伯爵令嬢は海の香りを知りたい

佐葦夏

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後編

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 屋敷に帰り、夕食の席で両親から今日の出来事について話すよう父親から促された。護衛とメイドがケイシー様達の事を両親に報告していたこともあり、かいつまんで話すと両親はケイシー様だけでなくウッドソン侯爵家にも憤慨している。特に私とケイシー様の婚約の件についてどうするかと近いうちに話し合いをするという事で、父から私の気持ちについて確認された。侯爵ご夫妻には悪いけれど、もし今日遭遇した女性と別れたとしても、その後に彼と良い関係を築いていけるか自信なんて無いし、ケイシー様が私を尊重してくれたとして…ケイシー様が私を尊重?そんなことありえるのだろうかという不安や疑いの気持ちがどうしても拭えない事を正直に話した。父や母も

「由緒ある家に望まれて嫁ぐのであれば、マリッサも大事に扱って貰えるだろうと思ったのだが…」

「お二人からは丁寧に扱っていただいていますし、礼儀作法や家政学などの教養や教育は惜しみなく手をかけて下さっているとは思っています。それについては感謝している気持ちもあります。」

 私は俯きながら答えた。侯爵夫妻も悪い人ではないし優しい人だとは思う。ただ私が期待に応えられないだけで…。

「だが、ウッドソン夫妻の令息への対応は目に余るものがある。いくら大切な嫡男とは言えだ。」

 そう…なのかもしれないのだろうか、私が悪いわけではないのだろうか。

「とりあえず、近々侯爵夫妻とこの婚約の現状について話し合ってみよう。良いな?」

 父がそう言ってくれたものの、きっと多分婚約解消は爵位が低いこちらからは中々難しい。その上この婚約の仲介をしてくれた教会─今日訪問した─にも話を通さないといけないためどうなるにせよ時間がかかるだろう。

 とりあえず今の所はたとえ教会をはじめとする安全な場所への訪問であっても護衛が増やされることになった。
 物々しい警備はあまり好きではないけれど両親の心配も判るので仕方ない。



「…はぁ…今日は散々だったわ。」

 夕食後、部屋に戻り寝巻に着替え、メイドが下がったのを確認するとベッドに倒れ込んだ

「婚約…解消できるのかしら。」

 窓を開けて少し夜風にでもあたろうかと思ったが、予想以上につかれているのか体がいう事を聞かない。
 今思い悩んだところで事態が早急に変わることはない、気分を入れ替えてから眠りたかったが疲れた体が欲するままマリッサは眠りに落ちた。


 --ざざーん……ざざー…

 ああ、いつもの夢だ

 見たことのないのに懐かしささえ感じる海岸の街の小さな家。その庭先のベンチで小花柄の質素なワンピースを着て麦わらの帽子をかぶった私は草花の向こうに見える海の遠くを見つめている。

 ’私’はその海の向こうからやって来る…いえ、その人が’戻ってくる’のを知っている。
 こじんまりとした庭に植えられている草花やハーブの手入れをしながらこの花はどんなふうに活けようか、このハーブでどんな料理を作ろうかと温かい心で思案している。

 これは夢だ…私は料理なんて一度もしたことが無いし、ハーブの効能は多少は知っていても栽培…育てたことなど一度もない。パーティや贈り物などで良く使われている花は知っていても、あの小さな家の庭で育てられている花々は家の図書室に置いてある古い図鑑で見たような覚えがあるだけだ。
 それを何と楽し気に…満たされた気持ちで手入れをしているのだろう。厚手の手袋をし、小さな鍬や花切狭を使って草を抜いたり花や木を剪定を行い、まるで庭師見習の様…昼間に教会で見た子供たちの様にせっせと動いている。きっと’私’はそれがとても楽しく嬉しいのだ。

