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第二十九章「士官学校ギルド」(7)
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7
「ヴェンツェルってすごい優秀なんだなぁ」
僕はヴェンツェルがメンバーそれぞれに表示させている魔法表示画面を見て感心した。
今、目の前には魔法情報票のウィンドウのように、古代迷宮第一、第二層の地図やトラップの位置、出現する魔物の弱点属性や特徴などの詳細情報、手に入る素材や落とした物品などが表示されている。
ヒルダ先輩がそれをさらさらと羊皮紙に書き写しながら、注意点などを付け加えている。
「この地図とかって、ヴェンツェルが魔法で書き込んでいるの?」
「ああ。魔物については、私がこれまでに読み漁った文献などの情報を元にして記録してあるので、信憑性についてはなんとも言えないが……」
なるほど。
以前、ヴェンツェルが当主を務める大軍師家、ローゼンミュラー家の本分は情報分析だと言っていたけど、これを見ればその意味がよくわかる。
「おまけに剣はできるし攻撃魔法も使えて回復魔法も使える。すごいよね。一家に一台欲しいよね」
「君の方こそ、剣に攻撃魔法に、召喚魔法……のようなものだって使えるじゃないか」
「い、いやぁ……、僕のはどれも……使える気がしないというか、安定しないというか……」
僕は自分で言いながら思わず苦笑してしまった。
今まで、なんだかんだで切り抜けられそうもないことを切り抜けてきたけれど、結局、それが自分の剣技だとか、魔力だと思えるような切り抜け方をしたことは一度もない気がする。
メルやジルベールに言わせれば、それこそが僕の真価なんだそうだけど、あの二人は親バカだからなぁ……。
一度ぐらいは彼らのように、バシッとキメてみたいというのが劣等生の僕の願望だったりする。
エクスカリバーを刺し直した理由の一つも、それだ。
今そんな物を使っちゃったら、僕はきっと、いつまで経ってもメルの剣技にたどり着けない。
あの流星のように美しいメルの剣技……。
最初にそれを見た時から、僕の憧れはずっと変わらない。
「それで、どうするんだ? 下に降りるつもりなのか? 荷袋にゃまだ余裕があるが……」
ガンツさんが尋ねてきた。
「うーん、今ルッ君に地下三階の偵察をしてもらっているので、それから判断しようかと思ってるけど、今のところ、否定的見解かなぁ」
「へっ、オメェは無謀に見えて、そういうところは慎重だよな」
「冒険者としては臆病なのかもしれないけど……」
「いや、それでいいんだ」
ガンツさんがぽんぽん、と僕の頭に手をのせた。
自分でもそう思う。
一階層、下に降りただけで、アンデッドコボルドの集団があれだけいたんだ。
キムのような壁役や、アリサのような本格的な回復役がいない中で、これ以上の探索は無謀だし……。
そもそも、これは「士官学校ギルド」つまり、士官学校の他の生徒が冒険するための下見なのだから、よっぽどの安全マージンが取れない限り、僕は二階層までで封鎖すべきと考えていた。
「しかし、あのチビっこいのだけで行かせて大丈夫じゃったんかいね? なんじゃったらワシも……」
ソリマチ隊長の質問に、僕は首を振った。
「ルッ君はああ見えて努力家でね。潜伏移動ができるようになったんだ」
「潜伏移動っていうとあれかいね、泥棒が使う……」
「……泥棒呼ばわりは可哀想だからやめてあげて。盗賊の技能だよ」
潜伏移動は、敵から身を隠しながら移動することができる特殊技能で、壁沿いにさえいれば、ほとんどの魔物たちから身を隠すことができる。
ただし、万能ではなく、壁から一歩離れたら丸見えになってしまうし、自分よりも技能の高い盗賊やニンジャ、高位の魔導師や魔力の高い魔物などには感知されてしまうらしい。
あと、アウローラがいるおかげか僕にも通じない。
ルッ君が潜伏移動を覚えたての頃、倉庫整理の当番だった僕をからかうために壁に隠れて僕を驚かそうとしてきたので、何も見えないフリをしておしっこをかけてやったら、おしっこまみれのままものすごい勢いで追いかけてきて、僕が逃げながらロドリゲス教官に石を投げて隠れたらルッ君が見つかって、結局二人共死ぬほど怒られたことがあった。
「なので、おっつぁんがついて行ったほうがルッ君は危ないんだよ。一人だったらこっそり移動できるからね」
「ほうほう、便利なもんじゃのうー」
僕たちがそんな話をしていたら、ルッ君が全速力で走ってきた。
「やっぱムリ!! 絶対ムリ!!」
「ヤバかった?」
ヴェンツェルからタオルを受け取って、額と首周りの汗を拭いながら、ルッ君が答える。
「ヤバいってなもんじゃねぇ。人食い鬼に巨大カエル、石化蜥蜴ってだけでもヤベェのに、一体だけだが、なんと毒巨人がいた……」
「はい撤収ー!」
僕は即答した。
「ぽいずんなんたらってのは、そげにやべぇんか?」
ソリマチ隊長が尋ねる。
「冒険者ギルドでの毒巨人の討伐依頼は、銀星冒険者でも受託不可なんですよ」
「つまり、そんだけやべぇっちゅうことけ」
「めちゃくちゃ力が強い上に、食らったら即死クラスの猛毒の息を吐くので、耐性があるか対策がないと全員即死です」
「即死!!」
ソリマチ隊長が目を丸くした。
「たいていは迷宮の奥底から出てこぬゆえ、犠牲になるのは冒険者だけなのだが、かつて魔王軍が猛威を奮っていた頃は、地上にあやつらが現れ、数々の街を壊滅させ、数万におよぶ無辜の民の命が奪われたと聞く」
「ムコの民? 男ばかりってことか?」
「アホ、なんの罪もない人たちってことだよ」
ヒルダ先輩の解説にボケたルッ君に僕がツッコんだ。
「しかし、三層に毒巨人がいるとなると、とてもではないが士官学校ギルドの冒険には使えんな……」
「ええー、こんなに制圧頑張ったのにー!」
ルッ君が思わず愚痴った。
たしかに、大事な革靴とブカブカのタキシードを失って来たのに成果なしというのもかわいそうだ。
(それにしても、よくあのアンデッドコボルド相手にサンダル履いて背後奇襲を決めたよなぁ……)
「たしかに残念だが……、すぐ下の階層に毒巨人がいるというのは危険すぎるな」
ヴェンツェルがつぶやいた。
そうなんだよねぇ。
「……まぁでも、実際もったいないわな。魔物は手頃な強さだし、トラップもヤベェのはあの鉄球だけだ。それも、どうやったのかは知らんがオメェが叩き割っちまったしな……」
「それだ!! ガンツさんそれやんけ!!」
僕はガンツさんにビシィっと指を突き出した。
「あの鉄球で階段を塞いじゃえばいいんだよ! そうすれば下から敵はやってこないし、士官学校の生徒も動かせない」
「なるほど……、名案かもしれんな」
「そうは言ってもよぉ……、士官学校の生徒が動かせないようなもんをどうやって……、あ……」
僕とルッ君、ガンツさんとヒルダ先輩が一斉にユリーシャ王女殿下の方を向いた。
「な、なんじゃ……その目は……。ヒルデガルド……そなたまで……」
「王女殿下……なんと申しましょうか、やはり、あの鉄球を運搬できるのは……」
「皆、大げさすぎじゃ。あのぐらいの鉄球、そなたらでもじゅうぶん……」
ユリーシャ王女殿下の言葉に、全員がふるふるふると首を振った。
「もういい、わかった……。皆で私をメスゴリラと言いたいのであろう!」
「い、いや、見た目じゃなくて、メスゴリラぐらい力が強……ぐふぅっ……」
ルッ君がユリーシャ王女殿下渾身のボディブローを食らって膝を付いた。
「わかったわ!! 私が持ってくれば良いのであろう!! 私が!!」
王女殿下がぶりぶり怒りながら鉄球を拾いに行った。
「ブス先輩たちは?」
「帰り支度だ。荷物をまとめてもらっている。ガサツに見えるが、ああ見えて連中、几帳面なところがあってな。今、ソリマチ隊長もそちらの手伝いに向かったぞ」
ヒルダ先輩に命じられ、正座をしながらいそいそと荷造りをしている毒島先輩たちの姿が目に浮かんだ。
ふと、ルッ君の姿が見当たらなくなったので、僕は階段の方に向かった。
「……ルッ君、何してんの……?」
ルッ君が、三層に降りる階段を見下ろしながらそわそわしている。
「うーん、いや……、なんとなくなんだけど……」
「なんとなくなんだけど、何?」
「ほら、聞こえない? 変な音……」
ルッ君が、階段の近くにうつ伏せになって、耳を地面に付けはじめた。
「音……?」
僕も一緒になって、地面に耳を付ける。
「……この、ふしゅー、ふしゅーっていう音?」
「そうそう。なんか、どんどん近付いてきてない?」
「近付いているっていうか……、上がってきてるっていうか……」
僕たちがそんな話をしていると、突然、目の前の階段からぬっと出てきたおっさんと目が合った。
ピンクがかった紫色の皮膚のハゲ頭に、ギョロッとした目。
「え、えっと……」
ガンツさんが朝までジェルディク産の蒸留酒を呑んでいたらこんな顔になりそうだけど、問題は大きさだ。
頭だけでルッ君の身長ぐらいはありそうな、巨大な顔面。
僕たちがアホみたいな顔をして寝転がっているすぐ側の階段から、その顔の半分だけをこちらに覗かせているのだ。
「ぽぽぽぽぽぽぽ……!!」
「ぽい、ぽいぽいぽいぽい……!!」
僕とルッ君はお互いの顔を見合わせながらうろたえた。
「「ぽいずんじゃいあんと!!!!!」」
腰を抜かしたまま後ろに下がろうとするルッ君を、僕は引き止めた。
「ル、ルッ君、だめだ!! こいつをこれ以上こっちに連れてきたら、全員死ぬ!!」
「い、い、いや、でも……!!」
「地下一階まで上ったら、こいつは地上にもやってくる!! そうしたら、ベルゲングリューン市は壊滅。たくさんの人が死ぬ!!」
「うわわわわっ、あがってくる!!!」
「全力で阻止するんだ!!」
僕とルッ君は二人で毒巨人の頭を押さえつけた。
「ムゴゴゴゴ……、フシュー、フシュー!!」
「うわわわわ、だ、だめだぁっ!! お、押さえきれない!!!」
「口を開けさせちゃダメだよルッ君!! こいつが口を開けたら終わる!!」
毒巨人の頭に二人でしがみつきながら、手と足を使って全力で押さえ込む。
「ムゴゴゴゴッ!!!!」
「うわあああっ!!! ダ、ダメだ!! こいつ口を開けた!!!」
「く、食わせろ!! なんでもいいから口の中に入れるんだ!!!」
「く、くそー!! 俺のサンダルを食らいやがれ!!!!」
「それは僕のサンダルだ!!」
ルッ君が片足ずつサンダルを脱いで、毒巨人の口の中に放り込んだ。
「ゲ、ゲホッ……、ゴクッ……!! オ、オエエエエエッッ!!!」
「めっちゃ効いてる!! 効いてるよルッ君!! どんだけ足臭いんだよ!!!」
「ぷっ……こ、こんな時に笑かすなよ!!!」
ルッ君が腰のナイフを毒巨人に突き刺そうとするが、金属のように硬い皮膚に刃がポキン、と折れた。
「ベル! 大丈夫か?!」
「毒巨人だと?!」
「お、おいおい!! オメェら二人でソイツを止めてたってのか?!」
僕たちの騒ぎを聞きつけて、ヒルダ先輩達がやってきた。
「ああ、ガンツさんもいる!! 今すぐ足甲を脱いでこっちに投げて!!!」
「足甲を?! こんな時に何言って……」
「いいから早く!!」
僕に言われて、ガンツさんが困惑しながらも足甲を投げてよこした。
「私のも必要か?!」
「い、いや、ヒルダのはご褒美になっちゃうから……」
僕はガンツさんの革製の足甲を拾い上げながら、ヒルダ先輩に首を振った。
「おら! 40過ぎのハゲおっさんの足甲だ!! おいしく食えっ!!!」
僕は毒巨人の口の中にガンツさんの足甲を放り込んだ。
「どうだ!! ぷくくくっ……美味いか!!」
「し、信じられん……貴様……、この状況で笑っているのか……」
ヒルダ先輩が本当に信じられないものでも見るように僕を見た。
そりゃそうだろう。
この毒巨人が大きく息を一吹きしただけで、ここにいる僕たちは確実に死ぬ。
「ゲ、ゲホッ、ゲホッ……!! ゴクッ……フゥッ……」
「お、おい!! 満足そうにしてるぞ!!!」
「ダ、ダメだ!! ガンツさんの足は思ったほど臭くなかった!! ルッ君のサンダルの時とリアクションが全然違う!!!」
「だ、だから……!! 押さえる力が抜けるから……、笑かすなって……!!」
ルッ君がぷるぷる震えながら僕に言った。
「ガンツさん、他に何か食わせるものないの?! 王女殿下がやってくるまで、こいつの口を塞ぎ続けるんだ!!」
「そ、そうは言ってもよ……、もう荷物は応援団の奴らに渡しちまったし……攻撃じゃダメなのか?」
「並の攻撃では、アイツは怯まない。むしろ攻撃に反応して毒息を吐き出してくる可能性が高いです!」
ヴェンツェルがガンツさんに説明する。
「そうは言っても、何も出せねぇよ!! ショ、ションベンぐらいしか……」
「も、もうこの際それでいいから!! 僕らが押さえている間に出して!!」
「「マ、マジで?」」
ルッ君とガンツさんが同時に僕に尋ねる。
「他に手がないか今のうちに考えておくから!! とりあえず思いつくことからやっていくしかない!!」
「わ、わかった……」
ガンツさんがヒルダ先輩のことをチラっと気にしてから、僕たちの方に急いで近付いた。
ヒルダ先輩は集中していて、腕を組みながら何事か思案している。
さすが、先輩は常識人だけど、こういう時は生存本能が優先されるらしい。
「ムゴゴゴゴッ!!!」
「……その、ちょっと目をつぶっててもらえるか……? やりづらくて……」
「何を見た目に似合わずシャイなこと言ってんすか!! いいから、早く!!!」
「わ、わかった……」
ハゲマッチョのおっさんが急にモジモジしはじめたので、僕は仕方なく目をつぶった。
「……」
カチャカチャとズボンを下ろす音が聞こえる。
……もし今この瞬間にポイズンジャイアントの毒ガス攻撃で全員が死んだら、その死体を見た人たちは、この光景をなんだと思うだろうか。
そんなことを考えながらその時を待つけど、ちっとも状況に変化がない。
「ガ、ガンツさん!? どうしたの?」
「……で、出ねぇ」
「は?」
「だ、だから、出ねぇんだよ!!! オメェ、こんな状況でションベンが出せる奴がいると思うか?!」
ガンツさんが下半身丸出しの状態で、泣きそうな顔で僕に言った。
「もういい、わかった!! じゃあ僕が出す!!! ガンツさん場所を変わって!!」
「お、、おう!!」
「ヒルダ先輩は後ろ向いてて!!」
僕がそう言うけど、ヒルダ先輩は反応しない。
くそっ、こんな時も呼び捨てじゃなきゃ返事しないつもりか。
「ヒルダ! 後ろ向いて!」
「いや、興味深い。貴様の胆力を見せてもらおう」
「こんな時に何言ってんの?! ってか、ヴェンツェルがなんで目を両手で隠してるの!!」
「フシュー!! フシュー!!!」
「お、おい!! やばいぞ!! 大きく口を開け始めた!!」
「ええーい!!!」
僕は心を決めて、一気にズボンとパンツを足元まで引き下ろした。
そして、恐怖の毒ガスで数々の中級冒険者たちを葬ってきた、恐ろしい毒巨人の口の中にめがけて……。
「わはははは!! くらえー!!! 毒巨人がなんぼのもんじゃー!!!!」
「モガモガモガ!!! ウプッ!! ウプゥゥッ!!!」
「う、うわっ!! コイツ、本当に出しやがった!!!」
ドン引きしながらも爆笑してガンツさんが言った。
「ひーひっひっひ!! だ、だから……笑かすなって、笑かすなって言ってるのに!!」
ルッ君が肩を震わせながら、必死に毒巨人を押さえ込んでいる。
「うわっ、飛沫がこっちに飛んできやがる! お、おい、もっとちゃんと狙えよ!」
「あのねぇ、一滴も出なかったクセに文句言わないでくれる?! ガマンして、ちゃんと押さえててください!!」
「ふふふふっ、ぷぷっ、あっはっはっはっは!!!! あああ、なんなんだこの冒険……、ぷっ、ぷくくっ、毒ガスを食らう前に笑い死んでしまいそうだ……!!」
「ヒルダ、笑ってないで何か次の手を考えてよ!! もうそろそろ終わっちゃうから!!」
「ふふ、その時は仕方がないから、私のを食らわせてやるとしよう」
「ヒルダのは飛ばせないでしょう!! っていうか、そんなことを貴女にさせるぐらいならここで死ぬことを選びますよ僕は!!!」
緊張の連続で気付いてなかったけど、予想以上に尿意がたまっていたらしく、毒巨人のブレス攻撃をかなりの時間食い止めることができた。
「待たせたのう!! 面倒ゆえ、このメスゴリラが割れた鉄球を二つとも持ってきてやったわ!! わっはっは!! ……って、何をやっとるんじゃああああ!!!!!」
ガンガラガッシャーン!!!
何をやっとるんじゃああああ!!!!!
何をやっとるんじゃああああ!!!!!
何をやっとるんじゃああああ!!!!!
半ばヤケクソになりながら鉄球を運んできたユリーシャ王女殿下が、自分に向かってぷりぷりのお尻を向けながら、毒巨人におしっこをぶっかけている僕を見て叫んだ声と鉄球を取り落した音が、古代迷宮に響き渡った。
「ああ、やっと来てくれた!!」
しがみついたままのルッ君のポケットからハンカチを取り出してちんちんを拭いて、裏返して手を拭いて、ズボンを履いた。
「そのハンカチをオレのポケットに戻すな!!!」
「ふぅ、王女殿下、お待ちしていましたよ」
「妙にスッキリした顔で言うでない!!」
事態をなんとなく理解しながらも、ドン引きした顔で王女殿下が言った。
「その鉄球で毒巨人を押さえ込みながら、階段をふさいでください!!」
「それはわかるが……、そのためにはそなたたちがどかねばなるまい。どけば高確率でそやつは毒息攻撃をしてくるぞ?」
「それを、あいつの口の中に突っ込んでください!! その後鉄球を載せて詰み。僕らの勝ちです!!」
僕はユリーシャ王女殿下の足元にある大きな岩を指差した。
聖剣エクスカリバーの刺さった、巨大な岩を。
「なっ?! お、お前、聖剣を錆びさせた上に、小便まみれにせよと申すのか?!」
「ここで死ぬよりマシです!!! 僕の……、僕のおしっこを無駄にしないで!!!」
僕の悲痛な叫びに、ヒルダ先輩とヴェンツェル、ガンツさん、ルッ君が爆笑した。
「く、くぅ……、聖剣エクスカリバーに宿る英霊たちよ……、どうかお許し給え……」
あんだけ岩ごと振り回しといて何言ってるんだと思いつつも、僕はツッコまずにユリーシャ王女殿下の挙動を見守った。
「せぇぇぇいっ!!!!」
「ゴバガアアアアアッッッ!!!!」
大きく開いていた毒巨人の口の中に、ユリーシャ王女殿下が突き出した巨大な岩が……。
「ダ、ダメだ、歯が邪魔して入らねぇ!!」
ガンツさんの焦った声が聞こえる。
……でも、僕はまったく心配していなかった。
「たわけが……私に出された食事は……、ちゃんと食わぬかぁっ!!!!」
ゴリゴリゴリッ!!!!
「グムゴゴゴゴゴゴッ、ゴ、ゴフッ、ゴ、ゴハアアアッッ!!!」
毒巨人のアゴが外れるような嫌な音とともに、聖剣エクスカリバー付きの岩が無理やり口の中に入り込んだ。
「オ、オレ……、だんだんコイツのことがかわいそうになってきちゃった……」
「それ、実は僕もだけど……。コイツはマジでヤバいんだ……。仕方ない……」
殺すわけじゃないから……。
封鎖した三層で、静かに暮らしてくれ……。
僕が心の中で祈りを捧げる中。
「これで、終わりじゃああああっ!!!!」
ユリーシャ王女殿下がまず片側の鉄球で三層への下り階段の入り口を毒巨人ごと塞ぎ、聖剣付きの岩を引き抜くのと同時に、もう片方の鉄球を叩きつけた。
「グモモモモォォォッッ!!!」
ユリーシャ王女殿下のすさまじい膂力と鉄球の重みで毒巨人が階下に完全に押し込まれ、聖剣エクスカリバーで真っ二つにしたおかげで水平になった鉄球の断面が、階段の入口をぴたりと封鎖した。
……これなら、階下から毒ガスが漏れ出ることはないだろう。
「グムムムムッ、ムオッ、ムガアアアアアアアアッッ!!!」
いくら脅威とはいえ、あんまりな扱いを受けた毒巨人が怒り狂い、階下からドン、ドン、と鉄球を叩く音が聞こえるが、鉄球がビクともしないため、うなり声を上げたまま、すごすごとどこかに去っていく足音を立てて、やがて何も聞こえなかった。
「た、助かったぁ……」
僕とルッ君、ガンツさんはその場にへなへなとへたり込んだ。
いや、その場って言っても、おしっこが飛び散ってそうなところは避けたけど。
「私は今回の冒険を一生忘れない自信がある」
笑いすぎたヒルダ先輩が涙で目を真っ赤にしながら言った。
……結局この人、毒巨人の時に何の役にも立たなかったな。
「オレもだぜ……くっくっく……、当分は酒場での話のネタに困らねぇだろうな……」
「その時は、ガンツさんが一滴も出なかったこともちゃんと話してよね」
「当たりめぇだろ! ふつーはあんな状況で出ないってところが一番おもしれぇんだからよぉ!」
はぁ……。
必死に生存戦略を練ったのに、僕はまた笑いの種にされるのか。
まぁ、でも、ホラ半分の酒飲み話ならまだいいいや……。
爆笑伯爵ベルゲンくんの話のネタなんかにされた日には……。
「メアリーがいなくて、本当によかった」
僕がそう言った途端、奥でガタッ、と物音がして、タッタッタ、と小走りで走り去る音が聞こえた。
「お、王女殿下!! 公儀隠密を!! 今すぐ密偵を捕らえてください!!」
僕がそう叫ぶと、王女殿下を含む全員がゲラゲラと笑った。
……ちなみに、補足しておくことがある。
後ろにしがみついていた時、毒巨人の首にルッ君が一層で投げ捨てた革靴が乗っていたらしい。
ルッ君が潜伏移動をして偵察した時、その匂いを辿って、毒巨人が二層まで上ってきたということらしい。
生徒会では、ルッ君の履いた靴で魔物を呼び出せるのではないかという議題が上がった。
なんにせよ、記念すべき「士官学校ギルド」の最初の冒険は、こうして幕を閉じたのであった。
「ヴェンツェルってすごい優秀なんだなぁ」
僕はヴェンツェルがメンバーそれぞれに表示させている魔法表示画面を見て感心した。
