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第一章・青雲
第7話 猪之吉(二)
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地域の巡回を始めてから数日後。
今のところ幸次郎一味とおぼしき連中は黒駒に現れていない。
しかし集会所にいる勝蔵のところへ、
「近くの畑で盗人が見つかったので農民たちが追いかけているところだ」
という話が届いた。しかしその盗人はどうやら幸次郎一味ではないようで「子どもの盗人が一人で逃げている」という話だった。
「なんだ、子どもか」
と勝蔵は拍子抜けした。
その少年はやや足元をふらふらさせながら黒駒の街道を走って逃げている。その後を農家の男三人が追いかけている。
少年は畑で盗んだ大根を右手に握っており、それを走りながら時々かじって食べている。そして左手には弓らしき物を握っている。どうやら半弓のようだ。
しばらくすると追手の農民は、あと二十歩ぐらいの距離まで近づいてきた。すると少年は、食いかけの大根を投げ捨て、半弓に矢をつがいで後ろを振り向き、すかさず矢を放った。
矢は農民の足元をかすめた。
それで彼らは一瞬ひるみ、追いかけるのを少し躊躇した。
そのスキを見て少年は、すぐにかたわらの竹藪に飛びこんで逃走をはかった。まるで猪のような暴れぶりだ。
農民たちはなかば、もう見逃してやっても良いじゃねえか、と思い始めていた。
どうやらあれは浮浪児らしい。食いつめて仕方なく畑の作物を盗ったのだろう。まだ子どもだし、大目に見てやればいい。それに、弓矢を人に向かって放つような悪ガキだ。無理して追う必要もあるまい、と。
ただ、逃げた場所が問題だった。
そこは武藤家の竹藪で、すぐ近くに武藤家の屋敷がある。あの悪ガキが武藤家に入って悪さをしないとも限らない。
というわけで一応、武藤家に行って、あいつが侵入してないかどうか注意だけはしておこう、と話し合い、彼らは武藤家へ向かった。
案の定、少年は武藤家の庭に潜入していた。
が、草むらの中にうずくまっていた。庭のすみにある物置のかげだ。「腹が減って、もう一歩も歩けない」と、少年はそこに腰を落としていたのだ。
そこへ屋敷の中から少女が一人、歩いてきた。
そして少女は、そこに座りこんでいる汚らしい少年をたまたま見かけ、ビックリして声をあげそうになった。
それに気がついた少年は反射的に弓に矢をつがえて少女へ向けた。そして、思わず言った。
「……何か、食い物をよこせ……」
少女はしばらくおびえた表情をしていたが、おもむろに後ろを振り向いてその場から逃げ出した。
そして少女が門の近くまで逃げてきた時に、門を通って男が三人入ってきた。先ほどまで少年を追いかけていた農民たちである。
彼らがやって来たことに気がついた草むらの少年は、とっさに物置のかげに隠れた。
農民たちは少女に「弓をにぎった小僧がここへ逃げて来ませんでしたか?」と尋ねた。
かげに隠れていた少年は、それを聞いて観念した。
仕方がねえ。こうなったらもう逃げられない。また罰としてぶん殴られるか、ひょっとするとどこかの収容所へ連れて行かれるかも知れないな、と観念した。
しかし少女は、
「いいえ。そのような人は、私は見てません」
と答えた。かげでそれを聞いた少年は、驚いた。
「そうですか。それではまだ近くにそいつがいるかも知れませんので気をつけてください。それと、このことを武藤の旦那様にもお伝えください」
「はい。かしこまりました。間違いなく、そのようにお伝えいたします」
「それでは、ごめんください、お八重ちゃん」
そうあいさつして、農民たちは帰っていった。
そのあとお八重は、武藤家の敷地内にある神社の祠へ行った。そしてそこに供えられていた果物の梨を二つ、神様に謝りながら手にとり、それを少年のところへ持って行った。
少年はそれを受け取ると、むしゃぶりつくように食べた。
そしてお八重は少年を物置の中へ隠れさせ、そこでしばらく待つように言い、それからすぐに集会所へ走って行った。
集会所に着くとお八重は、息を弾ませながら勝蔵に言った。
「あの……、勝蔵さん、実はお願いがあるのだけど……」
そうしてお八重は、勝蔵を少年のところまで連れて来た。
「あの、勝蔵さん、くれぐれも乱暴なことをしちゃダメよ。ひどくやつれてて、可哀そうな子みたいだから」
「まあ、俺に任せておけ」
と言って勝蔵はガラッと物置の戸を開けた。中の隅っこで隠れるようにして少年が座っていた。
少年は、突然目の前に鬼のような大男が現れたことに驚き、とっさに弓を構えて勝蔵に矢を向けた。
しかし勝蔵は微笑みながら言った。
「そんなちゃちな弓矢じゃ、俺は射殺せねえぞ」
そして「そんなものは手放せ」という意思を示すかのように、勝蔵は手を差し出した。
少年は動物的な本能として「この男にはどんなに抵抗しても無駄だ」と感じ取り、羊のようにおとなしく勝蔵の命に従った。
勝蔵は半弓を受け取ると、代わりに懐から干しぶどうの入った袋を取り出し、それを袋ごと少年に放り投げて「食え」と言った。
少年はむさぼるようにそれを食った。
「お前、名前は?」
「猪之吉」
「猪の猪之吉か?じゃあ、ひょっとして猪年の生まれか?」
猪之吉はコクリと首を縦に振った。
「ということは十一歳か。お八重より二つ上だな。それで、お父っつぁんやおっ母さんはどこにいる?」
「おとうもおかあも、ずいぶん前に死んだ。だから家は無い」
それから猪之吉は、これまでたどった自分の境遇を勝蔵に語り始めた。
父親は甲府の博徒で、元は自分も甲府に住んでいた。物心ついた時に母親は既に死んでいた。そして四年前、突然父親も死んだ。何か博徒同士のいざこざに巻き込まれて死んだらしい。それ以来、面倒をみてくれる人もおらず、乞食の仲間になったり盗みをくり返すなどして食いつないできた。ここ数年はこの半弓を使って鳥やウサギ、時には犬猫やネズミを獲って食べていた。山で山芋や栗などを採って食べたりもするが、ときどき畑の作物も盗んでいた。それで、今日も盗みが見つかって捕まりそうになった、という話だった。
その話を聞いて勝蔵は一つの案を思いつき、猪之吉に尋ねた。
「お前は猟師になるつもりはあるか?あるんなら、俺の知り合いに猟師がいる。その人の弟子になれるよう紹介してやろう」
「うーん……、それは……、猟師になるのは、悪くない、とは思うけど、俺は大人が嫌いだ。今まで散々イジめられてきたし、いまさら大人の言うことなんか聞きたくない。だから、できれば今のままが良い」
「ふん。お前も俺と一緒で天邪鬼な奴だな。気に入ったぞ。だが、お前が今のまま盗みをつづけていれば、どうせいつか捕まって、代官所か、あるいはウチみたいな名主に処罰されるだろう」
猪之吉は、相手が名主の息子と知って驚いた。これはエラい相手に捕まってしまった、と。
その猪之吉の様子を見てとった勝蔵は、安心するように言った。
「心配するな。ウチは名主といっても俺は次男坊だ。別にお前をどうこうするつもりはない。とにかく、俺が使っている山小屋があるから、お前をそこに住まわせてやる。ついて来い」
と言って勝蔵はお八重の家から猪之吉を引き取っていった。
それから二人が山小屋に着くと、勝蔵はそこに置いてあった猟師用の弓を猪之吉にくれてやった。別に勝蔵がそれを使って猟をしていたわけではないが、以前からこの山小屋に飾り代わりとして置きっぱなしにしていたものだ。
猪之吉は本式の弓を手にして、心を躍らせた。
とりあえず勝蔵は、ここで猪之吉に猟師の真似事をやらせることにしたのだった。
この辺の猟師には俺が話をつけておくから、お前が獲った獲物は俺が相応の値段で買い取ってやる。もし猟が不猟でも盗みだけは絶対にやるな。お前を食わせるぐらいの米は俺が必ず届けてやる。
といった至れり尽くせりの条件で、勝蔵は猪之吉を手元に置くことにしたのだった。
猪之吉は今まで一度として大人からこのような待遇を受けたことはなかった。それで、勝蔵の恩情に泣きたくなるほど感謝した。
さて、幸次郎一味のその後について、である。
二十人ほどいた一味は甲州に入ったあと、一隊は南の駿河へ、一隊は北の信州へ向かった。
駿河へ向かった一隊は各地を徘徊しながら二、三の騒動を引き起こした。その騒動の一つは御殿場のぐみ沢で九月二十二日に起きた。
韮山代官・江川英龍の手勢七人が幸次郎一味二人を捕縛し、そのあと三人と格闘戦になり、新式銃で装備した江川勢が一人を射殺、一人を負傷させた上で捕縛、残り一人は取り逃がした、という事件である。八州廻りが三千人からの手勢を動員しながら補足しきれずにいた幸次郎一味を、江川英龍は断固たる姿勢で討伐したのである。
また信州へ向かった一隊も九月下旬に中山道の長久保宿で四人が、つづいて岩村田宿で一人が捕縛され、こちらも壊滅状態となった。
そして十月九日、甲府で潜伏中だった首領の幸次郎が甲府勤番支配によって捕縛され、幸次郎一味の事件はこれで落着となった。捕縛された者は全員のちに死罪となった。
一方、幸次郎と争っていた伊豆の大場の久八も、その本拠地は韮山からそう遠くない所にあったのだが、江川が久八を逮捕しようとしたところ、すでに行方をくらませた後だった。
ともかくも、幸次郎一味の脅威が消えたことにより、勝蔵も黒駒の警戒任務を終了させた。
ちなみにこういった無宿者たちの騒動による影響もあったと思われるが、前回鰍沢で祐天仙之助とつるんでいた津向の文吉がこの年の四月、賭博の罪で捕まって八丈島への流罪となった。
この場合、流罪というのは「終身刑」と同じで、基本的に二度と本土の土を踏む事はできない。それほど重い刑である。ただし文吉の場合は運が良かったと言うべきか、明治の初年頃、御一新の大赦によっておよそ二十年ぶりに帰国が許されることになる。文吉はこの年三十九歳なので、戻って来る頃には六十歳だ。
また余談ながら、この数年前の話として津向の文吉が三十人の手勢をひきいて清水へ出向き、庵原川の河原で地元の博徒とケンカ寸前のにらみ合いとなった際、そこへ文吉を兄と慕う次郎長が駆けつけてケンカの仲裁を成功させた、という逸話が明治十七年に書かれた次郎長の基本史料『東海遊侠伝』に載っている。この仲裁によって次郎長は男をあげ、初めて天下にその名を知られるようになったという。
が、この話は本当かどうか疑わしい。
というか、そもそも博徒に関する逸話はその多くが信憑性に欠けるものばかりであることは、この種の本をいくつか手に取ればすぐに分かることだ。特に『東海遊侠伝』は、一時期次郎長の養子となっていた天田愚庵が次郎長から聞き書きした伝記であるが、この本についていろいろと追究するとキリがないので、それは控えておく。
ただ、一つだけ指摘しておきたいのは、この甲州の「津向の文吉」と、駿河の「首つなぎの親分」として有名な次郎長の兄貴分「安東の文吉」が、同じ“文吉”ということで、この種の講談、ドラマなどでしょっちゅう混同され、津向の文吉が次郎長を可愛がる大親分であるかのように扱われることがよくあったらしい。しかし上記の通り、津向の文吉はこの年に八丈島へ送られ、次郎長の兄貴分として活躍する機会などあろうはずがない。
庵原川の仲裁話は次郎長の基本史料『東海遊侠伝』の段階から書かれている逸話ではあるが、「その文吉はどっちの文吉なんだ?」という疑問もさることながら、この頃の次郎長の名はまだ天下にまったく知られていない。それだけは確かである。
翌年の嘉永三年。
こちらは正真正銘、天下にその名を知られた上州の国定忠治が、八州廻りによって捕縛された。
八月二十四日のことで、上州の田部井村(現、伊勢崎市田部井町)での出来事であった。
博徒の大親分国定忠治が捕まったとなると、どれほど凄い捕り物劇があったのか?と想像するかも知れないが、そういった劇的な場面は一切ない。
忠治はこの一ヶ月前、隠れ家に潜伏していたところ突然中風を発症して倒れ、寝たきり状態となってしまい、そこへ踏み込まれて捕まったのだった。
忠治が伝説的な「義賊」として後世語られるようになったのは、天保飢饉の際に地元村民に対して施しをおこなった事が何よりも大きい。そのことは当時の記録として残っており、そういう評判が実際に広がっていたという記録も残っている。
さらに忠治の人気を後押ししたのは、やはり幕府に対して反抗的であったからだった。
博徒であるにもかかわらず幕府の目明しとはならず、時には赤城山に立てこもってまで幕府に反抗していた。なにしろ当時の目明しは幕府の権威をかさに好き放題やっていたようで、とにかく民衆から嫌われていた。『鬼平犯科帳』で元盗人の目明しが鬼平の部下として誠実に働く、というのとはかなりイメージが異なる。その目明しをつとめなかった忠治は「義賊」としての条件を満たしていたのである。
このように書くと、忠治はいかにも「善人」であったかのように思うかもしれないが、敵対していた博徒・島村伊三郎の殺害を始めとする数々の殺人傷害事件、賭場荒らし、賭場の開帳、そしてなにより忠治の罪刑として一番重視された「関所破り」など悪逆の限りを尽くしており、どう見ても「善人」と言うには無理がある。
そして忠治は、関所破りをした上州大戸の関所に護送されて、そこで十二月二十一日、磔刑に処された。享年四十一。
確かに幕府の法令には「関所破りは磔刑に処す」との条文がある。ただし実際に関所破りの罪で磔刑が実行されることは、まずない。この条文は古い慣習を引き継いだ、いわば形式的なものに過ぎない。「嘘ついたら針千本飲ます」と言っているようなものだ。飲めるわきゃあない。
それなのに今回の忠治の場合に限ってこれを厳格に適用させたのは、忠治の数々の犯罪が悪質であったために幕府としては通常の「斬罪(斬首)」では許しがたく、なんとか見せしめとして磔刑にしようともくろみ、本来ほとんど死文と化していた「関所破りは磔刑に処す」の条文を援用して磔刑を実行したのである。
忠治は見せしめとして磔刑に処されたのだ。
が、この幕府のもくろみは失敗したといえる。ここでキリストの例を持ち出すのはいかにも不謹慎きわまる話であろうが、磔刑による死は、逆に忠治の死を劇的なものとし、その「義賊伝説」に更なる演出を加えることになった。
幕府がわざわざそういった演出を脚本に書き加えてくれたのだ。
これでますます忠治は伝説の男として名を高めたのである。
そして小伝馬町の牢屋に入れられていた竹居安五郎は流罪の判決を受け、この翌年、新島へ送られることになった。
博徒の流罪が基本、終身刑であることは先に述べた通りである。
今のところ幸次郎一味とおぼしき連中は黒駒に現れていない。
しかし集会所にいる勝蔵のところへ、
「近くの畑で盗人が見つかったので農民たちが追いかけているところだ」
という話が届いた。しかしその盗人はどうやら幸次郎一味ではないようで「子どもの盗人が一人で逃げている」という話だった。
「なんだ、子どもか」
と勝蔵は拍子抜けした。
その少年はやや足元をふらふらさせながら黒駒の街道を走って逃げている。その後を農家の男三人が追いかけている。
少年は畑で盗んだ大根を右手に握っており、それを走りながら時々かじって食べている。そして左手には弓らしき物を握っている。どうやら半弓のようだ。
しばらくすると追手の農民は、あと二十歩ぐらいの距離まで近づいてきた。すると少年は、食いかけの大根を投げ捨て、半弓に矢をつがいで後ろを振り向き、すかさず矢を放った。
矢は農民の足元をかすめた。
それで彼らは一瞬ひるみ、追いかけるのを少し躊躇した。
そのスキを見て少年は、すぐにかたわらの竹藪に飛びこんで逃走をはかった。まるで猪のような暴れぶりだ。
農民たちはなかば、もう見逃してやっても良いじゃねえか、と思い始めていた。
どうやらあれは浮浪児らしい。食いつめて仕方なく畑の作物を盗ったのだろう。まだ子どもだし、大目に見てやればいい。それに、弓矢を人に向かって放つような悪ガキだ。無理して追う必要もあるまい、と。
