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女神のいと
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「これは恋心を忘れる薬です。」
女神様はそう仰ると、目の前にいる二人の少女にきらめく液体の入った小さな小瓶をお与えになったのです。
時は遡り………
あるとき女神様が森羅万象─女神様のお住まいになる世界─を歩いていると、砂浜の波打ち際に美しく輝いている魂が漂着している光景を見つけられました。
その魂は二柱。
この美しさは無償の善行の証で、この輝きは若さの証。
若い魂という事は、志半ばで倒れたという事でもあります。
ですが、この浜辺─流れ着いた魂が吹き溜まる場所─にたどり着いたという事は、この魂も他の魂と同様にゆっくりと溶け他の魂と混じあい、輪廻と因果を繰り返す新しい魂となって様々な世界へ降り立って行く事が倣いです。
その二柱の魂がこのまま霧散してしまうのは忍びないと感じた女神様は「私の目にとどまったのも何かの縁」とご自分の観測する世界へと、そのまま転生させました。
その世界へ流れ着いた二つの魂は、女神様を熱心に信奉し子供を熱望するそれぞれ別の夫婦の元へたどり着き、一人は貧しくも誠実に国に仕える貴族の元に、一人は豊かで国という物に囚われる事のない商人の元に生まれたのです。
女神様は新たに生を授かった二人を女神様の世界から見守る事になさいました。
月日は流れ二人が16歳の誕生日を迎えた頃、その国の王子の婚約者選びのパーティーが開かれる事になったのです。
貴族平民関係なく、名のある家の未婚の令嬢全てが招待されたそのパーティーには、貴族の家に生まれた令嬢も商家の家に生まれた少女も参加することになり、そこで初めて王子と親しく会話する機会を得た二人はどちらも彼に恋をしてしまいました。その日、王子と出会った多くの娘たちと同様に。
二人が同じ人を好きになるなんて…こんなことになると思わなかった女神様は二人の夢枕に立ち、恋心を忘れる薬を渡す事になさいました。
「これは恋心を忘れる薬です。」
女神様はそう仰ると、目の前にいる二人の少女にきらめく液体の入った小さな小瓶をお与えになったのです。
二人は、目の前に女神様が現れたことに大変驚きましたが、信心深い両親の姿を見て育ったので、自分たちの来歴…両親の信仰心と女神様の慈悲によってこの世に生まれたこと…について本能的に納得し受け入れる事が出来ました。そして彼女達は初めてお互いのことを認識したのです。
「どうしても自分の心が苦しい時に使いなさい。」
とおっしゃる女神様からそれぞれに同じ薬を受け取ると、二人は再び深い眠りに沈み、翌朝、目が覚めると枕元に夢で見たものと同じ小瓶を見つけたことで、二人は女神様と会ったことが本当にあった事だと理解しました。
けれど二人は胸に芽生えたばかりの、この恋心を消すことは出来ません。
どちらも女神様から頂いた薬をそっと机の引き出しにしまうのでした。
そうして王子の婚約者選びのパーティーが何度か行われた後、彼の婚約者に選ばれたのは高位貴族の令嬢でした。
令嬢は喜びましたが、それ以上に令嬢は王子に恥じないよう、より一層努力し周囲にも認められるほどの成長を遂げたのです。
王子はそんなひたむきで誠実な令嬢に好感を持ち、令嬢に好意を…契約相手としてではなく一個人として恋愛感情を抱き始め、パーティーでも初々しい二人をほめそやす声に溢れました。
周囲に祝福される王子と令嬢の姿をパーティーで見た少女は、悲しみ、悔やみ、妬む気持ちが心からあふれてしまう事を止められません。
…もし私が高位貴族に生まれていたら、きっと王子の婚約者は私だったろう、そうしたら王子は私を愛してくれたのに…
その年の収穫を祝う狩猟祭─冬に入る前の王国行事─で、一番大きな獲物を狩ったものの、足を滑らせ打ち身を得てしまった王子が安静の為に天幕で休息をとっていたところ、生家の商家が狩猟祭の世話役の一助を担っていた少女が「気持ちがすっきりとする薬です」と女神の薬を王子に差し出し、飲ませてしまいました。
