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第2章 契約と誓約
第50話 孤独な忍び
しおりを挟む夕日の暮れはじめ、椿、涼、リナの三人は、涼の拠点に戻り、息を整えていた。
涼の右腕、玲子が駆け寄り、涼に問うた。
「姫君との面談はどうでしたか?」
涼は短く答えた。
「良かった。このままリナの案内で西の奴隷市場を偵察する。しばらく留守にするから、お前が指揮を取れ」
玲子は「分かりました」と頷いた。
涼は続けた。
「出発準備を誰かにやらせろ。その間に、姫の屋敷で話した内容を伝える」
玲子は再び「分かりました」と答えた。
二人の視線が、ふと椿に注がれた。そこには、椿の歓迎会で他の女四人と共に椿と夜を過ごした栗色の髪の女性、渚が、椿にお守りを渡す光景があった。渚の瞳には恋慕が滲み、椿は穏やかに受け取った。
玲子が呟いた。
「椿さんが男で良かった。女なら、大量の宝物が必要だった」
涼が笑った。
「全くだ。姫の歓迎会を含め、彼は十三人の女と寝た。男も子も不足する今、誰か一人でも子を産んでくれりゃいいんだが」
玲子が驚いた。
「この二晩で十三人!?」
涼が訂正した。
「…いや、二人はさっきここに来る前だ」
彼女は冗談めかして続けた。
「玲子、お前も身体が求めるなら、これから椿と寝てもいいぞ?きっと彼もお前の美貌に魅了する」
玲子は満更でもなさそうな笑みを浮かべ、軽く肩をすくめた。
会議は簡潔に終わり、椿、涼、リナはリナの拠点へ急いだ。夜が深まり、到着したのは深夜だった。だが、拠点に響くのは、レイチェルと綾香の怒鳴り声だった。
リナの拠点、粗末な小屋と小動物たちの死骸が散らばる野営地に、緊迫した空気が満ちていた。
レイチェルと綾香は焚き火の前で対峙し、互いの声が霧を切り裂く。レイチェルの声は鋭く、普段の震えは消えていた。
「何度言えば分かるんです!? 忍びを助けたいって、それは綾香ちゃんの独りよがりです! 私たちの任務とは関係ない! 忘れないでください!」
焚き火がぱちんと弾ける。綾香の髪が揺れ、唇がかすかに震えた。
「独りよがり…?」
低く呟いたその声は、すぐに怒りに変わる。
「…違うよ、レイチェル。違う。私にとっては、ただの任務より大事なことなの!」
彼女の声が一気に張り詰める。
「忍びってだけで、命を狙われる人たちがいるんだよ! 私と同じ、忍びだからってだけで!」
焚き火の向こうで、子どもたちが不安そうに見つめる。レイチェルが一歩踏み出す。
「分かります! でも、綾香ちゃんの行動は私たち全員を危険に晒すの! 一人の思いで、チームを巻き込むのは間違ってる!」
その言葉に、綾香の中で何かが切れた。
「チーム? 私が!? ――笑わせないでよ!!」
目に涙を溜め、叫ぶ。
「私は、最初から“誰かの一員”なんかじゃなかった! 生まれてからずっと! おじい様とおばあ様以外、誰とも仲良くならず育ってきた。友達も知らなかった! そんな私に初めて“外の世界”を見せてくれたのが、椿くんだったのに――!」
その声は震え、溢れる感情が抑えきれずこぼれていく。
「でも、椿くんはただの監視役だった。唯ちゃんと毎晩のようにいちゃついて…これが終わればきっと二人はもとに戻って…。私はなんなの? ねえ、この任務だって私がやつの顔を知っているから連れてきただけでしょ?私は一体、なんなの…?」
彼女の拳が震える。
「誰にも必要とされないで、ただ任務をこなせって?“チーム”だなんて、今さら言わないでよ…私はずっと、“誰のもの”でもなかったんだから!」
レイチェルが何か言おうとしたその時、椿が霧の向こうから現れた。
「綾香、レイチェル。少し、三人で話そう」
静かな声でそう言い、三人は近くの岩場に向かった。
椿はレイチェルに頷きながら言った。
「綾香の気持ちは分かる。けれど今は任務を優先すべきだ。屋毒の情報収集と捕獲。それが僕たちの契約だ」
綾香は顔をそらしながら、ぽつりと言った。
「椿…くん…あなたには唯ちゃんがいる。機構の仲間もいる。でも私は…誰もいない。今までも、今も、ずっと…一人だったんだよ」
声がかすれ、涙が頬を伝った。
「好きにすればいい」
椿の言葉に、綾香の目が見開かれ、やがて表情が凍りついた。
レイチェルが慌てて口を挟む。
「綾香ちゃんはあなたと仮契約してます! 協力しないのは違反で――」
「契約は呪いじゃない」
椿の声は冷静だった。
「綾香が辞めたければ、それも自由だ」
椿のまなざしが綾香に向く。
「綾香。君の行動を“僕への協力”だと考えることにすればいい。忍びを守ることが、結果的に僕らの目的に繋がるかもしれない。そう思っていれば、違反にもならないだろ」
沈黙が落ちる。綾香は目を伏せ、焚き火の残光に背を向けて歩き出した。
「綾香ちゃん!」
レイチェルの叫びも虚しく、綾香は霧の闇に消えていく。
椿はその背中をじっと見つめ、ぽつりと言った。
「今は…彼女に、少し時間をやろう」
リナが影から現れた。
「騒がしいな。椿、話は終わったか?」
綾香の足音はあっという間に夜に飲まれていった。彼女の中には、孤独と、椿への複雑な想いが、渦を巻いていた。
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