百万の契約

青いピアノ

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第2章 契約と誓約

第62話 体の契り

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クルナ鉱山に向かう途中、森を抜けた先にある小さな川辺。陽が差し込む前の、静かな時間。
椿は石に腰を下ろし、靴を脱いで水に足を浸していた。ひんやりとした流れが心地よい。
ふと視線を横にやると、レイチェルがスカートの裾を両手でつまみ上げながら、慎重に水の中へと足を踏み入れていた。

「ひゃっ……つめたいっ」

くすぐったそうに笑いながら、彼女は足元の小石を確かめるように一歩ずつ進んでいく。
その様子がなんとも微笑ましく、椿は思わず口元を緩めた。

レイチェルは髪を後ろでまとめていたが、水面に映る自分の姿を見て気恥ずかしそうに俯いた。それでも、水に慣れてくると、くるりとその場で回って水飛沫をあげる。陽の光が少しだけ木々の間からこぼれ、彼女の金髪を淡く照らした。まるで、物語の中の妖精のようだった。


「椿様」

背後から、玲子の声が届いた。静かな気配のまま、隣に膝を折って座る。

「レイチェル様、水が好きなんですね」

そう言って、玲子もそっと視線を川辺にやる。レイチェルは夢中で水中の小魚を追っているようだった。

「うん。こういう無防備な表情、あんまり見たことないから……ちょっと、いいなって思った」

椿は足を揺らしながら答える。玲子はわずかに微笑んだ。

しばらく沈黙が続いたあと、椿はふと、口を開いた。

「玲子さん、体の契りについて……もう少し詳しく教えてくれないかな。どうして涼さんと姫様は、別々に“贈り物”として、複数の女性を僕に?そして今度は“信頼の証”として、玲子さんを…。正直、最初の五人で十分だったんだけど」

玲子は表情を変えず、ただ静かに川の流れを見つめた。

「それは……外の方には分かりにくいかもしれませんね。“体の契り”とは、私たちの間では“誓約”に等しいものです。もともとは、朝霧において家族同士が結束を深め、協力し合うと決めたときそれぞれの家族が“最も若い男女”を差し出す風習がありました。それが“体の契り”と呼ばれるようになったのです」

玲子の声は静かで、どこか遠くを語るようだった。

「やがてこの風習は、郷や組織への忠誠を誓う場面にも拡張され、集団に属する者のうち、最も若い男女を、“忠誠を尽くす者”に贈るというかたちが生まれました。ただ、朝霧においてこの“後者”の例は稀です。多くは“宝物”を忠誠者に捧げることで誓いを結ぶのが通例となっています」

「つまり……組織に“差し出せる”男女がいなければそもそもその儀式はできない、ってこと?」

椿が確認するように尋ねると、玲子は頷いた。

「ええ。そしてこの“外の方に向けた体の契り”は、姫や組織の長が『結束を望んだ』ときにのみ行われるのです。誰か、姫や組織のために――外の者と体の契りを結んでくれる者はおらぬか、とそう呼びかけがなされます」

玲子は川の石を一つ拾い、水面にぽんと落とした。

「その問いに応じた若い女性たちは、家族や一族の名誉と共に姫や組織からの“贈り物”として外の方に差し出されます。これは、名誉あることとされています。忠誠を誓った姫や組織に、自らの忠誠心の深さを示す機会、それが“贈られる”ということなのです」

「でもさ……贈り物って“他人”じゃないか。自分の子どもとはいえ、自分自身じゃない、それで信頼って、成立するの?」

「椿様、この世で最も尊い宝は、何だと思われますか?」

玲子は、まっすぐ椿を見た。

「……子ども、ってこと?」

「はい。少なくとも、私たちはそう考えます。
最も大切なものを差し出すというのは、命を賭すのと同じです。それほどの覚悟が、贈る側にも、受け取る側にも必要なのです。ですから、裏切りは許されません。裏切られた場合は……地の果てまでも追いかけます」

椿は思わず息をのんだ。玲子の目は、曇りなく澄んでいた。

「じゃあ、今回のこれは?なんで姫様と涼さんが……玲子さんまで僕に?」

「……涼様は、ご自身の“覚悟が不十分だった”と感じておられました。椿様を利用しようとした、そうおっしゃられた。その自責の念と共に、謝罪の意を込めて、そして改めて“信頼、結束の証”として、私を差し出す決断をなさいました。ですから、私は“贈り物”として、椿様のもとに参ったのです」

「……それを、もし断ったら?」

玲子はそっと首を振った。

「無礼極まりない所作となります。それだけでなく、“結束を拒んだ”という意思表示と受け取られても、仕方ありません」

「いやいや、最初の契りで、結束は十分成立してるはずで……」

「私は、涼様の右腕。姫様の側近に連なる一族の者です。その私を、椿様が拒んだとあらば――
私の立場は……おそらく、消えてしまうでしょう」

玲子は淡々と語ったが、その声音にはほんのわずかな哀しみが滲んでいた。

「……で、“契り”っていうのはつまり僕が寝た女性たち、みんなと……今後も関係を?」

「はい。朝霧において“契り”を交わした相手とは少なくとも“結婚に等しい”関係とみなされます。もし渚さんが椿様に求めるのであれば――
どうか応えてあげてください。それが“契り”の責任です」

――風が、川面を滑るように吹き抜けた。

玲子は静かに、しかし確かに言った。

「私は、十四番目の奥方でも構いませんよ?」

椿は何も言えずに、川の流れを見つめるしかなかった。

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