今、目の前には魔法情報票のウィンドウのように、古代迷宮第一、第二層の地図やトラップの位置、出現する魔物の弱点属性や特徴などの詳細情報、手に入る素材や落とした物品などが表示されている。
ヒルダ先輩がそれをさらさらと羊皮紙に書き写しながら、注意点などを付け加えている。
「この地図とかって、ヴェンツェルが魔法で書き込んでいるの?」
「ああ。魔物については、私がこれまでに読み漁った文献などの情報を元にして記録してあるので、信憑性についてはなんとも言えないが……」
なるほど。
以前、ヴェンツェルが当主を務める大軍師家、ローゼンミュラー家の本分は情報分析だと言っていたけど、これを見ればその意味がよくわかる。
「おまけに剣はできるし攻撃魔法も使えて回復魔法も使える。すごいよね。一家に一台欲しいよね」
「君の方こそ、剣に攻撃魔法に、召喚魔法……のようなものだって使えるじゃないか」
「い、いやぁ……、僕のはどれも……使える気がしないというか、安定しないというか……」
僕は自分で言いながら思わず苦笑してしまった。
今まで、なんだかんだで切り抜けられそうもないことを切り抜けてきたけれど、結局、それが自分の剣技だとか、魔力だと思えるような切り抜け方をしたことは一度もない気がする。
メルやジルベールに言わせれば、それこそが僕の真価なんだそうだけど、あの二人は親バカだからなぁ……。
一度ぐらいは彼らのように、バシッとキメてみたいというのが劣等生の僕の願望だったりする。
エクスカリバーを刺し直した理由の一つも、それだ。
今そんな物を使っちゃったら、僕はきっと、いつまで経ってもメルの剣技にたどり着けない。
あの流星のように美しいメルの剣技……。
最初にそれを見た時から、僕の憧れはずっと変わらない。
「それで、どうするんだ? 下に降りるつもりなのか? 荷袋にゃまだ余裕があるが……」
ガンツさんが尋ねてきた。
「うーん、今ルッ君に地下三階の偵察をしてもらっているので、それから判断しようかと思ってるけど、今のところ、否定的見解かなぁ」
「へっ、オメェは無謀に見えて、そういうところは慎重だよな」
「冒険者としては臆病なのかもしれないけど……」
「いや、それでいいんだ」
ガンツさんがぽんぽん、と僕の頭に手をのせた。
自分でもそう思う。
一階層、下に降りただけで、アンデッドコボルドの集団があれだけいたんだ。
キムのような壁役や、アリサのような本格的な回復役がいない中で、これ以上の探索は無謀だし……。
そもそも、これは「士官学校ギルド」つまり、士官学校の他の生徒が冒険するための下見なのだから、よっぽどの安全マージンが取れない限り、僕は二階層までで封鎖すべきと考えていた。
「しかし、あのチビっこいのだけで行かせて大丈夫じゃったんかいね? なんじゃったらワシも……」
ソリマチ隊長の質問に、僕は首を振った。
「ルッ君はああ見えて努力家でね。潜伏移動ができるようになったんだ」
「潜伏移動っていうとあれかいね、泥棒が使う……」
「……泥棒呼ばわりは可哀想だからやめてあげて。盗賊の技能だよ」
潜伏移動は、敵から身を隠しながら移動することができる特殊技能で、壁沿いにさえいれば、ほとんどの魔物たちから身を隠すことができる。
ただし、万能ではなく、壁から一歩離れたら丸見えになってしまうし、自分よりも技能の高い盗賊やニンジャ、高位の魔導師や魔力の高い魔物などには感知されてしまうらしい。
あと、アウローラがいるおかげか僕にも通じない。
ルッ君が潜伏移動を覚えたての頃、倉庫整理の当番だった僕をからかうために壁に隠れて僕を驚かそうとしてきたので、何も見えないフリをしておしっこをかけてやったら、おしっこまみれのままものすごい勢いで追いかけてきて、僕が逃げながらロドリゲス教官に石を投げて隠れたらルッ君が見つかって、結局二人共死ぬほど怒られたことがあった。
「なので、おっつぁんがついて行ったほうがルッ君は危ないんだよ。一人だったらこっそり移動できるからね」
「ほうほう、便利なもんじゃのうー」
僕たちがそんな話をしていたら、ルッ君が全速力で走ってきた。
「やっぱムリ!! 絶対ムリ!!」
「ヤバかった?」
ヴェンツェルからタオルを受け取って、額と首周りの汗を拭いながら、ルッ君が答える。
「ヤバいってなもんじゃねぇ。人食い鬼に巨大カエル、石化蜥蜴ってだけでもヤベェのに、一体だけだが、なんと毒巨人がいた……」
「はい撤収ー!」
僕は即答した。
「ぽいずんなんたらってのは、そげにやべぇんか?」
ソリマチ隊長が尋ねる。
「冒険者ギルドでの毒巨人の討伐依頼は、銀星冒険者でも受託不可なんですよ」
「つまり、そんだけやべぇっちゅうことけ」
「めちゃくちゃ力が強い上に、食らったら即死クラスの猛毒の息を吐くので、耐性があるか対策がないと全員即死です」
「即死!!」
ソリマチ隊長が目を丸くした。
「たいていは迷宮の奥底から出てこぬゆえ、犠牲になるのは冒険者だけなのだが、かつて魔王軍が猛威を奮っていた頃は、地上にあやつらが現れ、数々の街を壊滅させ、数万におよぶ無辜の民の命が奪われたと聞く」
「ムコの民? 男ばかりってことか?」
「アホ、なんの罪もない人たちってことだよ」
ヒルダ先輩の解説にボケたルッ君に僕がツッコんだ。
「しかし、三層に毒巨人がいるとなると、とてもではないが士官学校ギルドの冒険には使えんな……」
「ええー、こんなに制圧頑張ったのにー!」
ルッ君が思わず愚痴った。
たしかに、大事な革靴とブカブカのタキシードを失って来たのに成果なしというのもかわいそうだ。
(それにしても、よくあのアンデッドコボルド相手にサンダル履いて背後奇襲を決めたよなぁ……)
「たしかに残念だが……、すぐ下の階層に毒巨人がいるというのは危険すぎるな」
ヴェンツェルがつぶやいた。
そうなんだよねぇ。
「……まぁでも、実際もったいないわな。魔物は手頃な強さだし、トラップもヤベェのはあの鉄球だけだ。それも、どうやったのかは知らんがオメェが叩き割っちまったしな……」
「それだ!! ガンツさんそれやんけ!!」
僕はガンツさんにビシィっと指を突き出した。
「あの鉄球で階段を塞いじゃえばいいんだよ! そうすれば下から敵はやってこないし、士官学校の生徒も動かせない」
「なるほど……、名案かもしれんな」
「そうは言ってもよぉ……、士官学校の生徒が動かせないようなもんをどうやって……、あ……」
僕とルッ君、ガンツさんとヒルダ先輩が一斉にユリーシャ王女殿下の方を向いた。
「な、なんじゃ……その目は……。ヒルデガルド……そなたまで……」
「王女殿下……なんと申しましょうか、やはり、あの鉄球を運搬できるのは……」
「皆、大げさすぎじゃ。あのぐらいの鉄球、そなたらでもじゅうぶん……」
ユリーシャ王女殿下の言葉に、全員がふるふるふると首を振った。
「もういい、わかった……。皆で私をメスゴリラと言いたいのであろう!」
「い、いや、見た目じゃなくて、メスゴリラぐらい力が強……ぐふぅっ……」
ルッ君がユリーシャ王女殿下渾身のボディブローを食らって膝を付いた。
「わかったわ!! 私が持ってくれば良いのであろう!! 私が!!」
王女殿下がぶりぶり怒りながら鉄球を拾いに行った。
「ブス先輩たちは?」
「帰り支度だ。荷物をまとめてもらっている。ガサツに見えるが、ああ見えて連中、几帳面なところがあってな。今、ソリマチ隊長もそちらの手伝いに向かったぞ」
ヒルダ先輩に命じられ、正座をしながらいそいそと荷造りをしている毒島先輩たちの姿が目に浮かんだ。
ふと、ルッ君の姿が見当たらなくなったので、僕は階段の方に向かった。
「……ルッ君、何してんの……?」
ルッ君が、三層に降りる階段を見下ろしながらそわそわしている。
「うーん、いや……、なんとなくなんだけど……」
「なんとなくなんだけど、何?」
「ほら、聞こえない? 変な音……」
ルッ君が、階段の近くにうつ伏せになって、耳を地面に付けはじめた。
「音……?」
僕も一緒になって、地面に耳を付ける。
「……この、ふしゅー、ふしゅーっていう音?」
「そうそう。なんか、どんどん近付いてきてない?」
「近付いているっていうか……、上がってきてるっていうか……」
僕たちがそんな話をしていると、突然、目の前の階段からぬっと出てきたおっさんと目が合った。
ピンクがかった紫色の皮膚のハゲ頭に、ギョロッとした目。
「え、えっと……」
ガンツさんが朝までジェルディク産の蒸留酒を呑んでいたらこんな顔になりそうだけど、問題は大きさだ。
頭だけでルッ君の身長ぐらいはありそうな、巨大な顔面。
僕たちがアホみたいな顔をして寝転がっているすぐ側の階段から、その顔の半分だけをこちらに覗かせているのだ。
「ぽぽぽぽぽぽぽ……!!」
「ぽい、ぽいぽいぽいぽい……!!」
僕とルッ君はお互いの顔を見合わせながらうろたえた。
「「ぽいずんじゃいあんと!!!!!」」
腰を抜かしたまま後ろに下がろうとするルッ君を、僕は引き止めた。
「ル、ルッ君、だめだ!! こいつをこれ以上こっちに連れてきたら、全員死ぬ!!」
「い、い、いや、でも……!!」
「地下一階まで上ったら、こいつは地上にもやってくる!! そうしたら、ベルゲングリューン市は壊滅。たくさんの人が死ぬ!!」
「うわわわわっ、あがってくる!!!」
「全力で阻止するんだ!!」
僕とルッ君は二人で毒巨人の頭を押さえつけた。
「ムゴゴゴゴ……、フシュー、フシュー!!」
「うわわわわ、だ、だめだぁっ!! お、押さえきれない!!!」
「口を開けさせちゃダメだよルッ君!! こいつが口を開けたら終わる!!」
毒巨人の頭に二人でしがみつきながら、手と足を使って全力で押さえ込む。
「ムゴゴゴゴッ!!!!」
「うわあああっ!!! ダ、ダメだ!! こいつ口を開けた!!!」
「く、食わせろ!! なんでもいいから口の中に入れるんだ!!!」
「く、くそー!! 俺のサンダルを食らいやがれ!!!!」
「それは僕のサンダルだ!!」
ルッ君が片足ずつサンダルを脱いで、毒巨人の口の中に放り込んだ。
「ゲ、ゲホッ……、ゴクッ……!! オ、オエエエエエッッ!!!」
「めっちゃ効いてる!! 効いてるよルッ君!! どんだけ足臭いんだよ!!!」
「ぷっ……こ、こんな時に笑かすなよ!!!」
ルッ君が腰のナイフを毒巨人に突き刺そうとするが、金属のように硬い皮膚に刃がポキン、と折れた。
「ベル! 大丈夫か?!」
「毒巨人だと?!」
「お、おいおい!! オメェら二人でソイツを止めてたってのか?!」
僕たちの騒ぎを聞きつけて、ヒルダ先輩達がやってきた。
「ああ、ガンツさんもいる!! 今すぐ足甲を脱いでこっちに投げて!!!」
「足甲を?! こんな時に何言って……」
「いいから早く!!」
