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第2章 恋心と劣情の自覚
11話
しおりを挟む──これでアーノルドとキスをするのは二度目になる。
結婚式で唇同士がぶつかってしまった事故によるものとは異なり、羽根が触れるような優しい口づけだ。リディアは上唇をするりと滑らせ、アーノルドの唇の尖りと触れ合わせる。
そして少し膨らんだ下唇も、わずかに乾燥した彼の下唇に合わせて。リディアはアーノルドと唇の形を綺麗に重ねた。
「……っ、んっ」
密着した唇から漏れる湿った吐息のせいか、甘く痺れそうになる身体。リディアは硬直したアーノルドの肩に両手を乗せ、うっとりと目を細めた。一方のアーノルドは初めてキスをされた子供のようにぎゅっと瞼を閉じている。
この国の騎士は皆、屈強な精神の持ち主ばかりだと思っていたが、存外アーノルドは他人に流されやすい。
他の女性に誘惑されたら拒めないのではないかと一抹の不安を覚えてしまうが、そうならないように自分が護ればいい。
アーノルドを誰にも触れさせない、渡さない、渡したくないという独占欲が、じわじわとリディアの心を支配していた。
「んっ、んんっ」
気づかないうちに唇を強く押し付けていたのか、アーノルドが小さな呻き声を上げる。それでもリディアはキスを止めるつもりはない。自分の唇をアーノルドの粘膜に馴染ませるように、優しく擦りつける。
逞しい肩に乗せていた左手はアーノルドの右手に滑らせ、そっと指を絡めた。アーノルドは完全には握り返してはくれないものの、人差し指だけ折りたたんでくれている。
まるで本物の恋人同士のようだ。
懲りずにむにゅむにゅと唇を押し潰しあっていた最中、リディアが少しだけ意地悪するように上唇をちゅぅっと吸うと、赤面状態のアーノルドがついに音を上げた。
リディアの肩が押され、唇がちゅっとリップ音を立てて離れる。
「お、終わりだ! 長い!」
「え?」
「えっ、じゃない! もうこれで最後にしてくれ!」
アーノルドは顔を片手で隠しながら立ち上がり、足早に別邸の出口へと向かう。耳の先まで真っ赤に染めた彼の姿に胸を高鳴らせながらも、今度は追いかけることはしなかった。
無論、このまま逃がすつもりもない。
──可愛い可愛い、純情な騎士様。
次はいつ会えるのか。アーノルドのことでいっぱいだったリディアの頭の中に、邪な考えがふと差し込んだ。
***
叔母に頼まれた中庭の手入れを瞬時に終わらせ、リディアは急いで父のいる本邸へと戻った。
決心を下したリディアに、もう迷いはない。
侍女達に迎え入れられた玄関を抜け、大広間の更に奥へと向かう。客人がいるときを除いては、父は大抵公務で一人執務室に籠もっている。普段であれば自分から部屋を訪ねることはないが、リディアにとって今は緊急事態だ。
一刻も早く父に話をしておきたい。
「お父様……」
リディアは固く閉ざされた銀扉を中指で叩き、執務室の前で待機する。
が、しかし。いつまで経っても父は出てこない。リディアが首を傾げ、もう一度扉をノックしたそのときだった。
──ぁぁぁあああああっ!
分厚い壁の奥から妙な雄叫びが聞こえた。同時に響き渡る扉を破壊するような物音。なんとなく嫌な予感を察知したリディアがさっと部屋の前から退けた瞬間、暴風と共に扉が勢いよく開いた。
本やら家具やら吹き飛ぶ中、おまけのように部屋から転がってくる銀色の髪の青年。偽装結婚式以来一度も会っていなかったハリーが、なんとも言えない間抜けな姿でひっくり返っていた。
不意打ちの再会に、リディアは眉間に皺を寄せる。
「ハリー、貴様。よくも抜け抜けと顔を出せたものだな……?」
続いて執務室の奥から現れたのは、獣のように唸り声を上げるリディアの父だった。翳した掌には風魔法の名残りがぐるぐると蜷局を巻いている。
廊下の端にこっそりと隠れていたリディアには気づいていないようだ。
「あの、お父さ」
「落ち着けって、父さん! 俺はさぁ、ただ久し振りに可愛い息子の顔を見せに来ただけだってさ! 親孝行だよ、親孝行っ!」
リディアの声は、馬鹿丸出しの体勢をした弟の声に遮られる。
「ごめんなさい、はなしが」
「親孝行だと!? 貴様はどこまで馬鹿なら気が済むんだ! 先ほどの件と言い、どいつもこいつも手に負えない!」
今度は父親の怒声に遮られた。
リディアは口を半開きにしたまま、二人を交互に見やる。
このままでは一生、話を聞いてもらえない。
焦りに追われたリディアは、一歩前へと踏み出した。
「大体、許されようだなんて魂胆が気に喰わないのだ! お前は自分の立場を分かって……」
「お父様!」
リディアの張り裂けそうな叫び声が、父の声を遮る。父は驚いたように目を見開くと、廊下の隅に立っていたリディアに視線をずらした。
「リディア。なぜここにいるんだ。事が落ち着くまでは別邸にいるように言っておいただろう」
「私、お父様にお話したいことがあるのです」
「後にしなさい。今はハリーの後始末で忙しい」
リディアの父は碧眼の瞳をふと細め、床を這って逃げようとするハリーの首根っこを掴む。
このままでは話をしないまま、時が過ぎてしまう。できれば城で開かれる夜会までに事を間に合わせたい。焦ったリディアは執務室へ戻ろうとドアノブを握る父の前に立ちはだかった。
「なんだ、リディ……」
「お父様! 私、結婚したい方がいるのです!」
解き放たれたリディアの切なる願いに、廊下がしんと静まり返る。刹那、父が握り締めていた金属製のドアノブが、ピシリと音を立てて粉々に砕け散った。
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