百万の契約

青いピアノ

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第3章 契約と運命

第152話 最初の希望の魔力

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権助と名乗る男が気を失うと、一行は周囲を警戒し、敵の気配がないか目を凝らした。午後の柔らかな陽光が木々の隙間から差し込み、地面にまだらな影を落としていた。誰もいないことを確認し、緊張を解いた一行はゆっくりと進み、巨木の前に辿り着いた。

木の影から、背の低い老婆が現れた。彼女は梅子おばあさんと呼ばれ、杖に頼りながらおぼつかない足取りで歩み寄り、ニヴィの前に立つと、震える体を懸命に伸ばして彼の顔を見上げた。皺だらけの顔に、温かな笑みが浮かんでいた。

「エルフの青年よ、よく来たなあ。魔法でやりとりは聞いていた。権助のことは、すまなかったねぇ。言うことなんて聞きやしないんだ、いい歳した男がよ」

「いえ、梅子おばあさん。青の塗料の岩を持っていなかった俺たちも悪いのです」

「え? 何? 知り合い?」

百合が目を丸くして尋ねた。

「…ああ! 言ってませんでしたっけ?」

ニヴィは少し照れ笑いを浮かべ、頭をかいた。

「梅子おばあさんは先日、俺たちの地に来てたんですよ。その時、仲良くなったんです」

梅子は目を細め、懐かしそうに頷いた。

「うん、あの時は世話になった。蛍キノコはあそこにしか生えないからなあ。薬膳に良いんだけどねぇ」

「また必要になったら俺が持ってきますよ」

ニヴィの声には、さりげない優しさが込められていた。

「ああ、助かるねえ。それより、青の塗料ってのはなんのことだい? あたしらが欲しいのは赤さね。結婚の儀が近いからね」

「え? ああ! なんだ、やっぱり赤だったんですね!」

ニヴィは少し慌てたように笑い、肩の力を抜いた。

「いや、多分あの男の嘘だったんですね」

「ふんふん、まあ。なんでもいいさね。ささ、こっちおいで。うちへ案内しよう」

梅子おばあさんは、ゆっくりと、しかしどこか愛らしい足取りで一行を小屋へと案内した。小屋は、麦色の岩が無数に積み重なった、頑丈で美しい造りのものだった。陽光に照らされ、岩の表面がほのかに輝き、これまで見てきたこの地の小屋の中で最も精巧な建物だと感じられた。

「ここは比較的この地に長く住んでいる人たちの集まりなんです。二十年は移動していないんでしたっけ?」

ニヴィが尋ねると、梅子は杖を軽く地面に突きながら答えた。

「そそ、そうなのよ。奴隷も奴隷じゃない者も、みーんなウェルカムさ。その分、野盗に襲われることもあるがね、みんな仲が良いから、なんだかんだ協力して敵を押し返してきた」

