを恋と信じない。
そう断言できるのは、きちんと理由がある。
ひとつ、己の魂に刻まれた記憶で幾度も本気の恋をしたことがある。
ふたつ、好ましくない相手に胸を高鳴らせるのはおかしい。
みっつ、私は今世も……
思考に深く潜りながらも動かしていた足が、とうとう目的地に辿り着く。
走っていたわけではないが呼吸を整えてしまう自分が子どものように思えて、つい笑ってしまう。
口元を抑えて微笑み程度に抑えてから、私は目の前にあるガラスの扉を開けた。
「――ごきげんよう」
色とりどりの薔薇が咲き誇る温室。
その隅に置かれた長椅子に腰掛けているのは、ひとりの青年だった。
その姿形や纏う雰囲気に至るまで、全てが光輝くかのごとく。
私の声に反応して首と巡らせたその方は、艶やかなプラチナブロンドの髪をふわりと揺らす。
つり上がった深い青色の瞳が私をみとめ、薄く形のよい唇を歪める。
まさに傲慢そのものを笑みの形にした彼は、それでも一欠片も自身の魅力を損なうことがない。
まるで薔薇のよう、と形容してもふさわしく思える方。
「ヒメネス嬢。今日もわざわざご苦労なことだな」
棘のある、だが甘やかに響く声。
返ってきたのは挨拶ですらなく、ましてや私の訪いを歓迎する言葉ではない。しかしそれが拒否ではないというだけで充分だ。
胸がじわりと熱を持つ。
一気に焦がす程の熱量ではなく、身体の隅々まで温かくされて、そのまま消えなくなるような熱。
熱は頬にまで上がってきたが、それを出すことはなく私は微笑んだ。
「わたくしが何の苦労をしたのでしょう。この扉を開くことを望んだのは、わたくし自身です」
「ハッ……物好きなことだ」
肩口にかかるようにひとつに結った髪を背に払いのけ、彼が目を眇める。
その仕草ひとつですら、どうしようもなく魅力的だ。
「お隣、失礼してもよろしいでしょうか」
「お前程の淑女が男と並んで座るのか」
「ええ、お許しいただけますか?」
「好きにしろ」
ふた月は前だったろうか。
私は今と同じやりとりとして、彼の隣に座った。
それからもう幾度となく、この温室での時間が続いている。
許可をもらい、隣に座り、とりとめのない話をして、帰って行く。
お茶のひとつもないこの不思議な時間は、交流というには堅すぎて、逢瀬というにはずいぶんぎこちない。
アンブロジオ・フォルトス・リディシオン――それが彼の名だ。
私と同じ学園の最上級生にしてこの王国の第二王子であり、『魔術騎士と花の淑女』においてはキシュタールのライバルとして登場する、いわゆる悪役。
そして何より、私の想い人である。
10
あなたにおすすめの小説
私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました
放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。
だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。
「彼女は可哀想なんだ」
「この子を跡取りにする」
そして人前で、平然と言い放つ。
――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」
その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。
「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」
勝手にサインしろと仰いましたので、廃嫡書類に国璽を押して差し上げました
鷹 綾
恋愛
「確認? 面倒だ。適当にサインして国璽を押しておけ」
そう言ったのは、王太子アレス。
そう言われたのは、公爵令嬢レイナ・アルヴェルト。
外交も財政も軍備も――
すべてを裏で処理してきたのは彼女だった。
けれど功績はすべて王太子のもの。
感謝も敬意も、ただの一度もない。
そして迎えた舞踏会の夜。
「便利だったが、飾りには向かん」
公開婚約破棄。
それならば、とレイナは微笑む。
「では業務も終了でよろしいですね?」
王太子が望んだ通り、
彼女は“確認”をやめた。
保証を外し、責任を返し、
そして最後に――
「ご確認を」と差し出した書類に、
彼は何も読まずに署名した。
国は契約で成り立っている。
確認しない者に、王の資格はない。
働きたくない公爵令嬢と、
責任を理解しなかった王太子。
静かな契約ざまぁ劇、開幕。
---
家出を決行した結果
棗
恋愛
フィービーの婚約者ミゲルには大切な幼馴染がいる。病弱な幼馴染をいつも優先するミゲルや母が亡くなって以降溝が出来てしまった父と兄との関係にフィービーは疲れていた。
デートの約束をしてもいつも直前になって幼馴染を理由にキャンセルされ、幼馴染にしか感情を見せないミゲルを、フィービーを見ようとしない父や兄を捨てる決心をしたフィービーは侍女や執事の手を借りて家出を決行した。
自分を誰も知らない遠い場所へ行ったフィービーは、新しい人生の幕開けに期待に胸を躍らせた。
※なろうさんにも公開しています。
【完結】婚約破棄中に思い出した三人~恐らく私のお父様が最強~
かのん
恋愛
どこにでもある婚約破棄。
だが、その中心にいる王子、その婚約者、そして男爵令嬢の三人は婚約破棄の瞬間に雷に打たれたかのように思い出す。
だめだ。
このまま婚約破棄したらこの国が亡びる。
これは、婚約破棄直後に、白昼夢によって未来を見てしまった三人の婚約破棄騒動物語。
え?わたくしは通りすがりの元病弱令嬢ですので修羅場に巻き込まないでくたさい。
ネコフク
恋愛
わたくしリィナ=ユグノアは小さな頃から病弱でしたが今は健康になり学園に通えるほどになりました。しかし殆ど屋敷で過ごしていたわたくしには学園は迷路のような場所。入学して半年、未だに迷子になってしまいます。今日も侍従のハルにニヤニヤされながら遠回り(迷子)して出た場所では何やら不穏な集団が・・・
強制的に修羅場に巻き込まれたリィナがちょっとだけざまぁするお話です。そして修羅場とは関係ないトコで婚約者に溺愛されています。
毒姫の婚約騒動
SHIN
恋愛
卒業式を迎え、立食パーティーの懇談会が良い意味でも悪い意味でもどことなくざわめいていた。
「卒業パーティーには一人で行ってくれ。」
「分かりました。」
そう婚約者から言われて一人で来ましたが、あら、その婚約者は何処に?
あらあら、えっと私に用ですか? 所で、お名前は?
毒姫と呼ばれる普通?の少女と常に手袋を着けている潔癖症?の男のお話し。
ナイスミドルな国王に生まれ変わったことを利用してヒロインを成敗する
ぴぴみ
恋愛
少し前まで普通のアラサーOLだった莉乃。ある時目を覚ますとなんだか身体が重いことに気がついて…。声は低いバリトン。鏡に写るはナイスミドルなおじ様。
皆畏れるような眼差しで私を陛下と呼ぶ。
ヒロインが悪役令嬢からの被害を訴える。元女として前世の記憶持ちとしてこの状況違和感しかないのですが…。
なんとか成敗してみたい。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる