15 / 71
第一章・青雲
第15話 黒駒一家、誕生(二)
しおりを挟む
これ以降、勝蔵は数名の子分を引き連れて近隣の、つまり甲州南部にある祐天の賭場を次々と襲撃した。
特に安五郎が島送りになってから祐天が奪った賭場に狙いを定め、襲撃の際には竹居一家の人間も若干名、一緒に連れていって手伝わせた。
こういった勝蔵の手法は一種の「賭場荒らし」と見ることもできる。
本来、賭場荒らしというのは他人の賭場へ入り込んで博打を打ち、「イカサマだ!」などとアヤをつけて相手をゆすったりするのが常套手段だが、勝蔵はそんなまどろっこしいことはしなかった。
いきなり殴り込んだ。
そして勝蔵は相手の博徒たちへ向かって叫んだ。
「ここは元々竹居一家の賭場だ。他人の賭場で勝手な事をやってるんじゃねえ。とにかく、いま手元にあるテラ銭は残らずこっちへ寄こせ。そしてさっさとここから出て行け。今度来た時にまだ残っていやがったら、タダじゃおかねえぞ」
こう言い放つと、テラ銭が入った箱を無理やりかっさらって疾風のように賭場から去っていった。
ほとんど強盗同然の暴挙である。
とはいえ、そもそも博徒自体が非合法な連中なのだから博徒同士の抗争に道理や遵法精神を求めるのは無意味であろう。
祐天一家の仲間内では、熊野神社で大暴れした勝蔵の勇名は末端まで知れ渡っていた。
それゆえ、勝蔵の名前を聞いただけで震えあがって大人しく従った連中もいた。その一方で、血気にはやって勝蔵に歯向かってきた連中もいた。が、そういう連中は一人残らず勝蔵たちに叩きのめされた。
こうして祐天の子分たちを賭場から叩き出した後は、竹居一家の人間が元の鞘に収まった。ただし、すべての賭場を取り戻せたわけではなく、黒駒周辺の五つの賭場を取り戻しただけだった。とりあえず、そのうちの一つは黒駒一家の賭場として竹居側から譲ってもらった。
こういった一連の殴り込みによって黒駒一家は「甲州一の武闘派博徒」としての名を高め、やがて近隣諸国にもその名が伝わることになった。
むろん祐天の側とて、この状況を黙って見過ごすつもりはなかった。なにしろ祐天は幕府の目明しだ。幕府の威光をカサに、いくらでも勝蔵たちに反撃することはできる。
ところがまさにこの頃、親分の三井卯吉が喜之助兄弟によって殺され、三井一家は組織全体が大きくぐらついていた。それで祐天としても、まずは三井一家の建て直しを優先し、これら一連の黒駒一家による襲撃を黙って見逃すしかなかったのだった。
それからしばらくのち、勝蔵は綱五郎、兼吉、猪之吉の三名を連れて旅に出た。玉五郎と大岩小岩は甲州に残し、子分たちや賭場の面倒を見るよう命じた。
行き先は、まず御坂峠を越えて郡内へ行き、それからさらに南下して伊豆へ行く。そのあと東海道へ出てひたすら伊勢神宮まで西進する。
いや、別にお伊勢参りが目的ではない。安五郎の一派に加わった勝蔵としては、安五郎と繋がりのある親分たちにあいさつをしておきたかったのだ。
主だった親分は伊豆の大場の久八、赤鬼の金平、遠州横須賀の都田吉兵衛、三州(三河)平井の雲風亀吉、伊勢の丹波屋伝兵衛などである。そしてその前に郡内へ立ち寄るのは、富士吉田に、かつて安五郎や久八を博徒として育てた「仏の長兵衛」という長老格の人物がいるので、まずは長兵衛にあいさつをしておきたかったのだ。
立春の頃、勝蔵は三人を連れて御坂峠へ向かった。梅が咲きはじめ、そろそろ桃も咲こうかという季節だ。
峠へ向かう勝蔵の胸中は、自分でもおかしく感じるほど高揚していた。なんせ大好きな富士山を見られるのだから、ここを通る時はいつだって気持ちが高揚する。
だが、どうも今回の高揚感はそれだけでもなさそうだった。
これが博徒の世界へ本格的に足を踏み入れる第一歩になるだろう、という気負いと、純粋に他国へ出かける行楽気分が、自分の心をそうさせているのだろう、と思った。
(こりゃあどうも、我ながらいい気になっていやがる)
と自戒だか自嘲だかよく分からない言葉が頭に浮かんだ。それで、
(物見遊山に出かける訳じゃねえんだ。親分の俺がこんなふうに浮かれてたんじゃ子分たちに示しがつかねえ)
そう自分に言い聞かせて心を落ち着かせた。
この時の勝蔵に予測できるはずもなかったが、これから勝蔵は旅から旅へと「股旅人生」を送ることになる。
今回がその第一歩になるのである。以後、彼は何度も東海道を股にかけることになる。
博徒、すなわち“渡世人”の股旅姿といえば三度笠に縞柄の道中合羽、手足には手甲脚絆、そして腰には長脇差を一本ぶち込んだスタイル、といったところがお約束だが、そんな連中が何人も群れをなして歩けばさすがに目立って仕方がない。
ということで、勝蔵たちは行商人を装った一般人の姿で旅に出た。ただし四人とも腰には長脇差を一本差しており、しかも勝蔵を中心に「どう見てもカタギに見えない面構え」の男たちなのだから、道中、行き交う人々は皆この連中と目を合わせるのを避けた。
ちなみに長脇差とは、身もフタも無い言い方をすれば「長い脇差」のことである。
武士のみが差せる「太刀」は大体長さが二尺五寸(70-80㎝)ある。一方、長脇差は大体二尺弱(55-60㎝)だが、それでも攻撃力は太刀とくらべてそれほど遜色はない。別名、長ドスとも言う。しかしあくまで「長い脇差」であって太刀ではないのだ、と強引に言い逃れている。
太刀と脇差の二本差しが許されるのは武士のみである。というより、それが武士の象徴であり武士の概念そのものでもある。
庶民は脇差一本なら指すことができる。それで庶民も、旅に出る時は用心のために普通の短い脇差を持って出かけることはある。ただし、それはあくまで用心のためであって、長脇差などという「特殊な用途」を前提とした脇差を差していれば、それだけでまず、いくら行商人を装っていてもカタギには見えない。
しかもこの場合、四人全員だ。それはまあ、行き交う人々が彼らから目を背けるのも無理はなかったろう。
余談ながら、このころ御坂峠にやって来た人物として、勝蔵以外にも、歴史的に有名な人物が二人いる。
一人はのちに幕府の外務官僚として活躍する田辺太一で、もう一人は樋口一葉の父・大吉(のちの義則)である。
田辺はこの前年(安政三年、1856年)の八月、それは勝蔵が小池家を飛び出した直後ぐらいのことだが、富士山見物のためにちょうどこの鎌倉街道を通って御坂峠へ来ていた。
江戸の名門校、昌平黌で優秀な成績を収めた田辺は、このころ二十六歳の若さで甲府の名門校、徽典館の学頭として甲府に赴任していた。それで甲州の名勝である御坂峠へ一度行っておきたいと思ってこの時やって来たのだが、田辺はその旅日記を「遊三坂(御坂)記」という文章で残している。そしてその中で、黒駒で休憩をとって弁当を食べたことなども書き記している。
ちなみに、のちに田辺と一緒に二度も幕府派遣のフランス使節に加わる杉浦愛蔵(譲)は、甲府生まれの幕臣として徽典館で田辺と知り合い、以後ずっと田辺を兄のように慕いつづけることになる。それでこの旅日記の中では杉浦の名前もちょくちょく出てくる。大河ドラマ『青天を衝け』を見ていた人はご存知だろうが、田辺も杉浦もパリ万博における渋沢栄一の同僚である。
一方、樋口一葉の父・大吉が御坂峠へ来たのは田辺より少し後で、この年の四月のことだ。ただし大吉の場合は、田辺のような物見遊山で来たわけではない。恋仲だった女性あやめ(のちの妻、多喜)を妊娠させてしまい、二人で江戸へ駆け落ちするために御坂峠へ来たのだった。
ただ、一つ疑問なのは、大吉は山梨郡中萩原の農民で(現在の甲州市塩山中萩原。その大吉の故郷には現在『樋口一葉文学碑』がある)、ここから江戸へ行くのであれば、それこそのちに文学作品で有名となる「大菩薩峠」を越えて青梅へ出るか、あるいはそれよりも多少道が整備されている甲州街道を通ったほうが早く行けるはずなのに、なにゆえわざわざ南へ大回りする御坂峠を通って江戸へ向かったのか、謎である。
「恋人を妊娠させての駆け落ち」
と言うといかにも悲壮感がただよいがちだが、二人は藤沢の遊行寺、鎌倉、羽田弁天などに立ち寄りながら、それこそはたから見れば物見遊山と見まがうほど気楽なノリで江戸へ向かったのだった。
そのあと大吉は江戸で幕臣の下働きとして長く勤め、十年後、すなわち慶応三年(1867年)に幕臣の株を買って幕臣となる。が、周知のように幕府はその直後に崩壊するので彼が幕臣でいられたのはごく短期間に過ぎない。この二人のあいだに、のちの一葉こと夏子が生まれるのは明治五年のことである。
さらに余談を加えると、のちに一葉が女性小説家を目指すことになるのは、その少し前(明治二十一年)に田辺花圃という女性が『藪の鶯』という小説を書いて女性初の小説家として成功を収め、中島歌子の私塾「萩の舎」で花圃の後輩だった一葉も、それに刺激を受けて小説を書くことになるのである。
この田辺花圃は本名、田辺竜子といい、田辺太一の長女である。
竜子はのちに有名な評論家、三宅雪嶺と結婚することになる。
が、そういった関連話を広げていくとキリがないので、このあたりで止めておく。
特に安五郎が島送りになってから祐天が奪った賭場に狙いを定め、襲撃の際には竹居一家の人間も若干名、一緒に連れていって手伝わせた。
こういった勝蔵の手法は一種の「賭場荒らし」と見ることもできる。
本来、賭場荒らしというのは他人の賭場へ入り込んで博打を打ち、「イカサマだ!」などとアヤをつけて相手をゆすったりするのが常套手段だが、勝蔵はそんなまどろっこしいことはしなかった。
いきなり殴り込んだ。
そして勝蔵は相手の博徒たちへ向かって叫んだ。
「ここは元々竹居一家の賭場だ。他人の賭場で勝手な事をやってるんじゃねえ。とにかく、いま手元にあるテラ銭は残らずこっちへ寄こせ。そしてさっさとここから出て行け。今度来た時にまだ残っていやがったら、タダじゃおかねえぞ」
こう言い放つと、テラ銭が入った箱を無理やりかっさらって疾風のように賭場から去っていった。
ほとんど強盗同然の暴挙である。
とはいえ、そもそも博徒自体が非合法な連中なのだから博徒同士の抗争に道理や遵法精神を求めるのは無意味であろう。
祐天一家の仲間内では、熊野神社で大暴れした勝蔵の勇名は末端まで知れ渡っていた。
それゆえ、勝蔵の名前を聞いただけで震えあがって大人しく従った連中もいた。その一方で、血気にはやって勝蔵に歯向かってきた連中もいた。が、そういう連中は一人残らず勝蔵たちに叩きのめされた。
こうして祐天の子分たちを賭場から叩き出した後は、竹居一家の人間が元の鞘に収まった。ただし、すべての賭場を取り戻せたわけではなく、黒駒周辺の五つの賭場を取り戻しただけだった。とりあえず、そのうちの一つは黒駒一家の賭場として竹居側から譲ってもらった。
こういった一連の殴り込みによって黒駒一家は「甲州一の武闘派博徒」としての名を高め、やがて近隣諸国にもその名が伝わることになった。
むろん祐天の側とて、この状況を黙って見過ごすつもりはなかった。なにしろ祐天は幕府の目明しだ。幕府の威光をカサに、いくらでも勝蔵たちに反撃することはできる。
ところがまさにこの頃、親分の三井卯吉が喜之助兄弟によって殺され、三井一家は組織全体が大きくぐらついていた。それで祐天としても、まずは三井一家の建て直しを優先し、これら一連の黒駒一家による襲撃を黙って見逃すしかなかったのだった。
それからしばらくのち、勝蔵は綱五郎、兼吉、猪之吉の三名を連れて旅に出た。玉五郎と大岩小岩は甲州に残し、子分たちや賭場の面倒を見るよう命じた。
行き先は、まず御坂峠を越えて郡内へ行き、それからさらに南下して伊豆へ行く。そのあと東海道へ出てひたすら伊勢神宮まで西進する。
いや、別にお伊勢参りが目的ではない。安五郎の一派に加わった勝蔵としては、安五郎と繋がりのある親分たちにあいさつをしておきたかったのだ。
主だった親分は伊豆の大場の久八、赤鬼の金平、遠州横須賀の都田吉兵衛、三州(三河)平井の雲風亀吉、伊勢の丹波屋伝兵衛などである。そしてその前に郡内へ立ち寄るのは、富士吉田に、かつて安五郎や久八を博徒として育てた「仏の長兵衛」という長老格の人物がいるので、まずは長兵衛にあいさつをしておきたかったのだ。
立春の頃、勝蔵は三人を連れて御坂峠へ向かった。梅が咲きはじめ、そろそろ桃も咲こうかという季節だ。
峠へ向かう勝蔵の胸中は、自分でもおかしく感じるほど高揚していた。なんせ大好きな富士山を見られるのだから、ここを通る時はいつだって気持ちが高揚する。
だが、どうも今回の高揚感はそれだけでもなさそうだった。
これが博徒の世界へ本格的に足を踏み入れる第一歩になるだろう、という気負いと、純粋に他国へ出かける行楽気分が、自分の心をそうさせているのだろう、と思った。
(こりゃあどうも、我ながらいい気になっていやがる)
と自戒だか自嘲だかよく分からない言葉が頭に浮かんだ。それで、
(物見遊山に出かける訳じゃねえんだ。親分の俺がこんなふうに浮かれてたんじゃ子分たちに示しがつかねえ)
そう自分に言い聞かせて心を落ち着かせた。
この時の勝蔵に予測できるはずもなかったが、これから勝蔵は旅から旅へと「股旅人生」を送ることになる。
今回がその第一歩になるのである。以後、彼は何度も東海道を股にかけることになる。
博徒、すなわち“渡世人”の股旅姿といえば三度笠に縞柄の道中合羽、手足には手甲脚絆、そして腰には長脇差を一本ぶち込んだスタイル、といったところがお約束だが、そんな連中が何人も群れをなして歩けばさすがに目立って仕方がない。
ということで、勝蔵たちは行商人を装った一般人の姿で旅に出た。ただし四人とも腰には長脇差を一本差しており、しかも勝蔵を中心に「どう見てもカタギに見えない面構え」の男たちなのだから、道中、行き交う人々は皆この連中と目を合わせるのを避けた。
ちなみに長脇差とは、身もフタも無い言い方をすれば「長い脇差」のことである。
武士のみが差せる「太刀」は大体長さが二尺五寸(70-80㎝)ある。一方、長脇差は大体二尺弱(55-60㎝)だが、それでも攻撃力は太刀とくらべてそれほど遜色はない。別名、長ドスとも言う。しかしあくまで「長い脇差」であって太刀ではないのだ、と強引に言い逃れている。
太刀と脇差の二本差しが許されるのは武士のみである。というより、それが武士の象徴であり武士の概念そのものでもある。
庶民は脇差一本なら指すことができる。それで庶民も、旅に出る時は用心のために普通の短い脇差を持って出かけることはある。ただし、それはあくまで用心のためであって、長脇差などという「特殊な用途」を前提とした脇差を差していれば、それだけでまず、いくら行商人を装っていてもカタギには見えない。
しかもこの場合、四人全員だ。それはまあ、行き交う人々が彼らから目を背けるのも無理はなかったろう。
余談ながら、このころ御坂峠にやって来た人物として、勝蔵以外にも、歴史的に有名な人物が二人いる。
一人はのちに幕府の外務官僚として活躍する田辺太一で、もう一人は樋口一葉の父・大吉(のちの義則)である。
田辺はこの前年(安政三年、1856年)の八月、それは勝蔵が小池家を飛び出した直後ぐらいのことだが、富士山見物のためにちょうどこの鎌倉街道を通って御坂峠へ来ていた。
江戸の名門校、昌平黌で優秀な成績を収めた田辺は、このころ二十六歳の若さで甲府の名門校、徽典館の学頭として甲府に赴任していた。それで甲州の名勝である御坂峠へ一度行っておきたいと思ってこの時やって来たのだが、田辺はその旅日記を「遊三坂(御坂)記」という文章で残している。そしてその中で、黒駒で休憩をとって弁当を食べたことなども書き記している。
ちなみに、のちに田辺と一緒に二度も幕府派遣のフランス使節に加わる杉浦愛蔵(譲)は、甲府生まれの幕臣として徽典館で田辺と知り合い、以後ずっと田辺を兄のように慕いつづけることになる。それでこの旅日記の中では杉浦の名前もちょくちょく出てくる。大河ドラマ『青天を衝け』を見ていた人はご存知だろうが、田辺も杉浦もパリ万博における渋沢栄一の同僚である。
一方、樋口一葉の父・大吉が御坂峠へ来たのは田辺より少し後で、この年の四月のことだ。ただし大吉の場合は、田辺のような物見遊山で来たわけではない。恋仲だった女性あやめ(のちの妻、多喜)を妊娠させてしまい、二人で江戸へ駆け落ちするために御坂峠へ来たのだった。
ただ、一つ疑問なのは、大吉は山梨郡中萩原の農民で(現在の甲州市塩山中萩原。その大吉の故郷には現在『樋口一葉文学碑』がある)、ここから江戸へ行くのであれば、それこそのちに文学作品で有名となる「大菩薩峠」を越えて青梅へ出るか、あるいはそれよりも多少道が整備されている甲州街道を通ったほうが早く行けるはずなのに、なにゆえわざわざ南へ大回りする御坂峠を通って江戸へ向かったのか、謎である。
「恋人を妊娠させての駆け落ち」
と言うといかにも悲壮感がただよいがちだが、二人は藤沢の遊行寺、鎌倉、羽田弁天などに立ち寄りながら、それこそはたから見れば物見遊山と見まがうほど気楽なノリで江戸へ向かったのだった。
