9 / 40
9、侍女長と魔法医②
しおりを挟む
「ここ、微かに乱れてますね。闇の魔素はすべて中和したはずなのに、おかしいですね。奥様……もしかして起きてから、スキルを使用されましたか?」
鋭い指摘を受けて、どくんと大きく心臓が跳ねる。
先ほど毒を吸い出した時のダメージが、まだ残っていたようだ。
(痛みに慣れすぎて、気付かなかったわね。ここで正直に『毒を吸い出した』と言えば、大騒ぎになる)
もしそう言えば、真っ先に疑われるのは夕食を配膳したニナだ。
それにレイスは、公爵家お抱えの魔法医だ。もしフェリクスが黒幕なら、この魔法医が協力している可能性も高い。
逆に毒の事実を告げたら、「気のせいでしょう」と揉み消されるか、証拠隠滅に動かれる可能性もあるだろう。
(今はまだ、適当な嘘でごまかすしかないわね)
シンシアは無表情を崩さず、天井のペンダントライトを見つめながら、けだるげに答えた。
「ええ。部屋の空気が淀んでいて、不快でしたの。だから舞っていた埃ごと、ヴィスデロペで吸い尽くしただけですわ」
レイスがぽかんと口を開け、控えていたローザが息を呑む気配がした。
「そ、掃除のために……厄災のスキルを使われたのですか⁉」
「何か問題でも?」
我儘な悪女らしく言い放つと、レイスは頭を抱え、ローザは顔面蒼白になって深々と頭を下げた。
「大変申し訳ありませんでした! 今一度、徹底して清掃するよう指導いたします」
ここまで二人を動揺させてしまったことに、シンシアは内心驚いていた。
当たり前のように廃棄物の処理をさせられていたシンシアには、ある程度スキル使用の限界点がわかる。
しかし何も知らない者にとっては、そうではない。ヴィスデロペを使ったという事実だけで、あらぬ恐怖を与えてしまうようだ。
(なんとか毒の隠蔽はうまくいったようね)
「奥様。貴女も無闇に、スキルで変なものを吸い込んではいけません。身体がお辛いでしょう?」
「……埃に埋もれるより、マシですわ」
一度ついた嘘は、最後まで貫き通して誤魔化すしかない。
シンシアが悪女の仮面を被ってそう答えると、レイスは困ったような笑みを浮かべた。
「これは掃除だけでは心もとないですね。それではフェリクスに、空気清浄魔法具を室内に常備するよう言っておきます」
(……フェリクス? 今、白夜公のことを呼び捨てにしたわね)
ただの雇用関係にしては、距離が近すぎる。やはりレイスも、フェリクスの味方として警戒した方がよさそうだ。
「それと念の為に、こちらをお飲みください。体内の魔力を整える中和剤です」
受け取った小瓶の蓋を開けて、シンシアは怪しく光る液体を飲んだ。すると闇の魔素のせいで感じていた、体内を針で刺されるような痛みが、すっと消えた。
(味は最悪だったけど、腕は確かなようね)
「魔力回路の治療は快方に向かっています。なるべくスキルを使わず、しばらくはゆっくり静養されてください」
「先生、わたくし外出したいのだけど」
レイスの診察を受けた一番の目的を、シンシアは口にした。
しかしうーんと困ったように眉根を寄せたレイスは、決して首を縦に振ってはくれない。
「最初にも言いましたが、運ばれてきた貴女の状態は本当に酷いものでした。長時間の外出はまだ、身体に負荷がかかります」
「ではどれくらい静養すれば、外出できまして?」
「最低一ヶ月は見たほうがいいでしょう」
「そんなに、ですか?」
「貴女のヴィスデロペで生成された闇の魔素は、体内で魔力回路を無視して暴れていました。これまで、激しい痛みに耐えておられたのではありませんか?」
レイスの美しい翠眼が、じっとこちらを捉えて離さない。
真相を探ろうとしてくるその眼差しが、シンシアには居心地悪くて仕方なかった。
「そんなもの、寝てれば治りましてよ」
シンシアは質問を一笑に付して、人に弱みを見せない悪女を演じる。
そんなシンシアの言葉を聞いて、レイスはトランクケースから追加で同じ魔法薬を一本取り出した。
「もし悪いものを吸い込んだ時は、我慢せずにこちらで対処されてください」
結局その日、レイスから外出の許可は下りなかった。
庭園の散歩くらいならしてもいいそうで、一ヶ月はこの離宮から出ることは叶わないようだ。
「それでは、また一週間後に経過観察に参ります。お大事にされてください」
二人が退室したあと、シンシアはもらった魔法薬をぼーっと眺めていた。
ヴィスデロペで害のあるものを吸い込んだあとは、いつも激痛に耐えるしかなかった。
魔法医の診察や治療を受けるには、莫大な費用がかかる。本来なら、国から支給されていた特別管理金で賄えたはずだ。しかしそれがシンシアの治療にあてられることは一度もなく、すべて父や継母、義妹の贅沢に消えていた。
(こんなふうに痛みを取り除いてもらえたのは、初めてだわ……)
子爵家にはなかった「人間らしい扱い」を受けたことに、シンシアの心は微かに喜びを感じていた。
(……なんて、絆されてはだめよ)
シンシアはかぶりを振って、自身の甘い考えを打ち消した。
まるでアメとムチのように、痛みを消す薬と毒の入った食事を摂取させて徐々に弱らせる。病死に見せかけようという、冷徹な計算だ。
毒殺される短い余生を箱庭の楽園で過ごすより、誰にも監視されない自由がほしい。
そのためにはフェリクスに嫌われて、交渉に有効な切り札を見つける必要がある。
シンシアは枕の下に忍ばせておいたエチケットポーチを取り出し、魔法薬を慎重にしまった。
ここには亡命資金となる『深海の涙』も隠してある。生き延びるための命綱は、こうして肌身離さず持っておくのが一番安全だった。
(明日はもう少し、公爵家の内情を探ってみよう)
鋭い指摘を受けて、どくんと大きく心臓が跳ねる。
先ほど毒を吸い出した時のダメージが、まだ残っていたようだ。
(痛みに慣れすぎて、気付かなかったわね。ここで正直に『毒を吸い出した』と言えば、大騒ぎになる)
もしそう言えば、真っ先に疑われるのは夕食を配膳したニナだ。
それにレイスは、公爵家お抱えの魔法医だ。もしフェリクスが黒幕なら、この魔法医が協力している可能性も高い。
逆に毒の事実を告げたら、「気のせいでしょう」と揉み消されるか、証拠隠滅に動かれる可能性もあるだろう。
(今はまだ、適当な嘘でごまかすしかないわね)
シンシアは無表情を崩さず、天井のペンダントライトを見つめながら、けだるげに答えた。
「ええ。部屋の空気が淀んでいて、不快でしたの。だから舞っていた埃ごと、ヴィスデロペで吸い尽くしただけですわ」
レイスがぽかんと口を開け、控えていたローザが息を呑む気配がした。
「そ、掃除のために……厄災のスキルを使われたのですか⁉」
「何か問題でも?」
我儘な悪女らしく言い放つと、レイスは頭を抱え、ローザは顔面蒼白になって深々と頭を下げた。
「大変申し訳ありませんでした! 今一度、徹底して清掃するよう指導いたします」
ここまで二人を動揺させてしまったことに、シンシアは内心驚いていた。
当たり前のように廃棄物の処理をさせられていたシンシアには、ある程度スキル使用の限界点がわかる。
しかし何も知らない者にとっては、そうではない。ヴィスデロペを使ったという事実だけで、あらぬ恐怖を与えてしまうようだ。
(なんとか毒の隠蔽はうまくいったようね)
「奥様。貴女も無闇に、スキルで変なものを吸い込んではいけません。身体がお辛いでしょう?」
「……埃に埋もれるより、マシですわ」
一度ついた嘘は、最後まで貫き通して誤魔化すしかない。
シンシアが悪女の仮面を被ってそう答えると、レイスは困ったような笑みを浮かべた。
「これは掃除だけでは心もとないですね。それではフェリクスに、空気清浄魔法具を室内に常備するよう言っておきます」
(……フェリクス? 今、白夜公のことを呼び捨てにしたわね)
ただの雇用関係にしては、距離が近すぎる。やはりレイスも、フェリクスの味方として警戒した方がよさそうだ。
「それと念の為に、こちらをお飲みください。体内の魔力を整える中和剤です」
受け取った小瓶の蓋を開けて、シンシアは怪しく光る液体を飲んだ。すると闇の魔素のせいで感じていた、体内を針で刺されるような痛みが、すっと消えた。
(味は最悪だったけど、腕は確かなようね)
「魔力回路の治療は快方に向かっています。なるべくスキルを使わず、しばらくはゆっくり静養されてください」
「先生、わたくし外出したいのだけど」
レイスの診察を受けた一番の目的を、シンシアは口にした。
しかしうーんと困ったように眉根を寄せたレイスは、決して首を縦に振ってはくれない。
「最初にも言いましたが、運ばれてきた貴女の状態は本当に酷いものでした。長時間の外出はまだ、身体に負荷がかかります」
「ではどれくらい静養すれば、外出できまして?」
「最低一ヶ月は見たほうがいいでしょう」
「そんなに、ですか?」
「貴女のヴィスデロペで生成された闇の魔素は、体内で魔力回路を無視して暴れていました。これまで、激しい痛みに耐えておられたのではありませんか?」
レイスの美しい翠眼が、じっとこちらを捉えて離さない。
真相を探ろうとしてくるその眼差しが、シンシアには居心地悪くて仕方なかった。
「そんなもの、寝てれば治りましてよ」
シンシアは質問を一笑に付して、人に弱みを見せない悪女を演じる。
そんなシンシアの言葉を聞いて、レイスはトランクケースから追加で同じ魔法薬を一本取り出した。
「もし悪いものを吸い込んだ時は、我慢せずにこちらで対処されてください」
結局その日、レイスから外出の許可は下りなかった。
庭園の散歩くらいならしてもいいそうで、一ヶ月はこの離宮から出ることは叶わないようだ。
「それでは、また一週間後に経過観察に参ります。お大事にされてください」
二人が退室したあと、シンシアはもらった魔法薬をぼーっと眺めていた。
ヴィスデロペで害のあるものを吸い込んだあとは、いつも激痛に耐えるしかなかった。
魔法医の診察や治療を受けるには、莫大な費用がかかる。本来なら、国から支給されていた特別管理金で賄えたはずだ。しかしそれがシンシアの治療にあてられることは一度もなく、すべて父や継母、義妹の贅沢に消えていた。
(こんなふうに痛みを取り除いてもらえたのは、初めてだわ……)
子爵家にはなかった「人間らしい扱い」を受けたことに、シンシアの心は微かに喜びを感じていた。
(……なんて、絆されてはだめよ)
シンシアはかぶりを振って、自身の甘い考えを打ち消した。
まるでアメとムチのように、痛みを消す薬と毒の入った食事を摂取させて徐々に弱らせる。病死に見せかけようという、冷徹な計算だ。
毒殺される短い余生を箱庭の楽園で過ごすより、誰にも監視されない自由がほしい。
そのためにはフェリクスに嫌われて、交渉に有効な切り札を見つける必要がある。
シンシアは枕の下に忍ばせておいたエチケットポーチを取り出し、魔法薬を慎重にしまった。
ここには亡命資金となる『深海の涙』も隠してある。生き延びるための命綱は、こうして肌身離さず持っておくのが一番安全だった。
(明日はもう少し、公爵家の内情を探ってみよう)
10
あなたにおすすめの小説
騎士の妻ではいられない
Rj
恋愛
騎士の娘として育ったリンダは騎士とは結婚しないと決めていた。しかし幼馴染みで騎士のイーサンと結婚したリンダ。結婚した日に新郎は非常召集され、新婦のリンダは結婚を祝う宴に一人残された。二年目の結婚記念日に戻らない夫を待つリンダはもう騎士の妻ではいられないと心を決める。
全23話。
2024/1/29 全体的な加筆修正をしました。話の内容に変わりはありません。
イーサンが主人公の続編『騎士の妻でいてほしい 』(https://www.alphapolis.co.jp/novel/96163257/36727666)があります。
【完結】真面目系眼鏡女子は、軽薄騎士の求愛から逃げ出したい。
たまこ
恋愛
真面目が信条の眼鏡女子カレンは、昔からちょっかいを掛けてくる、軽薄な近衛騎士ウィリアムの事が大嫌い。いつも令嬢に囲まれているウィリアムを苦々しく思っていたのに、ウィリアムと一夜を共にしてしまい、嫌々ながら婚約を結ぶことに•••。
ウィリアムが仕える王太子や、カレンの友人である公爵令嬢を巻き込みながら、何故か求愛してくるウィリアムと、ウィリアムの真意が分からないカレン。追いかけっこラブストーリー!
【完結】旦那様!単身赴任だけは勘弁して下さい!
たまこ
恋愛
エミリーの大好きな夫、アランは王宮騎士団の副団長。ある日、栄転の為に辺境へ異動することになり、エミリーはてっきり夫婦で引っ越すものだと思い込み、いそいそと荷造りを始める。
だが、アランの部下に「副団長は単身赴任すると言っていた」と聞き、エミリーは呆然としてしまう。アランが大好きで離れたくないエミリーが取った行動とは。
すれ違いのその先に
ごろごろみかん。
恋愛
転がり込んできた政略結婚ではあるが初恋の人と結婚することができたリーフェリアはとても幸せだった。
彼の、血を吐くような本音を聞くまでは。
ほかの女を愛しているーーーそれを聞いたリーフェリアは、彼のために身を引く決意をする。
*愛が重すぎるためそれを隠そうとする王太子と愛されていないと勘違いしてしまった王太子妃のお話
【完結】彼を幸せにする十の方法
玉響なつめ
恋愛
貴族令嬢のフィリアには婚約者がいる。
フィリアが望んで結ばれた婚約、その相手であるキリアンはいつだって冷静だ。
婚約者としての義務は果たしてくれるし常に彼女を尊重してくれる。
しかし、フィリアが望まなければキリアンは動かない。
婚約したのだからいつかは心を開いてくれて、距離も縮まる――そう信じていたフィリアの心は、とある夜会での事件でぽっきり折れてしまった。
婚約を解消することは難しいが、少なくともこれ以上迷惑をかけずに夫婦としてどうあるべきか……フィリアは悩みながらも、キリアンが一番幸せになれる方法を探すために行動を起こすのだった。
※小説家になろう・カクヨムにも掲載しています。
誓いを忘れた騎士へ ―私は誰かの花嫁になる
吉乃
恋愛
「帰ってきたら、結婚してくれる?」
――あの日の誓いを胸に、私は待ち続けた。
最初の三年間は幸せだった。
けれど、騎士の務めに赴いた彼は、やがて音信不通となり――
気づけば七年の歳月が流れていた。
二十七歳になった私は、もう結婚をしなければならない。
未来を選ぶ年齢。
だから、別の男性との婚姻を受け入れると決めたのに……。
結婚式を目前にした夜。
失われたはずの声が、突然私の心を打ち砕く。
「……リリアナ。迎えに来た」
七年の沈黙を破って現れた騎士。
赦せるのか、それとも拒むのか。
揺れる心が最後に選ぶのは――
かつての誓いか、それとも新しい愛か。
お知らせ
※すみません、PCの不調で更新が出来なくなってしまいました。
直り次第すぐに更新を再開しますので、少しだけお待ちいただければ幸いです。
1度だけだ。これ以上、閨をともにするつもりは無いと旦那さまに告げられました。
尾道小町
恋愛
登場人物紹介
ヴィヴィアン・ジュード伯爵令嬢
17歳、長女で爵位はシェーンより低が、ジュード伯爵家には莫大な資産があった。
ドン・ジュード伯爵令息15歳姉であるヴィヴィアンが大好きだ。
シェーン・ロングベルク公爵 25歳
結婚しろと回りは五月蝿いので大富豪、伯爵令嬢と結婚した。
ユリシリーズ・グレープ補佐官23歳
優秀でシェーンに、こき使われている。
コクロイ・ルビーブル伯爵令息18歳
ヴィヴィアンの幼馴染み。
アンジェイ・ドルバン伯爵令息18歳
シェーンの元婚約者。
ルーク・ダルシュール侯爵25歳
嫁の父親が行方不明でシェーン公爵に相談する。
ミランダ・ダルシュール侯爵夫人20歳、父親が行方不明。
ダン・ドリンク侯爵37歳行方不明。
この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。
ジュリエット・スチール公爵令嬢18歳
ロミオ王太子殿下の婚約者。
ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳
私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。
一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。
正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?
醜女の私と政略結婚した旦那様の様子がおかしい
サトウミ
恋愛
この国一番の醜女である私と結婚したイバン様。眉目秀麗で数多の女性と浮き名を流した彼は、不祥事を起こしたせいで私なんかと結婚することになってしまった。それでも真面目な彼は、必死に私を愛そうと努力してくださる。
──無駄な努力だ。
こんな色白で目と胸の大きい女を、愛せるはずがない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる