【完結】『社畜の鑑』

M‐赤井翼

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「約束」

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「約束」

 気まずい空気が店内に流れ、靖は必死に展開を考えた。そこに助けが入った。靖のスマホに祥からのメッセージ着信音が鳴った。「ちょっと失礼します。」と断りを入れ、ラインアプリを開いた。「靖ちゃん、タコ殴りに遭わんと帰れたか?」のメッセージと「大丈夫?」のイラスト入りのスタンプが送られてきた。「おkOKDJ大丈夫!」とのメッセージを送ると「おやすみ」のスタンプが来た。
 落ち着きを取り戻した靖は話を逸らすために月を見上げて何を呟いているのかを晶に尋ねた。晶は「一日の頑張りをその日のお月様に報告しているんです。」と照れながら答えた。ふと靖は子供の頃に好きで何度も読んだ「まるいおつきさまとほそいおつきさま」という絵本の話をすると晶も「その本、私も持ってます。」と共通した話題で会話は盛り上がり、気まずい空気は消え去った。
「俺はこの絵本で月を毎晩見るのが習慣になったんです。太陽や星と違ってお月様は毎日表情を変えますよね。今日はきれいな上弦の月でしたけど、俺はひっそりと真夜中に上がってきて、寝ている皆の明日の頑張りを応援して昼に沈んでいく下弦の月が好きなんです。
 あの絵本でも、太っていくお月様はみんなをやさしく励まし、痩せていくお月様はみんなをゆったりと癒してくれてましたよね。お日様と違い、お月様には控えめなやさしさを感じるんですよ。」

 緊張のほぐれた靖が初めて本来の笑顔で自分の意見を自分の言葉で語っていると感じた晶も心を開いて自然に会話に入っていった。
「ふーん、なかなか小原さんは詩人なのね。月の満ち欠けをそんな風に考えたことはなかったわ。私はね、5年前に亡くなった主人が死ぬ前に「月からずっと見守ってるよ…。」って言い残したんで、仕事終わりに「今日も1日頑張ったよ。見守りありがとうね。」って月を見て呟くのが癖になっちゃったの。」
 靖は晶の左手の薬指の指輪に視線を向けると外せなくなった。「しまった。」という表情即時に浮かべ、晶は右手で指輪を隠すと取り繕うようにビールのおかわりを勧め、カウンターのビアサーバーへと席を外した。
  戻って来た晶は小さなビアグラスで靖に付き合ってくれた。意識的に話を絵本に戻し、互いの子供時代の話をした。靖は長男で一人っ子だったためどちらかというと甘やかされて育ち、おとなしめの幼少期を過ごし小学校以降も目立つ存在でなく日陰キャラだったと自虐的に笑った。

 「小原さん、イケメンなんで女の子にはもてたでしょ。」とフォローする晶に照れながら否定した。
「俺、ずっと「陰キャ」だったんでそれは無かったです。いわゆる「年齢イコール彼女いない歴」の24歳ですから…。女性に対する免疫は皆無のいわゆる草食系男子です。
 おそらく24年で経験した女の人とのおしゃべり時間は母と学校の先生を除けば晶さんが日本一、いや世界一ですよ。まあ、高卒で貧乏なんで海外へ行った事は無いんですけど、ってね。自爆ネタですみません。ケラケラケラ。」
と軽くアルコールが回ってきたこともあり、少し軽口が叩けるようになってきた。その靖の告白を受け
「私は本好きのおとなしい女の子だったかな。中、高時代は文学少女ってね。今、こうして接客業についてるのが不思議なくらい人と話すのが苦手な時期があったわ。
 お客さんとも会話が合わずに困っちゃうことがあって、アルバイトの大学生の女の子にしょっちゅう助けられてしまう次第で…。もう、店を出して5年の36歳なのにダメダメ店長なのよ。」
とほぐれた会話の中でうっかり年齢を暴露してしまい、一回り違う実年齢を知った靖が引いてしまう覚悟を持ち思わず口を押えたが靖の反応は晶の全く予想外のものだった。
「えー、晶さん36(歳)って本当ですか?26(歳)でも全然通りますよ!いやー、「美魔女」って本当に存在するんですね。テレビ以外で初めて見ました。」
と何の忖度も見せない靖の言葉にいやらしさや下心は感じられなかったので、晶は少しふざけた感じで
「一回りも年上のおばさんでごめんなさいね。道路を挟んで向かいの歩道から「夢」見てもらってる方がよかったんじゃない。
 でも、私は小原さんとこうして知り合えてよかったと思ってるわ。小原さんがいなかったらややこしい事になってたかもしれないんだもんね。本当にありがとう。36(歳)のおばさんの店で良かったらまた来てね。」
と顔を寄せいたずら心を出して、怪しい雰囲気で耳元近くで囁くと靖は再び真っ赤になったので(あぁ、「年齢イコール彼女いない歴」って本当で女性に免疫がないっていうの嘘じゃないようね。)と靖に対する好感度が上がった。

 約1時間の食事とお酒、砕けた会話をふたりは楽しみふと店の時計が午前2時近くを示していることに気づいた靖は改めて晶に礼を伝え席を立った。
「近いうちにまた寄らせてもらっていいですか?なかなかお店が開いてる時間に仕事は終われないんですけど、早く帰れた日には必ず来ます。今日はごちそうさまでした。久しぶりに温かい会話のある美味しい食事ができて楽しかったです。ありがとうございました。そしてごちそうさまでした。」
 丁寧なお辞儀をして財布を出そうとする靖に「絡まれてたところを助けてもらったお礼だから勘定は必要ないですよ。今日は、本当にありがとう。」と晶はやさしく囁いた。

 店のドアの前に移動し、改めてしばらく前に見た店の入り口内側に置かれたA型看板のメニューの表示価格を見て(あぁ、ここに来ようと思ったら晩飯は素うどんで1週間過ごさないと…)と思いひとりで眉間にしわを寄せていると、勘違いをした晶が心配そうな顔をしておしぼりに氷を包んで持ってきて少し腫れた頬に当てた。
「殴られたり蹴られたところが痛み出しちゃった?大丈夫かな?とりあえずこれで冷やして帰ってね…。」
晶のやさしい心遣いと丁寧な物腰と美しい横顔に胸が高鳴った靖は思わず漏れた本心からの言葉で「1週間、素うどんで我慢したら必ず来ますね。」と口に出してしまい、「何それ。若いんだからしっかりとご飯は食べないとダメよ。」と晶に笑われ店を出た。

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