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1、プロローグ
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「わたくしを殺して、自由になりませんか?」
結婚をして半年が経った頃、シンシアは夫のフェリクスにそう提案を持ちかけた。
建前上は夫婦である二人。しかしその本当の関係は、監視対象者と管理者に過ぎない。
そんな二人の始まりは、王令による政略結婚だった。
かつて一国を滅ぼした恐ろしい厄災――【暴食】の刻印を持つ娘シンシア・フォレストが、自宅にて悪食のスキルを暴発。
その結果、フォレスト子爵家の母屋を闇の魔素で侵食して、溶かし尽くす事件が起こった。
シンシアはその恐ろしい能力を盾にして、贅を貪り我儘の限りを尽くす――【希代の悪女】として有名だった。
これ以上子爵家でシンシアの保護は難しいと判断した国王は、信頼のおける部下フェリクス・アイゼン公爵に、悪女の監視と管理を命じた。名目上、結婚という形で。
そう、これは愛のない政略結婚にすぎない。だからこそシンシアは自身の目的――「死の偽装」を完遂して亡命するために、夫であるフェリクスにそう意向を打診した。
それは互いに利点のある提案だった。フェリクスもきっと首を縦に振ってくれるだろうと、シンシアは思っていた。
それなのに――おぞましい暴食の刻印のあるシンシアの左手に優しく触れたフェリクスは、なぜかこれまで使用していた監視用の指輪をためらいなく取り外した。
そしてシンシアの薬指に、サファイアが光り輝く新たな結婚指輪を嵌めなおして、こう言った。
「ともに生きよう、シンシア。君が好きだ。離れたくない」
…………どうして、こんなことに。
◇
遡ること十九年前。
フォレスト子爵家に、七つの大罪の一つ――【暴食】の刻印を持つ娘、シンシアが生まれた。
冷静で思慮深いシンシアは常に無表情で、感情を表に出すのが苦手だった。
それに加えて漆黒の髪に赤い瞳という、悪魔を連想させる不吉な容姿。
さらに左手の刻印から何でも喰らい尽くす恐ろしい闇のスキル、悪食を持つシンシアを、周囲の者は厄災を招く悪魔の愛し子と恐れ、忌み嫌った。
そんな中で母だけが、シンシアに深く愛情を注いで育ててくれた。
このセイン王国で『七つの大罪』と呼ばれる厄災を招くスキルは、海を渡った異国の地では、『七つの美徳』と呼ばれて大切にされていること。
だから何も恥じることはないと、母はシンシアに自信を持つよう勇気づけてくれた。
「シンシア、明日はピクニックに行きましょう! もちろん、あなたの好きなスミレの砂糖漬けも持ってね」
陽だまりのように明るくて、優しくて、外の世界に臆することなく連れ出してくれる。
母は持ち前の氷魔法でお菓子やジュースを冷やして準備し、いつもシンシアを喜ばせてくれた。
そんな母と過ごす穏やかで楽しい時間が、シンシアは大好きだった。
誰に何を言われようと、母さえいてくれれば、シンシアは大切なものを見失わずに生きていける。この忌み嫌われる恐ろしいスキルだってきちんと制御して、正しい方向へ使っていける。そう信じていた。
しかしシンシアが十歳を迎えた時に、世界は一変した。
「フォレスト子爵夫人。貴女が異端思想を信仰していると、疑いが出ています。ご同行願えますか?」
光の女神を信仰するセイン王国では、悪魔を美化する異国の思想を持ち込むのは異端と呼ばれ、処罰の対象だった。
異端審問官に連れていかれる母を見て、父は冷ややかな視線を向けていた。まるで、足元にまとわりついていた邪魔なゴミがようやく片付いたと言わんばかりに。
ひどい尋問を受けても、母は最後まで、意見を曲げなかった。
シンシアが『悪魔の愛し子である』と認めれば解放されたのに、決してそれをしなかった。
『私の愛しい娘は、シンシアは神に祝福された子』だと最後まで主張した結果、母は悪魔に魅了された魔女として処刑されてしまった。
生まれて初めて、シンシアの瞳から涙が流れた。けれど悲しみに打ちひしがれるシンシアに、父は非情だった。
「邪魔者も消えたことだし、お前の力を有効活用してやる」
そう言って父は、自身が経営するフォレスト商会で秘密裏に行っている、おぞましい研究の廃棄物処理をシンシアに命じるようになった。
父は隣国と通じ、王国で禁忌とされる黒魔法の研究に手を染めていた。
人々の精神に干渉し洗脳する――そんな恐ろしい呪いを糸に編み込んだ『魔法織物』を、父は裏ルートで高値で売り捌いていた。
その製作過程で出る失敗作や、煮凝りのような『闇の残滓』は、普通の火では燃やすこともできない。
そこで『強欲』な合理主義者である父が考えた、コストを削減しつつ『娘という資源』を最大限に有効活用する方法――それがシンシアのヴィスデロペで喰らい尽くさせることだった。
初めて意思に反したものを無理やり喰わされた時、腐敗した泥を喉に流し込まれたような、不快な味と感覚が脳髄に広がった。
そして無数の針が体内を暴れ回るような激しい痛みが、シンシアを襲う。
その日から三日三晩、シンシアは悪夢と激痛にのたうち回った。
それでも、厄災の力を暴発させるわけにはいかない。
(お母様が信じてくれたこの力を、決して人を不幸にする災いにしたくない……っ!)
ひたすら痛みと苦しみに耐え続けて一年が経った頃、父が愛人と再婚して新しい家族が増えた。
父の命令に無表情で従うだけのシンシアを、継母アースラと義妹コーデリアは『出来損ないの家族』と見なした。そして――
「何もできない可哀想なお姉様を、私が導いて、価値のある存在に変えてあげましょう」
コーデリアに歪な慈愛を突きつけられたシンシアは、そんな娘を可愛がるアースラの徹底した管理下に置かれた。
それは、父の野望を叶えるための冷徹な『仕組み』の中に、シンシアが一生抜け出せない歯車として組み込まれた瞬間でもあった。
「お父様、帝国産のピンクダイヤモンドが欲しいのです。フォレスト商会で取り寄せていただけませんか?」
「コーデリア、すまない。ザース帝国との貿易は制限されているから、入手は困難だ」
「そうですか……ですが、ちょうどよかったかもしれません」
コーデリアは、ふと何かを思いついたように手を叩き、慈悲深い笑みを浮かべた。
「それなら陛下に取り寄せていただきましょう。最近のお姉様、何の役にも立てず、申し訳なさそうに部屋に引きこもっていて可哀想でしたもの」
それは、心底からの善意。コーデリアの顔は、そう信じて疑わない。
「『悪女』として陛下におねだりする役割を与えて差し上げれば、無能なお姉様でも家族の役に立てますわ。それがお姉様にとって、一番の『救い』になるはずです!」
「ふふ、それはいい考えね。出来損ないのあの子に『生きる価値』を与えてあげるなんて……さすがは私の娘、慈悲深い子ね」
善人の仮面を被る家族によって、シンシアは瞬く間に【希代の悪女】に仕立て上げられた。
そうして一度その烙印を押されると、今度は『与えられた配役』を完璧にこなすよう、徹底的に管理された。
シンシアがその演技を続ければ続けるほど、フォレスト子爵家に王家から支給される特別管理金の額が増えていった。
本来はシンシアがヴィスデロペを暴発させないように、魔法医による特別なケアを受けたり、必要な設備を整えたりするために支給されているものだ。しかしそれがシンシアのために使われることは、一切なかった。
「たとえ悪魔の愛し子でも、シンシアは私の大切な娘ですから。私が責任を持って育てます」
人当たりのよい笑みを浮かべて、父がそう国王へ話す度に、吐き気がした。
ただ金儲けの道具としか思ってないくせに、胡散臭い笑顔にみんな騙される。
異端思想を植え付け処刑された母のせいで我儘に育ったと誇張され、そんな娘を大事にしてなんと慈悲深いことかと周囲は父を称賛する。
全てを母のせいにして、王家に取り入って金を搾り取り悪事に使う。助けてと伸ばした手は叩かれ、誰もシンシアのことを信じてはくれない。
この家に居る限り、シンシアに幸せは訪れない。母が望んでくれたような生き方はできない。だったらどうすればいいのか……
(そうよ、逃げたらいいんだわ。この家から、この国から。誰も私を知らない遠い地へ。海を渡って、お母様が教えてくださった異国へ行こう)
そう目標を定めたら、シンシアの行動は早かった。
港までの移動費や通行税と渡航に必要な船賃を調べ、当面の生活資金と合わせて必要な亡命資金を計算する。
一番安い寄合馬車を使って節約しても、通行税と合わせて移動費だけで銀貨五十枚は必要だ。そこに船賃と生活資金が加わると……最低でも銀貨三百枚は用意しておいた方がいいだろう。
それからシンシアは、家族にばれないよう地道に資金を貯め始めた。家族に悪女として利用されるのを、逆手に取って――。
結婚をして半年が経った頃、シンシアは夫のフェリクスにそう提案を持ちかけた。
建前上は夫婦である二人。しかしその本当の関係は、監視対象者と管理者に過ぎない。
そんな二人の始まりは、王令による政略結婚だった。
かつて一国を滅ぼした恐ろしい厄災――【暴食】の刻印を持つ娘シンシア・フォレストが、自宅にて悪食のスキルを暴発。
その結果、フォレスト子爵家の母屋を闇の魔素で侵食して、溶かし尽くす事件が起こった。
シンシアはその恐ろしい能力を盾にして、贅を貪り我儘の限りを尽くす――【希代の悪女】として有名だった。
これ以上子爵家でシンシアの保護は難しいと判断した国王は、信頼のおける部下フェリクス・アイゼン公爵に、悪女の監視と管理を命じた。名目上、結婚という形で。
そう、これは愛のない政略結婚にすぎない。だからこそシンシアは自身の目的――「死の偽装」を完遂して亡命するために、夫であるフェリクスにそう意向を打診した。
それは互いに利点のある提案だった。フェリクスもきっと首を縦に振ってくれるだろうと、シンシアは思っていた。
それなのに――おぞましい暴食の刻印のあるシンシアの左手に優しく触れたフェリクスは、なぜかこれまで使用していた監視用の指輪をためらいなく取り外した。
そしてシンシアの薬指に、サファイアが光り輝く新たな結婚指輪を嵌めなおして、こう言った。
「ともに生きよう、シンシア。君が好きだ。離れたくない」
…………どうして、こんなことに。
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遡ること十九年前。
フォレスト子爵家に、七つの大罪の一つ――【暴食】の刻印を持つ娘、シンシアが生まれた。
冷静で思慮深いシンシアは常に無表情で、感情を表に出すのが苦手だった。
それに加えて漆黒の髪に赤い瞳という、悪魔を連想させる不吉な容姿。
さらに左手の刻印から何でも喰らい尽くす恐ろしい闇のスキル、悪食を持つシンシアを、周囲の者は厄災を招く悪魔の愛し子と恐れ、忌み嫌った。
そんな中で母だけが、シンシアに深く愛情を注いで育ててくれた。
このセイン王国で『七つの大罪』と呼ばれる厄災を招くスキルは、海を渡った異国の地では、『七つの美徳』と呼ばれて大切にされていること。
だから何も恥じることはないと、母はシンシアに自信を持つよう勇気づけてくれた。
「シンシア、明日はピクニックに行きましょう! もちろん、あなたの好きなスミレの砂糖漬けも持ってね」
陽だまりのように明るくて、優しくて、外の世界に臆することなく連れ出してくれる。
母は持ち前の氷魔法でお菓子やジュースを冷やして準備し、いつもシンシアを喜ばせてくれた。
そんな母と過ごす穏やかで楽しい時間が、シンシアは大好きだった。
誰に何を言われようと、母さえいてくれれば、シンシアは大切なものを見失わずに生きていける。この忌み嫌われる恐ろしいスキルだってきちんと制御して、正しい方向へ使っていける。そう信じていた。
しかしシンシアが十歳を迎えた時に、世界は一変した。
「フォレスト子爵夫人。貴女が異端思想を信仰していると、疑いが出ています。ご同行願えますか?」
光の女神を信仰するセイン王国では、悪魔を美化する異国の思想を持ち込むのは異端と呼ばれ、処罰の対象だった。
異端審問官に連れていかれる母を見て、父は冷ややかな視線を向けていた。まるで、足元にまとわりついていた邪魔なゴミがようやく片付いたと言わんばかりに。
ひどい尋問を受けても、母は最後まで、意見を曲げなかった。
シンシアが『悪魔の愛し子である』と認めれば解放されたのに、決してそれをしなかった。
『私の愛しい娘は、シンシアは神に祝福された子』だと最後まで主張した結果、母は悪魔に魅了された魔女として処刑されてしまった。
生まれて初めて、シンシアの瞳から涙が流れた。けれど悲しみに打ちひしがれるシンシアに、父は非情だった。
「邪魔者も消えたことだし、お前の力を有効活用してやる」
そう言って父は、自身が経営するフォレスト商会で秘密裏に行っている、おぞましい研究の廃棄物処理をシンシアに命じるようになった。
父は隣国と通じ、王国で禁忌とされる黒魔法の研究に手を染めていた。
人々の精神に干渉し洗脳する――そんな恐ろしい呪いを糸に編み込んだ『魔法織物』を、父は裏ルートで高値で売り捌いていた。
その製作過程で出る失敗作や、煮凝りのような『闇の残滓』は、普通の火では燃やすこともできない。
そこで『強欲』な合理主義者である父が考えた、コストを削減しつつ『娘という資源』を最大限に有効活用する方法――それがシンシアのヴィスデロペで喰らい尽くさせることだった。
初めて意思に反したものを無理やり喰わされた時、腐敗した泥を喉に流し込まれたような、不快な味と感覚が脳髄に広がった。
そして無数の針が体内を暴れ回るような激しい痛みが、シンシアを襲う。
その日から三日三晩、シンシアは悪夢と激痛にのたうち回った。
それでも、厄災の力を暴発させるわけにはいかない。
(お母様が信じてくれたこの力を、決して人を不幸にする災いにしたくない……っ!)
ひたすら痛みと苦しみに耐え続けて一年が経った頃、父が愛人と再婚して新しい家族が増えた。
父の命令に無表情で従うだけのシンシアを、継母アースラと義妹コーデリアは『出来損ないの家族』と見なした。そして――
「何もできない可哀想なお姉様を、私が導いて、価値のある存在に変えてあげましょう」
コーデリアに歪な慈愛を突きつけられたシンシアは、そんな娘を可愛がるアースラの徹底した管理下に置かれた。
それは、父の野望を叶えるための冷徹な『仕組み』の中に、シンシアが一生抜け出せない歯車として組み込まれた瞬間でもあった。
「お父様、帝国産のピンクダイヤモンドが欲しいのです。フォレスト商会で取り寄せていただけませんか?」
「コーデリア、すまない。ザース帝国との貿易は制限されているから、入手は困難だ」
「そうですか……ですが、ちょうどよかったかもしれません」
コーデリアは、ふと何かを思いついたように手を叩き、慈悲深い笑みを浮かべた。
「それなら陛下に取り寄せていただきましょう。最近のお姉様、何の役にも立てず、申し訳なさそうに部屋に引きこもっていて可哀想でしたもの」
それは、心底からの善意。コーデリアの顔は、そう信じて疑わない。
「『悪女』として陛下におねだりする役割を与えて差し上げれば、無能なお姉様でも家族の役に立てますわ。それがお姉様にとって、一番の『救い』になるはずです!」
「ふふ、それはいい考えね。出来損ないのあの子に『生きる価値』を与えてあげるなんて……さすがは私の娘、慈悲深い子ね」
善人の仮面を被る家族によって、シンシアは瞬く間に【希代の悪女】に仕立て上げられた。
そうして一度その烙印を押されると、今度は『与えられた配役』を完璧にこなすよう、徹底的に管理された。
シンシアがその演技を続ければ続けるほど、フォレスト子爵家に王家から支給される特別管理金の額が増えていった。
本来はシンシアがヴィスデロペを暴発させないように、魔法医による特別なケアを受けたり、必要な設備を整えたりするために支給されているものだ。しかしそれがシンシアのために使われることは、一切なかった。
「たとえ悪魔の愛し子でも、シンシアは私の大切な娘ですから。私が責任を持って育てます」
人当たりのよい笑みを浮かべて、父がそう国王へ話す度に、吐き気がした。
ただ金儲けの道具としか思ってないくせに、胡散臭い笑顔にみんな騙される。
異端思想を植え付け処刑された母のせいで我儘に育ったと誇張され、そんな娘を大事にしてなんと慈悲深いことかと周囲は父を称賛する。
全てを母のせいにして、王家に取り入って金を搾り取り悪事に使う。助けてと伸ばした手は叩かれ、誰もシンシアのことを信じてはくれない。
この家に居る限り、シンシアに幸せは訪れない。母が望んでくれたような生き方はできない。だったらどうすればいいのか……
(そうよ、逃げたらいいんだわ。この家から、この国から。誰も私を知らない遠い地へ。海を渡って、お母様が教えてくださった異国へ行こう)
そう目標を定めたら、シンシアの行動は早かった。
港までの移動費や通行税と渡航に必要な船賃を調べ、当面の生活資金と合わせて必要な亡命資金を計算する。
一番安い寄合馬車を使って節約しても、通行税と合わせて移動費だけで銀貨五十枚は必要だ。そこに船賃と生活資金が加わると……最低でも銀貨三百枚は用意しておいた方がいいだろう。
それからシンシアは、家族にばれないよう地道に資金を貯め始めた。家族に悪女として利用されるのを、逆手に取って――。
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