僕に言われて、ガンツさんが困惑しながらも足甲を投げてよこした。
「私のも必要か?!」
「い、いや、ヒルダのはご褒美になっちゃうから……」
僕はガンツさんの革製の足甲を拾い上げながら、ヒルダ先輩に首を振った。
「おら! 40過ぎのハゲおっさんの足甲だ!! おいしく食えっ!!!」
僕は毒巨人の口の中にガンツさんの足甲を放り込んだ。
「どうだ!! ぷくくくっ……美味いか!!」
「し、信じられん……貴様……、この状況で笑っているのか……」
ヒルダ先輩が本当に信じられないものでも見るように僕を見た。
そりゃそうだろう。
この毒巨人が大きく息を一吹きしただけで、ここにいる僕たちは確実に死ぬ。
「ゲ、ゲホッ、ゲホッ……!! ゴクッ……フゥッ……」
「お、おい!! 満足そうにしてるぞ!!!」
「ダ、ダメだ!! ガンツさんの足は思ったほど臭くなかった!! ルッ君のサンダルの時とリアクションが全然違う!!!」
「だ、だから……!! 押さえる力が抜けるから……、笑かすなって……!!」
ルッ君がぷるぷる震えながら僕に言った。
「ガンツさん、他に何か食わせるものないの?! 王女殿下がやってくるまで、こいつの口を塞ぎ続けるんだ!!」
「そ、そうは言ってもよ……、もう荷物は応援団の奴らに渡しちまったし……攻撃じゃダメなのか?」
「並の攻撃では、アイツは怯まない。むしろ攻撃に反応して毒息を吐き出してくる可能性が高いです!」
ヴェンツェルがガンツさんに説明する。
「そうは言っても、何も出せねぇよ!! ショ、ションベンぐらいしか……」
「も、もうこの際それでいいから!! 僕らが押さえている間に出して!!」
「「マ、マジで?」」
ルッ君とガンツさんが同時に僕に尋ねる。
「他に手がないか今のうちに考えておくから!! とりあえず思いつくことからやっていくしかない!!」
「わ、わかった……」
ガンツさんがヒルダ先輩のことをチラっと気にしてから、僕たちの方に急いで近付いた。
ヒルダ先輩は集中していて、腕を組みながら何事か思案している。
さすが、先輩は常識人だけど、こういう時は生存本能が優先されるらしい。
「ムゴゴゴゴッ!!!」
「……その、ちょっと目をつぶっててもらえるか……? やりづらくて……」
「何を見た目に似合わずシャイなこと言ってんすか!! いいから、早く!!!」
「わ、わかった……」
ハゲマッチョのおっさんが急にモジモジしはじめたので、僕は仕方なく目をつぶった。
「……」
カチャカチャとズボンを下ろす音が聞こえる。
……もし今この瞬間にポイズンジャイアントの毒ガス攻撃で全員が死んだら、その死体を見た人たちは、この光景をなんだと思うだろうか。
そんなことを考えながらその時を待つけど、ちっとも状況に変化がない。
「ガ、ガンツさん!? どうしたの?」
「……で、出ねぇ」
「は?」
「だ、だから、出ねぇんだよ!!! オメェ、こんな状況でションベンが出せる奴がいると思うか?!」
ガンツさんが下半身丸出しの状態で、泣きそうな顔で僕に言った。
「もういい、わかった!! じゃあ僕が出す!!! ガンツさん場所を変わって!!」
「お、、おう!!」
「ヒルダ先輩は後ろ向いてて!!」
僕がそう言うけど、ヒルダ先輩は反応しない。
くそっ、こんな時も呼び捨てじゃなきゃ返事しないつもりか。
「ヒルダ! 後ろ向いて!」
「いや、興味深い。貴様の胆力を見せてもらおう」
「こんな時に何言ってんの?! ってか、ヴェンツェルがなんで目を両手で隠してるの!!」
「フシュー!! フシュー!!!」
「お、おい!! やばいぞ!! 大きく口を開け始めた!!」
「ええーい!!!」
僕は心を決めて、一気にズボンとパンツを足元まで引き下ろした。
そして、恐怖の毒ガスで数々の中級冒険者たちを葬ってきた、恐ろしい毒巨人の口の中にめがけて……。
「わはははは!! くらえー!!! 毒巨人がなんぼのもんじゃー!!!!」
「モガモガモガ!!! ウプッ!! ウプゥゥッ!!!」
「う、うわっ!! コイツ、本当に出しやがった!!!」
ドン引きしながらも爆笑してガンツさんが言った。
「ひーひっひっひ!! だ、だから……笑かすなって、笑かすなって言ってるのに!!」
ルッ君が肩を震わせながら、必死に毒巨人を押さえ込んでいる。
「うわっ、飛沫がこっちに飛んできやがる! お、おい、もっとちゃんと狙えよ!」
「あのねぇ、一滴も出なかったクセに文句言わないでくれる?! ガマンして、ちゃんと押さえててください!!」
「ふふふふっ、ぷぷっ、あっはっはっはっは!!!! あああ、なんなんだこの冒険……、ぷっ、ぷくくっ、毒ガスを食らう前に笑い死んでしまいそうだ……!!」
「ヒルダ、笑ってないで何か次の手を考えてよ!! もうそろそろ終わっちゃうから!!」
「ふふ、その時は仕方がないから、私のを食らわせてやるとしよう」
「ヒルダのは飛ばせないでしょう!! っていうか、そんなことを貴女にさせるぐらいならここで死ぬことを選びますよ僕は!!!」
緊張の連続で気付いてなかったけど、予想以上に尿意がたまっていたらしく、毒巨人のブレス攻撃をかなりの時間食い止めることができた。
「待たせたのう!! 面倒ゆえ、このメスゴリラが割れた鉄球を二つとも持ってきてやったわ!! わっはっは!! ……って、何をやっとるんじゃああああ!!!!!」
ガンガラガッシャーン!!!
何をやっとるんじゃああああ!!!!!
何をやっとるんじゃああああ!!!!!
何をやっとるんじゃああああ!!!!!
半ばヤケクソになりながら鉄球を運んできたユリーシャ王女殿下が、自分に向かってぷりぷりのお尻を向けながら、毒巨人におしっこをぶっかけている僕を見て叫んだ声と鉄球を取り落した音が、古代迷宮に響き渡った。
「ああ、やっと来てくれた!!」
しがみついたままのルッ君のポケットからハンカチを取り出してちんちんを拭いて、裏返して手を拭いて、ズボンを履いた。
「そのハンカチをオレのポケットに戻すな!!!」
「ふぅ、王女殿下、お待ちしていましたよ」
「妙にスッキリした顔で言うでない!!」
事態をなんとなく理解しながらも、ドン引きした顔で王女殿下が言った。
「その鉄球で毒巨人を押さえ込みながら、階段をふさいでください!!」
「それはわかるが……、そのためにはそなたたちがどかねばなるまい。どけば高確率でそやつは毒息攻撃をしてくるぞ?」
「それを、あいつの口の中に突っ込んでください!! その後鉄球を載せて詰み。僕らの勝ちです!!」
僕はユリーシャ王女殿下の足元にある大きな岩を指差した。
聖剣エクスカリバーの刺さった、巨大な岩を。
「なっ?! お、お前、聖剣を錆びさせた上に、小便まみれにせよと申すのか?!」
「ここで死ぬよりマシです!!! 僕の……、僕のおしっこを無駄にしないで!!!」
僕の悲痛な叫びに、ヒルダ先輩とヴェンツェル、ガンツさん、ルッ君が爆笑した。
「く、くぅ……、聖剣エクスカリバーに宿る英霊たちよ……、どうかお許し給え……」
あんだけ岩ごと振り回しといて何言ってるんだと思いつつも、僕はツッコまずにユリーシャ王女殿下の挙動を見守った。
「せぇぇぇいっ!!!!」
「ゴバガアアアアアッッッ!!!!」
大きく開いていた毒巨人の口の中に、ユリーシャ王女殿下が突き出した巨大な岩が……。
「ダ、ダメだ、歯が邪魔して入らねぇ!!」
ガンツさんの焦った声が聞こえる。
……でも、僕はまったく心配していなかった。
「たわけが……私に出された食事は……、ちゃんと食わぬかぁっ!!!!」
ゴリゴリゴリッ!!!!
「グムゴゴゴゴゴゴッ、ゴ、ゴフッ、ゴ、ゴハアアアッッ!!!」
毒巨人のアゴが外れるような嫌な音とともに、聖剣エクスカリバー付きの岩が無理やり口の中に入り込んだ。
「オ、オレ……、だんだんコイツのことがかわいそうになってきちゃった……」
「それ、実は僕もだけど……。コイツはマジでヤバいんだ……。仕方ない……」
殺すわけじゃないから……。
封鎖した三層で、静かに暮らしてくれ……。
僕が心の中で祈りを捧げる中。
「これで、終わりじゃああああっ!!!!」
ユリーシャ王女殿下がまず片側の鉄球で三層への下り階段の入り口を毒巨人ごと塞ぎ、聖剣付きの岩を引き抜くのと同時に、もう片方の鉄球を叩きつけた。
「グモモモモォォォッッ!!!」
ユリーシャ王女殿下のすさまじい膂力と鉄球の重みで毒巨人が階下に完全に押し込まれ、聖剣エクスカリバーで真っ二つにしたおかげで水平になった鉄球の断面が、階段の入口をぴたりと封鎖した。
……これなら、階下から毒ガスが漏れ出ることはないだろう。
「グムムムムッ、ムオッ、ムガアアアアアアアアッッ!!!」
いくら脅威とはいえ、あんまりな扱いを受けた毒巨人が怒り狂い、階下からドン、ドン、と鉄球を叩く音が聞こえるが、鉄球がビクともしないため、うなり声を上げたまま、すごすごとどこかに去っていく足音を立てて、やがて何も聞こえなかった。
「た、助かったぁ……」
僕とルッ君、ガンツさんはその場にへなへなとへたり込んだ。
いや、その場って言っても、おしっこが飛び散ってそうなところは避けたけど。
「私は今回の冒険を一生忘れない自信がある」
笑いすぎたヒルダ先輩が涙で目を真っ赤にしながら言った。
……結局この人、毒巨人の時に何の役にも立たなかったな。
「オレもだぜ……くっくっく……、当分は酒場での話のネタに困らねぇだろうな……」
「その時は、ガンツさんが一滴も出なかったこともちゃんと話してよね」
「当たりめぇだろ! ふつーはあんな状況で出ないってところが一番おもしれぇんだからよぉ!」
はぁ……。
必死に生存戦略を練ったのに、僕はまた笑いの種にされるのか。
まぁ、でも、ホラ半分の酒飲み話ならまだいいいや……。
爆笑伯爵ベルゲンくんの話のネタなんかにされた日には……。
「メアリーがいなくて、本当によかった」
僕がそう言った途端、奥でガタッ、と物音がして、タッタッタ、と小走りで走り去る音が聞こえた。
「お、王女殿下!! 公儀隠密を!! 今すぐ密偵を捕らえてください!!」
僕がそう叫ぶと、王女殿下を含む全員がゲラゲラと笑った。
……ちなみに、補足しておくことがある。
後ろにしがみついていた時、毒巨人の首にルッ君が一層で投げ捨てた革靴が乗っていたらしい。
ルッ君が潜伏移動をして偵察した時、その匂いを辿って、毒巨人が二層まで上ってきたということらしい。
生徒会では、ルッ君の履いた靴で魔物を呼び出せるのではないかという議題が上がった。
なんにせよ、記念すべき「士官学校ギルド」の最初の冒険は、こうして幕を閉じたのであった。
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