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第3章 契約と運命
第131話 運命に抗った男
しおりを挟む静かな午後の陽光が、ジョンの巨大な邸宅を優しく包み込んでいた。広大な庭園を抜け、磨き上げられた石畳の道を進むと、重厚な木製の扉が一行を迎える。椿、綾香、レイチェル、百合は、緊張と共にその扉を開いた。
「ふう、立派な家だね。僕、ちょっと緊張してきたよ」
椿は穏やかな顔に微かな不安が浮かぶ。
「 大丈夫だよ、落ち着いて」と綾香はそっと呟いて彼の手を優しく握った。
「マリアンヌ! 戻ったぞ!」
ジョンの声が高い天井にまで響く。この大柄な男は、希望と安堵が入り混じった表情で立っている。扉の先には、金髪が肩まで伸びた華奢な女性、マリアンヌがティーポットを手に静かに微笑む。淡い黄色のワンピースが彼女の柔らかな雰囲気を際立たせ、優しい目が一行を温かく迎える。
「あら、お父様。おかえりなさい」
マリアンヌの声は小鳥のように軽やかだ。
「紹介する、この子が俺の自慢の娘、マリアンヌだ。どうだ、美しいだろ? マリアンヌ、彼が度々話をした、お前を救うかもしれない男だ、椿という」とジョンが豪快に笑う。
「椿さん、よろしくお願いいたします」マリアンヌが恥ずかしそうに微笑んだ。
「き、きれいすぎる…」
百合が思わず漏らした声に、ジョンがハハハと大笑いする。百合は顔を真っ赤にしてうつむく。
「あ、うそ、声に出ちゃった!」
「さあさあ、皆様お座りになってください」
メイドが焼き立てのクッキーを運び、温かな紅茶の香りが部屋を満たす。一行は豪華なソファに腰を下ろし、ジョンがマリアンヌの自慢話を始めた。彼女の料理が絶品であること、五十人もの求婚を受けたこと、魔法植物学の天才であること。魔力欠乏症を抱えながらも、定期的な魔力補給で普通の生活を送れること。ジョンの声は誇りに満ち、時折安堵の色が混じる。
「マリアンヌはな、俺の宝だ。こんな娘、どこにもいねえ!」
ジョンが拳を握り、目を輝かせる。
やがて、一行はマリアンヌの部屋へと移動した。木の温もりに満ちた部屋は、植物と書物に囲まれ、穏やかな空気が漂う。壁には幼いマリアンヌと家族の写真が飾られ、温かな家族愛が静かに息づいている。
「いい部屋ね~」
レイチェルが目を輝かせ、百合が微笑みながら、部屋を見回す。
「広くて羨ましい」
綾香は部屋の隅で植物と本を眺め、「へえ、魔法植物学…」と呟いた。
一同は静かに歩を止め、しばし部屋を見渡した。やがて椿とマリアンヌを残して、他の者たちは無言のまま互いに目を合わせ、何かを了解し合うように、音もなくその場を後にした。
扉がそっと閉じられると、空気は凛と澄んだ静けさに満たされる。窓辺からこぼれる陽光が、まるで祝福のように二人の肩にそっと降り注ぎ、その沈黙に、やさしく寄り添っていた。
椿とマリアンヌは気まずそうに視線を逸らす。マリアンヌがベッドに腰掛け、そっと椿に隣に座るよう目と手で促す。椿は頬を赤らめ、静かに彼女の横に座った。
「マリアンヌさんの家族、良い人そうだね。ジョン総監補佐、最初は怖いと思ったけど、全然そんなことなかった」椿が照れながら言う。
「ふふ、そうね。父は真面目な人だけど、仕事熱心よ。いつも仕事仕事って、時々嫌になるくらい」マリアンヌが冗談めかして笑う。
会話が途切れ、静寂が再び部屋を包む。マリアンヌの表情がふと曇る。
「…実はね、父は母が亡くなった時、どうにかなっちゃうんじゃないかって心配していたんです。でも、彼は変わらなかった。変わらず仕事熱心で、家族想い。悲しいはずなのに、涙を見せたのは一度だけ。それからは、前を力強く向いていたの」
椿は静かに耳を傾ける。マリアンヌの声は穏やかだが、深い感情が込められている。
「でもね、時々思うんです。私まで彼の元を去ってしまったら、今度こそ彼はおかしくなってしまうんじゃないかって」マリアンヌの瞳が揺れる。
「…大丈夫、マリアンヌさんは大丈夫ですよ」椿がそっと言う。単純な言葉。だが、心からの願いが込められている。
「…ありがとう。私なんかのために」
マリアンヌが微笑む。
「あ、い、いえ…僕も困っていたので…」
椿が慌てて言う。
「ふふ、そうでしたね。でも、ありがとうございます」
マリアンヌが優しく笑う。
「ジョン総監補佐が運命を嫌っていた理由、わかった気がします。…でも、彼の息子、弟さんはカナレットさんの弟子なんですよね…? なんだか不思議な感じがします」
マリアンヌが静かに話し始める。
「…ジュニアはね、実は私のおば、父の妹の子なんです。でも、ジュニアの両親は、ジュニアが生まれてすぐ、戦争に巻き込まれて亡くなった。そこで、父がジュニアを引き取ったんです。ジュニアが直接の血の繋がりを感じないことで、将来不満に思うことがないようにと、父の名前をそのまま授けて」
「そ、そうだったんですね」と、椿が驚く。
「ジュニアもその名前を受け入れた。父親の愛を受け入れた彼が、名前を受け入れる契約を終えたのは、つい数ヶ月ほど前。それだけ、父は家族を愛し、私達は彼の愛を感じている。嬉しいことです。だからこそ、私は死ぬわけにはいかないのです。父のためにも、弟のためにも」
マリアンヌの言葉に、椿は胸が熱くなる。彼女の家族への愛、生きる決意が、静かな部屋に響く。
「実は、ジュニアは予知能力を持っている可能性があるんです。だから父はジュニアをカナレットさんの弟子にしたの。父は運命や占い、カナレットさんを心の底から嫌っているわけではないんですよ。私も、こうしてあなたが来てくださったのは、父の働きかけはもちろん、運命でもあると思うのです。カナレットさんは、こうなる運命を予知できなかったみたいですが」
マリアンヌがそう言うと、彼女は頬を赤らめ、そっと椿の唇に自分の唇を重ねた。陽光が二人を強く照らし、長い影が床に伸びる。その瞬間、時間は止まり、温かな光が二人の心を包み込んだ。
下の階の来客室では、ジョン、綾香、レイチェル、百合、ステファニー、そしてメイドたちが待機していた。ジョンは落ち着かず、部屋を往復する。
「まだか、まだか」と呟きながら、苛立ちが隠せない。
レイチェルは机の上の魔力注入器具を見つめる。小瓶の魔力はわずかで、一月も持たない量だ。
「もうすぐ魔力注入の時間だ。まだなのか」
「椿は何をやっているんだ!」と、ジョンが声を荒げる。
「落ち着いてくだされ、旦那様」
メイドが静かに言うと、階段を降りる二人分の足音が聞こえた。
「マリアンヌ!」
ジョンが振り返る。
そこには、儀式を終えた椿とマリアンヌが立っていた。椿との契約の印として、彼女の右手の人差し指には、指を囲むように小さな芽のような模様が連なっていた。彼女の身体からは満ち溢れる魔力が放たれ、彼女の瞳は生きる力に満ちていた。淡い黄色のワンピースが陽光に輝き、まるで別人のような生命力に満ちている。
「もう、心配しないでください、お父様」
マリアンヌが柔らかく微笑む。
ジョンは一瞬言葉を失い、涙を堪えながら娘に駆け寄る。二人は力強く抱き合った。夕焼けの光が部屋を満たし、家族の絆が静かに、しかし確かに輝いていた。
椿は皆の顔を見回し、胸の奥で温かな光が広がるのを感じた。この瞬間、運命も、家族も、仲間も、すべてが繋がっていることを、彼は確かに感じていた。
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