荒神2

弱キック

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荒神2

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【十月二十五日 午後四時 帰路】
 鬼頭組組長就任から二ヶ月近くが経過。挨拶回りなどの雑務こそあるものの、組長としての実務は現在のところ、磐田が代理で行っている。おかげで雅人はひとまずこれまで通りの高校生活に戻れていた。いまも夏華と共に学校から帰る途中だ。
 「おっ、五時から二丁目のいげやでタイムセールがある」
 雅人は歩きながらスマートフォンでスーパーのチラシを見ていた。そのあまりに所帯じみた姿に夏華が呆れる。
 「特売に並ぶ組長とかないわぁ。食材ならなじみのお店が届けてくれるじゃん」
 「卵を頼み忘れてたんだ。それにLサイズ十個入りが百八十円だぞ。買わないでどうする?」
 「いや知らんがな。お金に困ってるわけでもないのにセコくない?」
 「セコくない。一人一パック限定だからお前も連れて行くぞ」
 「うへぇ、めんどい。ついでにお菓子買ってもらうかんね」
 二人の関係は組長就任前と全く変わらず。面倒見の良い兄と手のかかる妹といった感じである。
 「そーいや若サマ、例の薬はどうなったの?」
 源二の血を基にした、人から鬼へと変解する薬。この話を西原に聞かされてから、雅人は彼の遺品や製薬会社を徹底的に調べた。しかし手掛かりになりそうなものは何ひとつ発見できなかった。ちなみに金本が作った試薬のレポートにも、製薬会社との繋がりを示すような箇所は一切なかった。あくまで西原を間に挟んでのやり取りしか行われなかったのだろう。インテリヤクザらしい徹底した手腕には感動すら覚えるが、後始末する者の身にもなって欲しいというのが雅人の正直な気持ちだ。
 「進展なし。せめて西原の携帯に通話履歴でもあれば……ん?」
 雅人は十メートルほど先で停車中の車に気が付いた。車種はわからないが、四ドアの高級車である。この辺りは近くにコインパーキングがあり、それでいて高級車で乗り付けるほどの会社や邸宅はない。不自然な路上駐車。雅人の脳裏に一ヶ月前の嫌な記憶が蘇った。
 「……考えすぎか」
 あの時のワゴンとは違う。雅人は頭を左右に振り、強引に気持ちを切り替えた。
 「どしたん?」
 「何でもない。薬の件は意気込んだ割に八方塞がりだよ」
 会話に戻りつつ歩みを進める。だが数歩もいかないところで高級車のドアが開いた。降りてきたのはガラの悪い若者たち、ではなくスーツ姿のビジネスマンだった。年齢は二十代半ばといったところか。黒のスーツがよく似合っているが、中年男性のような着慣れた感じはまだなかった。
 「失礼。君は鬼頭雅人君かな?」
 再びの記憶復活。雅人はビクリと肩をすぼめ、慌てて背後を確認した。当然だが、後ろには誰もいなかった。
 ビジネスマンと夏華は不思議そうに雅人を見つめた。
 「すみません、ちょっと嫌なことを思い出しまして。気にしないでください」
 「……」
 見たところ普通の人物だ。雅人は気を取り直して質問に答えた。
 「はい、僕は鬼頭です。あなたは?」
 「芝浦という」
 ビジネスマンは名乗ると同時に名刺を差し出した。そこには『ISO調査員 芝浦廉介』と書かれていた。
 「ISO?」
 初めて目にする組織名だった。念のため夏華にも名刺を見せてみたが、あっさり首を横に振られた。
 「国際支援機構。International Support Organizationの頭文字をとってISO。災害救助や自然環境保護などを行うNGO(非政府組織)だ」
 説明を聞いてもよくわからなかった。
 「我々の代表が君に会いたいと言っている。怪しい奴だと思うだろうが、ついてきてもらえないだろうか」
 本人が言う通り怪しすぎる。NGOがただの高校生、あるいはヤクザの組長にいったい何の用があるというのか。それに組の本部を訪ねるならともかく、なぜアポイントも取らず、こんな道端で待ち伏せていたのか。
 「言いたいことはわかる。ただ、君も人目を避けたいだろうと思ってな」
 雅人に警戒されるのを承知で、あえてこのようなやり方を選んだようだ。
 「僕がヤクザだから気を遣ったと? それこそ余計なお世話です」
 雅人は語気を少々強めた。確かに広言できる生業ではないが、初対面の相手が声を潜めるほど後ろ暗いことをした覚えもないのだ。
 しかしこれは雅人の見当違いだった。
 「伝わらなかったのなら率直に言おう。荒神。人を変解させる薬」
 「えっ?」
 雅人は言葉を失った。それは隣にいた夏華も同様で、目は大きく、口は半分だけ開いていた。
 芝浦は得意顔で話を続けた。
 「理解してもらえたところで同行をお願いする。決して悪い話ではないし、きちんと家まで送り届けると約束しよう」
 後部座席のドアを開けて手招き。丁寧を通り越したわざとらしさが若干鼻についた。
 「……」
 雅人は芝浦から目を逸らして数十秒ほど考えた。それから覚悟を決め、誘われるまま後部座席へ。
 「うっそ、マジで行く気なの? んじゃアタシも」
 雅人は同行しようとする夏華を制し、受け取ったばかりの名刺を渡した。
 「一人で行ってくる。七時を過ぎても僕から連絡がなかったら、その名刺を磐田に見せてくれ」
 これは夏華への指示であり、芝浦への脅しでもあった。『まだあなたを信用したわけではない。自分に何かあれば組の連中が黙っていないぞ』と言いたいのである。そのような状況を最も望んでいないのは雅人本人だが。
 芝浦は特に態度を変えなかった。
 「では行こう。ここから車で三十分程度だ」
 雅人と芝浦を乗せた車が静かに走り去っていく。夏華はそれを、不満と不安が入り混じった顔で見送った。

【十月二十五日 午後四時四十分 丸の内】
 行き先は丸の内のオフィス街だった。無機質な中にどこか上品さを具えた高層ビル、そこの地下駐車場から、三十六階のISO本部オフィスへ。少なくとも拉致や嬲り殺しの心配はないらしい。しかし高校生には無縁の世界に雅人は緊張し、ハンカチでいくら拭っても額から汗が止まらなかった。あわせて、車に乗る前に自分がヤクザだの何だのと粋がったことを後悔した。
 (これなら化け物と戦う方がマシ……って、我ながら毒されてるなぁ)
 間もなく応接室に到着。芝浦がドアを開けると、スーツ姿の女性が既に下座で待ち構えていた。
 「鬼頭さんをお連れしました」
 「はい、お疲れさまです」
 女性は立ち上がって芝浦を労った。見た目は二十代半ば、簡単な挨拶の中にも気品と知性が見え隠れする美女である。これから会う代表者の秘書だろうか。
 「鬼頭さん、ようこそおいでくださいました」
 女性は雅人に名刺を差し出した。
 「理事長の伏見です」
 「へ? 理事ちっ――」
 雅人は抜けない緊張と、相手の意外さに対する驚きから声を張り上げかけ、慌てて両手で口を塞いだ。
 「す、すみません! てっきり男性と会うのかと……」
 国際支援云々という組織名と、丸の内の高層ビルという立地から、海千山千の高齢男性が出てくるものと思っていた。しかし受け取った名刺には、確かに『ISO理事長 伏見深雪』と書かれていた。
 伏見は焦る雅人に優しく微笑んだ。
 「ふふ、初対面の方にはいつも言われます。威厳がないから秘書と間違えられるんですよ」
 「いや、おっさんかと思ったらこんなきれいな……って、すみません変なことを!」
 雅人はオフィスに来た時とはまた違う緊張で混乱した。交際目的でもない限り、初対面の女性の容姿を褒めるなど常識では考えられないことである。ましてや雅人はこれまで色恋とは無縁な毎日を送ってきた。にもかかわらず口説き文句の如き賛辞が漏れてしまうほど、伏見は美しかった。
 「本日はご足労いただきましてありがとうございます。どうぞお掛けください」
 「は、はい。では失礼します」
 上座に雅人、下座に伏見と芝浦が座った。それから事務員が茶を運び、退出したところで伏見が口を開いた。
 「本題に入る前に、ウチの紹介は芝浦からありましたでしょうか?」
 「災害救助がどうとか、簡単には聞きました。でも正直あまりよくわからなかったというか……」
 口ごもる雅人に伏見は再び笑顔を向けた。それは母親や保育士が子供に見せるものに近く、相手に不思議な安心感を与えた。
 「そちらは表向きの業務ですから、軽く聞き流していただいて構いません。我々の本当の目的は、荒神の保護と社会貢献です」
 「荒神の?」
 ここまでオフィスの雰囲気と伏見の魅力に押され、下手な愛想笑いを続けていた雅人だったが、荒神と聞いた途端に顔つきを変えた。
 「はい。実は私たちも荒神なんです。証拠をご覧にいれましょう」
 伏見と芝浦は立ち上がり、胸の前で手を合わせた。するとそれぞれの周囲に空気の渦のようなものがまとわりつき、姿が見えなくなった次の瞬間、先ほどまでとは似て非なる外見に変わっていた。雅人とは若干やり方が違うが、これが彼女たちの変解プロセスなのだろう。
 伏見には大きな獣の耳と尻尾。どちらも純白の毛に覆われていた。
 「ご覧の通り、私は化け狐です」
 芝浦には黒い鳥の翼。指先と爪も僅かではあるが、鳥の足のように鋭く伸びていた。
 「俺は烏天狗。クチバシはないがな」
 二人は人の姿に戻った。変解中はそれなりにエネルギーを消耗する。話し合いの場には不要だ。
 「ISO職員の約半分は荒神です。残りも荒神のことを受け入れて仕事に就いています」
 雅人が初めて鬼に変解してから一ヶ月強。まさかこうも早く自分以外の荒神と遭遇するとは思わなかった。父親の死、鬼への目覚め、兄貴分の自死、新組長就任、そして現在。本人は全く望んでいないのに、周囲の状況は目まぐるしいスピードで変化し続けている。これから伏見より聞かされる話も、確実に状況の変化を促すものだろう。雅人は自分以外の荒神に興味を抱きつつ、しかし一方では、何も聞かずに早く帰りたいという気持ちもあった。
 「荒神って意外と多いんですね」
 「いいえ、むしろ絶滅危惧種です。ウチの職員たちは各地を探してスカウトしました」
 かつて人間に迫害された荒神は、山奥に隠れ住むか、人間に化けて社会に溶け込むか、最後まで抗い続けるかという三通りの道を選ばされたという。このISOという組織は恐らく、社会に溶け込んだ者たちの集まりなのだろう。
 「人間の大半は力を持つ荒神を恐れます。かつてはその恐怖心を逆手に取り、数の暴力で荒神を迫害したことさえありました。我々ISOはそんな悲劇が二度と繰り返されないよう活動しているのです」
 例えるなら、少数民族の自治団体に近いものか。
 「どんな組織なのか、何となく理解しました。それで、僕も加われと?」
 伏見は話が早くて助かると笑った。
 「とはいえウチの職員になれとは言いません。あなたのお父様の時と同じく、協力関係を結びたいと考えています」
 「親父?」
 雅人は源二がISOと付き合いがあったことに驚いた。しかし改めて考えてみれば、源二は裏の東日本制覇などという派手なことをやらかした人物である。ISOが声をかけないわけがなかった。
 「はい。あなたのお父様には大変お世話になりました。先だっても――」
 「理事!」
 「はうっ!」
 芝浦が強い語調で、伏見の言葉に割って入った。
 「長くなりますので、すみませんが要件を」
 「そ、そうした。ごめんなさい、私ってばすぐ話を脱線させちゃうんですよ」
 伏見は慌てて口に手を当て、はにかんだ。その姿は組織のトップとしてはともかく、一人の女性としてはとても愛くるしいものだった。
 それにしても、芝浦のいまの一言は何だったのだろう。話の脱線を指摘するにしても険しすぎた。聞かれたくない内容があったと考えるのが妥当か。雅人は気にはなったが、相手の事情を酌んで追及しなかった。
 「要件はえっと……そうそう、協力関係です。それを結ぶために、まずはこちらから恩を売ろうと思いまして」
 言われて雅人は芝浦の言葉を思い出した。彼は最初に会った時、『人を変解させる薬』と言ったのだ。どこからこの情報を仕入れたのか。
 「あなたのお父様の血が外部に流出し、薬の素材にされている件は聞き及んでいます」
 「身内ですらほとんど知らない情報を、どうしてあなた方が?」
 「荒神専門の組織ですから。芝浦のような調査員が何人もいて、情報を集めてくるんです」
 答える伏見の顔がどことなく得意気に見えるのは気のせいだろうか。彼女の態度や動作には、美麗な容姿からは若干ずれた、小動物的な愛らしさがあった。いまは人の姿なので見えないが、化け狐の姿ならば尻尾を激しく振っているに違いない。
 「それに人を化け物に変える薬は、いまに始まったことではないんでね」
 芝浦が伏見の言葉に付け加えた。
 「えっ?」
 「荒神の力を欲しがるバカは、それこそ人間の歴史が始まるころからいたそうだ。作り方や使い方はその時々によって違うが、総じて人を狂わす薬、人狂丹(じんきょうたん)と呼ばれている」
 芝浦の方は伏見とは対照的に、言葉の端々に嘲笑めいた棘がチラホラと。皮肉屋や毒舌家という程でもないが、ともすれば聞き手を不快にさせる、ズケズケとした物言いだった。
 「人狂丹……わかりやすい名前ではありますね」
 他人の血をすすり肉を喰らう、先日戦った琢磨たちはまさに狂った人間だった。薬の完成版を使ったという西原ですら、最後に対峙した時は奇妙な言動が目立った。薬の出来に関係なく、やはりどこか狂っていたのかもしれない。
 再び伏見が口を開く。
 「話を戻して、血の流出先ですが」
 「それも調査済みなんですか?」
 鬼頭組の情報網では有力な情報はまだ掴めていなかった。
 「ふふ、荒神専門の組織ですからね。その場所をお教えしましょう」
 この一言に雅人は当然として、なぜか芝浦までもが驚いた。
 「待ってください。あれは我々で回収する予定でしたよね?」
 「調べてくれた調査部には申し訳ありませんが、やっぱり物が物ですので、身内の方にお伝えするべきだと思うんです」
 「なら回収してから渡せばいいじゃないですか。まさか場所は教えるから自分で回収しろとでも?」
 「先々のことを見据えれば、そうしていただいた方がいいと思います」
 先々のこと? 雅人には何の話かわからなかったが、血の回収については元から自分で行うつもりだったので、特に異論はなかった。
 「だったら無理やりにでも……はぁぁ~」
 芝浦は途中まで言いかけた言葉を溜め息でかき消した。それから気を取り直し、
 「血は神保製薬にある」
 「すみません、初めて聞く名前です」
 「表向きは医療用医薬品の製造業者だ。だが裏の顔は、非合法の研究機関。かなりアンモラルな薬物などを作っている。それも政府公認でな」
 政府公認の非合法機関という矛盾。実態は定かではないが、話を聞いた限りでは絵に描いたような悪役である。
 「まぁ不治の病の研究などもしているので、必ずしも悪とは言いきれんがな。この辺は動物実験の是非に近い」
 ここで倫理観について議論しても時間の無駄だ。雅人は黙って話の続きを待った。
 「それで肝心の場所だが、伊豆諸島の青ヶ島にある。島の半分が彼らの私有地だから、行けばすぐにわかるだろう」
 青ヶ島。東京から伊豆諸島へ行くとなると日帰りは難しい。そもそも移動手段はあるのだろうか。宿は? 雅人は旅程を軽く想像し、面倒で憂鬱な気持ちと未知の土地への期待感でそわそわした。
 「情報ありがとうございます。早めに準備して向かいたいと思います。このお礼はどうすれば?」
 伏見はことさら優しい声で答えた。 
 「恩の先売りだと言ったじゃないですか。いずれ私たちが困った時に支払ってもらいますよ」
 「僕にできることなら何でもしますけど、役に立てるかな」
 「その辺りについてもいずれまた。今日はまだ顔合わせですし、少しずつお互いを理解していきましょう」
 「わかりました」
 まだまだ知らないことだらけの組織ながら、雅人は協力関係を結んでもいいと思った。その理由は、荒神について相談できる相手が欲しかったこと。磐田たち組員は頼りになる存在だが、やはり餅は餅屋。同じ荒神にしかわからないことが必ずあるはず。決して伏見の美貌と人当たりの良さに魅了されたわけではない、と心の中で念を押した。
 「では今日はここまでにしましょう。ご自宅までお送りします」
 日本社会らしく三人揃って一礼し、会合は終了。エレベーター前まで伏見に見送られ、雅人と送迎役の芝浦はオフィスを後にした。

【十月二十五日 午後六時十分 地下駐車場】
 雅人と芝浦は駐車場に到着した。後は自宅まで送ってもらうだけのはずだが、芝浦は送迎車ではなく車両数台分の空きスペースへ向かい、雅人の方を見た。
 「さて、送る前にやっておきたいことがある」
 鋭く威圧的な目。喧嘩自慢の組員の中にも、ここまで強い気を放てる者は数えるほどしかいない。
 「この時間なら誰も来ないはず。さぁ、変解しろ」
 「はい? すみません、意味がわかりません」
 「青ヶ島では変解して戦う機会があるはず。お前がそれを乗り切れるか、確認させてほしい」
 源二の血の奪還は本来、芝浦たちが行う予定だった。だから雅人に仕事を奪われたことに腹を立てているのだろうか。
 「誤解です。僕はそんなつもりで――」
 「安心しろ、手加減はしてやる」
 言葉の割に芝浦からは強烈な敵意が感じられた。
 「個人的に鬼は皆殺しにしたいがな」
 仕事を奪われたこと以外にも理由はありそうだが、いまは話を聞く余裕がない。早く手を出さなければ、芝浦の方から仕掛けてきそうな雰囲気だ。
 「くっ……変解!」
 雅人は半ばやけくそで変解し、勢いに任せて芝浦に殴りかかった。それなりに速く、咄嗟に出した割に威力も十分。当たれば成人男性が軽々と吹き飛ぶほどの攻撃だ。
 ところが芝浦は特に身構えもせず、身体を少しずらすだけで正確に回避した。
 「チッ」
 いくら戦う気がなくても、攻撃を外せばそれなりに悔しい。雅人は引き続き左からのワンツー、さらにショートアッパーからの打ち下ろしとコンビネーションを放った。だがそのどれもが失敗に終わった。
 「本能的に戦える点は、流石は鬼だと褒めておこう。だがこの程度では獣と同じ」
 芝浦は打ち下ろされた雅人の右腕を手首の辺りで掴み、下方向に引っ張った。
 「うわっ」
 不意に想定外の力を加えられたことでバランスを崩し、雅人は頭から一回転。情けない叫びと共に仰向けに倒れた。
 「フィジカル差を技で埋められたら太刀打ちできない」
 芝浦はまだ人の姿のままだった。
 雅人は腹立たしかった。いままでの勝利は全て、生まれ持った能力のおかげだと言われた気がした。琢磨や化け物との戦いは確かにそうだろう。しかし西原との勝負だけは違う。あれは雅人にとって、優秀な兄貴分という壁を努力で乗り越えた証なのだ。
 「まっ、こんなものは格闘術の初歩だ。荒神の戦い方ですらない」
 「言われなくても!」
 雅人は勢いをつけて立ち上がり、両手を重ね、芝浦に向けて突き出した。すると手の先の空間が歪み、そこから赤々と燃える炎が浮かび上がった。
 「鬼火か」
 西原より伝授された技。自在に操り、対象物だけを焼き尽くすことができる炎。これこそ荒神の戦い方だ。
 「火傷ぐらいは覚悟してもらいますよ」
 雅人は全力で炎の渦を飛ばした。むろん殺す気はない。芝浦が驚き、実力を認めてくれたらすぐに消火するつもりだった。
 芝浦は……?
 「所詮は脳筋の付け焼刃だな」
 右の手のひらを前に広げただけで鬼火を消してしまった。繰り返すが人の姿のままである。
 「ゲッ、うそ」
 逆に雅人の方が驚き、転がされた時と同じく軟弱な声を漏らした。
 「烏天狗は荒神の中でも特に神気(神通力)が高く、神術の扱いにも長けている。頑丈さだけが取り柄の鬼が出した炎など効かんよ」
 雅人は全身から血の気が引くのを感じた。敗北感。絶望感。自分にとって最強の技が、片手で軽くいなされてしまったのだ。これが格の違いというものか。頭は混乱し、次に取るべき行動のことなど微塵も考えられなくなっていた。
 「見せてやろう、本物の神術を」
 芝浦は胸の前で両手を合わせ、烏天狗へと変解した。それから手を合わせたまま、経か呪文のようなものをブツブツと唱えはじめた。
 「な、なにを――ツッ!」
 雅人の腕に針で刺されたような痛みが走った。それ自体は全く大したことがなかったが、反射的に腕を見ると、光り輝くロープのようなものが巻き付いていた。
 「なっ?」
 よく見れば腕だけではない。ロープは既に雅人の全身にからみ付き、しかもバチバチと小刻みに破裂していた。
 「神気で作った雷の綱だ。お前の動きは完全に封じた」
 少しでも身体を動かそうとすると破裂する。しかも普通のロープと違い、掴んで引きちぎることもできない。
 焦る雅人。西原から鬼火を奪った時のように意識を集中させてみる。変化なし。芝浦が言った通り、神術の扱いは烏天狗の方が鬼よりも上らしい。
 「……参りました」
 勝敗は決した。身動きの取れない雅人は言葉で負けを認めた。元々やりたくて始めた戦いでもなかったが。
 「まだ技の途中だ。泣き言を言う余裕があるなら抗ってみせろ」
 芝浦は容赦がなかった。呪文を再び唱えだす。すると雷の綱がさらに輝きを増し、捕らえている雅人の身体に強烈な電気を流し込んだ。
 「があぁぁぁー!」
 まるで焼けた鉄の棒で脳をかき混ぜられたような衝撃。痛さと熱さが全身を駆け巡る。生きたまま火あぶりにされた時よりは幾分かマシだが、どちらにせよ雅人は耐えきれずに意識を失った。
 芝浦は倒れた雅人を一瞥し、失望の深いため息をついた。 
 「話にならんな。戦い慣れた鬼ならこの程度、火傷ひとつ負わず跳ね返すだろうに」
 雅人の身体はあらゆる箇所が焼けただれ、頭髪も完全に燃え尽きていた。しかし、そこは頑丈さが取り柄の鬼である。早くも回復をはじめ、五分と経たず元通りに。ただ回復にエネルギーを使いすぎたのか、全ての火傷が消えると変解が解けてしまった。意識も戻らず、眠ったままだ。
 「こんな雑魚を理事は本当に使う気なのか?」
 芝浦はボソリと呟くと、雅人を肩に担いで送迎車の後部座席へ放り投げた。どうやら自宅まできちんと送り届けてくれるようだが、わざわざ大怪我を負わせてまで力を試した真意は果たして?

【十月二十五日 午後八時三十分 鬼頭組本部】
 「…………ん……」
 雅人は自宅のベッドで目を覚ました。寝ぼけた頭で、前にも似たようなことがあったと思い出し、すぐさま服装を確認。今回は全裸ではなく、とりあえず安心した。
 「やっと起きた!」
 「ん?」
 声がした方を見ると、夏華がベッド脇に置かれた椅子に座っていた。どうやら雅人が起きるのを待っていたようだ。
 「なんだ、また夜這いがどうとか言うつもりか?」
 いつもの軽口で返してくるかと思いきや、夏華は珍しく真面目な顔で焦りを露にした。
 「冗談はいいから、早くパパに事情を説明して」
 「磐田に?」
 「若サマ、あの芝浦って人に抱きかかえられて帰ってきたんだよ。でも何があったか聞いても『本人に聞け』とか言って消えちゃうし、パパは『カチコミだー!』とか言ってキレちゃうし、ほんとカオスだったんだから」
 「うわぁ。それで、磐田はいまどこに?」
 「鎖で縛って物置に放り込んである。外から鍵もかけたけど、いつまでもつかわかんない」
 「興奮したゴリラか……」
 雅人は庭の物置へ向かい、磐田を解放。それから気絶は力試し中の事故だと告げた。
 話を聞いた磐田は一旦落ち着きを取り戻したが、そのまま流れで青ヶ島行きの件まで告げると、自分も同行すると言って再び興奮した。
 「僕一人で十分だよ。とりあえず様子を見に行くだけだから」
 企業が未発表の研究を部外者に見せるはずがない。ましてや血の返還を要求したところで、『そんなものはない』と一蹴されるのは目に見えている。となると大金で解決するか、あるいは盗みだすか。雅人は磐田を安心させるために様子見と言ったが、実際にはかなり危険な橋を渡ることになると覚悟していた。
 「危険な場所なら保護者責任でついていきやす。安全だってんなら慰安旅行でいいでしょ」
 「男二人のムサい旅なんて冗談じゃない」
 「なら組員全員でいきやす。とにかく、何と言われようがご一緒しやすよ」
 親代わりの責任感から、磐田は一歩も引こうとしなかった。
 雅人はその場に居合わせた組員たちを見回した。スキンヘッドと口ひげ。浅黒い肌に茶金の傷んだ髪。目から頬にかけて一直線に走る刀傷。首回りから見え隠れする背中の彫り物。昼間いた丸の内オフィスでは絶対に見かけないキワモノばかりだった。
 「こんな厳つい連中を連れていったら、地上げ屋が島を奪いに来たと勘違いされるよ……」
 「組長を危険にさらすよかマシでさぁ。弾除けは多いに越したことはありやせん」
 鬼の強靭な身体があれば大概の危機は乗り越えられる。むしろ同行者が多い方が危険だ。悪目立ちするし、何より戦闘になった場合に仲間を守りきれる自信が雅人にはなかった。
 雅人と磐田、お互いに譲らず。周りも組幹部の衝突というより親子喧嘩の様相ゆえに口を挟みづらく、黙って成り行きを見守ることしかできなかった。
 夏華もしばらくは二人の言いたいように言わせていた。が、話がまとまらないと悟り、見かねて間に割って入った。
 「そこまで! みんな困ってんだから空気読みなよ」
 「子供を危ない場所に行かせないのは親の役目だろうが。お前からも組長に言ってくれ」
 「一人の方が安全だっての。大人数だと余計な火種を生むだろ」
 「はいはい、もうわかったから。ここはひとつ、妥協案で手を打とうじゃないの」
 「妥協案?」
 雅人と磐田は口を揃えて聞き返し、それからお互いの顔を見合った。


【十月二十七日 午後一時 青ヶ島民宿『はまじ』】
 「遠くからようこそ。ここまで来るの大変だったでしょ」
 中年女将は冷えた麦茶をグラスに注ぎ、宿に到着したばかりの客をもてなした。
 「いえいえ、飛行機にも船にも乗れて楽しかったです」
 夏華は礼を言ってグラスを受け取った。まだまだ暑さが残る十月の伊豆諸島、日差しにやられた身体に、飾り気のない麦茶が心地よい。
 「にしても、随分と変わったタイミングで来なさったね。夏なら牛祭りがあったけどいまは何もないし、若い人には退屈なんじゃないかしら?」
 「陰キャなお兄ちゃんが静かな方がいいって。そうだよね?」
 「……………うん」
 雅人が渋々返事をする。その態度が皮肉にも、根暗な兄という設定をより際立たせた。
 「それでしたら何より。まぁ何もないところですけど、ゆっくりしていってくださいな」
 「はーい、お世話になりまーす」
 「あ、でも島の東側には行かない方がいいですよ。大きな会社の私有地で、おっかない警備員さんがいますからね」
 「わかりました。気を付けまーす」
 続いて女将は食事の時間などの諸々を説明して、客間を出て行った。雅人はそれを見届けてから、不満をアピールする深いため息をついた。
 「へいへ~い、せっかくの旅行が台無しですぜ?」
 「お前がついてきたことが不満なんだよ」
 「しつこいなぁ。一昨日はオーケーしたじゃん。吐いたツバ吞まないでよ」
 夏華が出した妥協案とは、自分が父や組員に代わって雅人に同行するというものだった。悪目立ちする組員たちよりはマシと雅人も一度は承諾したものの、当日になり、全力で旅行を楽しむ夏華に頭を抱えていた。
 「そもそもお兄ちゃんって何だよ?」
 「若サマって呼ぶと素性を探られるからね。高校生カップルが平日に学校サボって田舎旅行なんてのも怪しすぎるし」
 「一理あるけど……ならやっぱり僕一人で来た方が良かったじゃないか」
 「それこそ家出か自殺しに来たとか思われるって」
 「むぅぅ……」
 雅人には返す言葉がなかった。組長だの荒神だのという肩書きは、近しい場にいる関係者にしか通用しない。何ひとつ事情を知らない女将から見れば、雅人はわざわざオフシーズンにやって来た珍客なのだ。一人で妙な探りを入れれば、すぐさま島中の噂になるだろう。もちろん一人が二人なったところで大差はなく、未成年の旅行者という時点で十分に怪しい。それでも夏華の人当たりの良さがあれば、余計な詮索をされずに済むかもしれない。
 「わかった。ここにいる間は、お前が考えた設定に従うよ」
 「素直でよろしい。そんじゃお兄ちゃん、まずは大凸部を観光しよう。夜は尾山展望公園で天体観測だ」
 「仕事で来てるんだっての」

【十月二十七日 午後二時 神保製薬敷地前】
 調べるまでもなく、神保製薬の私有地は全面フェンスと鉄条網に覆われていた。門にも屈強な警備員が常時張り付いており、まさにアリの子一匹通さない警備体制だった。
 「うぁぁ~、まるで基地か刑務所だね」
 フェンスの高さは三メートル弱。その気になれば登れないこともない。夏華は試しに触れてみた。
 「あばば! ご丁寧に電気まで流してある。獣除けだろうけど、人間も余計なことしない方が良さそう」
 「気をつけろ、警報が鳴るかもしれないぞ」
 雅人の軽い注意に、夏華は適当な相槌を返した。
 「どうすんの、これ? 無断で入ったらヤバそうだし、だからって会社にアポも取れないでしょ」
 メーカー定番の工場見学でもあれば旅立つ前に申し込んだのだが、神保製薬は自社サイトはおろか、社名すらもインターネット上に存在しなかった。
 「深夜に潜入してみる。どうせ正面からいっても門前払いされるんだ。ならいっそ強盗でもする方が手っ取り早い」
 「いつからそんな悪い子になったんだい! むかしは虫も殺せないぐらい優しかったのに」
 「オカンごっこはいいから。目立たず入りやすそうな場所だけ探そう。その後なら観光でも何でも付き合うよ」
 「りょーかーい」
 二人は警備員から距離を取りつつ偵察を続けた。遠目には、よそ者の男女が当てもなく散歩しているように見えるだろう。しかし敷地は徒歩で回るには広すぎた。しかもフェンスから敷地内の施設まではかなり離れており、隠れられる物陰などは一切なかった。
 「どんだけ土地の無駄遣いしてんのさ。これじゃあ調べてる間に旅行終わっちゃうよ」
 監視カメラも等間隔で設置されている。一歩でも敷地内に入ったが最後、あっという間に人が駆け付けるに違いない。
 「確かにキリがないな」
 とはいえ強盗の時点でかなり無茶な作戦である。せめて目的の血を探し当てるまでは慎重にいきたいところ。
 「闇雲に歩いても時間の無駄だ。違う方法を考えよう」
 この島に飲食店はなさそうだが、ジュースの自動販売機なら敷地を調べる途中で見かけた。雅人は冷たいものでも飲んで頭を切り替えようと思い、来た道を戻ることにした。
 「オマエたち、旅行者だろ?」
 背後から声。振り返ると、半そでの白シャツにジーパン姿の少年が立っていた。見た目は小柄な中学生ぐらい。夏だというのに日焼けどころか、まるで白子症(アルビノ)のように真っ白な肌をしていた。
 「うん、そうだけど?」
 少年は答えた雅人に満面の笑顔を見せた。
 「近所の子かな? ねぇキミ、お姉さんたちに何か用?」
 その無垢な表情に、雅人と夏華は気を緩めた。だがそれは、少年が仕掛けた罠だった。
 「おりゃ!」
 少年はいきなり雅人に体当たりをかました。小柄な体格とはいえ、敵意を全く感じさせないところからの不意打ちである。雅人は勢いに呑まれて尻もちをついてしまった。
 「いったた……何だよ、遊んでほしいなら普通に――」
 誘ってくれ。そう言い終わるよりも先に少年は、雅人のズボンから革財布を抜き取っていた。
 「へ?」
 状況が理解できずに呆ける雅人。
 「ばーか」
 少年は雅人の鼻を盗んだ財布でペチペチと叩くと、おもむろに反対方向へ走り去った。
 「わけがわからない。いまのはいったい?」
 「ぼぉーっとしてるヒマないって! 財布盗まれたままだよ。追いかけないと」
 「そうだった!」
 二人は全速力で少年を追った。

【十月二十七日 午後二時五十分 雑木林】
 追跡開始から十分後。少年は雑木林の入り口で二人を待っていた。
 「ちゃんとついてきたな」
 どうやら少年の目的は、二人をここへ連れてくることだったようだ。ただでさえ人が少ない田舎だが、この辺りは人の気配が全くない。しかも生い茂った木々のせいで、入り口でありながら早くも薄暗く、徒に心がざわついた。
 「はぁ、ふぅ……財布、返して……」
 短時間とはいえ人の姿のまま全力疾走した雅人は、若干息が上がっていた。
 少年は雅人に財布を投げつけた。
 「あだ!」
 運悪く財布の角が右目にヒット。想定外の痛みに雅人は悶えた。
 「ったく、ホント何がしたいんだよ」
 怒るほどではないが、他人に迷惑をかける悪戯は許せない。雅人は少年の返答によっては拳骨のひとつも辞さない気でいた。
 「オマエこそ何だ。コソコソしやがって」
 単なる悪戯ではないらしい。こんなひと気のない場所に誘い込んだのも意図があってのことか。
 「コソコソって、アタシたちはただ散歩を……」
 「嘘だ。中に入るつもりだったろ」
 フェンスのそばで長居しすぎたか、あるいは会話を聞かれたか。雅人たちの行動は少年に見透かされていた。
 「そうだけど、これにはちゃんとした理由があるんだ」
 「知るもんか。ヒトん家に勝手に入るヤツは許さない」
 少年の声色に凄みが増した。ピリピリと張りつめた敵意は、まさに縄張りを荒らされた野生動物そのものだ。
 「わ、若サマ、なんかこの子、おかしくない?」
 「うん、嫌な予感」
 薄暗い雑木林の中、少年の瞳が猛獣さながらに光った。
 「やっつける!」
 少年が吠えた。その小柄な見た目からは想像もつかない、低く野太い咆哮。あわせて全身が膨れ上がり、少年から成人男性ほどのサイズへ。しかもただ大きくなるだけではなく、見るからに強靭そうな筋肉と長い体毛に覆われていた。
 「うわっ、これゲームで見た。ワーウルフだっけ」
 「ひょっとして薬の被験者か?」
 雅人は少年の変わりように面食らいはしたが、人狂丹を探してここまで来た以上、荒神ないし薬の被験者がいて当然であることを思い出した。
 「夏華、適当な木の後ろに」
 「か、かしこまり」
 夏華の後退と少年の突進は同時だった。雅人は二人の間に入る形で少年を迎え撃った。
 「変解!」
 力自慢の鬼と狼男が四つに組み合った。力比べの体勢だ。いままで戦った相手は噛みつきや身体の奇形部位を活用するなど、いかにも化け物然とした攻撃が多かった。この少年がもし薬の被験者であるとすれば、西原と同じく完成版を使用したのだろうか。襲いかかってきた理由はともかく、動きに異様な点はない。
 「グルゥゥ……」
 パワー勝負は雅人の方に分があった。少年は低く唸りながらジリジリと後退する。このまま力任せに押し倒してしまえば大人しくなるだろうか。
 「グァ!」
 少年が力の流れを変えた。雅人の押し出す力に対して同じ押し出す力で抗うのではなく、逆に相手の力を借りるように後ろへ引いたのだ。さらに倒れながら両足の裏を雅人の腹部へ。さながら柔道の巴投げのような形で、雅人を後方へと投げ飛ばした。
 「うぉっ!」
 野性味あふれる姿からは想像もできないテクニカルな攻撃。雅人は翻弄され、受け身も取れずに背中から落下した。とはいえただ意表を突かれただけであり、ダメージは全くなかった。
 「ふぅ、ビックリさせる」
 雅人は何食わぬ顔で立ち上がり、仰向けに倒れているはずの少年を見た。しかし、そこに少年はいなかった。
 「ん?」
 ざわざわと木の葉が揺れる音が響き渡る。
 「どこ見てんの! 右!」
 夏華に言われたままに右を見ると、いままさに少年が宙を泳いで迫り、肉食獣らしい鋭利な爪で雅人の顔面を切り裂く寸前だった。
 「なっ!」
 驚いた雅人は反射的に右アッパーを放った。斜め上方向から振り下ろす少年の爪より、直線的に突き上げる雅人の拳の方が速い。一瞬でそれを見抜いた少年は、上半身を前に倒して空中で一回転。拳が当たる寸前で突進の勢いを殺し、さらに上がった雅人の右腕を足場にして、大きく後方へ跳ねた。
 「こりゃ狼っつーか猿だね」
 少年は後退後も次々と木を蹴り、高速で前後左右に跳ね回った。木の葉が揺れたのはこの動きのせいであり、少年が雅人たちをここへ誘い込んだのも、己の身軽さを最も生かせる場所だからなのだろう。
 「ダメだ、速すぎて目で追えない」
 少年の動きに惑わされ、雅人の足が止まった。
 「なに弱気になってんのさ。ぼーっとしてたらやられるよ」
 棒立ち状態の雅人に少年が背後から迫る。 
 「わかってる」
 雅人は振り返った。だが少年の方が速い。大きな爪が雅人の肩に突き刺さった。
 「釣れた」
 肩に刺さった爪を横にスライドさせ、首筋まで切り裂くことができれば少年の勝ちだっただろう。しかし力で勝る雅人は、両手で少年の腕をしっかりと掴んでいた。形勢逆転、少年は逃げられない。
 「せいっ!」
 掴んだ腕を勢いよく上へ。刺さった爪が肩から抜ける。もちろん反撃はこれだけでは終わらない。少年の身体を腕ごと左右に振り回し、体勢を崩したところで力任せに持ち上げ、地面に叩きつけた。
 「ギャフッ!」
 衝撃で地面が揺れた。少年は人とも獣ともつかない叫び声をあげた。
 「わざと攻撃くらって叩き潰すとか、雑なやり方だねぇ」
 夏華が苦笑いで感想を述べた。特撮ヒーローよろしくスタイリッシュな攻防を期待していたらしい。
 「鬼の本能で戦えてるだけで、僕自身は素人なんだ。まぁ落ち着いたら空手でも習いに行くよ」
 実は芝浦に負けた件を根に持っている雅人だった。
 「ウゥゥ、オマエナンカニ……」
 少年が恨みがましく悪態をついた。狼の顔ではしゃべりにくいのか、活舌が悪くて聞き取りにくい。
 「もう終わりにしよう。それより君の素性とか、色々と聞きたいことがある」
 「マダダ! マダオワラナイ!」
 少年はいまも雅人に腕を掴まれていた。暴れて抜け出そうとするが、鬼の力の前には成す術もなかった。
 「まいったなぁ。これじゃあ危なっかしくて変解も解けない」
 「ぶん殴って気絶させちゃえば? それから鎖でふん縛ればいけるっしょ」
 「そんな磐田じゃあるまいし……でもほかに手はないか」
 雅人は右手を上げた。左手は少年を押さえつけたままだ。効率よく気絶させる方法など知らないので、とりあえず顎の辺りに狙いを定めた。
 「確か、ここを殴れば脳が揺れるとか」
 大して力はいらないだろうと思い、軽く拳を握り締める。だが拳を打ち下ろそうとした、まさにその時だった。
 「うぉぉー!」
 ドスドスと重い足音を響かせ、林の奥から大男が突撃してきたのだ。
 「ゴハッ!」
 少年に集中していた雅人は回避が遅れ、無防備のまま直撃を受けた。そして二回、三回と地面を転がり、近場の太い木に激突した。
 「若サマ!」
 「っつぅぅ……大丈夫、無事だよ」
 まるで大型トラックにでも轢かれたような衝撃だった。鬼の身体でなかったら命の危険すらあっただろう。
 「だけど敵が増えた」
 少年の仲間と思わしき大男。身の丈は二メートル強。坊主頭で固太りという柔道家のような見た目ながら、肌は狼男になる前の少年と同じく真っ白で、体格の割にどこか病的な雰囲気が漂う。スピード自慢の少年とコンビを組まれたら手強そうだ。
 「こっちは戦う気なんてないんだけど」
 そう言いながらも雅人は身構えた。
 「コンドコソ、タオス!」
 少年も腰を低く落とし、次の攻撃の準備に入る。しかし大男は意外にもその場に立ち尽くしたまま微動だにせず、少年の手助けに入る素振りも見せなかった。
 「待った! 待ってくれ」
 林の奥からさらにもう一人。今度の人物は中肉中背の若者だった。雅人と同じ歳、あるいは少し年上ぐらいだろうか。先の二人と同じく、驚くほど肌が白い。
 若者は雅人と少年たちの間に割って入ると、雅人に向かっておもむろに土下座した。
 「迷惑をかけて申し訳ない。だけど命だけは勘弁してやってくれ」
 「はい?」
 突然の言動に面食らう雅人。どうやら戦う気はなさそうだが、果たして信用して大丈夫なのだろうか。
 「ジャマスルナ!」 
 「うるさい、黙ってろ」
 少年は尚も興奮していたが、若者に叱られるとビクリと身を縮めた。
 「本当にすまない。どうせ伸二の方から喧嘩を売ったんだろ?」
 少年は伸二というようだ。
 「うん、まぁ……」
 「コイツは頭にちょっと病気を抱えてるんだ。アンタもその姿ならわかるはず」
 「えっ、どういうこと?」
 「あの薬を打たれたんだろ、アンタも。施設で会ったことはないが」
 「いや、僕の方は遺伝みたいなもので……つまり君たちはやっぱり、人狂丹の被験者か」
 「人狂丹?」
 話の内容は共通しているが、互いに素性を知らないせいか、微妙に会話が嚙み合わない。
 「OKOK、何となく事情は察しましたぜい」
 遠目に様子を見守っていた夏華が雅人たちの前に出てきた。
 「まずはそこの兄さんたち、喧嘩はもう終わりってことでよろしくて?」
 「ああ、もちろんだ」
 若者の返答に伸二は噛みつこうとしたが、後ろから大男に抱きつかれる(拘束とも)と大人しくなった。あわせて、姿も人に戻っていく。
 「というワケで若サマも。はい、ヒョロガリに戻って」
 「ヒョロガリって……まぁいいけど」
 雅人も変解を解いた。
 「これで話しやすくなったね。では自己紹介を」
 夏華はわざとらしく咳払いをしてから雅人を指さした。
 「こっちは鬼頭雅人で、あたしは磐田夏華。かくかくしかじかで、薬とその原材料を回収しに来たってわけよ」
 若者たちは黙って夏華の説明を聞いた。
 「鬼だの化け物だの嘘くさいんだけど、全部本当の話なんですわ、これが」
 「いや、信じるさ。むしろ薬の正体がわかってすっきりした」
 若者は夏華の話を受け入れた。
 「むぅぅ、ドロボーめぇぇ!」
 伸二は話を聞いてなお、雅人を襲った理由に拘り続けていた。あるいは頭の病気とやらで全く聞いていなかったのか。
 「………」
 大男は相変わらず伸二を抱いたままだった。一言もしゃべらず、呼吸と瞬き以外は微動だにしなかった。
 雅人たちは伸二と大男の様子に不気味なものを感じた。若者はそれを察したのだろう。夏華の話が途切れたところで、自分たちの素性を語り始めた。
 「今度はこっちの番だな。俺は明。そこのチビが伸二で、後ろのデカいヤツは太一。俺たちは神保製薬のモルモットだ」
 「モルモット?」
 雅人はそのまま聞き返した。
 「文字通りの意味だよ。新薬の実験体。怪しい病原体なんかを身体に入れて、薬が効くか試すんだ」
 夏華は目を大きく見開いた。
 「えっ、ちょ……なんで? なんだってそんな危ないことすんの?」
 「したくてやってるわけじゃない。俺たちは会社に買われた孤児なんだ。聞いた話じゃみんなとっくに死亡扱いで、戸籍もないらしい」
 にわかには信じられない話だった。戦中戦後の混迷期ならともかく、平和な現代日本でそんなことが可能なのだろうか。
 「この肌を見ればわかるだろ? いつだったか入れられた薬のせいで色が抜けちまった」
 雅人は神保製薬が政府公認の非合法機関であることを思い出し、聞いたままを受け入れることにした。
 「人狂丹、だったか? ここ最近はあれの実験ばかりだ。おかげで十人いた仲間の六人が死に、残った面子もこの通り」
 明は伸二の顔を見た。
 「伸二は異常なほど攻撃的になり、俺が知る限りでも二人は殺している。元は優しいヤツだったのに、いまや見た目から何から狂犬そのものだ」
 続いて太一に視線を移す。
 「太一は身体がデカくなり、代わりに考える力をなくした。ロボットみたいに、誰かの命令がないと動けないんだ」
 二人の様子がおかしいのは、やはり人狂丹が原因だった。
 「俺は内臓が少しずつ腐っていってる。あと三ヶ月も生きられないらしい」
 明は淡々と語った。その顔に怯えや怒りの色はなく、まるで他人事のようだった。
 「あ、その……なんと言ったらいいか」
 話を聞く雅人の方が返答に迷い、無駄に気まずい空気を作りあげてしまう。
 「気にしないでくれ。どうせ生きてたって実験に使われるだけさ」
 「そう言われても気にしちゃうよ。ヒトの命を弄ぶなんて、悪の組織もいいとこじゃん」
 夏華は怒りを抑えきれず、パチンと自分の手のひらを殴った。過去に磐田が自殺した西原を前に行った仕草だ。父親譲りの癖みたいなものか。
 「若サマ、偵察とか血の回収とか回りくどいことはやめてさ、いっそ会社ごと潰しちゃわない?」
 興奮の絶頂にある夏華に雅人は苦笑い。
 「無茶言うなよ。映画のヒーローじゃあるまいし、そんなことしたら一発で刑務所行きだ」
 「そこはほら、組とかマスコミとか使ってさ。他人の犠牲でヤバい薬作ってるって流せば、世間は味方になってくれるはず」
 「だからそういうご都合展開が映画なんだっての。公表する前に社会的に消されるよ」
 「ぶぅぅ。自分は強盗に入る気マンマンのクセに」
 強盗という部分に伸二が反応した。
 「やっぱりドロボーだった。許さない」
 太一の拘束のせいで一歩も動けない代わりに、大声で口汚く雅人たちを罵った。
 「黙れ伸二。お前は片倉の番犬か」
 そんな伸二を明が一喝。伸二は途端に委縮した。
 「ち、違うよ。オレはただ……」
 二人の間には強い上下関係があるようだ。明は大人しくなった伸二を優しく諭した。
 「お前が部外者を追い払ってくれるおかげで、俺たちは敷地内を自由に動けるようになった。でもな、片倉を喜ばせたって何も良いことはないんだ。それをわかってくれ」
 「…………」
 雅人は様子を見計らって明に声をかけた。
 「横から失礼。片倉というのは?」
 「薬の開発主任、要するに俺たちをおもちゃにしてるクソ野郎さ」
 この男が西原の知り合いという薬剤師で、源二の遺体から血を抜き取った張本人だろうか。可能であれば直接会って研究をやめさせたいと雅人は思った。そのためには反社会的勢力である『鬼頭組の力』の行使も辞さないつもりだ。
 「盗みに入るのなら俺が手伝ってやれると思う。警備の手薄な場所から薬の倉庫まで案内するよ」
 「それはすごく助かるけど、どうして?」
 「代わりと言っちゃ何だが頼みがある。霧子をこの島から連れ出してほしい」
 「霧子?」
 「生き残った仲間の一人で、人狂丹を打たれてからずっと眠ってるんだ」
 植物状態ではなく、ただ眠り続けているだけ。肉体の機能は至って正常とのこと。
 「俺たち三人はもうまともに生きられない。だが霧子だけは助かるかもしれない。その可能性に賭けてみたいんだ」
 雅人は少し考えた。女性一人、それも眠ったままでいるところを外へ運び出す……変解すれば容易い。救出後、戸籍もない身元不明者を外へ放り出すのか……ニンベン師(身分証の偽造を生業としている職業)に偽造してもらい、組で保護する。一通りどうにかなるというより、むしろ荒神で裏社会の伝手がある雅人にしか解決できない問題ではなかろうか。偶然にしてはできすぎている。では罠か? 引き受けたところで、雅人に手間以外のデメリットはない。
 「人助け上等じゃん。ねぇ若サマ、引き受けてあげようよ」
 夏華も賛成のようだ。
 「わかった、そうしよう」
 「本当か? いやぁ、ダメ元で頼んで正解だった」
 大喜びする明。暗かった表情が明るくなり、頬にもかすかに色が戻ったように見えた。
 「ただ、目を覚ますかどうかまでは責任持てないよ? 下手すると連れ出さない方が良かったなんてことも」
 「地獄から出してもらえるだけで十分さ。その後は警察にでも引き渡してくれればいい」
 神保製薬が芝浦から聞いた通りの企業なら、それは最悪の結末を迎える選択肢だ。警察は政府の指示に従い、霧子を再びこの島へと送り返すだろう。雅人は明が思う以上に責任を感じた。
 「じゃあさっそく、と言いたいところだが、いまは警備員が多くて人目にもつきやすい。できれば深夜の方がいいな」
 「こっちはいつでも大丈夫だよ」
 「なら今晩、二十八日の一時で頼む。それまでにアンタが仕事しやすいよう準備しておくから」
 それから雅人は待ち合わせ場所などの詳細を詰め、明たちと別れた。行き当たりばったりでここまで来たが、思わぬ協力者と出会えたものだ。
 「ひとまず宿に戻って休もう。今日は徹夜かも」
 「夜まで観光したかったけど、しゃーないか。正義のためにガマンします」


【十月二十八日 午前一時 神保製薬南ゲートそば】
 青ヶ島の夜は暗い。外灯は数えるほどもなく、民家もとっくに就寝しているため、懐中電灯なしでは一メートル先も見えなかった。
 対して神保製薬は、遠くからでも建物の形がわかるほど明るい。もちろん営業時間と比べればはるかに暗いのだろうが、周辺との差でまるで不夜城のように見えた。
 「こっちだ、ライト消して来い」
 雅人が待ち合わせ場所に着くと、少し離れた木陰から小声で明に呼ばれた。
 「ほかの二人は?」
 「寝かしつけてきた。どっちも隠密行動には向かないからな」
 「こっちもだよ。夏華に留守番させるのが大変だった」
 大会社に潜入し、薬とその原材料、さらに女性一人を奪取する。場合によっては警備員と一線交える可能性もある。これからやろうとしていることはそんな、ゲームや映画にでも出てきそうな無茶である。本物の泥棒やスパイならともかく、ただの女子高生である夏華には荷が重すぎるだろう。一緒に行くとさんざん駄々をこねられたが、今回は絶対に失敗できないから駄目だと、きつく言い聞かせた。
 「まずは南ゲートにいる警備員に注意しつつ、脇のフェンスを越える。ここでモタつくと即アウトなんだが?」
 「変解すれば余裕だよ」
 「よし。フェンスを越えたら、ここから見て左から三番目の建物までダッシュだ。今夜は夜勤が少ない。多少目立つ動きをしても気付かれないはず」
 「距離は……一キロぐらいか」
 「そこからは俺が先導する。薬品室に入るには入館証がいるんだ」
 「わかった。じゃあ始めよう」
 雅人は腰を落として身構えた。ゆっくりと深呼吸をしてから……
 「変解!」
 「バカッ! 大声出すな」
 明に殴られた。
 「ご、ごめん、つい癖で」
 進入前に見つかっては元も子もない。いまの叫びが田舎特有の動物の鳴き声にかき消されたことを願いつつ、雅人は兎にも角にも変解を遂げた。
 改めて見ると、明の姿も変わっていた。人と昆虫を掛け合わせたような複雑な造形。特に背中が特徴的で、甲虫によく似た薄い羽根と硬い殻に覆われていた。
 「遅れずについてきてくれ」
 明は羽根を広げて宙を舞い、楽々フェンスを通り過ぎた。空を飛べない雅人はジャンプで乗り越え、足音に気を付けながら目的地まで駆け抜けた。

 ……空を飛ぶ明よりもさらに上空にて、何者かが二人の様子を伺っていた。しかし二人は目的地と周囲の警備にばかり気を取られ、頭上に誰かがいるなどとは夢にも思わなかった。

 およそ三十秒後、二人は建物の入り口に到着。明が備え付けのセンサーに入館証をかざす。ドアのロックがカタンという小さな音をあげて解除された。
 「まずは地下二階の薬品室へ。エレベーターはこっちだ」
 エレベーターの操作にも入館証が必要だった。その時たまたま雅人の目に入ったのだが、入館証には明ではなく中年女性の顔写真が貼られていた。持ち主から借りるか盗むかしたのだろうか……などと考えているうちに、地下二階に到着した。
 薬品室はエレベーターから最も遠い場所にあった。特に警備が厳重というわけでもなく、入館証をかざすだけで簡単にドアが開いた。
 「薬はともかく、材料の方はどれがどれだかわからない。それっぽいのを調べて――」
 明が話しながらドアを開けると、中で伸二と白衣の中年男性が待ち構えていた。
 「ぬふふ、やっと来てくれましたね」
 「なっ、片倉!?」
 明は予想外の事態に声を張り上げた。
 「伸二くんから一時ごろだって聞いたんですけど、待ちきれなくてですねぇ。二時間も前からここに来ちゃってました」
 白衣を着た痩せ型の中年男性。髪に少しだけ寝癖があるが、全体的にはきちんとした身だしなみで清潔感が漂う。物腰も柔らかそうで、明の言うクソ野郎とは程遠いように見えた。
 「後ろのあなたが鬼頭雅人さんですね。いやホント、お噂は西原さんよりかねがね」
 「あ、はい、どうも初めまして」
 やはり片倉が西原の知人だった。雅人は片倉の雰囲気に飲まれ、思わず気の抜けた挨拶を返した。
 「待ち伏せされてたんだぞ。呑気に挨拶なんかするな」
 明に窘められて正気に戻る。現在の状況を見回すと、どうやら伸二が片倉の側についたようだ。
 「伸二、どうしてだ? なんで片倉と一緒にいる?」
 明が若干上ずった声で尋ねた。伸二は明を恐れてか、彼から目を逸らしながらボソボソと答えた。
 「だって、そいつ敵だし……」
 「違うと言ったろうが。じゃあアレか、それで腹立てて片倉に告げ口したのか?」
 「オ、オレはただ、嫌なヤツが……」
 「被害妄想も大概にしろ。鬼頭はお前に何もしてないだろ」
 「ぎゃうっ!」
 明の怒気に伸二は悲鳴を上げた。怒りの矛先はどちらかと言えば片倉に向いているのだが、伸二は明が怒っているというだけで委縮してしまうらしい。
 「まぁまぁ。伸二くんを責めないであげてください。私の方からしつこく尋ねたんです。いやホント、ちょっと様子がおかしかったのでね」
 「片倉、てめぇ」
 明は怒気を通り越して殺気を片倉に放った。
 部外者の雅人は口を挟むタイミングが掴めず、黙って三人の様子を伺うしかなかった。
 「それにしても、明くんってばお手柄です。まさかあの! あの鬼頭さんを連れてきてくれるなんて!」
 片倉は異様なほど興奮していた。息を荒げ、頬は紅潮し、額から汗を流していた。雅人に会えたことがそんなに嬉しいのか。有名人でもないのに。
 「鬼頭、気を付けろ。こいつは――」
 明の警告よりも片倉の指示の方が早かった。
 「太一くん!」
 その直後、床が大きく揺れた。地震かと思ったのも束の間、雅人は背後から太一に襲われた。どこに隠れ、いつの間に出てきたのだろうか。揺れは太一の踏み込みによって発生したものだった。
 昼間の雑木林とあわせて二度目の不意打ち。しかも今回はただの体当たりではなく、雅人の腹部に腕を回して掴み、弧を描いて後方へ投げた。プロレスで言うところのジャーマンスープレックスだ。
 「ぬぁっ!」
 未体験の技に雅人は動揺。もちろん受け身の取り方も知らず、無抵抗のまま頭から床に落下した。
 化け物である太一の投げは、並の力自慢とは比較にならなかった。雅人の頭部は樹脂製の床パネルを突き抜け、その下のモルタルに突き刺さった。
 幸いにして雅人も化け物であるため、これだけの攻撃を受けてもダメージは微々たるものだった。しかし肉体は強靭でも、精神は常人と変わらず。不意打ちのショックで気を失ってしまった。あわせて変解も解けていく。
 「太一、お前まで……」
 仲間の離反に明は肩を落とした。
 「おっと、誤解しちゃかわいそうですよ。太一くんが誰のお願いも断れない優しい子だってこと、あなたもご存知でしょ?」
 「……お前の理屈で言えば、機械は全て優しい子だな」
 「はぁ? 何を言っているんです。太一くんは機械じゃありませんよ」
 「ロボットにしておいて何をいまさら!」
 明がいくら噛みついても、片倉は暖簾に腕押し。まともな会話が成立しなかった。
 「それより極上の研究材料が確保できたんです。あなたも運搬を手伝ってください」
 「鬼頭までおもちゃにする気か!」
 明は片倉に飛びかかった。素早く、的確な動作で顔面を狙ううも、しかしその拳は目標に届かなかった。
 「ギャァァー!」
 反対に明の方が激しい頭痛に襲われ、床に這いつくばった。滝のように脂汗が流れる頭を両手で押さえ、ゴロゴロと転げ回る。
 「はぁぁ~、残念です。いやホント、あなたのことは息子のように思っていたのに、まさかここまで反抗されるとは」
 片倉はタブレット端末を手にしていた。それでアプリを操作し、明の脳に埋め込まれたチップに刺激を与えたのだ。飼い犬の首輪どころか、孫悟空の頭の輪よりも性質の悪い拘束具と言えるだろう。
 「くっ……はぁ………毒親が」
 脳への直接ダメージはかなりのもので、明は攻撃が止まった後も立ち上がれなかった。
 「では太一くん、鬼頭さんと明くんを運んでください。伸二くんは太一くんのお手伝いを」
 太一は頭がめり込んだ雅人を床から引っ張り出し、肩に担いだ。
 伸二は動けない明に肩を貸した。
 「伸二……お前、なんで片倉に……」
 息を切らしながら詰め寄る明に、伸二は泣きながら答えた。
 「だって、春樹は嫌なヤツだし……だって、片倉のビリビリ嫌だし……」
 「春樹はお前が殺しただろ。鬼頭は――」
 そこまで言いかけて、明も気を失った。

【十月二十八日 午前三時 手術室】
 「……ここ………は……?」
 雅人が目覚めたのは手術台の上だった。しかも拘束衣を着せられたうえ、ご丁寧にベルトで固定までされていた。
 「起きたか」
 右から声が。見ると明も人間の姿に戻り、同じように拘束されていた。
 「すまない鬼頭、こんなはずじゃ……」
 「明のせいじゃないのはわかってる。でもいまいち状況が掴めない」
 「片倉が伸二と太一を操って、俺たちをここに縛り上げたんだ。伸二はお前のことを春樹だと思ってるらしい」
 春樹は明たちと同じモルモットである。臆病な伸二をいじめ、助けに来た明に蹴り飛ばされるのが日常だったとのこと。ところが一ヶ月ほど前、春樹は狼男となった伸二の返り討ちに遭って殺された。しかも人狂丹の影響か、伸二はそのことを覚えていなかった。それどころか、気に入らない相手イコール春樹とみなして襲っているようだ。最後の点に関しては、明もつい先ほど知ったという。手負いの野生動物のように、防衛本能が過敏になっているのだろうか。
 「縛り上げた理由まではわからない。十中八九ロクなことにならないだろうがな」
 話しているそばから部屋のドアが開き、片倉が助手らしき数名と共に現れた。
 「おはようございます。と言っても、あれから一時間も経ってませんがね」
 「片倉、俺たちをどうするつもりだ!」
 明は片倉を見た途端に激昂した。
 そんな明とは対照的に、片倉は涼しい顔で答えた。
 「明くんはちょっと危険な新薬の実験に付き合ってもらいます。ホントはまだ使いたくないんですがね、君の反抗的な態度を上が良く思ってなくてですね。まぁ見せしめと言うかお仕置きと言うか……いやホント、残念です」
 片倉は口で言うほど残念がってはいなかった。『まだ着られるシャツだが、新品を買ったので捨てる』程度の気持ちしか込められていなかった。
 雅人は片倉に尋ねた。
 「そうだ、その薬について聞きたいことがある」
 「何でしょう?」
 「いまさら薬を作ってどうするつもりだ、西原ももういないのに?」
 「超人になれる薬ですよ? 作ってみたいし、使ってみたいと思うのが普通でしょう」
 「食人鬼のどこが超人だ」
 薬の被験者たちはみな、他人の血肉を喰らう食人鬼ばかりだった。さらに言えば西原と明以外は、会話すらまともにできなかった。
 「その点についてはまぁ、未完成ゆえの副作用というか。いやホント、鬼の血が強すぎてですね、宿主の身体に悪影響を及ぼしたんですよ」
 「単に血液型が合わなかったんじゃ?」
 「ぬふっ、そんな凡ミスなら笑えたんですがねぇ。残念ながらもっともっと深刻な問題なんですよ。せっかくですからもう少し詳しく説明しましょう」
 マニアや研究者という人種は得てして、自分が関心ある事柄について饒舌になるものである。片倉は聞いてもいないのに自身の研究について講釈を始めた。
 「鬼の血そのものは、ほかの生物のものと大差ありません。ですが少量でもほかの生物の血と混ざると、それを燃料に常軌を逸した熱量を生み出すのです」
 例えるなら空気を送ってガソリンの爆発力を上げる、自動車のターボチャージャーのような働きをするのだとか。
 デメリットはふたつ。ひとつは、エネルギーの消耗が激しすぎること。そのため並の食事では賄いきれず、血や肉を直接かつ大量に摂取しなければならない。足りないと体内の血を燃やしつくし、干からびて死んでしまうらしい。これが食人鬼誕生の流れか。
 もうひとつは、生み出された熱に肉体や精神が耐え切れず、異常を来たしてしまうこと。その最たる例が、狂った肉の塊に生まれ変わった琢磨である。
 「初期の薬は、ほとんど鬼の血しか使っていません。瀕死状態でも生き返るぐらい強力だったんですが、頭の方がおかしくなっちゃ意味ないですよねぇ、いやホント」
 琢磨に使用した後も浮浪者や神保製薬のモルモットたちを使って改良を繰り返し、ようやく西原が使用したレベルにまで整ったという。
 「でもまだまだ磨き足りないんですよねぇ。伸二くんを見ればわかるでしょ。姿を変えてもあなたには敵いませんし、精神異常のデメリットも潰しきれていません」
 「興味本位で化け物を作るなんて間違ってる。いますぐ研究をやめてくれないか」
 「会社から指示された仕事をやめられるわけないでしょ。学生さんでもそれぐらいわかると思いますが?」
 「そっちこそ、僕が誰だか知ってるだろ? 要求を呑んでくれない場合、あんたや家族の命は保証できない」
 雅人はヤクザの組長であり、正義の味方ではない。もちろん明たちへの同情心はある。だが研究をやめさせたい一番の理由は、先代と先々代(の血)によって起きた騒動に対する、当代としてのけじめである。だから片倉の家族に罪があろうがなかろうが、必要であれば躊躇なく処分するつもりだ。
 しかし片倉は雅人の脅しに全く怯まなかった。
 「生憎と独身で、家族も友人もいませんよ。それに研究記録は全て会社に保管してあります。私を殺したところで、誰かが引き継ぐだけでしょう」
 前回の金本といい今回といい、相変わらず雅人の脅しは役に立たない。どれだけ残酷な言葉を並べても、相手を心の底から震え上がらせる凄みが足りないのだ。こればかりは才能でどうこうできるものではないため、今後の成長に期待といったところか。
 「……なんてドヤ顔で言いましたけど、実はもうじきプロジェクト打ち切りになるところだったんですよ」
 「打ち切り?」
 「鬼の血の在庫がもう切れるんです。だからってほかの鬼も代用品も見つからなくてですね。いやホント、あなたの拉致も検討したぐらいでして」
 いくら政府が一枚嚙んでいる企業とはいえ、一市民の拉致など容易にできるものではない。ましてや雅人は非常に厄介な肩書を持っている。手を出せば確実に反社が敵に回り、神保製薬の名が世に知れ渡るほどの騒ぎを起こすかもしれない。会社上層部はこのようなリスクを危惧し、プロジェクト打ち切りの方向で意見がまとまりかけていたという。
 「と・こ・ろ・が~~ですよ!」
 片倉のテンションがいきなり跳ね上がった。興奮を抑えきれず、いまにもパーティークラッカー片手に踊りだしそうな勢いだ。
 「まさかのまさか! あなたの方から弊社にお越しくださったじゃないですか。しかも深夜の不法侵入なんていうサイコーのシチュエーションで!」
 雅人は片倉の様子に気後れしながらも言葉を返した。
 「僕の血を抜き取るつもりか。でも理解できない。勝手に敷地に入られたら普通は怒るんじゃ?」
 片倉がしたり顔で答える。
 「警備員に発見された侵入者は驚いて逃走。適当な事故に遭い、哀れな最期を迎えるのです、いやホント」
 要するに、雅人を好きなように扱える大義名分ができたということだ。
 「遺体は……そうですね、身元が判明する前に火葬したことにしましょっか。そこまでやれば鬼頭組さんも文句は言えないでしょう」
 わざわざ聞いて確認するまでもなく、雅人の身体すべてを実験材料に使う気のようだ。組には別人の遺灰でも渡してお茶を濁すのだろう。
 「鬼頭、本当にすまない。俺が余計なことをしなければ……」
 「最初から強盗に入る気でいたんだ。明と会わなくても同じ流れになってたよ」
 片倉の助手が雅人の前に大型機材を運んできた。ポンプのような部品と、チューブに連結された注射器から察するに、これで雅人の血を根こそぎ抜き取るつもりらしい。
 「さて、それでは始めましょうか。最初だけチクッとしますからね」
 雅人も明も拘束衣とベルトで身動きが取れない。万事休すか。
 「悪いけど、痛いのは遠慮させてもらう」
 雅人は静かに言った。
 「変解!」
 全身の筋肉が膨張し、強靭な鬼の姿へと変わる。その勢いを二種類の拘束具は押さえきれず、膨らみすぎた風船のように内側から破裂した。
 「ば、馬鹿な。太一くんが五人がかりでも裂けない特殊繊維ですよ?」
 片倉は目を丸くした。助手たちも驚きで言葉を失っていた。所詮は鎖に繋がれた獣だと、雅人のことを甘く見ていたようだ。
 「僕は荒神だ」
 紛い物と一緒にするな、ということである。その証拠に、太一に襲われた二回とも、巨体による不意打ちに翻弄されただけで、肉体的なダメージは全く負っていなかった。
 雅人は明の拘束も引きちぎると、硬直したままの片倉に向かって手術台を放り投げた。
 「ひぃぃー!」
 鬼からすれば本を一冊投げた程度だが、実際に宙を舞っているのは三百キロ近い鉄の塊である。片倉は目前に迫る危機に自我を取り戻し、両手で頭を抱えて横に飛んだ。
 次の瞬間、手術台は採血機材を巻き込んで壁に激突。大きな音と振動が部屋中に響き渡り、たちまち手術室が廃材置き場へと変わった。
 「血がないなら僕は帰る。邪魔するな」
 雅人は精いっぱいの威圧感を込めて片倉を睨みつけた。事前に派手なパフォーマンスを見せたおかげで、過去の脅しよりは効果がありそうだ。
 怯える助手たちには目もくれず、雅人と明は手術室を出て廊下へ。ここまで伸二と太一の妨害がなかったことが多少気になるものの、頭を切り替えて次の目的に進むことにした。
 「じゃあ明、霧子のところまで案内を」
 「いいのか、役に立つどころか足を引っぱったのに?」
 「とんでもない、僕一人だったら無駄に暴れてたよ。だから次は君の頼みを聞く番だ」
 「……ありがとう。あいつはこの棟の四階にいる」