椿が好奇心を抑えきれず、口を開いた。

「梅子さんは何故この地に?」

梅子は小さく笑い、手をひらひらと振った。

「何故って、あんた、そりゃあ、あたしはこの地に生まれたからね。他に行く所なんてありゃあしないよ」

その言葉に、平和な機構の島で育った百合は、胸に小さな申し訳なさを感じた。彼女の視線が一瞬、地面に落ちた。

「まあ、ゆっくりしていきなされ。と言っても、なーんにもないけどね」

梅子は歯の欠けた口を大きく開けて笑うと、ゆっくりと小屋の奥の影へと消えた。

ニヴィは一行を見回し、真剣な表情で口を開いた。

「ここは比較的安全です。でも、この先はどうなるかわかりません。気を引き締めて行きましょう」

彼は剣を手に取り、刃を丁寧に磨き始めた。その動作には、戦士としての誇りと責任感が滲んでいた。

「ねえ、さっきの話の続き、聞かせてよ」

百合がニヴィの目を見つめ、柔らかく尋ねた。彼女の声には純粋な好奇心と、ニヴィへの信頼が込められていた。他のメンバーも、静かにニヴィに視線を向けた。

「あ、ああ…。俺が奴隷になった経緯ですね」

「うん。魔力が開花ってことは、ニヴィも特殊な性質の魔力なの?」

百合の瞳がキラキラと輝いた。

ニヴィは少し答えにくそうに下を向いた。仲間たちの視線が彼に重くのしかかる。やがて、深く息を吸い、彼は口を開いた。

「俺は、"希望の魔力"の持ち主なんです」

「え!?!?」

スキーを除く全員が目を大きく見開き、驚きの声を上げた。スキーはただ、じっとニヴィを見つめ、耳をピクリと動かした。その瞳には、複雑な感情が揺れていた。

「"最初の希望の魔力"。それが俺の力の名前…。自分と敵対していた者と"契約"と"誓約"を通して武力に頼らない紛争解決を誓った時、この力が開花したんです」

「どんな力なの?」

綾香が身を乗り出し、前のめりに尋ねた。彼女の声には、純粋な興味が溢れていた。

「これは、いわゆる"聖属性"の魔法を使うことができる力です。聖属性魔法は、光が重要な要素になるので、光属性の魔法と混同されがちですが、全くの別物。敵意、悪意、殺意、恨みや憎しみ、強い悲しみを和らげる魔法を指します」

レイチェルが真剣な眼差しで付け加えた。

「逆に、敵意、悪意、殺意、恨みや憎しみ、強い悲しみを増幅させる魔法を"闇属性"と言うわね」

「…その通りです」

ニヴィは軽く頷き、過去の記憶を辿るように目を細めた。

「俺はエルフの森のさらに南の集落で生まれ育ちました。そこはエルフ同士の争いが絶えない土地。過去三百年、戦争が続いています。俺は、名門戦士の家系に生まれました」

彼の声は落ち着いていたが、どこか遠くを見るような響きがあった。

「戦に勝つことが期待されながら、親に育てられたんです。でも、ある時、俺は敵対勢力の女性に恋をした」

その瞬間、スキーの耳がピクリと動き、瞳に一瞬の動揺が走った。彼女は唇を噛み、じっと地面を見つめた。

「彼女も俺のことを気に入り、俺たちは夜な夜な互いの家を行き来していました。毎晩、二人の愛を分かち合うために。そして、いつしかこの戦が終わることを願って、契約と誓約を交わしたんです。この戦を、武力に頼らず終わらせる…と」

ニヴィの声に、ほのかな温もりと痛みが混じる。

「しかし、両親は俺の開花した力を嫌悪した。戦士になることを期待されていたのに、俺はそれを拒否したんだから、当たり前といえば、当たり前」

彼の拳が、剣の柄を握る手にわずかに力が入った。

「俺の力は親だけでなく、戦争武器や奴隷売買で儲けていた商人たちにも目をつけられた。こうして、親は俺を赤唐商人に売り飛ばしたんです」

ニヴィの瞳に、過去の裏切りが影を落とす。

「赤唐商人は、霧ノ都の最前線基地に俺を売り飛ばす予定だったらしい。そこでは、俺の魔力を使って朝霧郷の戦士たちの戦意を削ぎ、血を流さずに朝霧郷を支配しようとしていたとか…」

彼は自分の力を呪うように、拳を震わせ、吐き出すように呟いた。

「"最初の希望の魔力"と呼ばれる理由は、敵意や憎しみを和らげれば、戦争がなくなると思われたから。でも、それだけじゃ足りなかった」

ニヴィは一瞬、目を閉じ、深く息を吐いた。

「…椿さんの調和と交歓のように、異なる人々が、協力し合ったり、共に楽しむこともまた、平和をつくるためには必要ですし、人々の傷を癒すことも必要ですし、時には勇気を持って突き進む力が必要です。そして、誰かにただ流されるのではなく、自分自身で考え、判断し、行動できる自律性もまた、とても大切なことだとわかったんです。戦略的に物事を考え、冷静になる力も必要。戦を終え、この世に安定をもたらすためには、本当に様々な力が必要だと人々は気づいたのです」

レイチェルが静かに尋ねた。

「それで、いつしかこれらの特性を持つ魔力を総称して"希望の魔力"と呼ぶようになったのね?」

「はい」ニヴィは小さく頷き、仲間たちを見回した。
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