そのあと大吉は江戸で幕臣の下働きとして長く勤め、十年後、すなわち慶応三年(1867年)に幕臣の株を買って幕臣となる。が、周知のように幕府はその直後に崩壊するので彼が幕臣でいられたのはごく短期間に過ぎない。この二人のあいだに、のちの一葉こと夏子が生まれるのは明治五年のことである。
さらに余談を加えると、のちに一葉が女性小説家を目指すことになるのは、その少し前(明治二十一年)に田辺花圃という女性が『藪の鶯』という小説を書いて女性初の小説家として成功を収め、中島歌子の私塾「萩の舎」で花圃の後輩だった一葉も、それに刺激を受けて小説を書くことになるのである。
この田辺花圃は本名、田辺竜子といい、田辺太一の長女である。
竜子はのちに有名な評論家、三宅雪嶺と結婚することになる。
が、そういった関連話を広げていくとキリがないので、このあたりで止めておく。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【アラウコの叫び 】第3巻/16世紀の南米史
ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎週月曜07:20投稿】
3巻からは戦争編になります。
戦物語に関心のある方は、ここから読み始めるのも良いかもしれません。
※1、2巻は序章的な物語、伝承、風土や生活等事を扱っています。
1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。
マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、
スペイン勢力内部での覇権争い、
そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。
※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、
フィクションも混在しています。
動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。
HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。
公式HP:アラウコの叫び
youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス
insta:herohero_agency
tiktok:herohero_agency
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
輿乗(よじょう)の敵 ~ 新史 桶狭間 ~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
美濃の戦国大名、斎藤道三の娘・帰蝶(きちょう)は、隣国尾張の織田信長に嫁ぐことになった。信長の父・信秀、信長の傅役(もりやく)・平手政秀など、さまざまな人々と出会い、別れ……やがて信長と帰蝶は尾張の国盗りに成功する。しかし、道三は嫡男の義龍に殺され、義龍は「一色」と称して、織田の敵に回る。一方、三河の方からは、駿河の国主・今川義元が、大軍を率いて尾張へと向かって来ていた……。
【登場人物】
帰蝶(きちょう):美濃の戦国大名、斎藤道三の娘。通称、濃姫(のうひめ)。
織田信長:尾張の戦国大名。父・信秀の跡を継いで、尾張を制した。通称、三郎(さぶろう)。
斎藤道三:下剋上(げこくじょう)により美濃の国主にのし上がった男。俗名、利政。
一色義龍:道三の息子。帰蝶の兄。道三を倒して、美濃の国主になる。幕府から、名門「一色家」を名乗る許しを得る。
今川義元:駿河の戦国大名。名門「今川家」の当主であるが、国盗りによって駿河の国主となり、「海道一の弓取り」の異名を持つ。
斯波義銀(しばよしかね):尾張の国主の家系、名門「斯波家」の当主。ただし、実力はなく、形だけの国主として、信長が「臣従」している。
【参考資料】
「国盗り物語」 司馬遼太郎 新潮社
「地図と読む 現代語訳 信長公記」 太田 牛一 (著) 中川太古 (翻訳) KADOKAWA
東浦町観光協会ホームページ
Wikipedia
【表紙画像】
歌川豊宣, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる