この恋は氷点下2℃につき。

4月の思い出。

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「木元、最近なんでそんな急いで帰ってるの?」
「へ?」

時計が18時を示す頃、愛用のリュックに書類を押し込めていると、隣に座っている月島が不思議な顔をして見てきた。月島は座ったままクルクルと椅子を回す。そして顎に手を当ててなにやら独り言を言い始めた。

「おかしいところ1、最近合コンをやろうと言ってこない。」
「たまたま日付が合わないだけだよ。」
「おかしいところ2、バスケ部にもあまり顔を出さなくなったという噂。」
「最近は俺が見に行かなくても部員たちは頑張っているからさ。」
「おかしいところその3、帰ったはずの木元が両手にビニール袋をぶら下げている姿を最近色んな生徒から目撃情報が上がっている。」
「‥‥見間違いだろ。」
「残念ながらそれは見間違いじゃない!中等部で不本意ながらもイケメン枠の座に座っているお前だから、写真まで出回ってるぞ!」
「はあ!?産まれて初めてイケメンに産まれたこと後悔したわ!」
「つーまーり!!!」

クルクル、と椅子を回していた月島は立ちっぱなしの俺を下から睨みつけると、俺の机の上にあった黒板用の大きい三角定規を手にする。

「早く帰る、合コンに出ない、部活にも出ない、なのにビニール袋をぶら下げている!以上の理由から!」

ビシッ!と効果音がつきそうな勢いで三角定規を拳銃のように俺に向けると、見た目は子ども頭脳は大人の名探偵顔負けの表情で月島は口を開いた。

「お前は女に入れ込んで貢ぎまくっているんだろ!!!!!」
「んなわけあるか!」

三角定規をチョップで落として負けじとツッコミを入れる。が、月島は諦めない。

「じゃあ今日こんないそいそとどこに行く予定よ!」
「どこかだよ!」
「やはり女だな!風か!?水か!?」
「どっちも違うから!」
「じゃあ着いて行かせろ!」
「え、」

いきなり勢いを無くした俺に、月島は「ほら言わんこっちゃない。女だ。」と続ける。
違うけど、それは本当に違うけど、でも、

「うーーーっ、お腹痛くなってきた!大学病院行ってくる!」

野菜売り場の大根さえ真顔になってしまう演技をすると、何か叫んでいる月島をガン無視で走り出した。違うけど絶対ダメだ、着いてこさせちゃダメだ。だって____

「お。今日は早いな‥‥って、なに?シャワー浴びてきたの?」
「ち、ちが‥はぁ、‥っ、水津先生、水飲みま、す‥。」

ほぼ駆け込むようにやってきた水津先生の病室。さすがに2週間も通うと物の配置や何があるかもわかる。肩で息をしながら冷蔵庫を開けてペットボトルを手に取った。

「木元先生病院内を走ってきたんですか?子どもでもやりませんよ、それ。」
「流石に‥病院内は‥はあ、走ってませんって。」

乾き切った喉を水で潤して、小さく息をついた。月島、社会科教師のくせになんであんなに足が速いんだ。
疲れすぎてしゃがんでいると、ふわ、と風が髪を擽った。そのまま上を向くと、椅子に座っている水津先生が近くにあったクリアファイルで俺のことを扇いでくれている。

「俺のこと扇ぐ前に自分の髪乾かさないと風邪引きますよ。」
「でも木元先生がやってくれるじゃん。」
「まあ、‥‥そうですけど。はい。」

ゆっくりと立ち上がっていつものように棚からドライヤーを取り出す。椅子に座っている水津先生の後頭部はまん丸ですごく可愛らしいんだ。それから、

「んー、木元先生のドライヤー気持ちいいです。」

月島を連れてこれない理由、完全に俺に委ねちゃってリラックスしている水津先生の姿がなんか自分の中で気に入ってしまっているからだ。もちろん未だに仕事中は絶対零度だし、子どもと接する時は悩殺スマイルの水津先生だけど、そのどちらでもない俺と過ごす時間は柔らかい表情が多い。俺は堪らなくそれがなんとなく気に入っている。

「ああ、そうだ。」

カチ、とドライヤーのスイッチを切ると真ん丸の後頭部が上を向く。長い睫毛の下の茶色の瞳と目があった。

「すみません、今日コンビニに寄れなかったんです。だから早くて。」
「いつもいらないって言ってるじゃん。うち給料高いわけでもないし。」
「でも、そうだけど、」
「木元先生の給料わかってるのに差し入れ要求するとか俺、鬼ですよそれ。」

右手の人差し指で鬼のツノを作って俺を見上げる水津先生に思わず口元が緩んでしまった。仕事中はいつだって真面目すぎて鬼みたいなのに、私生活で真似してる鬼は全然怖くない。

「わかりました。そしたらお言葉に甘えさせてもらいます。」
「それで全然大丈夫。金田は歳上だし、俺ら教員と違って金いっぱい貰ってるから奢らせるけど木元先生と俺は同い年だし。」
「え?俺と水津先生がタメ?水津先生俺より2年先輩じゃないですか。」
「そうだよ。俺は短大だけど水津先生は四年制大学でしょ?だから2年先に働いてるけど歳は同じ。」

知らなかった。それと同時に、遊んでばっかの俺と仕事に真摯に向き合ってる水津先生が同い年という事実に恥ずかしさを覚える。

「ねえ、木元先生。俺、驚異的な回復力だからもうすぐ包帯取れて、退院できそうなんですよね。」
「え‥‥?」

いきなりの言葉に驚いた。普通はおめでとう、と言わなければいけない所なのに、なぜか口からはそれが出てこない。

「‥‥じゃあ、もう会えなくなるんですね。」
「なんで?俺たち付き合ってるんじゃないんですか?」

そうだった。ハッとして顔を上げると、不思議そうな顔をした水津先生が俺のことを見ていた。
病院に通い始めて2週間、俺はまだ冗談だと伝えられていない。

「あの、水津先生、」
「退院したらどっか遊びに行きませんか?」

ほら、また冗談だって伝えられなくなる。言えばいいのに、いつだって言おうとしたタイミングで言えなくなる言葉を水津先生は口にするんだ。

「うん。行きましょう。」

今日もまた言えず、明日言おう、明日言おう、と毎日思って気がついたら2週間経っていた。出掛けた時にこそ言おう。

「水津先生は今まで恋人とどんなデートをしてきたんですか?」
「うーん、50代の方と付き合った時は競馬とか行きましたね。」
「は?」

想像してない言葉に思わず聞き返してしまう。水津先生は乾かしたばかりのサラサラの前髪を触りながら俺を見る。

「競馬場って意外と楽しいんですよ。」
「いや、そっちに対してじゃなくて失礼ながら50代に関して驚きました。」
「だから俺、告白されたら断らないんだって。」
「え、本当に告白されたら誰とでも付き合っていたんですか!?」
「受け入れてもらえない事がどれだけ辛いことか自分がよく知っているから。」

そう言った水津先生は絶対零度でも悩殺スマイルでも病室での猫のような姿でもなく、見たこともないくらい切なそうな表情をしていた。
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