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その16
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春、四月。
大学に通い始めたばかりの頃のジェイに、大学祭の話を聞いて以来、雅人の興味はとにかくその事ばかりだった。
そしてゴールデンウイークが終わった五月になって、雅人は念願のジェイが通う大学で行われる学園祭に足を運んだ。
「ここが、大学かぁ……」
大きな門。
そこに建てかけられたアーチ。
雅人は初めて目にする大学に、目を丸くしている。
「雅人さま。パンフレットです。どうぞ」
ジェイは、その雅人の微笑ましい姿に笑みを浮かべたまま言った。
「ありがとう、ジェイ。なんか……お祭りみたいだね」
パンフレットを受け取り、雅人は微笑う。。
「そうなのですね……私は日本のお祭りというものを知らないので、正直よくわからないのですが……」
「僕、透ちゃんに近くの神社のお祭りに連れて行ってもらったことがあるよ。屋台って言うの? 何かね、いつもは何もない神社にお店がたくさん並んでて、すっごく楽しかったよ」
「そうですか……」
雅人はパンフレットに落としていた視線を上げた。
「ここもやっぱりいつもは普通の道? こういうのも屋台って言うのかな?」
「どうなのでしょう……ただ、お祭りであるのは間違いありません。あの、木立の奥が校舎ですが普段はただの道ですから。素人が出している店ですが、それぞれ伝統があるそうでこだわりもあると聞いています」
「伝統って、何?」
「クラブやサークルなどがそれぞれ先輩方から引き継いだ秘蔵のレシピがあると聞き及んでいます」
「秘伝のレシピ? 何か、それだけですっごくおいしそうなんだけど……」
ジェイの言葉に雅人は喜んだ。
「何があるの?」
「そうですね……」
正直なことを言ってしまうと食べる、ということ自体に無頓着なジェイは、喜色を見せる雅人を見てから改めてパンフレットに目を落とした。
「……こちらの一帯は飲食物が出されているようですね……」
ジェイのあまり気のない言葉だったが、雅人はもちろん喜んだ。
「何? 何があるの?」
言いながら、雅人は彼自身もパンフレットに視線を落とす。
そこには、たこ焼き、焼きそば、お好み焼きといったいわゆる粉物であったり、雅人でも飲める低アルコールのカクテルのような飲み物であったり、他にも外国のファストフードであったりがびっしりと書き込まれている。
「たこ焼きに焼きそばにお好み焼き? お酒もあるんだ……カルーアミルクは知ってる。アルコールの入ったカフェオレだよね? レッドアイって何? スプモーニって? マリブコーク? コークってことはコーラベースなの?」
雅人はパンフレットを凝視しながらジェイを見もせずに、矢継ぎ早に質問を口にする。
「あの……雅人さま?」
「え? ギリシャのファストフードって、何、それ? スブラギ? クルリって、名前がかわいいんだけど? ス……スパ……スパナコピタ? それ、何? どんな物か想像もつかないんだけど……」
雅人は今までに見聞きしたことのある食べ物にはもちろんだが、初めてのものにも興味津々のようだ。そして、ジェイが初めて見るほどに明らかに興奮しているようだった。
「落ち着いてください、雅人さま……」
「落ち着けるわけないじゃない。こんなの、食べたことないんだよ? あー! 全部! 全部食べたい!」
雅人がそう望むのならば、何でも叶えてやりたいジェイではあったが、まさか、さすがに見た目以上の大食漢の雅人であっても、何もかもをすべて食べきることは不可能だろう。
「雅人さま……」
「何? ジェイ」
はっきりと興奮を隠せない雅人と、いたって冷静なジェイ。
二人は大学の門に建てかけられたアーチの前で改めて向き合った。
「雅人さま……すべて召し上がるのは、正直無理だと思います」
「何言っているの? ジェイ……食べるよ。だって、今日を逃したら二度と食べられない物かもしれないんだよ?」
「それは……そうかも知れませんが……あまりたくさん召し上がると、お腹を壊します」
「そんなことくらい、自分で調節できるよ。ねぇ、すっごくいい匂いしてる……何から食べようかなぁ……」
ジェイの忠告に雅人はまったく耳を貸すつもりはないようだ。
「雅人さま……」
「ジェイ……僕の側にいるなら僕に色々口出ししちゃダメ。って言うか……僕ってさ、結局誰の言うこともきかないんだよねぇ……」
ジェイの苦言に雅人はけろりと微笑ってそう言い放った。
これにはジェイも黙り込むより仕方がなかった。
これは、確信犯だ。
「……まずは、タコ焼きだね」
神妙な表情を浮かべて、雅人はそう言い放つ。
自分の意見が退けられることなど考えたこともないような、その表情。
それに、ジェイは降伏する仕方がなかった。
「……かしこまりました、雅人さま……」
「ありがとう。ジェイ」
雅人はそれはそれは嬉しそうな笑顔を浮かべてそう言った。
雅人を道の端に置かれた空いているベンチに座らせて、ジェイはいったん雅人から離れることになってしまった。
一時的とは言え離れること自体を危惧していたジェイだったが、屋台でタコ焼きを一つ買って戻った彼は、その危惧が具現化したのかと思ってしまった。
「……教養学部? 教養学部って、何?」
雅人が何やら見知らぬ女学生と話し込んでいた。
「専門課程に行くまでに通う学部よぉ。知らないのぉ?」
「知らない」
雅人はあっけらかんと応じている。
「えー……何ぃ? それぇ……」
「僕、学校って行ってないんだ」
「えー……学校行ってないって、なにぃ?」
「僕、十三歳だけど小学校も中学校も行ったことないよ?」
「そうなのぉ?」
語尾を伸ばすような若い女の声に、ジェイは正直なことを言ってしまうとかなりの不快感を覚えた。
「雅人さま……」
ベンチに並んで座る雅人と、見知らぬ女学生の間にジェイはスッと買ってきたタコ焼きを割り込ませた。
「ご所望のタコ焼きです」
焼きたてのタコ焼きを手渡すと、雅人は嬉しそうに受け取った。
「わぁ……ありがとう、ジェイ」
「……雅人……さまぁ?」
雅人と話し込んでいた女学生が、ジェイが雅人を呼ぶ敬称に違和感を覚えたようだ。
「……何か?」
そう、ジェイは彼女を真正面から見やった。
その圧に女学生はあきらかにたじろいだ様子を見せた。
「ジェイは食べないの?」
ジェイが手渡した焼きたてのタコ焼きを、そんなジェイと女学生の無言のバトルに気付かないのか、気付いていても気にならないのか、雅人はさっそく口に運ぶ。
「私は遠慮しておきます」
「まさか、また食わず嫌いってわけじゃないよね」
「私の事はお気になさらず……ところで、雅人さま……こちらはどなたですか?」
ジェイは先だってより気になっていたことを雅人に訊ねた。
それに雅人はあっけらかんと応じる。
「知らない人だよ。僕がここに座ってたら、このお姉さんが、何してるの? って訊いてきて、それでしゃべってたんだ」
そう言いながら雅人はタコ焼きを頬張った。
「……すっっっごく! 美味しい!」
サークルの秘伝のレシピとやらで作ったタコ焼きは、どうやら雅人のお気に召したようだ。
「それは、よろしゅうございましたね……」
そう応じながら、ジェイは雅人の隣に座る女学生を威嚇しているつもりはないものの、彼から立ち上る自分と雅人の邪魔をするものは許さないという、無言の圧に言葉を失くしている。
しかし雅人はと言えばタコ焼きを頬張りつつ、隣に居心地悪そうに座っている女学生に話しかける。
「お姉さんは、この大学の学生なの? 教養学部って言ってたよね?」
「え……あ……うん……」
「ジェイは、何学部?」
「私は……院生なので……」
「院生って?」
「私は、香港で大学を卒業しているので、この大学の大学院に留学しているんです」
「大学と、大学院って別なの?」
「別と言いますか……大学の上に大学院があるのですよ。大学の学士課程を終えて、修士課程や博士課程の研究と言いますか……特別な授業を受けることや研究ができるのです」
「へぇ……」
学校教育というものにまったく関与していない雅人は感心しきりだ。
そう受け答えしながらも、雅人は手にしたタコ焼きを食べることは怠らなかった。パクパクと、それはそれはおいしそうに食べている。
「ジェイはこのお姉さんと知り合い?」
「いえ……まったくの初対面です」
「そうなんだ……それにしても、このタコ焼き、ホントにおいしい……お姉さん、もう食べた?」
「え……? ああ……ううん……」
「えー……絶対、食べた方がいいって。ホントにおいしいから」
雅人は無邪気にそう応じながら、一人タコ焼きをパクついている。
「え……あ……うん……じゃ……私……タコ焼き買いに行こうかなぁ……」
ジェイがまったく彼女を見ないこともあって、その女学生は居心地悪そうにそう言った。
「待って。最後に二個残ったから、一つお姉さんにあげる。気に入ったら買いに行ったらいいよ」
「え? いいよ……」
「遠慮しなくていいよ。ホントにおいしいから。ね? 食べて、食べて」
「で……でも……」
「お気になさらず。雅人さまがこうおっしゃっておられるのですから、召し上がって下さい」
あくまでも、ジェイは件の女学生の方へは視線を向けない。
そして、一方で雅人の方は彼らしい人懐っこい笑顔を浮かべて、手にしたタコ焼きを勧めている。
「……ねぇ……あなた、何者?」
「え? 僕、雅人……普段渋谷とかで遊んでるんだけど、お姉さん、渋谷とか行く?」
雅人の方は、自覚はないのだろうがとぼけた応えを返している。
「……雅人さまと私は、他の出店にも用があります……一緒にいらっしゃいますか?」
ジェイは心にもないことを言ったがそれに気付いたのは女学生だけで、雅人は不思議そうに二人のやり取りを見て言う。
「せっかくだからさ、お姉さんも一緒に行かない? お姉さん、この大学の学生なんでしょ? 色々案内してよ」
「こ、この人に案内してもらえばいいんじゃない? 院生なんでしょ?」
「ジェイはね、この春に大学に通い始めたばかりだよ……」
「私。友達と約束あるから」
女学生は立ち上がった。
「じゃあ。どこかで、またね……」
「え? あ、ちょっと……行っちゃった……なんでだろ?」
そそくさと立ち去る女学生に置いてけぼりをくらう形になった雅人は、心底不思議そうに言って、ジェイを見た。
「さあ……何故でしょう……」
「あのお姉さんが僕に話しかけてくれたんだよ? 一人? って……」
「お一人ではないとこに気付かれたのでしょうね」
「……ジェイ……何か……怒ってる?」
「まさか」
邪魔な女学生を撃退したジェイは笑みを浮かべて雅人に応じた。
「それよりも、のどが渇かれたのではありませんか? 何か、お飲み物でもいかがでしょう?」
「……」
何か不穏な空気を感じたものの、元来雅人は人の心の機微がわからない。
「……じゃあ、何か飲み物もらおうかな……今度は一緒に行くね?」
「座っておられてよろしいのですよ?」
「んー……まぁ、お店も見て回りたいし、一緒に行くよ」
雅人はベンチから立ち上がる。
「さようでございますか? では、そのゴミをいただきます。ゴミ箱に捨てますから」
「あ、ありがとう……それにしてもさ……ジェイもタコ焼き食べたら良かったのに……ホントにおいしかったんだよ」
雅人は力いっぱいそう主張した。
「私は雅人さまが喜んでくださるのなら、そちらの方が嬉しいです」
「……ジェイって……」
「何でしょうか?」
「……ねぇ……ジェイって、もしかして、僕がさっきのお姉さんと話してたこと、気に入らないの?」
ようやくそのことに気付いた雅人がそう訊くが、ジェイはものの見事に笑顔で言う。
「とんでもない。雅人さまが他の人に好かれていて、私も嬉しいですよ」
二十歳を超えていて社会生活を送りそれなりに人間関係に揉まれてきたジェイと、わずか十三歳の生しか生きておらず学校にも行っていないことを加味すれば、圧倒的に社会生活に耐性のないない雅人。
ましてや、雅人はジェイを信じると決めた以上、それを疑うようなことをしない。
極めて上っ面でしかないジェイの言葉を雅人は信じた。
「なら、いいんだけど……とにかく、僕はタコ焼き食べてのど渇いちゃった……」
「何をお飲みになりますか?」
「んー……何か、軽い飲み物がいいなぁ」
何かが腑に落ちていないのか。
雅人は何か考え事をする時の癖である、右耳の裏をかきながらそう言った。
「では、飲み物のブースの方へ行ってみましょうか?」
「そうだね」
ジェイの提案に雅人は微笑う。
「何を飲むかって……凄く悩むよねぇ……」
真面目な顔をして、雅人は言った。
しかし、正直未成年の雅人の飲酒というものを黙認していいものだろうかと、ジェイは悩んでいた。
そのジェイを見て、雅人は微笑った。
「ジェイ……僕はジェイの言うこともだけどさ……透ちゃんの言うことだってきかないんだよ? 僕を思うようにしようったって、それはムリだって」
「雅人さま……」
「今日は、僕に付き合ってね? おいしい屋台のゴハンと、おいしいお酒……大丈夫。ジェイじゃなくったって、誰も僕を止められるわけがないんだから」
そう言って、雅人が微笑う。
それにジェイが逆らえるはずもなく、うなずいた。
「何をお飲みになられますか?」
「ん-……あんまり、甘くないのがいいなぁ……」
雅人は呟く。
それを聞いたジェイはアルコールを扱う店を回り、スプモーニと言うカクテルをチョイスした。
赤色がキレイなカクテルを雅人に手渡す。
「キレイな色だね」
ジェイもカクテルの入ったプラカップを手にしているので、軽く乾杯のまね事をしてから雅人はそのカクテルを口にする。
「ん……おいしい……グレープフルーツがさっぱりしてるね」
「さようでございますね」
雅人とジェイは一日かけて学園祭を楽しんだ。
久我家に帰宅した雅人は、家にいた忠雄と透にどれだけ楽しかったかを大いに語った。
「雅人、お前我儘が過ぎて先生を引っ張りまわしたんじゃないだろうな?」
言ったのは、案の定透だった。
「そんなことないよ。ね? ジェイ」
「ええ。とても楽しい時間が過ごせました」
「先生がそう言うんだったらいいんだけどな……いいか? 先生は勉強をしに日本に来てるんだぞ? お前の遊び相手じゃないんだからな」
「何言ってるの? 透ちゃん……ジェイが来る前に透ちゃんが言ったんだよ? もう一人の兄さんだとか、遊び相手って思えって」
記憶力の良い雅人のカウンターパンチを食らって、透は返す言葉もなく黙り込んだ。
「透さん。ご心配いただかなくとも、私はきちんと学問も修めております。雅人さまとお出かけができることは、とても良い息抜きになっています」
「だったらいいんだけどな……ほら、雅人。もう遅いからとっとと風呂入って寝な」
「透ちゃんって、ホント口うるさい……でも僕透ちゃんのこと好きだから言うこときくよ。お風呂入って寝ます。ジェイも、今日は疲れたでしょ? 僕が上がったらお風呂入って休んで。先にお風呂入るね。おやすみ」
「はい、雅人さま。ごゆっくり」
本当に、今日はいい一日だった。
雅人の後に風呂を使い、ジェイはとても充実した気持ちでベッドに横になった。
大学に通い始めたばかりの頃のジェイに、大学祭の話を聞いて以来、雅人の興味はとにかくその事ばかりだった。
そしてゴールデンウイークが終わった五月になって、雅人は念願のジェイが通う大学で行われる学園祭に足を運んだ。
「ここが、大学かぁ……」
大きな門。
そこに建てかけられたアーチ。
雅人は初めて目にする大学に、目を丸くしている。
「雅人さま。パンフレットです。どうぞ」
ジェイは、その雅人の微笑ましい姿に笑みを浮かべたまま言った。
「ありがとう、ジェイ。なんか……お祭りみたいだね」
パンフレットを受け取り、雅人は微笑う。。
「そうなのですね……私は日本のお祭りというものを知らないので、正直よくわからないのですが……」
「僕、透ちゃんに近くの神社のお祭りに連れて行ってもらったことがあるよ。屋台って言うの? 何かね、いつもは何もない神社にお店がたくさん並んでて、すっごく楽しかったよ」
「そうですか……」
雅人はパンフレットに落としていた視線を上げた。
「ここもやっぱりいつもは普通の道? こういうのも屋台って言うのかな?」
「どうなのでしょう……ただ、お祭りであるのは間違いありません。あの、木立の奥が校舎ですが普段はただの道ですから。素人が出している店ですが、それぞれ伝統があるそうでこだわりもあると聞いています」
「伝統って、何?」
「クラブやサークルなどがそれぞれ先輩方から引き継いだ秘蔵のレシピがあると聞き及んでいます」
「秘伝のレシピ? 何か、それだけですっごくおいしそうなんだけど……」
ジェイの言葉に雅人は喜んだ。
「何があるの?」
「そうですね……」
正直なことを言ってしまうと食べる、ということ自体に無頓着なジェイは、喜色を見せる雅人を見てから改めてパンフレットに目を落とした。
「……こちらの一帯は飲食物が出されているようですね……」
ジェイのあまり気のない言葉だったが、雅人はもちろん喜んだ。
「何? 何があるの?」
言いながら、雅人は彼自身もパンフレットに視線を落とす。
そこには、たこ焼き、焼きそば、お好み焼きといったいわゆる粉物であったり、雅人でも飲める低アルコールのカクテルのような飲み物であったり、他にも外国のファストフードであったりがびっしりと書き込まれている。
「たこ焼きに焼きそばにお好み焼き? お酒もあるんだ……カルーアミルクは知ってる。アルコールの入ったカフェオレだよね? レッドアイって何? スプモーニって? マリブコーク? コークってことはコーラベースなの?」
雅人はパンフレットを凝視しながらジェイを見もせずに、矢継ぎ早に質問を口にする。
「あの……雅人さま?」
「え? ギリシャのファストフードって、何、それ? スブラギ? クルリって、名前がかわいいんだけど? ス……スパ……スパナコピタ? それ、何? どんな物か想像もつかないんだけど……」
雅人は今までに見聞きしたことのある食べ物にはもちろんだが、初めてのものにも興味津々のようだ。そして、ジェイが初めて見るほどに明らかに興奮しているようだった。
「落ち着いてください、雅人さま……」
「落ち着けるわけないじゃない。こんなの、食べたことないんだよ? あー! 全部! 全部食べたい!」
雅人がそう望むのならば、何でも叶えてやりたいジェイではあったが、まさか、さすがに見た目以上の大食漢の雅人であっても、何もかもをすべて食べきることは不可能だろう。
「雅人さま……」
「何? ジェイ」
はっきりと興奮を隠せない雅人と、いたって冷静なジェイ。
二人は大学の門に建てかけられたアーチの前で改めて向き合った。
「雅人さま……すべて召し上がるのは、正直無理だと思います」
「何言っているの? ジェイ……食べるよ。だって、今日を逃したら二度と食べられない物かもしれないんだよ?」
「それは……そうかも知れませんが……あまりたくさん召し上がると、お腹を壊します」
「そんなことくらい、自分で調節できるよ。ねぇ、すっごくいい匂いしてる……何から食べようかなぁ……」
ジェイの忠告に雅人はまったく耳を貸すつもりはないようだ。
「雅人さま……」
「ジェイ……僕の側にいるなら僕に色々口出ししちゃダメ。って言うか……僕ってさ、結局誰の言うこともきかないんだよねぇ……」
ジェイの苦言に雅人はけろりと微笑ってそう言い放った。
これにはジェイも黙り込むより仕方がなかった。
これは、確信犯だ。
「……まずは、タコ焼きだね」
神妙な表情を浮かべて、雅人はそう言い放つ。
自分の意見が退けられることなど考えたこともないような、その表情。
それに、ジェイは降伏する仕方がなかった。
「……かしこまりました、雅人さま……」
「ありがとう。ジェイ」
雅人はそれはそれは嬉しそうな笑顔を浮かべてそう言った。
雅人を道の端に置かれた空いているベンチに座らせて、ジェイはいったん雅人から離れることになってしまった。
一時的とは言え離れること自体を危惧していたジェイだったが、屋台でタコ焼きを一つ買って戻った彼は、その危惧が具現化したのかと思ってしまった。
「……教養学部? 教養学部って、何?」
雅人が何やら見知らぬ女学生と話し込んでいた。
「専門課程に行くまでに通う学部よぉ。知らないのぉ?」
「知らない」
雅人はあっけらかんと応じている。
「えー……何ぃ? それぇ……」
「僕、学校って行ってないんだ」
「えー……学校行ってないって、なにぃ?」
「僕、十三歳だけど小学校も中学校も行ったことないよ?」
「そうなのぉ?」
語尾を伸ばすような若い女の声に、ジェイは正直なことを言ってしまうとかなりの不快感を覚えた。
「雅人さま……」
ベンチに並んで座る雅人と、見知らぬ女学生の間にジェイはスッと買ってきたタコ焼きを割り込ませた。
「ご所望のタコ焼きです」
焼きたてのタコ焼きを手渡すと、雅人は嬉しそうに受け取った。
「わぁ……ありがとう、ジェイ」
「……雅人……さまぁ?」
雅人と話し込んでいた女学生が、ジェイが雅人を呼ぶ敬称に違和感を覚えたようだ。
「……何か?」
そう、ジェイは彼女を真正面から見やった。
その圧に女学生はあきらかにたじろいだ様子を見せた。
「ジェイは食べないの?」
ジェイが手渡した焼きたてのタコ焼きを、そんなジェイと女学生の無言のバトルに気付かないのか、気付いていても気にならないのか、雅人はさっそく口に運ぶ。
「私は遠慮しておきます」
「まさか、また食わず嫌いってわけじゃないよね」
「私の事はお気になさらず……ところで、雅人さま……こちらはどなたですか?」
ジェイは先だってより気になっていたことを雅人に訊ねた。
それに雅人はあっけらかんと応じる。
「知らない人だよ。僕がここに座ってたら、このお姉さんが、何してるの? って訊いてきて、それでしゃべってたんだ」
そう言いながら雅人はタコ焼きを頬張った。
「……すっっっごく! 美味しい!」
サークルの秘伝のレシピとやらで作ったタコ焼きは、どうやら雅人のお気に召したようだ。
「それは、よろしゅうございましたね……」
そう応じながら、ジェイは雅人の隣に座る女学生を威嚇しているつもりはないものの、彼から立ち上る自分と雅人の邪魔をするものは許さないという、無言の圧に言葉を失くしている。
しかし雅人はと言えばタコ焼きを頬張りつつ、隣に居心地悪そうに座っている女学生に話しかける。
「お姉さんは、この大学の学生なの? 教養学部って言ってたよね?」
「え……あ……うん……」
「ジェイは、何学部?」
「私は……院生なので……」
「院生って?」
「私は、香港で大学を卒業しているので、この大学の大学院に留学しているんです」
「大学と、大学院って別なの?」
「別と言いますか……大学の上に大学院があるのですよ。大学の学士課程を終えて、修士課程や博士課程の研究と言いますか……特別な授業を受けることや研究ができるのです」
「へぇ……」
学校教育というものにまったく関与していない雅人は感心しきりだ。
そう受け答えしながらも、雅人は手にしたタコ焼きを食べることは怠らなかった。パクパクと、それはそれはおいしそうに食べている。
「ジェイはこのお姉さんと知り合い?」
「いえ……まったくの初対面です」
「そうなんだ……それにしても、このタコ焼き、ホントにおいしい……お姉さん、もう食べた?」
「え……? ああ……ううん……」
「えー……絶対、食べた方がいいって。ホントにおいしいから」
雅人は無邪気にそう応じながら、一人タコ焼きをパクついている。
「え……あ……うん……じゃ……私……タコ焼き買いに行こうかなぁ……」
ジェイがまったく彼女を見ないこともあって、その女学生は居心地悪そうにそう言った。
「待って。最後に二個残ったから、一つお姉さんにあげる。気に入ったら買いに行ったらいいよ」
「え? いいよ……」
「遠慮しなくていいよ。ホントにおいしいから。ね? 食べて、食べて」
「で……でも……」
「お気になさらず。雅人さまがこうおっしゃっておられるのですから、召し上がって下さい」
あくまでも、ジェイは件の女学生の方へは視線を向けない。
そして、一方で雅人の方は彼らしい人懐っこい笑顔を浮かべて、手にしたタコ焼きを勧めている。
「……ねぇ……あなた、何者?」
「え? 僕、雅人……普段渋谷とかで遊んでるんだけど、お姉さん、渋谷とか行く?」
雅人の方は、自覚はないのだろうがとぼけた応えを返している。
「……雅人さまと私は、他の出店にも用があります……一緒にいらっしゃいますか?」
ジェイは心にもないことを言ったがそれに気付いたのは女学生だけで、雅人は不思議そうに二人のやり取りを見て言う。
「せっかくだからさ、お姉さんも一緒に行かない? お姉さん、この大学の学生なんでしょ? 色々案内してよ」
「こ、この人に案内してもらえばいいんじゃない? 院生なんでしょ?」
「ジェイはね、この春に大学に通い始めたばかりだよ……」
「私。友達と約束あるから」
女学生は立ち上がった。
「じゃあ。どこかで、またね……」
「え? あ、ちょっと……行っちゃった……なんでだろ?」
そそくさと立ち去る女学生に置いてけぼりをくらう形になった雅人は、心底不思議そうに言って、ジェイを見た。
「さあ……何故でしょう……」
「あのお姉さんが僕に話しかけてくれたんだよ? 一人? って……」
「お一人ではないとこに気付かれたのでしょうね」
「……ジェイ……何か……怒ってる?」
「まさか」
邪魔な女学生を撃退したジェイは笑みを浮かべて雅人に応じた。
「それよりも、のどが渇かれたのではありませんか? 何か、お飲み物でもいかがでしょう?」
「……」
何か不穏な空気を感じたものの、元来雅人は人の心の機微がわからない。
「……じゃあ、何か飲み物もらおうかな……今度は一緒に行くね?」
「座っておられてよろしいのですよ?」
「んー……まぁ、お店も見て回りたいし、一緒に行くよ」
雅人はベンチから立ち上がる。
「さようでございますか? では、そのゴミをいただきます。ゴミ箱に捨てますから」
「あ、ありがとう……それにしてもさ……ジェイもタコ焼き食べたら良かったのに……ホントにおいしかったんだよ」
雅人は力いっぱいそう主張した。
「私は雅人さまが喜んでくださるのなら、そちらの方が嬉しいです」
「……ジェイって……」
「何でしょうか?」
「……ねぇ……ジェイって、もしかして、僕がさっきのお姉さんと話してたこと、気に入らないの?」
ようやくそのことに気付いた雅人がそう訊くが、ジェイはものの見事に笑顔で言う。
「とんでもない。雅人さまが他の人に好かれていて、私も嬉しいですよ」
二十歳を超えていて社会生活を送りそれなりに人間関係に揉まれてきたジェイと、わずか十三歳の生しか生きておらず学校にも行っていないことを加味すれば、圧倒的に社会生活に耐性のないない雅人。
ましてや、雅人はジェイを信じると決めた以上、それを疑うようなことをしない。
極めて上っ面でしかないジェイの言葉を雅人は信じた。
「なら、いいんだけど……とにかく、僕はタコ焼き食べてのど渇いちゃった……」
「何をお飲みになりますか?」
「んー……何か、軽い飲み物がいいなぁ」
何かが腑に落ちていないのか。
雅人は何か考え事をする時の癖である、右耳の裏をかきながらそう言った。
「では、飲み物のブースの方へ行ってみましょうか?」
「そうだね」
ジェイの提案に雅人は微笑う。
「何を飲むかって……凄く悩むよねぇ……」
真面目な顔をして、雅人は言った。
しかし、正直未成年の雅人の飲酒というものを黙認していいものだろうかと、ジェイは悩んでいた。
そのジェイを見て、雅人は微笑った。
「ジェイ……僕はジェイの言うこともだけどさ……透ちゃんの言うことだってきかないんだよ? 僕を思うようにしようったって、それはムリだって」
「雅人さま……」
「今日は、僕に付き合ってね? おいしい屋台のゴハンと、おいしいお酒……大丈夫。ジェイじゃなくったって、誰も僕を止められるわけがないんだから」
そう言って、雅人が微笑う。
それにジェイが逆らえるはずもなく、うなずいた。
「何をお飲みになられますか?」
「ん-……あんまり、甘くないのがいいなぁ……」
雅人は呟く。
それを聞いたジェイはアルコールを扱う店を回り、スプモーニと言うカクテルをチョイスした。
赤色がキレイなカクテルを雅人に手渡す。
「キレイな色だね」
ジェイもカクテルの入ったプラカップを手にしているので、軽く乾杯のまね事をしてから雅人はそのカクテルを口にする。
「ん……おいしい……グレープフルーツがさっぱりしてるね」
「さようでございますね」
雅人とジェイは一日かけて学園祭を楽しんだ。
久我家に帰宅した雅人は、家にいた忠雄と透にどれだけ楽しかったかを大いに語った。
「雅人、お前我儘が過ぎて先生を引っ張りまわしたんじゃないだろうな?」
言ったのは、案の定透だった。
「そんなことないよ。ね? ジェイ」
「ええ。とても楽しい時間が過ごせました」
「先生がそう言うんだったらいいんだけどな……いいか? 先生は勉強をしに日本に来てるんだぞ? お前の遊び相手じゃないんだからな」
「何言ってるの? 透ちゃん……ジェイが来る前に透ちゃんが言ったんだよ? もう一人の兄さんだとか、遊び相手って思えって」
記憶力の良い雅人のカウンターパンチを食らって、透は返す言葉もなく黙り込んだ。
「透さん。ご心配いただかなくとも、私はきちんと学問も修めております。雅人さまとお出かけができることは、とても良い息抜きになっています」
「だったらいいんだけどな……ほら、雅人。もう遅いからとっとと風呂入って寝な」
「透ちゃんって、ホント口うるさい……でも僕透ちゃんのこと好きだから言うこときくよ。お風呂入って寝ます。ジェイも、今日は疲れたでしょ? 僕が上がったらお風呂入って休んで。先にお風呂入るね。おやすみ」
「はい、雅人さま。ごゆっくり」
本当に、今日はいい一日だった。
雅人の後に風呂を使い、ジェイはとても充実した気持ちでベッドに横になった。
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23歳にして交通事故で死に、異世界転生をする。
急に異世界に飛ばされた俺、もちろん金は無い。何とか超初級クエストで金を集め武器を買ったが、俺に戦いの才能は無かったらしく、スライムすら倒せずに返り討ちにあってしまう。
完全に戦うということを諦めた俺は危険の無い薬草集めで、何とか金を稼ぎ、ひもじい思いをしながらも生き繋いでいた。
そんな日々を過ごしていると、突然ユニークスキル[レベルアップ]とやらを獲得する。
最初はこの胡散臭過ぎるユニークスキルを疑ったが、薬草集めでレベルが2に上がった俺は、好奇心に負け、ダメ元で再びスライムと戦う。
すると、前までは歯が立たなかったスライムをすんなり倒せてしまう。
どうやら本当にレベルアップしている模様。
「ちょっと待てよ?これなら最強になれるんじゃね?」
最弱魔法しか使う事の出来ない底辺冒険者である俺が、レベルアップで高みを目指す物語。
他サイトにも掲載しています。
第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。
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前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。
おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう
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パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。
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彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。
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が、ある日。
「お久しぶりです、師匠!」
絶世の美少女が家を訪れた。
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「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」
精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。
「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」
これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
(※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。
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【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活
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大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!
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