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第一章 高校二年生編

第66話 かのんちゃんは渡したい!

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 俺たちが教室に入ると、男女共にソワソワとしていた。
 告白しやすいバレンタインデーだ、女子にとっても好意を伝える機会になり、男子にとっても意外な子からもらえるチャンスもある。

 そして何より、このクラスには花音がいる。
 仲良くなって忘れそうになる時もあるが、花音は学校一人気の女子だ。

 そんな花音は去年、クラスメイトみんなに男女問わずあげている。
 いくつかの市販のお菓子を詰めただけだが、逆にそれ以外をもらえたら特別な意味があるということ。
 特に男子たちには、自分がもらえるかもしれないという淡い期待を抱いていた。

 俺ももちろんそうである。
 正確に言えば恋愛感情的なチョコを欲してはいないが、友チョコでも特別なものがもらえれば、それだけで嬉しいのだ。
 クラスの男子たちが今か今かと待っている花音はまだ来ない。
 先に来たのは若葉だった。

「ハッピーバレンタイン!」

 そう言って教室に入ってくる若葉。
 若葉が隣のクラスなのだと忘れるくらい自然に入ってくる。
 そして、予想通りと言うか、若葉は俺たちに小包みを渡してくる。

「今年は力作だからね! しっかり味わって食べてよ! あ、あと、三倍返しも期待してるから!」

「おう、期待しとけ」

 虎徹が答えると、若葉は満足そうに頷く。

「あ、これ凪沙ちゃんの分ね」

 若葉は俺にもう一つ小包みを渡す。
 包装の色で違うためわかりやすくてありがたい。

「ありがとう。……これ、凪沙から」

「やったー!」

 派手に喜ぶ若葉。
 顔を合わせる機会はあまり多くない。
 しかし、若葉自身が『姉』ということもあるからか、凪沙のことを可愛がってくれている。

 そして「じゃあ、次のチョコレートが私を呼んでるから」と言い残し、若葉は教室から出て行った。
 持っている量産されたチョコレートから察するに、配り歩きつつもらっているのだろう。

 若葉は去年も俺と虎徹の分は、量産型のチョコとは別で用意してくれている。
 それだけでなく、甘めが好きな俺と甘さ控えめが好きな虎徹とで分けて作っているのだ。
 それだけ特別感があって嬉しいもの。
 凪沙の分まで用意してくれており、本当にマメな性格をしている。

 若葉が教室から出て行ってしばらくすると、教室が更に騒がしくなる。
 言わずともわかる。
 花音が来たのだ。

「おはよー」

 教室に入って近くのクラスメイトに挨拶をする花音。
 教室内の生徒のほとんど……特に男子は、花音を視線で追っている。

 俺たちとは少し離れている自分の席に荷物を下ろした花音は、手に持った紙袋から用意されたチョコを一つだけ出した。

「これ、どうぞ」

「あ、ありがとう……」

 隣の席の男子がキョドリながら受け取っている。
 渡し忘れや渡しすぎをしないようにか、花音は自分の席の周りから順番にチョコを配っていく。
 そして俺たちの席に来ると、

「青木くんと藤川くんも、どうぞ」

「ありがと」

 受け取ったのは配っているものと同じもの。

「えっ!?」

 驚きの声を上げたのは俺たちではなく、クラスメイト……俺と花音が付き合ってると勘違いしていて、応援してると言った中田だった。

「青木と藤川も同じなの?」

「えっと……、ダメ、だったかな?」

「いや、仲良いからてっきり特別扱いするのかと……」

 図々しいかもしれないが、俺もそう思っていた。
 しかし花音には考えがあった。

「付き合ってるって噂されてるし、特別扱いしたら噂が本当になっちゃいそうだからね。だから付き合ってないっていうことのアピール、かな」

 公の場で特別なものを渡せば疑いはさらに深まってしまう。
 花音はそれを避けたかったのだ。

「……なあ、マジでもらってないの? 昨日とかさ……」

 中田はコッソリと俺に聞いてくる。

「もらってないよ。そりゃもらいたいけどさ……」

 もらってない。
 本当にもらってないのだ。
 それがわかったのか、中田は俺の肩に手を置き、「どんまい」と慰めの言葉を置いていった。

「ごめんね、事前に言っとけばよかった」

「いや、しょうがないよ」

 周りには聞こえないように小声で話す。
 虎徹は理解しているようで、特に何も言わない。
 クラスの雰囲気は『かのんちゃんが青木に渡さなかったということは……ワンチャンある!?』といったいった感じになっている。
 これは花音の思い通り、そして花音の願っていた通りのことだった。



「さみぃ……」

「冬だしなぁ……」

 昼休み。
 俺たちは人目につかない場所ということで、体育館横のベンチに腰掛けていた。

 指定してきたのは花音。
 俺は受験が終わってテンションが上がっている凪沙お手製の弁当を、虎徹はいつも通り購買のパンを持ち、呼び出した張本人の花音が来るのを待っていた。
 しかし、先に来たのは花音ではなかった。

「あれ? 先輩たちも呼ばれたんですか?」

 双葉だ。
 以前は双葉とこの場所で昼ご飯を食べたが、あの時はまだ冬に入りかけた時期だったため耐えれた。
 今は流石に寒すぎる。

……ってことは、双葉も?」

「はいー。まあ、大方予想はついてますけど、なんでわざわざ呼び出しなんでしょう?」

 唯一、花音の事情を知らない双葉は、頭にハテナを浮かべていた。
 ――普通に考えたら、どこでも渡せるしなぁ……。

「ないとは思いましたけどコソコソするってなったら、『もしかして禁断の関係を……!?』なんて妄想しちゃいましたよ」

「おい、それどこで覚えてくるんだ」

「先輩の部屋にあったマンガですけど?」

 双葉の爆弾発言によって虎徹は白い目で見てくるが、思い当たるのは虎徹におすすめされたマンガだった。

「言っとくけど、俺の本棚の九割は虎徹におすすめされたやつだからな?」

「……となると、あれか」

 思い当たる節があったようで、虎徹は納得していた。
 基本的に俺は百合百合とした描写が前面的に出ているマンガは買っていない。

「とりあえず、お腹空きましたー」

 そう言って双葉はベンチに腰掛け、持っている可愛らしい弁当を膝の上に乗せる。
 ただ、花音を待つためにまだ開けようとはしない。
 俺たちがダラダラと話していると、続いてやってきたのは若葉だ。

「あれ、双葉ちゃんも?」

「若葉先輩もですかー。よく関わってる人を集めようって感じですかね?」

 察し良く、双葉は俺たちも考えていたことを口にする。
 双葉に限っては花音の本性を知らないとはいえ、少し行き過ぎな別の意味も含んで、可愛がっている後輩だ。
 そして遅れて、ようやく花音がやってくる。
 何故か校舎側ではなく運動場の方から。
 しかも上履きのスリッパではなく……いつもローファーを履いている花音がスニーカーを履いていた。

「ごめんねー」

 恐らく弁当が入っているトートバックを持っており、それと一緒にかなり大きな……ホールケーキが入りそうなくらいの箱を抱えている。

「なにそれ!?」

 俺たちの声を代弁するように、若葉は声を上げた。

「食後のお楽しみ……っていうことで」

 いたずらっ子のように笑う花音。
 予想通りだとは思うが予想以上のものに、気になって仕方ない。
 しかし、花音は「食後のデザートに食べよ」と言うため、俺たちは黙々とご飯を食べる。
 視界に入る箱が気になり、会話は弾まない。それは意外にも虎徹もだった。



 微妙な空気の中、俺たちはご飯を食べ終えた。
 花音だけは楽しそうにしていたが、俺たちは花音の持ってきた箱のことで頭がいっぱいだ。
 そして、ようやくその箱の中身を知ることとなる。

「これは……、ガトーショコラですか?」

「双葉ちゃん正解。多分美味しくできたと思うけど、口に合わなかったらごめんねー」

 そう言う花音だが、実質一人暮らしをしている花音は自炊をしていると聞いている。
 お菓子作りは難しいらしいが、『不味い』ということはないだろう。

 用意周到な花音は使い捨ての紙皿の上に、すでにカットしてあったガトーショコラを乗せて配っていく。プラスチックのフォークまで用意してあった。

「この箱、持ってくるの目立たなかった?」

「目立つと思ったから、昼休みに入ってすぐにダッシュで家まで取りに行ったんだ。……あ、戻ってくる時は早歩きだけどね」

 花音の家までは徒歩十五分程度。
 走ったり早歩きをしたりすれば、往復で十五分はかからなかっただろう。
 俺たちはご飯の準備などで集合するのに十分ちょっとはかかっていたため、かなり急いでいたに違いない。
 多少待たされたにしても、これだけのものをもらえるのなら待った甲斐があったというもの。

「でも、そんなにしなくても普通に渡せばよくないですか?」

 事情を知らない双葉がツッコむ。
 どうやってフォローをするべきかわからない俺は言葉が出ないが、花音は正直に……そして濁して言った。

「色々あって、他の人にはみんなを特別扱いしてるって知られたくないんだよね」

「友達なら特別扱いしてもおかしくないんじゃ……?」

「そうなんだけどね、私にとっては色々と複雑なんだよ。昔色々あったから」

 濁しながらも伝える花音に、「なるほどです」と双葉はそれ以上深くは突っ込まなかった。



 それから花音の作ったガトーショコラを食べ終えて一息つく。
 結論から言うと、めちゃくちゃ美味しかった。
 しっかりとした生地が口の中で溶け、甘くてほろ苦いチョコレートが体に染み渡る。
 手作りという補正も入っているかもしれないが、その辺のコンビニスイーツよりも花音のガトーショコラの方が美味しいと思えるほどだ。

 食後のデザートを堪能し、俺はようやく凪沙から預かっていたチョコを渡した。
 花音は変に誤解されないためにこの場で食べきれるようにしたのだ、俺が渡してしまえばさらに誤解を生むだろう。

「ありがと。私も凪沙ちゃんに……初花ちゃんにも用意してあるんだけどさ……」

 花音はそう言うが、手元にそれらしいものは見当たらない。
 俺がチラッと横目み見るとそれを察したのか花音は補足した。

「学校の後、颯太くんと若葉ちゃんの家行っていいかな?」

「えっと、良いけど……」

「直接渡したくてさ。家に置いてあるから、取りに帰ってから行こうかなって」

 徹底している。
 わざわざ家に帰ってから俺の家まで行こうと思うと時間がかかるはずだ。
 それもいとわず、全力でバレンタインのチョコを渡そうとしている。
 少し重くも感じるが、それだけ花音は今の関係を大切にしているのだ。

「それなら、私も行きたいです!」

 話を聞いていた双葉は、「はい! はい!」と手を挙げながら主張する。

「双葉は部活あるだろ……」

「ありますけど、終わったら行きます!」

 チョコを渡すだけのため、そんなに時間がかかるわけでもない。
 凪沙も学校があるとはいえ、受験も終えて部活もとっくの前に引退しているため、花音が来てすぐに渡せるだろう。
 そんなことを考えていると、どこからか電話のコール音が聞こえた。

「あ、もしもし。凪沙ちゃん。放課後暇?」

 双葉は凪沙に電話をかけている。

「花音先輩がチョコ渡したいって。うん、うん。それで、私も部活終わったら行こうかなって。うん。え、っと、ちょっと待って。……花音先輩、凪沙ちゃんがバスケしたいって言ってます」

「え? いいけど……」

「はーい。……いいってさ!」

 そう言うと双葉は電話を終える。
 会話からして嫌な予感しかしなかった。

「花音……。頑張れ」

「え? うん。頑張るよ」

 凪沙は元バスケ部。
 そして高校でもバスケをしようとしている根っからのスポーツ少女だ。
 体育を見る限り、運動神経はそこそこいい花音だが、そんな凪沙に敵うはずもない。
 双葉ほどではないが、凪沙も相当バスケが上手いのだから。

 放課後は花音……いや、俺たちも巻き込まれ、今までにないほど疲れるバレンタインになることが確定した。
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