百万の契約

青いピアノ

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第3章 契約と運命

第163話 緩やかな成長

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岩山の夜、霧炭町の外縁に、星々が鋭く光っていた。岩の表面には夜露がわずかに光り、足元には砕けた石が散らばっている。風が低く唸り、遠く西の荒地のざわめきを運んでくる。そこに、レイチェルは横たわっていた。彼女の白く美しく輝く金の髪は乱れ、岩の上で広がっていた。

「よかった! レイチェル! 目を覚ました!」

涙で目を潤ませた綾香が、レイチェルの肩をそっと支えながら叫んだ。綾香の声は震え、喜びと安堵が混じる。レイチェルはゆっくりと体を起こし、綾香の手を借りて岩にもたれると、周囲を見渡した。そこには、百合、真弓、サナエ医療担当官、そしてその弟子のメルスがいた。皆、疲れと緊張の色を顔に浮かべ、岩場に座ったり、立ったりしている。サナエは医療服の裾を軽く払いながら、穏やかな視線をレイチェルに向ける。メルスは師匠の傍らで、医療器具の入った小さな鞄を握りしめていた。

「ここは…」 

レイチェルが掠れた声で呟くと、綾香が勢いよく答えた。

「レイチェル、三日間も目を覚まさなかったんだよ! 魔力欠乏症で…本当に大変だったんだから!」

レイチェルの頭に、断片的な記憶がよみがえる。岩地で戦った巨大な蜥蜴、がむしゃらに放った、本でしか見たことのない光の魔法。その映像が、頭の中でちらつき、胸を締め付けた。そして、ふと、過去の記憶が蘇る。あの日の約束、壊れたペンダント。彼女は思わず口を開いた。

「椿は?」

綾香は真弓の方を振り返り、柔らかな笑みを浮かべた。

「椿は荒地にいるよ。真弓が負傷したみんなを魔法の札でここに運んでくれたの。椿は荒地で私たちを待ってる!」

真弓は綾香の視線を受けて、頬を赤らめ、照れくさそうに髪をかき上げた。

「レイチェル、安心して。一足先に回復したステファニーも椿のそばにいる。もう少し休んだら、合流しよう!」

「そう…」 

レイチェルは小さく頷き、視線を百合に移した。百合は岩に腰掛け、膝を抱えて俯いている。彼女の目はどこか憂いを帯び、夜の闇に溶けそうだった。

そこへ、サナエが静かに割って入った。彼女は医療服の袖を軽く整え、落ち着いた口調で言った。

「レイチェル、今回は命拾いしたわね。魔力がほぼゼロに近かった。これだけ早く回復したのは奇跡よ。二度と無茶はしないで。」

「あ、ごめんなさい…」 

レイチェルは申し訳なさそうに目を伏せた。

サナエは穏やかに続ける。

「でも、あなたの力はやっぱり認めざるを得ないわ。魔力量を気にして力を抑え続けるのは、この先難しいと思う。どうかしら? そろそろ、椿と魔力を融合してみるのは?」

突然の問いに、レイチェルは目を丸くした。彼女の手は無意識に胸元の壊れたペンダントを握る。そこには、亡き母の姿が浮かんだ。レイチェルの心は決まっていた。

「今回は、迷惑をかけてごめんなさい。でも、私は…結婚するその日まで、たとえ相手が最愛の人でも、今のままでいるつもりです。」

サナエは全てを悟ったかのように、静かに頷いた。

「そう…。残念」

 それ以上、彼女は何も言わなかった。

やがて、岩山に静寂が戻り、仲間たちは疲れ果てて眠りについた。岩の隙間に簡易な毛布を敷き、微かな寝息が響く。だが、レイチェルは眠れず、百合のそばにそっと近づいた。百合は膝を抱えたまま、星空を見上げている。

「寝ないの?」 

レイチェルが柔らかく尋ねると、百合は小さく首を振った。

「寝れないよ」

「なんだか、今回の任務はこれまでで一番過酷ね」 

レイチェルは百合の隣に腰を下ろし、岩の冷たさを感じながら言った。

百合は無言で、ただ星を見つめていた。

「私、この任務が終わったら、しばらく休みを取ろうかしら。どこかの島でゆっくりしたりして…。戦いにも、恋愛にも、契約にも…なんだか疲れちゃった」 

レイチェルは軽く笑って、夜風に髪をなびかせた。

百合がふと顔を上げ、囁くように言った。

「…レイチェル、私も一緒に行くよ」

「いいわね! 一緒に行きましょう!」

 レイチェルは明るく答え、百合の肩に軽く触れた。

「ねえ、レイチェル」 

百合がためらいがちに口を開く。

「最近、ミスばっかりなの…。椿の魔力を取り入れて強くなったはずなのに、なんだか私だけうまくいっていない感じがする」

レイチェルが何か言おうとしたその時、背後から穏やかな声が響いた。

「それは、きっと新しい魔力のせいかもしれないわね」

二人が振り返ると、サナエが毛布を肩にかけ、髪をかき分けながら微笑んでいた。

「ふふ、話し声が聞こえて、起きちゃったの」

「あ、ごめんなさい! うるさかったですか?」

 レイチェルが慌てて謝ると、サナエは首を振った。

「いいえ、全く! それで、百合、新しい魔力の話だけど…魔力って、成長と共に少しずつ変化するものよね? それが突然大きく変わると、体が驚くのは当たり前だと思わない?」

百合は少し考え込み、頷いた。

「…たしかに。でも、ステファニーも真弓ももう使いこなしてるみたいに見えるのに、私だけ…」

サナエは優しく続ける。

「恐らく、この力にはリスクもあるのよ。魔法は原則、誰でもどの属性魔法も使えるけど、魔力の性質によっては偏った属性しか使えない場合もある。例えば、雷属性を好んで使っていた人が、魔力融合で本来の魔力性質と大きく変わって、雷が使えなくなることだってあるかもしれない」

「たしかに…」 

百合は目を伏せ、考え込む。

「百合の場合、使えるけど、これまでにない違和感に戸惑ってるんじゃないかしら。慣れれば、問題なくなると思うわ」

 サナエは穏やかに励ました。

「そうかな…。そうだといいんだけど」

 百合は小さく呟き、星空を見上げた。

「それと、イップスかもしれないわね」 

サナエが付け加えた。

「イップス?」 百合が首をかしげる。

「そう。不安や緊張から、できていたことが突然できなくなる症状よ。明確な治療法はないけど、大丈夫。きっと、治るわ」 

サナエは百合の肩にそっと手を置き、静かに微笑んだ。月光が彼女の医療服を照らし、岩山に柔らかな光を投げかけていた。

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