【十月二十八日 午前三時四十分 病室】
 四階は幅二メートルほどの廊下を挟んで、左右にドアが並んでいた。その数、およそ二十枚ほど。どれも大人の目線の位置に覗き窓がついている。中は広さ三畳程度の個室で、ベッドと洗面台、トイレのほかは何もなかった。病室というより、まるで刑務所である。
 「いまは半分以上が空き部屋だ。みんな薬の実験で殺された」
 とはいえ、また数ヶ月も経てば部屋が埋まるという。これまでも年に一人か二人は入れ替わりがあったそうだ。
 「狂ってる。人の命を何だと思ってるんだ」
 「言ったろ、俺たちはモルモットだって。死ぬまで……違うな、死んで灰になるまで解放されないんだよ」
 生まれの不幸というにはあまりにも不憫すぎる。雅人は霧子だけでなく明たちも助けてやりたいと思った。
 「霧子の部屋は奥から二番目の……おっ?」
 霧子の部屋の前を伸二が陣取っていた。変解こそしていないが腰を落とした警戒態勢で、ピリピリと周囲に神経を張り巡らせていた。
 「明、春樹から離れろ!」
 伸二から先に声をかけてきた。どうやらまだ雅人のことを春樹だと思い込んでいるらしい。
 「いい加減にしろ。こいつは鬼頭だ、春樹じゃない」
 明が説得を試みるも、
 「なんでそんな奴の味方すんだよ。霧子は渡さないぞ」
伸二は全く聞き耳を持とうとしなかった。
 「しょうがない、俺があいつを押さえる。その間に鬼頭は霧子を連れ出してくれ」
 明は変解のために身構えた。
 「待った。そもそも僕が林で押さえ込んだのが原因かも。あれでいじめられていた時のことを思い出したとか」
 「そんなお人好しな。先に襲ってきたのは伸二の方だろ?」
 「そうだけど、精神的に弱ってる人に理屈は通用しないよ」
 「だからってどうするつもりだ? モタモタしてると片倉が何か仕掛けてくるぞ」
 「わかってる」
 雅人は明よりも一歩前に出た。それを見た伸二は、警戒と緊張で息を荒げた。
 「は、は……春樹なんて、怖く、ないぞ」
 雅人は変解を解き、伸二の前でおもむろに胡坐をかいた。さらに胸のところで腕を組み、手を出さないことをアピールした。
 「僕は君と争う気がない。話をしたいんだ」
 「う、嘘だ。いつも殴らないって言って殴るじゃないか」
 「僕は春樹じゃないし、君を殴りもしない。信じられないなら手足を縛ってくれてもいい」
 「うぅ……」
 伸二は雅人の顔を恐る恐る覗き込んだ。雅人はその対応に迷った。目を逸らせば後ろめたいことがあると誤解され、逆に合わせれば怯えさせてしまいそうだ。
 「ぅあ……は、はる……き……?」
 下手に動くと伸二を興奮させてしまう。まさに野生動物を相手にした状況。結論として、できるだけ目線を合わせないよう遠くを見つめ、伸二の方から話しかけてくれるのを待つことにした。
 「でも、でもお前、霧子をどっかに連れてくんだろ?」
 「うん。ここを出て、安全な場所に行く。だけどそれは霧子だけじゃない。きみも太一も明も一緒だ」
 「は?」
 雅人の予想外の発言に、明が口を挟んだ。
 「俺たちはいいって。普通の生活はとっくに諦めてる」
 「望んで諦めたわけじゃないだろ。外には荒神に詳しい人たちがいるし、君たちの面倒ぐらい僕が見るよ」
 「知り合って半日の俺たちに、どうして良くしてくれるんだ?」
 「見捨てたら寝覚めが悪そうだから」
 雅人は照れ臭そうに笑った。
 「気持ちは嬉しい。だが俺たちにはもうひとつ、一緒に行けない理由があるんだ」
 明は悔し気に視線を落とした。
 「俺たち三人の頭にはチップが埋め込まれている。ちょっとアプリをいじるだけで、そこから電気が流れるんだよ」
 変解状態での逃走や反乱を防ぐために埋め込まれたものであり、寝たきりの霧子にはその処置が施されていないという。
 「それを取り除くにはどうしたらいい?」
 「さぁな。片倉なら何か知ってるはずだが」
 つまり片倉ともう一度会わなければならない。場合によっては明たちと共に連れ出すことにもなるだろう。帰りは夏華と二人で人知れず消えるつもりだったが、想定外の大所帯になりそうだ。
 「まぁ何にせよ、僕は君たちを助けたいと思ってる。信じてくれないか?」
 伸二は獣さながらにグルルと唸った。彼なりに色々と考えているに違いない。雅人は辛抱強く返事を待った。
 およそ二分後……
 「わかった、信じる」
 伸二はそう言って、病室のドアを開けた。
 「ったく、それだけ言うのに何分かけてんだよ」
 明は呆れながらも、伸二が理解を示してくれたことを喜んだ。
 「じゃあ早いとこ運び出そう」
 明が病室へ入る。雅人と伸二も続いた。いよいよ霧子と対面である。ここまで容姿はもちろん年齢も聞いてこなかったが、果たしてどんな女性なのか。
 「!?」
 雅人は霧子を見て息を呑んだ。年齢は雅人と同じぐらい。誰もが認める端正な顔立ちをしている。雅人が生まれて初めて見惚れた伏見にも匹敵するだろう。美しさという一点のみに絞れば、人懐っこく動物的なかわいらしさを併せ持つ彼女より上かもしれない。細く長い黒髪と、静かに寝息を立てる姿が余計にそう思わせる。もちろん実際に話してみないとわからないが、霧子からは軽々しく人を寄せ付けない孤高の美が感じられた。
 「どうした、鬼頭?」
 棒立ちする雅人に明が声をかけた。
 「え? ……あ、ごめん、何でもない」
 雅人はかぶりを振って、目の前の問題に集中した。
 「とりあえず背負えば運べそうかな」
 背負った霧子は想像以上に軽かった。長期の寝たきり生活で、最低限のエネルギーしか摂取していないからか。
 「んぐっ!」
 首筋に寝息がかかった。キャンディのような甘い香りが全身をくすぐる。雅人は力が抜け、膝が震えそうになるのを必死に堪えた。
 「重いなら代わろうか?」
 「い、いや、全然大丈夫」
 思春期の少年にとってこれほど強烈な毒はない。しかし霧子と兄妹に近い関係の明は、雅人が何に耐えているのかわからなかった。
 「こういうことは太一が……って、そういえば見かけないな。伸二、あいつどこ行った?」
 「わかんない。鬼頭と明を運んだ後、大人に連れてかれた」
 大人というのは片倉の助手か警備員のことだろう。
 「こんな夜中に治験をやるはずがない。嫌な予感がする」
 明は太一の身を案じた。
 「あ~あ~、テステス。ぴん、ぽん、ぱん、ぽぉぉ~ん!」
 まるで不安を煽るタイミングを計っていたかのように、片倉の声が壁のスピーカーから流れ出した。
 「業務連絡です。明くん明くん、いますぐ鬼頭さんを連れて、東の第一駐車場まで来てください。ぬふっ、無視したら太一くんが大変なことになりますよ」
 片倉は声も口調も、聞く者の神経を逆なでした。付き合いの長い明はともかく、出会って間もない雅人ですら一言で不快になったのだからかなりのものだ。
 「あの野郎、まだ何かするつもりか」
 「僕を呼んでるってことはそうなんだろうね」
 「ヤダよぉオレ。もう片倉なんて見たくない」
 伸二は半泣きで片倉との再会を拒んだ。
 「太一を置いていくわけにもいかないだろ」
 わざわざ館内放送で呼び出すということは、雅人を捉える準備が整ったに違いない。武器や警備員は当然として、何か切り札となるものも取り揃えているはず。加えて明たちの頭に埋め込まれたチップの問題もある。油断すれば足元をすくわれるだろう。
 「やっぱり最初の予定通り、お前と霧子だけで逃げた方が。俺たちが囮になって時間を稼ぐから、その間に……」
 明の心は霧子を守りたい気持ちが半分、片倉からは逃げられないという絶望感が半分だった。太一と違ってなまじ正常な思考ができるだけに、片倉から受けた苦痛と屈辱が身体に染みついているのだ。
 雅人は明のこの弱気が気に入らなかった。同時に、原因を取り除いてやりたいとも思った。
 「僕に任せろ。この会社をぶっ壊してでも君たちを守る」
 できるだけ隠密に事を運ぶつもりが、いつの間にか夏華の思い通りに。源二の血を回収する必要がなくなった以上、暴れたところで雅人にはデメリットしかないのだが。義理人情とはよく言ったものだ。
 「オ、オレだってやるぞ」
 伸二が自分を奮い立たせる。が、その割には膝が笑っていた。意外にも雅人を気遣っての発言だった。どうやら片倉への恐怖心から、雅人を切られてはならない蜘蛛の糸だと認めたようだ。
 「ありがとう。でも例のチップが外れるまでは危険だ。伸二にはその後でがんばってもらうよ」
 雅人は優しく声をかけた。
 「ん、わかった」
 素直な返事。敵意は微塵も感じられなかった。先ほどまでは怯えていただけで、いまの状態が伸二本来の性格なのだろう。
 「さて、太一を助けに行こう」
 四人は伸二を先頭にエレベータへ向かった。

【十月二十八日 午前四時二十分 第一駐車場】
 サッカーでもできそうなほど広々とした駐車場。一般的な乗用車は見当たらず、代わりに物々しい装甲車と厳つい警備員たち、それに非常時でもなければ使い道がなさそうな巨大照明が、半円型の陣形を組んで待ち構えていた。また、半円のちょうど中心部では、片倉ほか数名の学者が太一のそばで何かを記録していた。
 「片倉!」
 明の声に気付いた片倉は、不快感満載のいやらしい笑みで一行を迎えた。
 「ぬふふ、来てくれないんじゃないかと心配しましたよ、いやホント」
 「太一を置いて行けるか。言われた通り来てやったんだから解放しろ」
 「いやいや、来たら解放するなんて一言も言ってませんよ」
 片倉は一戦交える気まんまんだ。先ほど雅人から本物と紛い物の違いを見せつけられたにもかかわらず、この自信はいったいどこから来るのか。
 「それよりあなたが逃げたせいで、薬の実験ができませんでした。代わりに太一君に試してもらいます」
 明よりも雅人の方が驚いた。
 「なっ!? 血の在庫はもうないって……」
 「ええ、最後の一回分です。だから徹底的に改良を加えました。あなたを倒し、その血で研究を再開するためにね」
 片倉は太一の首筋に注射を打ち込んだ。
 「まぁ細胞が異常増殖するんで、これ打ったら半日も生きられませんがね、いやホント」
 「おい馬鹿、やめろ」
 明の懇願空しく、青黒い薬液が、一瞬にして太一の体内に流れ込んでいく。
 「ごっ……ごぁぁぁああああぁあぁあぁぁぁー!」
 太一は自らの両肩を抱いて震え始めた。そして膝から崩れ落ち、荒い呼吸と悲痛なうめき声を交互に漏らした。
 「お、おい、しっかりしろ」
 「太一!」
 見かねた明と伸二が太一に駆け寄った。ところが二人の手が触れる、その直前、太一の身体は急激に膨れ上がった。元々二メートル越えの巨体が二倍、三倍とさらに膨張。それも琢磨のようなブヨブヨの水風船ではなく、固く隆起した筋肉の塊だった。
 「太一、だいじょ――」
 明の声が途中でかき消された。いきなり巨大な壁のようなものが、右から左に高速でスライドしてきたのだ。
 「ぐぁっ!」
 壁はスピードもさることながら、威力もすさまじかった。雅人はあまりの速さに避けきれず、ほんの少し右肩が触れてしまった。だがこれだけで弾き飛ばされ、高さおよそ五メートル、距離は十メートルほど宙を舞った。それからアスファルトの地面に激突。咄嗟に変解する余裕もなく、人の姿のまま、列車にでも轢かれたような衝撃を味わった。
 「うぐっ……」
 全身打撲に加え右肩を脱臼。左足も不自然な方向に曲がっていた。だがこんなダメージは鬼の力でどうとでもなる。それより仲間たちの様子が気になった。背負っていた霧子は? 雅人よりも壁に近かった明と伸二は?
 霧子はすぐ近くにいた。頭から落下したのだろう。額が割れ、出血がひどい。早急に治療をしなければ命に係わるかもしれない。
 「明、霧子がマズい。どこか安全な……?」
 日の出にはまだ時間があるものの、設置された照明のおかげで視界には困らなかった。
 壁だと思ったものは、巨大化した太一の左腕だった。全長三十メートル前後といったところか。まるで特撮怪獣だ。
 片倉は首尾よく安全な場所まで離れ、警備員に守られながら様子を伺っていた。どうやら薬の効果に興奮している様子だ。
 明と伸二の姿が見当たらない。嫌な予感が脳裏をよぎる。雅人は身体の痛みも忘れ、先ほどまで彼らがいた辺りを注意深く確認した。すると少し離れた場所に二人の靴が転がっているのを発見。しかしさらに目を凝らしてみると、それは脛から上を失った足部だった。
 「グゥゥゥーーーレイトッ! いやホント、スーパー太一くんの強さはホンモノですね」
 片倉は小躍りしながら太一を称賛した。
 「何があったんだ」
 「ぬふっ、太一くんが腕を動かしたんですよ。明くんと伸二くんはそれに巻き込まれ、バラバラに飛び散ってしまいました」
 雅人の頭から血の気が一気に引いた。ほんの数分前まで目の前にいた仲間が消えた。最初から友好的だった明だけじゃない。ようやく心を開いてくれた伸二にももう会えないのだ。友と呼べるほど親密になるのはこれからだったが、雅人の心は喪失感や無力感といったネガティブな感情に締めつけられた。
 「さぁ太一くん、次は鬼頭さんです。ジュースみたいに全身の血を搾り取ってください」
 感傷に浸る余裕すらも与えられない。腕に乗った蚊を叩き潰すかのように、太一の巨大な手が空から迫る。しかもその巨体からは想像もつかないほど速い。変解して折れた左足を治して霧子を抱えて逃げる、どう考えても間に合わない。万事休すか。
 「くっ、こんなところで」
 僕は終わってしまうのか。雅人は俯いた。恐怖感からではない。青ヶ島まで来ておきながら何もできなかった自分が情けなく、ただただ悔しかったのだ。
 照明で照らされた地面を影が覆う。太一の手が、雅人を頭から押し潰す……直前で止まった。
 聞き覚えのある声が空から。
 「ここまでだな」
 見上げると、変解した芝浦が、雷の綱で太一を捕らえていた。
 「芝浦さん!? どうしてここに?」
 「お前の付き添いだ。最後まで隠れているつもりだったが、この状況ではそうもいかなくなった」
 雅人はこの芝浦廉介という男がわからなかった。駐車場では殺意のこもった力試しを仕掛けてきたくせに、なぜいまになって危機を救いに現れたのか。わざわざ離れ小島まで同行して見守っていたというのか。
 気持ちが顔に出ていたのだろう。芝浦は雅人が何も言わずとも疑問に答えてくれた。
 「俺は上の命令で動いている。お前個人には情も恨みもない」
 「よ、よくわからないけど、ありがとうございます」
 芝浦の登場に驚いたのは雅人だけではなかった。空から巨人を押さえつけるその姿に警備員たちはざわつき、鬼以外の荒神を初めて目にした片倉は狂ったように興奮した。
 「あれだけ探しても見つからなかったのに、まさか二人も来てくれるなんて! 今日はなんてラッキーデー!」
 それから片倉は拡声器を手に取り、太一と警備員に檄を飛ばした。
 「太一くん、そんなヒモ早く切ってしまいなさい。警備の皆さんは鬼頭さんを。手負いのいまなら数の暴力で押せますよ」
 警備員の数は三十名弱といったところ。誰も盾と警棒で武装している。人体実験をやるような外道企業のクセに、銃刀法は律儀に守っているところが小賢しい。
 「学者が言ったように、こっちのデカい奴はもう助からない。手が付けられなくなる前に仕留めた方がいい」
 芝浦は魚釣りの要領で綱を巧みに操り、もがく太一の勢いを殺していた。
 「あとは俺に任せて下がっていろ」
 「待ってください。僕にやらせてもらえませんか」
 「その怪我で戦えるのか?」
 雅人は不敵に笑った。
 「脳筋は伊達じゃありませんよ」
 変解すれば鬼の超回復力で、一分とかからず完治するだろう。
 「みんなを救うとか言って何もできなかった。その罪滅ぼしってわけじゃないけど、僕が太一を楽にしてあげたいんです」
 雅人なりのけじめだった。
 ふいに芝浦の口角が上がった。雅人の決意に何か思うところがあったのだろうか。
 「わかった。なら俺は、そこの女を安全な場所に」
 「お願いします」
 芝浦は雷の綱を解除し、地上に降りた。そして霧子を抱き上げると、再び空に飛んだ。
 「グゥゥー、フゥゥー」
 解放された太一は息を切らしていた。もがき疲れたというより、そもそも巨体の維持に無理があるようだ。顔や首筋から浮き出た血管が痛々しい。それでも雅人を捕らえようと手を伸ばしてくる。その速さは先ほどまでと変わらず、むしろ荒々しさを増していた。
 「変解!」
 雅人は叫び、無傷の右足で後ろに飛んだ。刹那、雅人がいまいた場所を太一が殴打。アスファルトの地面に深さ一メートルほどの窪みができた。一撃でこの破壊力である。避けなければ雅人といえど、ただでは済まなかっただろう。
 「……さて」
 鬼となった雅人は太一を見上げた。骨折や脱臼は、跳躍から着地した時点で回復している。
 「太一、ごめんな」
 明と伸二を守れなかったこと、ここから救い出してやれなかったこと、これから命を奪うこと、雅人は様々な想いを込めて謝罪した。心を亡くした太一には恐らく届いていないだろう。所詮は自己満足の独りよがり。雅人の失態が招いた事態でもなく、罪悪感を抱く必要すら本来はない。しかし気持ちを整理するためにも謝っておきたかったのだ。
 太一が再び動き出した。腕を振り回し、拳を叩きつけ、足で踏みつける。どれも無造作で戦略のかけらもない攻撃だが、大きさと素早さだけで十分に脅威だ。少しでも回避をしくじれば、その時点で終わる。
 「いいですよー! 遠慮なく叩き潰しちゃってください」
 片倉が拡声器越しに煽り散らす。太一の目に光はない。少年の命令で動くロボットのように、忠実に片倉に従うだけだった。
 「一撃で終わらせる」
 雅人は太一の攻撃をかわしながら、右手に意識を集中させた。手のひらを開き、指先と爪を立て、慎重にタイミングをうかがう。
 やがて太一が左拳を地面に突き刺し、首筋を無防備にさらした。
 「そこっ!」
 右から左へ。雅人は立てた爪で、目の前の空間を横一直線に引き裂いた。
 太一の動きが止まった。いまのいままで無計画に暴れていたのに、いきなりピクリとも動かなくなった。
 突然の出来事に片倉の歓声も止み、全員が太一に注目した。
 二秒後、太一の首から上が前にスライド。身体から離れ、地面に落下。砂塵を巻き上げ、地面を揺らした。
 「ほぅ、鬼の爪か」
 同じ荒神である芝浦だけが、この状況を理解していた。神気を込めた爪で空間を切り裂く技。苦手な神術が身体能力で補えるため、鬼が好んで使ったことから名付けられたという。これで太一の首を切断したのだ。
 続いて、太一の身体が前のめりに傾きだした。三十メートルの巨体は、上から覆いかぶさるだけで脅威となる。
 「たた、たいひぃぃー! 避けないと死にますよ!」
 片倉たちは慌てふためき、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。
 ところが太一の身体は、地面に到達する前に消えてしまった。倒れながら全身を業火に焼かれ、骨まで灰になったのだ。むろん、雅人の鬼火がしたことだった。
 「お前たちには渡さない」
 『死んで灰になるまで解放されない』と明は言った。遺体を残しておけば、片倉たちが悪用しただろう。供養の意味でも燃やして正解だったはずだ。
 「ぬふっ、やってくれましたね……」
 片倉の肩が小刻みに震えた。
 「警備の皆さん、こうなったら死ぬ気で鬼頭さんをとら――グエッ」
 雅人は片倉に急接近し、胸ぐらを掴んで左手一本で持ち上げた。
 「お前のせいでみんなが……」
 雅人は右の拳を握り締めた。
 「待て、鬼頭!」
 芝浦が険しい表情で空から降りてきた。
 「女の様子がおかしい。そいつを殺す前に調べさせた方がいいんじゃないか?」
 霧子の顔は色白を通り越して土気色になっていた。呼吸も荒いうえに途切れ途切れで、いまにも息を引き取りそうだ。
 雅人は片倉の胸ぐらをさらに強く掴んだ。
 「おい、何とかしろ」
 「グェッ! し、しぬ……」
 片倉は手足をバタつかせた。
 「ち、血を流しすぎたんですよぉ。このままだと干からびて死んでしまうでしょう、いやホント」
 「ここなら輸血ぐらいできるだろ」
 「それがですね、霧子くんは人の血を受け付けないんですよ。先天的なものなのか、薬物実験の影響なのかはわかりませんがね」
 輸血も経口摂取も、小さじ一杯程度で重度のアレルギー症状を起こしたという。ずっと昏睡状態なのも、この体質のせいで体調を維持できないためというのが片倉の見解だった。
 「なら助からないと?」
 雅人は右拳の狙いを定めた。
 「ひぃぃー! ひ、ひとつだけ方法がありますぅぅ。血を全部入れ替えるんですよ、鬼の血に」
 「その根拠は?」
 「鬼の血だけは入れても問題なかったんです。在庫の関係上それほど使えませんでしたが。あと鬼と人の血を混ぜるから暴走するわけで、片方だけなら安定するはず」
 霧子の呼吸がさらに荒くなった。ほかの方法を模索している暇はない。一か八かに賭けるしかなさそうだ。
 「わかった。じゃあ僕の血を使え」
 芝浦が口を挟んだ。
 「待て。どれだけの血が必要か、わかっているのか?」
 人の体内には体重の七パーセント程度の血液があり、これを三十パーセント失うと生命に危険が及ぶと言われている。身長差などを計算するまでもなく、一人で賄うのは不可能だ。
 「頑丈な鬼なら何とかなりますよ」
 雅人は骨折ですら一分で治した自分を信じた。
 「さっきの巨人もだが、お前がそこまでしてやる義理はないと思うが?」
 優しさや正義感からではない、と雅人は答えた。
 「自己満足というか、意地? 格好つけてここまで来たクセに何もできなかったのが悔しいんですよ」
 芝浦は意地のために命を張る雅人の愚かさに興味が沸いた。
 「俺に手伝えることは?」
 もし二人分の血が使えるなら、安全性は格段に跳ね上がるだろう。しかし雅人と芝浦の血が適合するとは限らない。霧子の状態から考えると、それを調べる時間すらもなかった。
 「片倉たちが僕の血を奪わないよう見張ってくれませんか。僕はたぶん出血多量で動けないと思うので」
 芝浦は雅人に微笑みかけた。
 「ああ、任せろ」


【???】
 暗い。己の指先すら見えず、果てがどこなのかもわからない闇。上も下も、右も左も、前も後ろも、黒一色に染まっていた。
 決して目が潰れたわけではない。その証拠に、何か形あるものが徐々に近づいているのが見える。
 十秒? 一時間? 一日? 年単位かもしれない。雅人はその何かが目の前にくるまで待ち続けた。どれだけ待っても飽きることはなかった。
 何か、は霧子だった。周りは暗いが、彼女の姿だけははっきりと見えた。下着を含め、何ひとつ身に纏っていない。それは雅人も同じだった。
 霧子が両手を広げた。雅人も彼女に倣い、二人は抱き合った。どちらからともなく溶けて混ざり合い、そしてひとつとなった。
 光が広がり、闇が晴れた。

【十月二十九日 午後三時 青ヶ島民宿『はまじ』】
 雅人は民宿の客室で目覚めた。かなり長い時間眠っていたのか、布団のシーツが皺だらけだ。
 上半身を起こして周囲を見回すと、夏華が座卓に身を乗り出して談笑していた。話し相手は背を向けているが、どうやら女性のようだ。
 「夏華」
 夏華はすぐに雅人に気付いた。
 「あっ、ようやっとお目覚めだね。おはようアンドお疲れさま」
 寝起きで頭がはっきりしない雅人は、自分が宿泊先の民宿にいることを理解するのに十秒ほど要した。
 「輸血の途中から記憶がない」
 「昨日の朝、芝浦さんが連れてきたんだよ」
 少なくとも一日半は寝ていたようだ。
 「芝浦さんは?」
 「先に帰るって。若サマも元気になったら、例のISなんたらってトコに来てほしいってさ。用事あるみたい」
 夏華の声を聞いているうちに意識が覚醒していく。同時に、いままで感じたことのない感覚が脳内を満たした。
 「な、なんだこれ!?」
 右半身と左半身が全く別の景色を見ているようで気持ちが悪い。加えて白い壁、自分を取り囲む白衣の集団、注射器など、体験した覚えのない記憶がまとめて流れ込んできた。
 「う、うぁ……」
 雅人は頭を抱えてうめき声をあげた。
 「ちょっ、大丈夫!?」
 突然の変化を目の当たりにして戸惑う夏華。見れば彼女の談笑相手だった女性も同じように苦しんでいた。
 「と、とりあえず女将さん呼ぶね」
 「いや……もう大丈夫」
 若干の息切れを起こしながらも、雅人は顔を上げた。
 「初めての感覚に脳みそが驚いただけ。もう慣れたから大丈夫だ」
 「慣れたって何にさ?」
 雅人は女性の方を向いて声をかけた。
 「霧子も大丈夫だよな?」
 女性が振り返る。
 「はい、問題ありません」
 霧子はその整った容姿に見合う、透明感のある声をしていた。
 二人は目を合わせて微笑んだ。
 「わっけわからん! 二人だけで良い雰囲気作ってないでさ、アタシにも説明してよ」
 夏華は冗談交じりに憤慨した。
 「どうやら僕たちは、記憶や感覚なんかを共有することになったらしい」
 「サッパリわからん」
 「私が見たり聞いたりしたことが、遠く離れた雅人さんにも伝わるんです。もちろんその逆も」
 雅人と霧子は実質初対面ながら、挨拶も自己紹介も必要なかった。わざわざ話さずとも、自分の全てが相手に伝わっているのだ。自分が二人いるようなものか。ただしゲームのように一人で二人分の操作を行うわけではなく、思考能力や感情は個別に持っている。極論すれば共有を拒絶することも、喧嘩別れして二度と会わないことも可能である。
 これは恐らく血を分けたことが原因と思われるが、科学的に証明できるものではない。荒神の専門家であるISOでも、この現象を知る者は果たしてどれだけいることか。
 一通りの説明を受けた夏華は軽く顔をゆがめた。
 「それってかなりキツくない?」
 「慣れれば別に何ともないよ」
 「いやだってさ、若サマが一人でハァハァしてるトコ見られちゃうんだよ?」
 「誰がするか!」
 
【十月二十九日 午後八時 青ヶ島民宿『はまじ』】
 雅人が意識を取り戻したため、一行は明日の昼頃に帰ることに決めた。芝浦が睨みを利かせてくれたのか、いまのところ神保製薬は手を出してこない。しかし研究のためにはモラルも人権も無視する連中である。この島に長居すれば、再び襲ってくるに違いない。
 夜。夕食を終えて間もなく。夏華は宿の女将とすっかり仲良くなり、いまは居間に呼ばれて茶飲み話に花を咲かせている。客間に残された雅人と霧子は、窓辺で何気なく外の景色を眺めながらくつろいでいた。
 「霧子、調子はどう?」
 意識は繋がっているが、積極的にお互いの心の内を探るつもりはなかった。できるだけ会話を楽しみたく、またそうする方が無言で気持ちを通わせるよりも自然だからだ。
 「以前よりずっと元気なぐらいです」
 霧子は敬語を崩さなかった。元から誰にでも同じ口調とのこと。
 「鬼の血のせいで、どこかがおかしくなったりは?」
 例えるならアルコール度数の高い酒を薄めず、静脈に直接打ち込んだようなものだ。人間の血と混ざらない限りは平気という片倉の見解は当てにならない。いくら緊急事態とはいえ、いまにして思えばかなり無謀な賭けだった。
 「それもありません。異様な眠気も消えています」
 人と荒神の中間という不安定な状態では、エネルギーの消耗が激しかった。にもかかわらず、体質的に他人の血を受け付けない霧子は補給が追いつかず、できるだけ消耗を避けるために深い眠りに落ちていたとされる。その眠気が消えたということは、逆に考えれば身体のバランスが安定した、完全な荒神になったと見て間違いないだろう。
 「荒神になったことはともかく、無事でよかった。きみまで助からなかったらと思うと、気が気じゃなかったんだ」
 霧子は悲しげに目を伏せた。雅人の言葉で明たちを思い出したのだろう。
 「ごめん、僕が神保製薬に押し入らなかったら、みんなはいまも静かに暮らしていたかもしれない」
 「謝らないでください。私たちは実験のために生かされていただけです。死んだ方がマシといつも思っていました」
 霧子は本音で答えた。明たちと最後の別れができなかったことは心残りだが、それは雅人のせいではない。むしろ雅人がいなければ、霧子は眠ったままゆっくりと肉体が朽ちていったはず。だから感謝こそすれ、恨みなど抱きようがなかった。
 二人は再び窓の外を眺めた。辺りは暗いが、空の星のおかげで真っ暗闇というほどではない。遠くにうすぼんやりと、月明かりに照らされた海が見える。何も考えず、悲しい思いを晴らすにはこれで十分だった。
 しばらくして……
 「そうだ、今後について話しておかないと」
 ふいに雅人が沈黙を破った。
 「当面の生活費と戸籍は用意する。まぁ戸籍は偽造になるけどね。ほかに、例えば島を出てからやりたいことなんてあるかな? もしもう決めてあるならサポートするよ」
 島から出しただけでは、本当の意味で助けたことにならない。霧子には戸籍もなければ、頼れる知人もいないのだ。
 「それなんですが、鬼頭組に置いていただくことはできませんでしょうか?」
 「組に?」
 意外な頼みに雅人は驚いた。
 「ウチはヤクザだよ? いまどき好き好んで入るもんじゃない」
 霧子は物心つくころに神保製薬に引き取られ、以来この島に軟禁されていた。そのため、とある研究の過程で様々な知識や教養を身につけはしたが、実体験で言えば買い物ひとつしたことがなかった。
 せっかく神保製薬から解放されたのだから、これからは普通の生活を送ればいい、と雅人は思う。しかし霧子は頑なにその道を拒んだ。
 「ずっと檻の中にいたので、普通の生活の良し悪しがわかりません」
 「僕が言うのも何だけど、ヤクザになるよか断然いいって」
 「それより少しでもあなたのお役に立ちたいです」
 「むぅぅ……」
 なまじ意識が繋がっているだけに、雅人は霧子の説得が無駄であることをすぐに理解した。雅人に多大な恩義を感じているのもあるが、ほかに頼る当てがないという不安感が、その必死な想いに拍車をかけているようだ。
 「わかった。じゃあひとまず組員ではなく、家政婦とか家事手伝い的な扱いで」
 「ありがとうございます」
 霧子の表情がぱっと明るくなった。いままでの暗く陰のある美しさとは違い、年相応のかわいらしい笑顔だった。
 その笑顔に雅人は心を奪われかけた。だが高ぶる気持ち以上に、こちらは年相応の照れ臭さが溢れ出し、霧子と繋がった意識を大慌てで遮断した。
 「急にどうしたんです?」
 「な、何でもない! 気にしないで!」
 心臓が激しく鼓動し、胸が苦しい。日に焼けたように顔が熱く、額から汗が止まらない。
 「……大丈夫ですよ。私も、同じ……ですから」
 霧子が小声で囁いた。
 「えっ!?」
 意識の遮断は間に合わなかったようだ。
 「親兄弟でも、ここまでの繋がりはありません」
 「そ、そうかも……だけど……」
 雅人の緊張は最高潮に達していた。理解できない恐怖。童貞の戸惑い。霧子から目を背けたい。しかし身体が言うことを聞かない。
 「私は、あなたの……」
 気が動転しすぎて肝心の部分が聞き取れなかったが、全肯定であることは間違いなかった。
 「うん。わ……わかった」
 雅人は意を決し、霧子の肩に手を伸ばし――
 「たっだいまー! お菓子もらってきたよー」
 夏華が元気よく客間に戻ってきた。
 雅人は両手を広げたまま固まった。
 霧子は夏華に表情を読まれないよう、顔を窓の外へ向けた。
 「……はれ? 何やってんの?」
 古典的すぎる幕切れ。そして翌日を迎えた。

【十月三十一日 午前十一時 ISO本部オフィス】
 「すみません、芝浦さんの手までお借りしたのに、いただいた情報を生かしきれませんでした」
 前回と同じ応接室。雅人は伏見と芝浦に会うと、挨拶もそこそこに謝罪した。
 「謝るのはこちらの方です。材料切れが近いことまで調べていれば、あなたを危険な目に遭わせることもなかったはず」
 伏見は一連の経緯を芝浦から聞いていた。
 「霧子さん、でしたか? 一人だけでも助けられて良かったと思います」
 伏見はそのうち霧子との面会を希望しそうだ。早ければ次回にでも。それについては断る理由がない。しかし雅人は、霧子と意識が繋がっていることは秘密にしておこうと思った。ISOも伏見も信用に値するが、身内ではなく、あくまで協力関係を結んでいるだけである。聞かれてもいない手の内をわざわざ明かす必要はない。
 雅人は霧子の話題から離れるため、今日の本題について切り出した。
 「少し早いですが本題に。こちらにお邪魔するよう、芝浦さんから伝言をいただいたんですが?」
 「その件については鬼頭、まずお前に謝らなければならない」
 芝浦はこれまでの冷静な態度から大きくかけ離れ、苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。
 「お前の血は渡さなかった。だが片倉とかいう学者には逃げられてしまったんだ」
 「なんと!?」
 輸血が終わる間際、ビルの外壁を破って乱入してきた者が、片倉を連れ去ったという。
 雅人は片倉に逃げられたことより、芝浦が後れを取ったことの方が気になった。
 「もしかして、その乱入者ってのも荒神ですか?」
 「それを一からご説明するために、本日はお越しいただきました。少し長くなりますがお聞きください」
 伏見が落ち着いた声色で答えた。彼女も芝浦同様、これまでの柔和な笑顔ではなく、多少こわばった真剣なまなざしをしていた。
 「名前はヒルコ。我々が長年追い続けている敵です」
 ヒルコははるか大昔、荒神が人間に崇められていた時代から生き続ける存在である。日本神話に登場する蛭子(イザナギ神とイザナミ神との間に生まれた最初の子)と同一、つまり神であるという説もあるが、詳しいことはわからない。ただ、実際に芝浦の前に現れたそれは、人や荒神の争いを楽しむために世を荒らす、掛け値なしの悪である。
 ヒルコの厄介な点は不死身であること。いかなる環境下、いかなる攻撃にも耐えられるという。しかし手足がなく、荒神の身体に寄生しないと活動できない。宿主から長時間離れる、あるいは宿主自体が力尽きると、エネルギー不足で石化する。その隙に封印するのが唯一の対抗手段だった。
 「ですがヒルコは頭が切れ、他人を操る能力に長けています。いくら封印を施しても、そばに近づいた者を言葉巧みに騙し、逃げてしまうのです」
 ISOは現在の組織形態になって百年ほどだが、それよりも前から荒神たちは徒党を組み、封印と逃走のイタチごっこを繰り返してきたとのこと。
 「近年で最も大きな騒動は二十年前、京都でありました。数少ない荒神の集落が犠牲になったんです」
 「荒神の集落?」
 「その話は俺からしよう」
 芝浦は不機嫌なままだったが、その矛先はここにはいない相手に向いていた。だから雅人たちに八つ当たりするでもなく、静かに淡々と語り始めた。
 彼の一族である烏天狗は、過去に起きた人間との争いの結果、人里離れた地に隠れ住む道を選んだ荒神だった。そのため数百年経った現在も血が途絶えることなく、そこそこの人数を維持したまま、地図にも載らない京都の山奥でひっそりと暮らしていた。
 ところが二十年前、この隠れ里に招かれざる客がやって来た。見た目は年老いた老人。だがその正体は、鬼の身体を乗っ取ったヒルコだった。
 ヒルコは里に着くや否や、住民を次々と惨殺。老若男女、逃げる者も抵抗する者も等しく、鬼の腕力でもって蹂躙した。
 芝浦は当時五歳。彼と三歳になったばかりの妹が、里の最年少だった。二人は母親に抱きかかえられ、自宅の地下室に身を潜めていた。しかし、所詮はただの民家。城のように身を守る仕掛けがあるわけでもなく、容易くヒルコに見つかってしまう。
 ヒルコはまず、身を挺して子を守る母親の首を引きちぎった。それから妹の方を見て、いやらしく満面の笑みを浮かべた。
 「ヒルコは『見つけた』と言った。どうやら最初から妹が目当てだったようだ」
 天狗は元から神気に優れているが、妹の弥子は幼い子供ながら、変解した大人たちを軽く凌駕するほどの力を具えていた。術を使いこなすことができれば、間違いなく最強の荒神になると言われていた。ヒルコはどこかでこの噂を聞きつけ、使い古した鬼に代わる新たな器として、弥子を奪いに来たのだ。
 芝浦は動けなかった。目の前で母親を殺されたショックと、文字通りの化け物と対峙した恐怖で、全身が硬直していた。
 ヒルコの方も目当てに夢中で、無力な少年など眼中になかったらしい。弥子を頭から掴むと、芝浦を無視して立ち去った。
 事件から三日後、連絡が途絶えた里の様子を伺いに、ISOの職員が来訪。唯一の生存者である芝浦を保護した。
 「あの日以来、俺は鬼に殺意を抱くようになった。俺が見た鬼は単なる器で、憎むべきはヒルコだと頭では理解している。だが稀に、感情の抑えが利かなくなる時があるんだ」
 雅人は力試しという名の可愛がりを受けた理由をようやく理解した。
 「迷惑すぎる……」
 ついでに思わず気持ちが漏れてしまった。
 「力試しをしたかったのも本心だ。あの程度で駄目になるようなら青ヶ島へは行かせなかった」
 そう言われては芝浦を恨む気にはなれない。青ヶ島では命を救われたから尚更だ。
 「じゃあ僕は合格だったと?」
 「不合格に近い保留だった。だがお前が巨人や女の面倒を見ると言った時に見直したよ」
 確かにあの時から芝浦の態度が変わった。なかなかに評価の厳しい先輩だと、雅人は心の中で苦笑した。
 「話の流れでもうひとつ、伝えておきたい真実がある」
 芝浦は軽く咳払いをし、それからまっすぐに雅人の目を見た。
 「お前の父親は病死ではない。ヒルコに襲われたんだ」
 「なっ!?」
 雅人は言葉に詰まった。ここにきて源二の、それも死因について聞かされるとは。
 「考えてもみろ。骨折ですら秒で治せる鬼が、病気ごときで死ぬわけがない」
 「そ、それは……親父は年寄りだったし、怪我と病気は別物だし……」
 「本人から聞いたところによると、奴の身体の一部らしきものを埋め込まれたそうだ。残念ながら外科手術では摘出できず、癌細胞のように身体を蝕んでいったらしい」
 源二の存命中、雅人は人間のままだった。だから鬼について源二から詳しく教わらなかったし、ましてやヒルコの存在など知る由もなかった。
 「そもそも親父はどうしてヒルコと関わり合いに?」
 「どうやら以前からマークされていたようです」
 源二は人間社会の裏側とはいえ、一代で日本の半分をまとめ上げた傑物である。世間に対する影響力は並ではない。そのため争いを好むヒルコにとっては、ISOと同じく邪魔な存在であったと思われる。
 「先ほど申し上げた二十年前の一件以来、ヒルコは姿をくらましていました。それを理由にするのは甘えになりますが、私たちも警戒を怠っていたと認めざるを得ません」
 専門家ともいえる組織が長い間発見できなかったのだ。ヒルコの方が一枚上手だったのだろう。
 「気になる点はまだあります。なぜヒルコのことを僕に隠していたんですか?」
 初対面の日、伏見が源二について話そうとしたところを、芝浦が強引に止めた。あれは話の流れから雅人にヒルコを知られるのを危惧してのことだった。
 「知らせた方が警戒して、余計なトラブルも避けられますよね?」
 「あなたの実力と性格を知るまでは、いたずらに刺激するべきではないとの判断でした」
 「弱いクセに敵討ちだ何だとイキり散らす奴だったらどうなる?」
 無駄死にするだけならともかく、芝浦たちの仕事も邪魔しかねない。組織というものを物心つく前から見てきた雅人はすぐに理解した。
 伏見は居住まいを正した。
 「改めてお願いします。ヒルコとの戦いにご助力いただけませんか?」
 雅人は考えをまとめた。ヒルコとまだ直接会っていないせいか、親の敵と言われても恨みの感情は沸いてこない。しかし片倉をさらったということは、確実に誰かを不幸な目に遭わせるはず。その誰かが自分の身内だとしたら……伏見の頼みを断る理由はなかった。
 「僕で良ければ喜んで」
 数ヶ月前まで喧嘩ひとつ経験のなかった自分が、まさか平和を乱す悪の化身と戦うことになろうとは。雅人は現実離れした急展開に、緊張と恐怖と興奮が混ざり合ったような気分になった。
 「頼もしい返事だ。では近日中にここへ行ってくれ」
 芝浦は一枚のフライヤーを雅人に渡した。
 「王拳法ジム、門下生募集中? 住所は……荻窪ですね」
 見たところビルの一フロアを借りた道場のようで、写真に写った師範は二十歳そこそこの若い男性だった。
 「王師範は中国武術をはじめ、あらゆる格闘技に精通している。お前のような素人でも確実に強くしてくれるぞ」
 雅人は伸二との一戦で夏華に語ったように、いずれちゃんとした戦い方を学びたいと思っていた。だから好都合な勧めではあるが、急に出てきた道場の話にいささかの怪しさも感じた。なぜこの近くではなく、わざわざ荻窪の道場なのか。実はISOの業務提携先であり、法外な月謝を支払わされたりするのではなかろうか。
 伏見が雅人の想いを察する。
 「ふふっ、警戒しなくても大丈夫ですよ、普通の道場ですから」
 「お言葉ですけど、普通ならここじゃなくてもいいような? 誰かの紹介で入会金が割引になるとかですか?」
 伏見と芝浦は顔を見合わせ、悪戯を企んでいるかのようにニヤニヤと笑った。
 「まっ、行けばわかるさ」
 この後は軽い世間話で終わった。伏見も芝浦も最後まで、道場について雅人に語らなかった。

(荒神3に続く)
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