狩猟祭が終わる頃には王子は令嬢への気持ちをまるで憑き物が落ちたかのように一切失くし、思い出すらもまるで他人事のように薄れてしまったのです。
王子の傷病を甲斐甲斐しく看護した少女は、首尾よく彼に取り入る事が出来、収穫祭の翌月には王子の婚約者の変更が行われました。
それを伝えられた令嬢は深く嘆き悲しみに暮れましたが、変更された婚約者として紹介された少女を見て、全てを察してしまったのです。
「女神様の薬を使ったのだ。」と。
しかし、女神様の薬の事は令嬢と少女しか知らないはずです。そんな話をしても誰も信じることは難しいでしょう。
令嬢は世を儚んでしまい、自分も女神様の薬を飲み干そうとして瓶に口をつけようとした時、脳裏に浮かんだのです。ここまで育ててくれた両親や、そして…かつては自分を見つめてくれた王子の事を…。
「この恋心だけではなく、この思い出すらも消えて薄れてしまうのかしら…。」
令嬢は苦しくも思いとどまり、その勢いのまま瓶を床に叩きつけたのす。
王子にふさわしくあろうとして努力したことは、無駄ではなかったと思いたかったからかもしれません。
婚約者変更の手続きが終わると、令嬢は国を出ることにしました。
-----さようなら、私の恋心-----
しばらくして少女は令嬢以上の地位を欲し、思いとどまらせようとする周囲を振り切って両親よりも遥かに裕福な高位貴族の養女となり、そしていくつかの季節が過ぎた頃に王子と結婚しました。
二人の結婚に関する祝いの祭事が落ち着いた頃、交易先のとある国で高位貴族の当主に慶事─祝言─があるという報せが舞い込んできました。なんと結婚相手は我が国出身の女性ということで、その祝いの特使として王子と共に少女…今はもう王子妃ですが…は外遊を任されることになったのです。
相手の女性は少女と同年代であるからきっと話も合うだろうという配慮からでした。
少女は初めての大きな公務に緊張を覚えたものの、王子としっかり打ち合わせしなければと張り切ってもいました。
しかし、なぜか王子は少女に対しよそよそしく…まるで他人事かの様に薄く素っ気ない態度を返す様になっていたのです。
このままでは公務どころか普段の生活にすら支障が出てしまう、どうしたことかと周囲の者に尋ねてみると、なんと王子に新しい恋人が出来た様だと言うのです。
少女は抑えがたい心持ちをどうにか沈めつつ、王子を問い詰めると…
「君への恋心はなくなってしまったんだ。」
ザア……ザアアン……
「どうして他人に使ってしまったのかしら…持て余した恋心など自分を苦しめるだけでしかないのに…。」
いつもの浜辺の散歩道で、凪いだ海面に映した現世を眺めていた女神様がそう呟く声が聞こえました。
女神様はせっかくの美しい魂が、悲しみや苦しみで曇る事を憂えて恋心を忘れる薬を渡したのですが、恋はどの世界でも人を変えてしまうのでしょうか…。
「……それにしても。薬を飲まないものは過去にもいたけれど、薬を割って捨てたものは初めてだわ、大抵は使わずとも大事にしまい込むものなのに。」
「…皆、先祖代々の秘薬として伝えていってしまう。」
そうして長年にわたって保管されてきた秘薬を、王子はまた飲んでしまったのでしょう。
彼の突然の心変わりに、伝えられてきた秘薬の効果は本当なのだと気付いたものの手によって。
「ふう…。」
水面に映る現世には、かつて美しい魂であった二人の姿がそれぞれ映し出されています。
女神様は薬の力に頼らず、恋心を振り切った令嬢をより好ましく思われました。
令嬢はもう女神様の力を借りずともこの世界で輝いていけるでしょう。
けれど少女の方は…。
女神様は少し悲しい顔を浮かべられ
「もうこれ以上見るべきものは無いでしょう。」
と、彼女たちの様子を見守ることをおやめになり、現世を映し出した水面を閉じ、そぞろ歩き始められました。
女神様が去った後の浜辺には変わらず波が寄せては返しています。これまでと同じように、これからもずっと。
女神様はそう仰ると、目の前にいる二人の少女にきらめく液体の入った小さな小瓶をお与えになったのです。
時は遡り………
あるとき女神様が森羅万象─女神様のお住まいになる世界─を歩いていると、砂浜の波打ち際に美しく輝いている魂が漂着している光景を見つけられました。
その魂は二柱。
この美しさは無償の善行の証で、この輝きは若さの証。
若い魂という事は、志半ばで倒れたという事でもあります。
ですが、この浜辺─流れ着いた魂が吹き溜まる場所─にたどり着いたという事は、この魂も他の魂と同様にゆっくりと溶け他の魂と混じあい、輪廻と因果を繰り返す新しい魂となって様々な世界へ降り立って行く事が倣いです。
その二柱の魂がこのまま霧散してしまうのは忍びないと感じた女神様は「私の目にとどまったのも何かの縁」とご自分の観測する世界へと、そのまま転生させました。
その世界へ流れ着いた二つの魂は、女神様を熱心に信奉し子供を熱望するそれぞれ別の夫婦の元へたどり着き、一人は貧しくも誠実に国に仕える貴族の元に、一人は豊かで国という物に囚われる事のない商人の元に生まれたのです。
女神様は新たに生を授かった二人を女神様の世界から見守る事になさいました。
月日は流れ二人が16歳の誕生日を迎えた頃、その国の王子の婚約者選びのパーティーが開かれる事になったのです。
貴族平民関係なく、名のある家の未婚の令嬢全てが招待されたそのパーティーには、貴族の家に生まれた令嬢も商家の家に生まれた少女も参加することになり、そこで初めて王子と親しく会話する機会を得た二人はどちらも彼に恋をしてしまいました。その日、王子と出会った多くの娘たちと同様に。
二人が同じ人を好きになるなんて…こんなことになると思わなかった女神様は二人の夢枕に立ち、恋心を忘れる薬を渡す事になさいました。
「これは恋心を忘れる薬です。」
女神様はそう仰ると、目の前にいる二人の少女にきらめく液体の入った小さな小瓶をお与えになったのです。
二人は、目の前に女神様が現れたことに大変驚きましたが、信心深い両親の姿を見て育ったので、自分たちの来歴…両親の信仰心と女神様の慈悲によってこの世に生まれたこと…について本能的に納得し受け入れる事が出来ました。そして彼女達は初めてお互いのことを認識したのです。
「どうしても自分の心が苦しい時に使いなさい。」
とおっしゃる女神様からそれぞれに同じ薬を受け取ると、二人は再び深い眠りに沈み、翌朝、目が覚めると枕元に夢で見たものと同じ小瓶を見つけたことで、二人は女神様と会ったことが本当にあった事だと理解しました。
けれど二人は胸に芽生えたばかりの、この恋心を消すことは出来ません。
どちらも女神様から頂いた薬をそっと机の引き出しにしまうのでした。
そうして王子の婚約者選びのパーティーが何度か行われた後、彼の婚約者に選ばれたのは高位貴族の令嬢でした。
令嬢は喜びましたが、それ以上に令嬢は王子に恥じないよう、より一層努力し周囲にも認められるほどの成長を遂げたのです。
王子はそんなひたむきで誠実な令嬢に好感を持ち、令嬢に好意を…契約相手としてではなく一個人として恋愛感情を抱き始め、パーティーでも初々しい二人をほめそやす声に溢れました。
周囲に祝福される王子と令嬢の姿をパーティーで見た少女は、悲しみ、悔やみ、妬む気持ちが心からあふれてしまう事を止められません。
…もし私が高位貴族に生まれていたら、きっと王子の婚約者は私だったろう、そうしたら王子は私を愛してくれたのに…
その年の収穫を祝う狩猟祭─冬に入る前の王国行事─で、一番大きな獲物を狩ったものの、足を滑らせ打ち身を得てしまった王子が安静の為に天幕で休息をとっていたところ、生家の商家が狩猟祭の世話役の一助を担っていた少女が「気持ちがすっきりとする薬です」と女神の薬を王子に差し出し、飲ませてしまいました。
狩猟祭が終わる頃には王子は令嬢への気持ちをまるで憑き物が落ちたかのように一切失くし、思い出すらもまるで他人事のように薄れてしまったのです。
王子の傷病を甲斐甲斐しく看護した少女は、首尾よく彼に取り入る事が出来、収穫祭の翌月には王子の婚約者の変更が行われました。
それを伝えられた令嬢は深く嘆き悲しみに暮れましたが、変更された婚約者として紹介された少女を見て、全てを察してしまったのです。
「女神様の薬を使ったのだ。」と。
しかし、女神様の薬の事は令嬢と少女しか知らないはずです。そんな話をしても誰も信じることは難しいでしょう。
令嬢は世を儚んでしまい、自分も女神様の薬を飲み干そうとして瓶に口をつけようとした時、脳裏に浮かんだのです。ここまで育ててくれた両親や、そして…かつては自分を見つめてくれた王子の事を…。
「この恋心だけではなく、この思い出すらも消えて薄れてしまうのかしら…。」
令嬢は苦しくも思いとどまり、その勢いのまま瓶を床に叩きつけたのす。
王子にふさわしくあろうとして努力したことは、無駄ではなかったと思いたかったからかもしれません。
婚約者変更の手続きが終わると、令嬢は国を出ることにしました。
-----さようなら、私の恋心-----
しばらくして少女は令嬢以上の地位を欲し、思いとどまらせようとする周囲を振り切って両親よりも遥かに裕福な高位貴族の養女となり、そしていくつかの季節が過ぎた頃に王子と結婚しました。
二人の結婚に関する祝いの祭事が落ち着いた頃、交易先のとある国で高位貴族の当主に慶事─祝言─があるという報せが舞い込んできました。なんと結婚相手は我が国出身の女性ということで、その祝いの特使として王子と共に少女…今はもう王子妃ですが…は外遊を任されることになったのです。
相手の女性は少女と同年代であるからきっと話も合うだろうという配慮からでした。
少女は初めての大きな公務に緊張を覚えたものの、王子としっかり打ち合わせしなければと張り切ってもいました。
しかし、なぜか王子は少女に対しよそよそしく…まるで他人事かの様に薄く素っ気ない態度を返す様になっていたのです。
このままでは公務どころか普段の生活にすら支障が出てしまう、どうしたことかと周囲の者に尋ねてみると、なんと王子に新しい恋人が出来た様だと言うのです。
少女は抑えがたい心持ちをどうにか沈めつつ、王子を問い詰めると…
「君への恋心はなくなってしまったんだ。」
ザア……ザアアン……
「どうして他人に使ってしまったのかしら…持て余した恋心など自分を苦しめるだけでしかないのに…。」
いつもの浜辺の散歩道で、凪いだ海面に映した現世を眺めていた女神様がそう呟く声が聞こえました。
女神様はせっかくの美しい魂が、悲しみや苦しみで曇る事を憂えて恋心を忘れる薬を渡したのですが、恋はどの世界でも人を変えてしまうのでしょうか…。
「……それにしても。薬を飲まないものは過去にもいたけれど、薬を割って捨てたものは初めてだわ、大抵は使わずとも大事にしまい込むものなのに。」
「…皆、先祖代々の秘薬として伝えていってしまう。」
そうして長年にわたって保管されてきた秘薬を、王子はまた飲んでしまったのでしょう。
彼の突然の心変わりに、伝えられてきた秘薬の効果は本当なのだと気付いたものの手によって。
「ふう…。」
水面に映る現世には、かつて美しい魂であった二人の姿がそれぞれ映し出されています。
女神様は薬の力に頼らず、恋心を振り切った令嬢をより好ましく思われました。
令嬢はもう女神様の力を借りずともこの世界で輝いていけるでしょう。
けれど少女の方は…。
女神様は少し悲しい顔を浮かべられ
「もうこれ以上見るべきものは無いでしょう。」
と、彼女たちの様子を見守ることをおやめになり、現世を映し出した水面を閉じ、そぞろ歩き始められました。
女神様が去った後の浜辺には変わらず波が寄せては返しています。これまでと同じように、これからもずっと。
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