わたくしを殺して、自由になりませんか?~偽装悪女の政略結婚~

花宵

文字の大きさ
27 / 40

27、偽装悪女は宝物を手に入れる②

しおりを挟む
 ガタンッ! という衝撃が走り、シンシアの身体が前へと放り出される。

​「……っ!」

 シンシアから短い悲鳴が漏れた時――

​「危ない!」

​ フェリクスが咄嗟に腕を伸ばし、飛び込んできたシンシアの体をガッチリと受け止めた。

 ドサッ、と鈍い音がして――世界が止まる。
 衝撃に備えてぎゅっと瞑っていた目を開けると、至近距離にフェリクスの端正な顔があった。
 シンシアはフェリクスの逞しい腕の中に閉じ込められ、彼の広い胸板に押し付けられる形で抱き留められていたのだ。
​ 互いの呼吸がかかるほどの距離。重なる体温。
 そして、ドクンドクンと服越しに伝わってくる、早鐘のような心音。

​「……あ」

​ 状況を理解した瞬間、フェリクスの端正な顔が、耳まで瞬時に真っ赤に染まるのをシンシアは見た。

​「す、すまない! その、怪我はな……っ⁉」

​ 慌てて安否を確認しようとしていたフェリクスの視線が、ふと一点で凍りついた。
 なぜ言葉が途切れたのか。シンシアは疑問に思い、彼の視線の先を辿る。

​ ――そして、ハッと息を呑んだ。

​ そこにあるのは、シンシアの無防備な胸元だ。
 今、自身が纏っているのは『悪女』を演じるための扇情的な黒いドレス。大胆にカットされた胸元は、上から見下ろされるこの角度では、あまりにも無防備だ。

​ 黒い布地と白磁の肌の対比、そしてフェリクスの腕に支えられたことで強調された柔らかな曲線が、彼の目の前に晒されているのだと気づいてしまった。

​ 確かに、フェリクスが頑として許可をくれなかった場合、最終手段として「色仕掛け」を用いる覚悟はしていた。そのために、わざわざこのドレスを選んだのだから。
 けれど――いざ彼の腕の中に閉じ込められ、至近距離で熱い視線を浴びせられるのは、シンシアにとって完全に想定外だった。

​「…………っ!」

​ フェリクスが何か致命的なものを見てしまったかのように、喉をひきつらせて硬直する。
 そこには、普段の冷徹な『白夜公』の影は微塵もなかった。
 ただ羞恥と焦燥に瞳を泳がせる、年相応の一人の男の顔があるだけだ。
 その顔が、先ほどとは比べ物にならないほど赤熱し、限界を迎えた次の瞬間――。

 ​――ピキィンッ!

​ 耳をつんざくような硬質な破砕音と共に、フェリクスの体から凄まじい冷気が放出した。

 ​シンシアを、あるいはフェリクス自身を、無理やり冷却して律しようとするかのように――。
 主を惑わせる『元凶』を、その熱狂ごと凍てつかせようとする氷の魔力が、車内を一瞬にして白く染め上げる。制御を失った冷気は鋭い氷の刃となり、逃げ場のない車内でこちらへと降り注いだ。

(まさか、魔力の暴走……⁉)

 咄嗟にシンシアが身構えたその時、左手に刻まれた【暴食】の刻印がフェリクスの魔力に呼応するように、ドクンと大きく脈打った。
 脳髄を痺れさせるような、強烈で、どうしようもない渇望に苛まれるように、刻印が熱く疼いている。
 それは今すぐ喰らわねば、焦がれて死んでしまいそうな本能的な欲求だった。

 シンシアはニヤリと好戦的な笑みを浮かべ、暴れ出す本能のまま心の中で命じた。

(――飢えたる『悪食ヴィスデロペ』よ、極上の饗宴ディナーを喰らいつくせ)

 馬車の中で、漆黒の闇と輝く氷がまるで輪舞曲を踊るように、妖艶に絡み合い、溶け合っていく。
 鋭く尖っていたはずの氷の刃は、闇に触れた端からジュワリと弾け、甘い光の粒となってシンシアの中へ吸い込まれていった。

 その瞬間、シンシアの全身を駆け巡ったのは――驚くほど甘く、清涼な幸福感だった。

​(なに、これ……甘い)

​ それはいつも喰らわされていた、ドス黒い汚泥のような不味さや、体内をズタズタにする激痛とは全く違っていた。

(懐かしい……まるで、お母様と訓練した日々みたい――)

『シンシア、今日はこの酸っぱいレモンパイを吸い取ってみて』
『上手よ。じゃあ次は、この冷たくて甘いソルベに挑戦しましょうか』

 テーブルに並べられた、色とりどりの菓子。シンシアがうまく悪食ヴィスデロペの制御が出来るように、母はそうやって、吸い取る対象やスキルの力加減を美味しい『味』の感覚の違いで覚えさせてくれた。

 あの時の、甘くて優しい幸福な記憶が鮮明に蘇る。
 フェリクスの魔力はまるで、上質な果実を絞った氷菓子ソルベのように爽やかで、とろけるような甘美な感覚だった。

​「ん……っ……」

​ あまりの心地よさに、シンシアは熱っぽい吐息を漏らし、トロンとした瞳で目の前の『ご馳走』を見つめた。

​「シ、シンシア……? 大丈夫か⁉ 痛みは、怪我はないか……⁉」
「……おいしい」
「え?」

 自分のせいでヴィスデロペを使わせてしまったと焦るフェリクスとは対照的に――。

「もっと……もっといただけますか?」

​ シンシアはうっとりと頬を染め、もっと寄越せと身を擦り寄せる。
 そんなシンシアを見て、フェリクスはさらに顔を赤くしてフリーズしてしまった。

​ けれど、シンシアのおねだりはそこまでだった。
 極上の『氷菓子』でお腹がいっぱいになった幸福感と、フェリクスの体温に包まれている安心感が、一気に睡魔となって押し寄せてきたのだ。

​(ああ……なんだか、ポカポカする……しあわせ……)

​ 張り詰めていた緊張の糸が切れ、まどろみが思考を塗りつぶしていく。
 耳元で聞こえるフェリクスの早鐘のような心音さえも、今のシンシアには心地よい子守唄のようだった。

​「……んぅ……」

​ シンシアは猫のように一つあくびを噛み殺すと、フェリクスの胸にコテンと頭を預け――そのまま、安らかな寝息を立て始めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

騎士の妻ではいられない

Rj
恋愛
騎士の娘として育ったリンダは騎士とは結婚しないと決めていた。しかし幼馴染みで騎士のイーサンと結婚したリンダ。結婚した日に新郎は非常召集され、新婦のリンダは結婚を祝う宴に一人残された。二年目の結婚記念日に戻らない夫を待つリンダはもう騎士の妻ではいられないと心を決める。 全23話。 2024/1/29 全体的な加筆修正をしました。話の内容に変わりはありません。 イーサンが主人公の続編『騎士の妻でいてほしい 』(https://www.alphapolis.co.jp/novel/96163257/36727666)があります。

【完結】真面目系眼鏡女子は、軽薄騎士の求愛から逃げ出したい。

たまこ
恋愛
 真面目が信条の眼鏡女子カレンは、昔からちょっかいを掛けてくる、軽薄な近衛騎士ウィリアムの事が大嫌い。いつも令嬢に囲まれているウィリアムを苦々しく思っていたのに、ウィリアムと一夜を共にしてしまい、嫌々ながら婚約を結ぶことに•••。  ウィリアムが仕える王太子や、カレンの友人である公爵令嬢を巻き込みながら、何故か求愛してくるウィリアムと、ウィリアムの真意が分からないカレン。追いかけっこラブストーリー!

【完結】旦那様!単身赴任だけは勘弁して下さい!

たまこ
恋愛
 エミリーの大好きな夫、アランは王宮騎士団の副団長。ある日、栄転の為に辺境へ異動することになり、エミリーはてっきり夫婦で引っ越すものだと思い込み、いそいそと荷造りを始める。  だが、アランの部下に「副団長は単身赴任すると言っていた」と聞き、エミリーは呆然としてしまう。アランが大好きで離れたくないエミリーが取った行動とは。

すれ違いのその先に

ごろごろみかん。
恋愛
転がり込んできた政略結婚ではあるが初恋の人と結婚することができたリーフェリアはとても幸せだった。 彼の、血を吐くような本音を聞くまでは。 ほかの女を愛しているーーーそれを聞いたリーフェリアは、彼のために身を引く決意をする。 *愛が重すぎるためそれを隠そうとする王太子と愛されていないと勘違いしてしまった王太子妃のお話

【完結】彼を幸せにする十の方法

玉響なつめ
恋愛
貴族令嬢のフィリアには婚約者がいる。 フィリアが望んで結ばれた婚約、その相手であるキリアンはいつだって冷静だ。 婚約者としての義務は果たしてくれるし常に彼女を尊重してくれる。 しかし、フィリアが望まなければキリアンは動かない。 婚約したのだからいつかは心を開いてくれて、距離も縮まる――そう信じていたフィリアの心は、とある夜会での事件でぽっきり折れてしまった。 婚約を解消することは難しいが、少なくともこれ以上迷惑をかけずに夫婦としてどうあるべきか……フィリアは悩みながらも、キリアンが一番幸せになれる方法を探すために行動を起こすのだった。 ※小説家になろう・カクヨムにも掲載しています。

誓いを忘れた騎士へ ―私は誰かの花嫁になる

吉乃
恋愛
「帰ってきたら、結婚してくれる?」 ――あの日の誓いを胸に、私は待ち続けた。 最初の三年間は幸せだった。 けれど、騎士の務めに赴いた彼は、やがて音信不通となり―― 気づけば七年の歳月が流れていた。 二十七歳になった私は、もう結婚をしなければならない。 未来を選ぶ年齢。 だから、別の男性との婚姻を受け入れると決めたのに……。 結婚式を目前にした夜。 失われたはずの声が、突然私の心を打ち砕く。 「……リリアナ。迎えに来た」 七年の沈黙を破って現れた騎士。 赦せるのか、それとも拒むのか。 揺れる心が最後に選ぶのは―― かつての誓いか、それとも新しい愛か。 お知らせ ※すみません、PCの不調で更新が出来なくなってしまいました。 直り次第すぐに更新を再開しますので、少しだけお待ちいただければ幸いです。

1度だけだ。これ以上、閨をともにするつもりは無いと旦那さまに告げられました。

尾道小町
恋愛
登場人物紹介 ヴィヴィアン・ジュード伯爵令嬢  17歳、長女で爵位はシェーンより低が、ジュード伯爵家には莫大な資産があった。 ドン・ジュード伯爵令息15歳姉であるヴィヴィアンが大好きだ。 シェーン・ロングベルク公爵 25歳 結婚しろと回りは五月蝿いので大富豪、伯爵令嬢と結婚した。 ユリシリーズ・グレープ補佐官23歳 優秀でシェーンに、こき使われている。 コクロイ・ルビーブル伯爵令息18歳 ヴィヴィアンの幼馴染み。 アンジェイ・ドルバン伯爵令息18歳 シェーンの元婚約者。 ルーク・ダルシュール侯爵25歳 嫁の父親が行方不明でシェーン公爵に相談する。 ミランダ・ダルシュール侯爵夫人20歳、父親が行方不明。 ダン・ドリンク侯爵37歳行方不明。 この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。 ジュリエット・スチール公爵令嬢18歳 ロミオ王太子殿下の婚約者。 ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳 私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。 一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。 正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?

醜女の私と政略結婚した旦那様の様子がおかしい

サトウミ
恋愛
この国一番の醜女である私と結婚したイバン様。眉目秀麗で数多の女性と浮き名を流した彼は、不祥事を起こしたせいで私なんかと結婚することになってしまった。それでも真面目な彼は、必死に私を愛そうと努力してくださる。 ──無駄な努力だ。 こんな色白で目と胸の大きい女を、愛せるはずがない。

処理中です...