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きうちゃん11 ご主人様と夢 (エロ無)

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 お部屋で一人きりの時間を過ごしていたきうちゃんは、いつのまにかぐすぐす考え事をしながら眠ってしまっていた。
 夢の中では当然のようにご主人様のお城にいて、どこかふわふわした足取りで書斎に向かう。そしてドアをノックするのだけれど、いくらきうちゃんが声をかけてもご主人様からの返事はなくて、ドアにも鍵が掛かっているようで開くことができない。

「ご主人様~、どうしたんですか? わたしです! きうちゃんがいますよー、開けてくださーい!」

 きっとまたご主人様は思いつきでいじわるしてるんだ。そう思ってドンドコ太鼓のようにノッキング叩き散らかしても、扉にピッタリくっついて耳を澄ましてみても、部屋の中の気配さえ伝わってこなかった。
 そのうち疲れてしまったきうちゃんは、ぺったり扉に張り付いたままおでこをコツンと打ち付ける。

 お城に帰ればみんなが待っていてくれる。そう信じていたのに、もしもそれさえ幻だったら? 住み慣れているはずのお城が知らない場所に思えて、誰もいない廊下を不安を抱えながら歩いていく。
 ご主人様がいてモモちゃんやコウモリのみんながいてきうちゃんがいて、お城で過ごす毎日は楽しかったはずなのに、夢の中一人きり彷徨うこの場所はなんだかいつもより重暗く、まるで迷宮に迷い込んだかのようだった。

 太陽の光の届かない場所にあるお城は、昼間でさえ薄暗く空気はどこかじっとりと澱んでいる。人間の街で見かけるような色とりどりの華やかな植物なんて、お城のある深いこの森には存在しない。ここでは月の光を糧に夜の命を灯した生命が、仄暗い世界で微かな光を頼りに生きていた。
 たとえ昼の世界の住人からは命と見做されない存在だとしても、彼らは自分たちの営みを繋いでいるのだ。

 不安なうたた寝から目を覚ましたきうちゃんは、半覚醒のままぼんやり天井を眺める。きっとカーテンの向こうは太陽の光に満ちているのだろう。お城のある森にはない綺麗なお花や、小鳥なんかもいるかもしれない。でもここはお姉さんから与えられたお部屋。きうちゃんにできることは、小さな四角い空間の中で自由を夢見ること。でも自由なはずの夢の中でも、ご主人様は顔も見せてはくれなかったのだけれど。

「……………もしかしたらご主人様は、人間の街に来るのを面倒くさがっているのかもしれません」

 誰に言うでもなく独り言を呟く。思う存分メソメソしたらあとは開き直るしかないものである。きうちゃんはベッドの上でこてんと横たわって、さなぎみたいに小さくなって縮こまった。

「でも仕方ないですね……。ご主人様はよわよわ貧弱吸血鬼ですし、いつだってわたしがお世話してあげないとダメなんですもん」

 夢の中でさえご主人様は盛大な引き篭もりっぷりを発揮していた。そもそも空腹で倒れるまで食事にさえ無頓着なご主人様なのである。一人で生きていけるのかすら怪しいものだ。

「今頃きっと、自分じゃなんにもできなくて途方に暮れているんです。モモちゃんは優しいけどきうちゃんの味方だから、こんな時こそダメダメご主人様にはダメダメダメ出しをしてあげると良いです」

 ひとりごとがヒートアップしてきたきうちゃんは、枕に突っ伏して足をバタバタさせながら暴れはじめた。そろそろストレスも溜まってきた頃だろう。どうにもならない気持ちを全身で発散させているきうちゃんは、誰かの気配にも全く気付いていなかった。

「随分と好き勝手に言ってくれるじゃないか?」
「え?」

 きうちゃんが顔を上げると、いつのまにか開け放たれたドアの前に腕組みをしたご主人様がふんぞり返っていた。

「あー、迎えに来てやったぞきうちゃん。今度から外泊するときはちゃんと事前に連絡するように」

 夢にまで見たかったしそれさえ見れなかったご主人様の姿を目にして、びっくりしすぎたきうちゃんは口を開けたまま固まっていた。そんなきうちゃんの首輪を見て、ご主人様は嫌そうに眉を寄せる。カチンコチンのきうちゃんの肩に手をやってくるっと半回転させて、首輪の鍵穴に変形させた爪を差し込んだ。しばらくしてカチッと音が聞こえてきうちゃんの首元がふわっと軽くなる。

「ほら」

 汚いものを摘むように指先で銀色の首枷をつまんだご主人様は、それをぽいっと放り投げてまたきうちゃんをもとの位置にくるんと戻す。相変わらずぽかんとしたまま固まっているお口をむに、と摘んでとりあえず閉じさせてみた。
 するとようやく我に返ったきうちゃんは、ポロポロ涙を溢しながらご主人様に飛びついてくる。

「ご主人様ぁ!うわーん!」
「泣くな泣くな、あっ、こら人の服で鼻水を拭くんじゃない」
「クソザコ吸血鬼なんて嘘です!……ご主人様ぁ~!来てくれるって信じてましたぁ~!」

 ご主人様にしがみついてわんわん泣いてるきうちゃんの頭を、筋張った手がちょっと困ったようにポンポンとあやしてくれる。それはやっぱりいつものとおり生気も血の気もない冷たい手だったけれど、何よりもきうちゃんの胸を温めてくれるものだ。
 しばらくして涙が落ち着いて来ると、きうちゃんはご主人様がここにいることの不思議さに思い至る。眷属であるきうちゃんとの繋がりは首輪でほとんど遮断されているし、居場所は判ったとしても、吸血鬼のご主人様がこんなに容易く誰もいないお屋敷に入り込めるものだろうか?

「ご主人様はどうしてわたしがここに居るとわかったんですか? それにお招きもないのにどうやって……」
「この屋敷はすでに顔パスなんでね。それより帰るにしてもまずそのはしたない格好をなんとかせねばな」
「え、あ……そ、そうですね………」

 はしたないという言葉に、きうちゃんの胸はちくんと痛んだ。とはいえ今の格好といえば胸の真ん中に谷間を強調する穴が空けられたブラと、お尻が半分くらい見えてしまう布面積のショーツ。こんな姿で外に出るのは、いくら人間から見えなくなるにしてもちょっと恥ずかしすぎる。
 ご主人様は面白がってコウモリ型に開いた穴にぷにぷに指を突っ込んでいたりするので、はしたないなんて言う割にはどう見ても喜んでいるんじゃないかという気がするけども。

「でもわたしの服はお姉さんに持って行かれてしまって、どこにあるのかわからないですよう」
「では仕方ない。そのへんで見繕うとするか」

 ご主人様はそう言いながら迷いなく廊下を隔てた先にあるお部屋へ勝手に侵入して、クローゼットまで無遠慮に暴いてしまう。きうちゃんが恐る恐る顔を覗かせると、ご主人様は適当にガチャガチャハンガーの音を鳴らしながらお洋服を物色していた。

「これなんかいいんじゃないか?」

 クローゼットから取り出されたのは、ウエストのあたりがギャザーで絞られた可愛らしい白いワンピース。幅広の肩紐にはレースのリボンが縫い付けられている。段々に小さなフリルが施された三段のティアードスカートはたっぷりとしたロング丈で、きうちゃんが着ると裾を踏んづけてしまうくらいになりそうである。

 とりあえず着てみたきうちゃん。胸のぶんでちょっとだけスカートが前あがりになっているような気もするが、そのおかげか裾は踏まないで済みそうだった。体の動きに合わせてさらさら流れる布地も爽やかでなかなか着心地がいい。
 その場でくるん、と一回転してみるとひらっとしたスカートが大きく広がり、一拍遅れてふわりともとの位置に揺れ落ちる。つるすべ布地のペチコートがチラチラ見え隠れして、重なりあった花びらのようでとても華やかだった。

「わあ、なんだか避暑地のお嬢さんみたいですね。どうですかご主人様?」
「うむ。清楚な白いワンピースでありながら大胆に肩を出し胸のラインを見せるスタイル、大変よろしい」
「きゃー♡ ありがとうございまーす」

 呑気な主従はこのままファッションショーまで始めそうな勢いである。ご主人様に褒められて嬉しくなったきうちゃんは、もう涙もすっかり引っ込んでいるようだ。
 くるくるしながらスカートの広がりを楽しんでいる姿には緊張感のかけらもない。しかしさすがにそんな場合じゃないことに気付いたようで、ハッと顔を上げてご主人様に向き直った。

「で、でもでも勝手にお姉さんのお洋服を拝借してしまっていいんでしょうか」
「おそらくまずいので見つからないうちに帰らねば、だ」
「やっぱりそうですよね!? それではせめてご挨拶を残しておきます」

 きうちゃんはお部屋に戻るとタブレット端末を起動して顔の前に掲げ、まずはぺこりとお辞儀をする。

「お姉さん、きうちゃんです。ご主人様が迎えに来てくれましたので、このへんでお暇させていただきます。すみませんがお洋服お借りしますね。それからえっとあの、プリン美味しかったです。ありがとうございます。それではお世話になりました」

 最後にもう一度ぴょこんと頭を下げて録画終了。ご主人様は一部始終を無言で見つめていたが、きうちゃんが端末を置くと苦々しい顔で口を開いた。

「はあ、なんだ? 泣いていた割には懐いてるみたいだが、迎えを急ぐ必要も無かったか?」
「そんなことないです! お姉さんは可愛がってくれていましたけど……外に出してくれないし、首輪とか変なの着けられちゃうし、食後のデザートは毎日プリンだし……いえプリンはおいしいからいいんですけど…………とにかくわたしはご主人様のお側がいいんです!」

 きうちゃんの力説にご主人様はやれやれと息を吐いた。

「じゃあさっさと帰るぞ。……と言いたいところだが、あいにく外はまだ少々陽も高い。城まで帰るには太陽が邪魔をしないギリギリまで待つことになるが、家主は日暮れ過ぎまでは戻らないだろう?」
「ご主人様はお姉さんの帰宅時間もご存じなのですか?」
「少し観察させてもらっただけさ。できるならここの人間とは顔を合わせず済ませたいんでね。……そのせいで迎えが遅くなったのは悪かったよ」
「ご主人様はお姉さんのこと、やっぱり知っているんじゃ」
「いいや? お前の言うお姉さんのことは知らないな。……きうちゃんはこの屋敷が吸血鬼と関わりがありそうなことはわかるか?」

 ご主人様の問いかけに、きうちゃんは深く頷いてみせる。吸血鬼の存在だけで無く性質や対処法も熟知しているお姉さんは、バンパイアハンターと呼ばれる類の人間だ。吸血鬼の登場する物語ではよく出て来るが、そんなのは架空の存在だろうと思っていた。吸血鬼のきうちゃんがそんなこと思っていたのも変な話だけど。

「まあそういうことだ。吸血鬼の存在を知っていてなお恐れない。この家の人間はそういうアグレッシブな奴らさ。……基本的に吸血鬼は普通の人間より身体能力が高く簡単に遅れをとることはない。が、俺を通常の吸血鬼と一緒にしてもらっては困るしな」
「それってつまり?」
「見つかったらまず勝ち目はない」
「自信満々に言うことじゃないですよお」

 力なく突っ込みながら、きうちゃんもご主人様がお姉さんに勝てるビジョンが浮かばないでいた。ご主人様は貧弱だしひねてるし気力も体力もないしのナイナイ尽くしで、見た目以外にかっこいい要素がまるでない。
 それでもそんなご主人様が自分を迎えにきてくれたのだから、それだけでもうなんでも良かったのだけれど。

 きうちゃんが脱力しているちょうどその時、棚の上に置かれた機械からお菓子の落ちてくる音がする。お姉さんがセットしていたおやつの時間が来たようだ。今日はワサワサな軽い音だったけどなんだろう? なんて考えているあたり、もうかなり飼い慣らされている。
 見ると例の機械のお皿には、色とりどりの小さなキャンディ包みのお菓子がたくさん流れ落ちていた。

「せっかくなので今日のおやつだけ頂いていきましょう」

 丁寧にひとつずつねじられた小さな包みを開けると、まあるくてかわいいチョコレートが出てきた。きれいなパステルカラーでいろんなフレーバーが楽しめるお菓子は、小さめサイズなおかげで手が止まらなくなってしまう一品でございます。こんなときだというのに、相も変わらず食い意地が張っている。
 そんなきうちゃんを眺めているご主人様は、なぜか片手で頭を支えるようなポーズをしていた。

「なあきうちゃん、それがなんだか知っているか」
「ペット用の自動ごはんマシーンですよね。ええ、仰りたいことはわかります。ですがここではわたしもペットの一種なので、この境遇を甘んじて受けているのですもぐもぐ」

 ひょいひょいぱくぱくとチョコレートの包みを開いてはお口に放り込む。ご主人様は頭を抑えていた手で両目を覆って何か考え込んでいるようだ。しかしすぐに向き直ると、きょとんとした顔で見上げるきうちゃんにまるで諭すように言う。

「あー、うん。自動給餌器はそうなんだが、ほらその黒っぽいとこ、奥に何かあるのがわかるか?」
「このまるいとこですか? あんまり気にしていませんでしたが、ロボットの目みたいでちょっとかわいいですよね」
「レンズだからな。ペットカメラの」
「ああ! これカメラでしたか~。目に似てるのも当然ですね。……………え?」
 
 ようやくご主人様の言いたいことに思い当たったきうちゃんは、ぱちぱちと瞼を忙しなく瞬かせる。数秒間そのまま固まってから、指先に摘んでいた紫色のチョコレートをぱくんと咥えてもぐもぐゆっくり咀嚼し飲み込んだ。

「きゅ、吸血鬼の習性を熟知した、お姉さんの巧妙な罠にまんまと嵌ってしまいました……!」
「罠でもなんでもないとは思うが、悠長にしている場合じゃないのは確かだ。とりあえず急ぐとするか」

 なんとこのマシンは、カメラ付き自動給餌器だったのだ。自動給餌機能付きペットカメラかもしれない。どっちが正しいかなんて些細なことだ。お菓子に夢中なきうちゃんはカメラの存在なんて全く気にも留めていなかったのだから。
 お皿に残ったチョコレートの包みもそのまま、きうちゃんはご主人様に手を引かれて部屋を後にする。足元はお部屋履きのスリッパで頼りないしパタパタしていたけれど、ご主人様の手をぎゅうっと握り返して足早に駆けていく。
 お姉さんの吸血鬼に対して見せる並ならぬ妄執は、なんだかとっても危険な気がする。でもご主人様と一緒に居られれば、きうちゃんは何があってもへっちゃらなのだ。

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