ただ、逃げた場所が問題だった。
そこは武藤家の竹藪で、すぐ近くに武藤家の屋敷がある。あの悪ガキが武藤家に入って悪さをしないとも限らない。
というわけで一応、武藤家に行って、あいつが侵入してないかどうか注意だけはしておこう、と話し合い、彼らは武藤家へ向かった。
案の定、少年は武藤家の庭に潜入していた。
が、草むらの中にうずくまっていた。庭のすみにある物置のかげだ。「腹が減って、もう一歩も歩けない」と、少年はそこに腰を落としていたのだ。
そこへ屋敷の中から少女が一人、歩いてきた。
そして少女は、そこに座りこんでいる汚らしい少年をたまたま見かけ、ビックリして声をあげそうになった。
それに気がついた少年は反射的に弓に矢をつがえて少女へ向けた。そして、思わず言った。
「……何か、食い物をよこせ……」
少女はしばらくおびえた表情をしていたが、おもむろに後ろを振り向いてその場から逃げ出した。
そして少女が門の近くまで逃げてきた時に、門を通って男が三人入ってきた。先ほどまで少年を追いかけていた農民たちである。
彼らがやって来たことに気がついた草むらの少年は、とっさに物置のかげに隠れた。
農民たちは少女に「弓をにぎった小僧がここへ逃げて来ませんでしたか?」と尋ねた。
かげに隠れていた少年は、それを聞いて観念した。
仕方がねえ。こうなったらもう逃げられない。また罰としてぶん殴られるか、ひょっとするとどこかの収容所へ連れて行かれるかも知れないな、と観念した。
しかし少女は、
「いいえ。そのような人は、私は見てません」
と答えた。かげでそれを聞いた少年は、驚いた。
「そうですか。それではまだ近くにそいつがいるかも知れませんので気をつけてください。それと、このことを武藤の旦那様にもお伝えください」
「はい。かしこまりました。間違いなく、そのようにお伝えいたします」
「それでは、ごめんください、お八重ちゃん」
そうあいさつして、農民たちは帰っていった。
そのあとお八重は、武藤家の敷地内にある神社の祠へ行った。そしてそこに供えられていた果物の梨を二つ、神様に謝りながら手にとり、それを少年のところへ持って行った。
少年はそれを受け取ると、むしゃぶりつくように食べた。
そしてお八重は少年を物置の中へ隠れさせ、そこでしばらく待つように言い、それからすぐに集会所へ走って行った。
集会所に着くとお八重は、息を弾ませながら勝蔵に言った。
「あの……、勝蔵さん、実はお願いがあるのだけど……」
そうしてお八重は、勝蔵を少年のところまで連れて来た。
「あの、勝蔵さん、くれぐれも乱暴なことをしちゃダメよ。ひどくやつれてて、可哀そうな子みたいだから」
「まあ、俺に任せておけ」
と言って勝蔵はガラッと物置の戸を開けた。中の隅っこで隠れるようにして少年が座っていた。
少年は、突然目の前に鬼のような大男が現れたことに驚き、とっさに弓を構えて勝蔵に矢を向けた。
しかし勝蔵は微笑みながら言った。
「そんなちゃちな弓矢じゃ、俺は射殺せねえぞ」
そして「そんなものは手放せ」という意思を示すかのように、勝蔵は手を差し出した。
少年は動物的な本能として「この男にはどんなに抵抗しても無駄だ」と感じ取り、羊のようにおとなしく勝蔵の命に従った。
勝蔵は半弓を受け取ると、代わりに懐から干しぶどうの入った袋を取り出し、それを袋ごと少年に放り投げて「食え」と言った。
少年はむさぼるようにそれを食った。
「お前、名前は?」
「猪之吉」
「猪の猪之吉か?じゃあ、ひょっとして猪年の生まれか?」
猪之吉はコクリと首を縦に振った。
「ということは十一歳か。お八重より二つ上だな。それで、お父っつぁんやおっ母さんはどこにいる?」
「おとうもおかあも、ずいぶん前に死んだ。だから家は無い」
それから猪之吉は、これまでたどった自分の境遇を勝蔵に語り始めた。
父親は甲府の博徒で、元は自分も甲府に住んでいた。物心ついた時に母親は既に死んでいた。そして四年前、突然父親も死んだ。何か博徒同士のいざこざに巻き込まれて死んだらしい。それ以来、面倒をみてくれる人もおらず、乞食の仲間になったり盗みをくり返すなどして食いつないできた。ここ数年はこの半弓を使って鳥やウサギ、時には犬猫やネズミを獲って食べていた。山で山芋や栗などを採って食べたりもするが、ときどき畑の作物も盗んでいた。それで、今日も盗みが見つかって捕まりそうになった、という話だった。
その話を聞いて勝蔵は一つの案を思いつき、猪之吉に尋ねた。
「お前は猟師になるつもりはあるか?あるんなら、俺の知り合いに猟師がいる。その人の弟子になれるよう紹介してやろう」
「うーん……、それは……、猟師になるのは、悪くない、とは思うけど、俺は大人が嫌いだ。今まで散々イジめられてきたし、いまさら大人の言うことなんか聞きたくない。だから、できれば今のままが良い」
「ふん。お前も俺と一緒で天邪鬼な奴だな。気に入ったぞ。だが、お前が今のまま盗みをつづけていれば、どうせいつか捕まって、代官所か、あるいはウチみたいな名主に処罰されるだろう」
猪之吉は、相手が名主の息子と知って驚いた。これはエラい相手に捕まってしまった、と。
その猪之吉の様子を見てとった勝蔵は、安心するように言った。
「心配するな。ウチは名主といっても俺は次男坊だ。別にお前をどうこうするつもりはない。とにかく、俺が使っている山小屋があるから、お前をそこに住まわせてやる。ついて来い」
と言って勝蔵はお八重の家から猪之吉を引き取っていった。
それから二人が山小屋に着くと、勝蔵はそこに置いてあった猟師用の弓を猪之吉にくれてやった。別に勝蔵がそれを使って猟をしていたわけではないが、以前からこの山小屋に飾り代わりとして置きっぱなしにしていたものだ。
猪之吉は本式の弓を手にして、心を躍らせた。
とりあえず勝蔵は、ここで猪之吉に猟師の真似事をやらせることにしたのだった。
この辺の猟師には俺が話をつけておくから、お前が獲った獲物は俺が相応の値段で買い取ってやる。もし猟が不猟でも盗みだけは絶対にやるな。お前を食わせるぐらいの米は俺が必ず届けてやる。
といった至れり尽くせりの条件で、勝蔵は猪之吉を手元に置くことにしたのだった。
猪之吉は今まで一度として大人からこのような待遇を受けたことはなかった。それで、勝蔵の恩情に泣きたくなるほど感謝した。
さて、幸次郎一味のその後について、である。
二十人ほどいた一味は甲州に入ったあと、一隊は南の駿河へ、一隊は北の信州へ向かった。
駿河へ向かった一隊は各地を徘徊しながら二、三の騒動を引き起こした。その騒動の一つは御殿場のぐみ沢で九月二十二日に起きた。
韮山代官・江川英龍の手勢七人が幸次郎一味二人を捕縛し、そのあと三人と格闘戦になり、新式銃で装備した江川勢が一人を射殺、一人を負傷させた上で捕縛、残り一人は取り逃がした、という事件である。八州廻りが三千人からの手勢を動員しながら補足しきれずにいた幸次郎一味を、江川英龍は断固たる姿勢で討伐したのである。
また信州へ向かった一隊も九月下旬に中山道の長久保宿で四人が、つづいて岩村田宿で一人が捕縛され、こちらも壊滅状態となった。
そして十月九日、甲府で潜伏中だった首領の幸次郎が甲府勤番支配によって捕縛され、幸次郎一味の事件はこれで落着となった。捕縛された者は全員のちに死罪となった。
一方、幸次郎と争っていた伊豆の大場の久八も、その本拠地は韮山からそう遠くない所にあったのだが、江川が久八を逮捕しようとしたところ、すでに行方をくらませた後だった。
ともかくも、幸次郎一味の脅威が消えたことにより、勝蔵も黒駒の警戒任務を終了させた。
ちなみにこういった無宿者たちの騒動による影響もあったと思われるが、前回鰍沢で祐天仙之助とつるんでいた津向の文吉がこの年の四月、賭博の罪で捕まって八丈島への流罪となった。
この場合、流罪というのは「終身刑」と同じで、基本的に二度と本土の土を踏む事はできない。それほど重い刑である。ただし文吉の場合は運が良かったと言うべきか、明治の初年頃、御一新の大赦によっておよそ二十年ぶりに帰国が許されることになる。文吉はこの年三十九歳なので、戻って来る頃には六十歳だ。
また余談ながら、この数年前の話として津向の文吉が三十人の手勢をひきいて清水へ出向き、庵原川の河原で地元の博徒とケンカ寸前のにらみ合いとなった際、そこへ文吉を兄と慕う次郎長が駆けつけてケンカの仲裁を成功させた、という逸話が明治十七年に書かれた次郎長の基本史料『東海遊侠伝』に載っている。この仲裁によって次郎長は男をあげ、初めて天下にその名を知られるようになったという。
が、この話は本当かどうか疑わしい。
というか、そもそも博徒に関する逸話はその多くが信憑性に欠けるものばかりであることは、この種の本をいくつか手に取ればすぐに分かることだ。特に『東海遊侠伝』は、一時期次郎長の養子となっていた天田愚庵が次郎長から聞き書きした伝記であるが、この本についていろいろと追究するとキリがないので、それは控えておく。
ただ、一つだけ指摘しておきたいのは、この甲州の「津向の文吉」と、駿河の「首つなぎの親分」として有名な次郎長の兄貴分「安東の文吉」が、同じ“文吉”ということで、この種の講談、ドラマなどでしょっちゅう混同され、津向の文吉が次郎長を可愛がる大親分であるかのように扱われることがよくあったらしい。しかし上記の通り、津向の文吉はこの年に八丈島へ送られ、次郎長の兄貴分として活躍する機会などあろうはずがない。
庵原川の仲裁話は次郎長の基本史料『東海遊侠伝』の段階から書かれている逸話ではあるが、「その文吉はどっちの文吉なんだ?」という疑問もさることながら、この頃の次郎長の名はまだ天下にまったく知られていない。それだけは確かである。
翌年の嘉永三年。
こちらは正真正銘、天下にその名を知られた上州の国定忠治が、八州廻りによって捕縛された。
八月二十四日のことで、上州の田部井村(現、伊勢崎市田部井町)での出来事であった。
博徒の大親分国定忠治が捕まったとなると、どれほど凄い捕り物劇があったのか?と想像するかも知れないが、そういった劇的な場面は一切ない。
忠治はこの一ヶ月前、隠れ家に潜伏していたところ突然中風を発症して倒れ、寝たきり状態となってしまい、そこへ踏み込まれて捕まったのだった。
忠治が伝説的な「義賊」として後世語られるようになったのは、天保飢饉の際に地元村民に対して施しをおこなった事が何よりも大きい。そのことは当時の記録として残っており、そういう評判が実際に広がっていたという記録も残っている。
さらに忠治の人気を後押ししたのは、やはり幕府に対して反抗的であったからだった。
博徒であるにもかかわらず幕府の目明しとはならず、時には赤城山に立てこもってまで幕府に反抗していた。なにしろ当時の目明しは幕府の権威をかさに好き放題やっていたようで、とにかく民衆から嫌われていた。『鬼平犯科帳』で元盗人の目明しが鬼平の部下として誠実に働く、というのとはかなりイメージが異なる。その目明しをつとめなかった忠治は「義賊」としての条件を満たしていたのである。
このように書くと、忠治はいかにも「善人」であったかのように思うかもしれないが、敵対していた博徒・島村伊三郎の殺害を始めとする数々の殺人傷害事件、賭場荒らし、賭場の開帳、そしてなにより忠治の罪刑として一番重視された「関所破り」など悪逆の限りを尽くしており、どう見ても「善人」と言うには無理がある。
そして忠治は、関所破りをした上州大戸の関所に護送されて、そこで十二月二十一日、磔刑に処された。享年四十一。
確かに幕府の法令には「関所破りは磔刑に処す」との条文がある。ただし実際に関所破りの罪で磔刑が実行されることは、まずない。この条文は古い慣習を引き継いだ、いわば形式的なものに過ぎない。「嘘ついたら針千本飲ます」と言っているようなものだ。飲めるわきゃあない。
それなのに今回の忠治の場合に限ってこれを厳格に適用させたのは、忠治の数々の犯罪が悪質であったために幕府としては通常の「斬罪(斬首)」では許しがたく、なんとか見せしめとして磔刑にしようともくろみ、本来ほとんど死文と化していた「関所破りは磔刑に処す」の条文を援用して磔刑を実行したのである。
忠治は見せしめとして磔刑に処されたのだ。
が、この幕府のもくろみは失敗したといえる。ここでキリストの例を持ち出すのはいかにも不謹慎きわまる話であろうが、磔刑による死は、逆に忠治の死を劇的なものとし、その「義賊伝説」に更なる演出を加えることになった。
幕府がわざわざそういった演出を脚本に書き加えてくれたのだ。
これでますます忠治は伝説の男として名を高めたのである。
そして小伝馬町の牢屋に入れられていた竹居安五郎は流罪の判決を受け、この翌年、新島へ送られることになった。
博徒の流罪が基本、終身刑であることは先に述べた通りである。
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スペイン勢力内部での覇権争い、
そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。
※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、
フィクションも混在しています。
動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。
HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。
公式HP:アラウコの叫び
youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス
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母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
輿乗(よじょう)の敵 ~ 新史 桶狭間 ~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
美濃の戦国大名、斎藤道三の娘・帰蝶(きちょう)は、隣国尾張の織田信長に嫁ぐことになった。信長の父・信秀、信長の傅役(もりやく)・平手政秀など、さまざまな人々と出会い、別れ……やがて信長と帰蝶は尾張の国盗りに成功する。しかし、道三は嫡男の義龍に殺され、義龍は「一色」と称して、織田の敵に回る。一方、三河の方からは、駿河の国主・今川義元が、大軍を率いて尾張へと向かって来ていた……。
【登場人物】
帰蝶(きちょう):美濃の戦国大名、斎藤道三の娘。通称、濃姫(のうひめ)。
織田信長:尾張の戦国大名。父・信秀の跡を継いで、尾張を制した。通称、三郎(さぶろう)。
斎藤道三:下剋上(げこくじょう)により美濃の国主にのし上がった男。俗名、利政。
一色義龍:道三の息子。帰蝶の兄。道三を倒して、美濃の国主になる。幕府から、名門「一色家」を名乗る許しを得る。
今川義元:駿河の戦国大名。名門「今川家」の当主であるが、国盗りによって駿河の国主となり、「海道一の弓取り」の異名を持つ。
斯波義銀(しばよしかね):尾張の国主の家系、名門「斯波家」の当主。ただし、実力はなく、形だけの国主として、信長が「臣従」している。
【参考資料】
「国盗り物語」 司馬遼太郎 新潮社
「地図と読む 現代語訳 信長公記」 太田 牛一 (著) 中川太古 (翻訳) KADOKAWA
東浦町観光協会ホームページ
Wikipedia
【表紙画像】
歌川豊宣, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
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