 そのことに気付いたとき、私は胸が少し痛くなった。

「あの海から現れる人はどんな人だろう。」

 ’私’があんなにも満たされた気持ちになる人…私は一度もあったこともない…これから会う事もないであろう人に思いを馳せる。




「お嬢様、お嬢様?」

 いつの間にか深く眠っていたみたいで、メイドの声が聞こえて目を覚ました。ゆるゆると頭を上げて起きようとした所

「お嬢様、こちらを。」
 といって硬く絞ったタオルと手鏡を渡される。
 目の周りが少し腫れており、

「私、昨夜眠りながら泣いていたのね。」

「お嬢様、昨日はあんなことがあったのですもの、ご無理はなさらないでください。」

 心配するメイドに大丈夫よと答えたが泣いた原因はきっと昨日の事ではない、と感じる。
 顔をゆっくりと濡らしたタオルで拭うと、ふっと塩の香りがしたような気がする。

 ズキッと傷んだ胸をつい抑えると、メイドが心配して背をさすってくれる。

「ゆっくりお休みください、旦那様や奥様には報告しておきますので。」

 起き上がらすに、そのままベッドの中に戻るように促され、私が横になったことを見届けたメイドは心配げな顔をして部屋を後にした。

 …窓、開けておいて欲しかったな…

 うつらうつらとする頭の中でぼんやりと海は見えないけれど、海から来たかもしれない風を感じてみたかっな…とそんなことを考えながら眠りに落ちた。



 昼過ぎに目が覚め、メイドが持ってきてくれた昼食を兼ねて軽い食事を食べていると、父から連絡があり、侯爵家との話し合いはこちらで進めておくから、当分の間はゆっくり休みなさい、侯爵邸へ学びに行ったり、教会などで慈善活動を行ったりすることもせずにのんびり過ごして良いと話があった。
 勿論ケイシー様達に会う可能性のある事、特に街歩きなどはもってのほかだと言われたが、そこまで街へ出かけたい訳ではないしそんな気分にもなれないため、気晴らしを兼ねて屋敷の庭を散策していると母がやってきた。

 母に促され庭園の東屋でお茶を飲むことになり、用意された紅茶を飲んで一息つくと母は私に向かって案じるかのように話を始めた。
 さっき朝昼兼用の軽食を食べたばかりだから、テーブルの上に並べられた焼き菓子たちには手を付けなかったのだけど心配させてしまったかしら?

「マリッサ、ウッドソン侯爵家との婚約の話についてだけど、一ヶ月後にある教会の生誕祭にこの婚約保証人である司教様もいらっしゃるから、その日に合わせて司教様を交えて両家で正式に協議の場を持つことになったわ。」

「ごめんなさい、お母様、お父様にも申し訳なく思っています。」

「謝ることはないわ、遅くに出来た嫡男という事で甘やかしていらっしゃる事は有名だったもの、まあ…だからこそマリッサの事を次代の侯爵夫人として大事にしてくださるかと思っていたけれど、まさかご令息自身が他の女性の虜になっているなんてね。」

 と母はため息をつきながらぼやいた。

「ケイシー様が貴族学院へ進学されてから、お会いすることが殆どなくて…」

 これは嘘だ、その前からもほとんど会う事は無かった。
 紅茶の入ったティーカップをスプーンで何度も何度もかき回す。

 その動揺を気付かれたのか

「マリッサ、気分はどう?調子のおかしいことはない?なんだったら欲しいものくらい言ってくれていいのよ?」

 母なりの気晴らしの提案なのか、こちらに身を乗り出してくるかの勢いで尋ねてくる。

「そ、う…ですね、もし、もし叶うなら…」

「もし叶うなら?」

「…海……そう、海…海岸というものに行ってみたいです」

 ほんのりと塩の香りのする風が頬を撫でた気がする。



「あら、とても素敵ね!この国じゃ海なんて簡単に見られないもの!」

 母はそういって、紅茶を飲み終えると侍女に何かを命じ、後で応接室へいらっしゃいと言うと優雅に退席していった。


 私は母を見送りぬるくなった紅茶を飲み終えてから応接室へ向かう事にした。

「さあ、どこの海が良いかしら?」
 のんびり歩きながら応接室へたどり着くと、母は応接室広いテーブルの上に我が家の図書室に秘蔵されている地図を持ち出して広げていた。

「この地図を広げても余裕のあるテーブルって此処か食堂か執務室のテーブル位なのよね。あ、心配しないでお父様にも伝えておいたから、もうすぐいらっしゃるわ。」

「えっお父様にも?っていうか、どの海ってその、もしかして行ってみても良いのですか?」

「そうね、交流のある国の海なら大丈夫よ。貴女には思いもかけず苦労させてしまったもの、少しばかりの休息は必要だわ。」

「お母様…」

 つい、涙が出そうになって、慌ててハンカチで目元を抑えようとした時、

 コンコン─

「盛り上がっているところ悪いが、私も加わらせてもらうぞ」

 ノックの音と同時にその時父が何冊もの書物を抱えて入ってきた。
 テーブルの上の隙間を縫って、持ってきた書物を置いて確認のため頁をめくっていると、いずれかの書物に挟まれていたのか一枚の風景画─手のひら程度の大きさの─がテーブルの下を通りすぎてマリッサの足元近くへと舞い落ちる。

「お父様、落ちましたわ。」

 それを拾って父に渡そうとして、ふと絵柄を見ると、自然と私の目から涙があふれた。

 これは、私がいつも夢で見ているあの海岸…!

 あの海岸を別の方向から、恐らくは海から見たのだろう風景のスケッチであった。

「お父様、お母様、私、この場所に…この海に行ってみたい…!」



 それからの事は早かった。

 スケッチ画は母も良く知る父の古くからの友人から当時の近況報告と共に送られてきた物で、随分と以前に描かれたらしいけれど、軍艦も停泊することがある港なので街の様子に多少の変化はあるだろうが地形が大幅に変わっているという事は無いだろうし─そんなことがあれば内陸のこの国にも知らせが来る─穏やかで気候の良い地域なので静養するにも適した場所だろう、と早便を使い連絡を取ってくれたのだ。



「後は私たちに任せておきなさい。」

 応接間でスケッチを見つけてから一週間と少し、あれからすぐ友人に連絡を取った父はその勢いのまま私の出国手続きや移動の手配を済ませてくれていた。

「お嬢様の事はおまかせください!」

 旅の支度をすっかり終えたメイドと護衛達が胸を張って両親に応える。
 両親の友人夫婦が国境近くまで迎えに来てくれるそうだ。出国して落ち合う場所まではメイド二人と護衛三人がついてくれることになり、遠出という事もあって母が実家に帰る時にいつも使っている馬車─と専属の御者─で向かう事になった。

「ああ、しっかり頼んだぞ。」

 そして父は私の方へ向き直り

「マリッサ、くれぐれも気をつけてな。侯爵家の人たちのことを気に病むことは無いからな?」

「お父様、ありがとうございます。でも事業の一つをあちらに引き渡す事になるのでしょう?」

「気にするな、侯爵家に嫁ぐ時にお前に持たせる予定だったからな。これで穏便に事が済むのなら惜しくはないさ。それに…」

「それに?」

「侯爵夫妻はそこまで悪い人じゃないが、どうしてもご嫡男の事には目がくらんでしまうのだろう、きっとお前が結婚しても遠くないうちに上手くいかなかっただろう、それが早くわかったことだけでも儲けものだ。」

 と茶目っ気たっぷりに笑う。

「はいはい、二人とも。名残惜しいけれどもうそろそろ出発しないと落ち合う街に到着するのが遅くなってしまいますわよ。」

 母が手を叩きそういうと、私とメイドたちは馬車に乗り、馬に乗って先導と追従する護衛達を従え邸を出発した。


「行ってらっしゃーい!体には十分気を付けるのよー!」

 手を振る両親に応え、窓を開けて私も手を振り返す。

「お父様、お母様、行ってきますー」

 馬車の揺れに合わせてすいっと風が流れ込む。

「そして、あちらに着いたら必ず手紙を書きます!」

 風は頬を撫で、ほのかに感じる塩の香りは柔らかく笑っている気がした。




 End

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