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第二章・激闘
第19話 次郎長と勝蔵(一)
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目明しからの追跡を逃れるために清水から逃亡した次郎長たちは遠江を抜けて三河に入った。
とりあえずの目的地は尾張東端の瀬戸である。むろん、瀬戸物で有名な瀬戸のことだ。そこに岡一という知り合いがいるので、そこでしばらく潜伏するつもり。
次郎長の一行は次郎長のほか、女房のおちょう、大政、石松、相撲常である。五人は田舎道を瀬戸へ向かって歩いている。
歩きながら石松が大政に語りかけた。
「あーあ、腹が減ったなあ、大政よ」
これに大政が応える。
「やかましい。ぐずぐず言わねえでさっさと歩きやがれ」
「あとどれぐらいあるんだ?」
「もうちょっとだ」
「何を言いやがる。さっきからずっと『もうちょっと、もうちょっと』って言ってるくせに、全然着かねえじゃねえか」
「もうそろそろ瀬戸村が見えてくるはずだ」
「何、本当か?そうとなりゃあ、さっさとその岡一って人の家へ行ってメシを食わしてもらわねえとな。さあ、姐さん、しっかりしておくんなさい。具合が悪いようだから、あっしが背負って差し上げましょう」
「石松や、すまないねえ……」
そうして石松が病身のおちょうを背負って歩き出した。
しかし歩いても歩いても瀬戸村は全然見えてこない。石松がまた喚きだした。
「全然見えてこねえじゃねえか、大政!一体あと何町あるんだ?五町か、六町か?」
「いや、それじゃまだ着かねえ」
「七町か、八町か?」
「いや、まだまだ」
「一里か?」
「いや、二里だ」
「姐さん、申し訳ねえ、降りておくんなさい……。てめえ、大政!お前がもうちょっとって言うから、さっさと村に入っちまおうと思ったんだ!こんなに腹ペコじゃ人は背負えねえよ……。まったくデタラメばかり言いやがって。二里先が見えるかい!」
「近くまで行けば見える」
「あたりめえだい!」
それからもうしばらく歩いて行くとようやく瀬戸に入り、岡一の家に着いた。
ところがここでおちょうの病気が悪化してしまった。おそらく冬の寒さがたたったのだろう。
瀬戸のような田舎にいては薬もなかなか手に入れにくい。それに薬代の費用もバカにならず、名古屋へ行って金を工面する必要も出てきた。
名古屋には保下田の久六がいる。
あの元相撲取りで、清水にいた時に次郎長から助けられたとの評判もある久六のことだ。そんなこともあって次郎長とは兄弟分の間柄だ。
尾張藩の目明しを勤め、尾張ではかなりの勢力を誇る親分なので財力は申し分ない。
そこで岡一が久六のところへ使いを送って、
「次郎長親分が今ウチに来ているんだが、姐さんが病気になって困窮している。一度来てもらえないだろうか」
と要請した。しかし久六からは、
「こちらもいろいろと取り込んでいるので行けそうもない」
と言って寄こしてきた。
この返事を聞いて次郎長は当然、憮然とした。
そしてその頃ちょうど名古屋の長兵衛という博徒が次郎長に、
「瀬戸では薬の入手も難しいでしょう。よろしかったら我が家へお移りください」
と言って転居を勧めてきた。
次郎長たちはこの厚意を受け入れて名古屋へ移った。そして移ってすぐに次郎長は久六のところを訪れて詰問した。
「俺たちは長い付き合いだが俺がお前を裏切ったことがあったか?それなのになぜ、お前は俺に背を向けるのだ。俺の女房が病気になって困っているのを岡一から聞いただろう?もし俺に何か不徳があったとしても、お前の徳だって厚いとは言えねえぞ。そこんところをよーく自分の胸に聞いてくれ」
次郎長はこう、思いのたけを久六へぶつけて、それから帰っていった。
しかし久六としては「片腹痛い」と言いたい気持ちだった。
久六は尾張藩から十手取り縄を任された目明しなのである。
幕府の目明しから追われている次郎長を捕まえる側の人間なのだ。だが兄弟分の関係ということで、これまで次郎長に対してお目こぼしをしていたつもりだった。
なにしろ久六には「天下の尾張藩」を後ろ盾にしているという自負がある。国を売って逃亡中の博徒と同列にされてはたまらない。そのうえ、兇状持ちの次郎長を助けたと尾張藩に聞こえれば、目明しとしての自分の立場があやうくなる。それでせいぜい「お目こぼしする」という程度に抑えていたのだ。
(次郎長よ。お前さんはそんなに俺のことを糾弾できる立場なのかい?)
と久六としては言いたい気持ちだった。
そして安政五年(1858年)も暮れて、安政六年の正月となった。
正月飾りを整えた長兵衛宅で、次郎長が長兵衛の部屋へあいさつに来た。
「正月元旦、本来なら『おめでとう』と言いたいところだが、それが言えなくなりました。お世話になった甲斐もなく、おちょうは昨夜、亡くなりました」
重病だったおちょうは大晦日の夜、長兵衛の家で息を引き取ったのだった。
おちょうの枕元で石松が泣き喚いた。
「尾張の野郎は薄情な奴ばっかりだ!」
これは久六を恨んで言ったつもりの言葉なのだが、長兵衛とて尾張人である。それで大政が気をつかって言った。
「バカ。石。ここは尾張の国だ。ここでそんな事を言うんじゃねえ」
旅先で、しかも逃亡中の客死ということで満足な葬儀は出せなかったが、それでも多くの知人が弔問に集まり、心ばかりの葬儀を出すことができた。ちなみに、このおちょうの墓は現在、名古屋市千種区の平和公園墓地にあるという。
そして久六はやはり、今回も次郎長のところへ弔問に来なかった。
それから数日が経ち、初七日が過ぎた一月八日、突然尾張藩の捕り方数名が次郎長を捕まえるために長兵衛宅へ踏み込んできた。
次郎長や子分たちはこういった修羅場を何度もくぐり抜けてきた経験があるため、素早く活路を切り開いて家から逃げ出した。しかし長兵衛は捕まって連れて行かれてしまった。
次郎長たちは三河の寺津へ逃げた。
ここには「寺津の間之助」という兄弟分がおり、昔から次郎長が何かやったときの逃亡先として事あるごとに世話になっていた。現在で言えば愛知県西尾市にあたり、吉良上野介で有名な吉良町の少し西にある。そしてその吉良には、間之助の兄弟分で次郎長とも親しい「吉良の仁吉」という博徒もいる。三河と次郎長の関係はかなり深い。
次郎長たちが寺津に着いてから数日後、長兵衛の女房のお縫が幼子の手を引いて間之助宅へやって来た。
玄関で対応した間之助の子分が彼女を乞食と見まちがえるほど、汚れきった姿をしていた。しかし彼女が「清水の親分さんに会いたい」というので、その子分が彼女を次郎長のところへ連れて来た。
次郎長がお縫から事情を聞こうとすると彼女は泣きながら、
「夫は清水の親分さんをかくまった罪で拷問され、牢屋で病死しました」
と語った。そして夫の死のあと、目明しに後をつけられないよう乞食に変装してここまでやって来た、という話だった。
(なんという事だ!これはすべて久六の差し金に違いない!)
おちょうは久六が薄情だったせいで死んだようなものだ。そして長兵衛は自分の身代わりとして久六に殺された。
そう考えればすべてのつじつまが合う。次郎長はこのように確信した。
その途端、次郎長は怒髪天を衝く表情となり、ボロボロと涙を流しながら震えるような声で言った。
「久六の野郎!地獄の果てまで追いかけて、必ずズタズタに斬り殺してやる!おちょうと長兵衛の無念は必ず晴らしてみせる!」
そう決意した次郎長は、子分たちを引き連れて讃岐の金比羅神社へ向かった。久六への敵討ちを願掛けするためだった。
なぜ敵討ちの願掛けをするのに金比羅神社へ行くのか?と普通は疑問に思うところだろう。金比羅神社は航海安全の守り神である。実は次郎長の父は清水港で船乗りとして働く高木三右衛門(通称、雲不見三右衛門)という男で次郎長は幼い頃から金比羅神社に親しんでおり、その単に親しんでいたという、ただそれだけの思いつきで選んだのだった。
それで遠路はるばる四国の讃岐まで行って金比羅参りを済ませ、そこから伊勢を経由して尾張へ戻ってきた。季節はもう六月になっていた。
このとき次郎長は十名の子分を従えていた。子分たちは、これからさっそく名古屋の久六のところへ討ち入るのだろう、と気持ちをたかぶらせていたのだが、あにはからんや次郎長は大政、石松、八五郎の三名だけを残し、他の子分たちは清水へ帰るよう命じた。
むろん帰国を命じられた子分からは不満の声があがった。が、次郎長は一喝してこれを退けた。
「大人しく言うことを聞け!大勢で名古屋へ入ると目明しに見つかるかも知れねえ。久六ごときをぶち殺すのは俺たち四人でたくさんだ。それとお前たちは『次郎長は病気になって清水へ帰ることになった』と道々で言いふらすんだぞ!分かったか!」
こうして次郎長は討手を少数精鋭に絞り込み、かつ陽動部隊に「次郎長は清水へ帰った」という風評を流布させて敵を油断させようとした。なかなか用意周到な男である。
四人は密かに名古屋へ潜入して久六の動向を探ったところ、久六は今、知多半島の亀崎(現、半田市)にいることが分かった。次郎長はこれを好機到来と見て、さっそく亀崎へ向かって南下した。
事前に入手した情報によると久六の一行は亀崎の隣り村の乙川を通ると見込まれたので、そこで待ち伏せすることにした。この亀崎も乙川も、現在の武豊線の駅があるところだ。待ち伏せ場所は田んぼに挟まれた一本道の土手を選んだ。ここなら敵を逃がすおそれがない。
しばらく物陰に隠れて待っていると狙い通り、久六が七人の子分を連れて通りの向こうからやって来た。久六は待ち伏せされていることに気づかなかった。次郎長たちは相手が十分近づいてから道に躍り出て、ゆっくりと正面から久六へ向かって歩いて行った。
久六は、次郎長たちが突然現れて狼狽した。
このころ名古屋では「長兵衛の死を恨みに思った次郎長が久六を狙っている」という噂が流れていた。それを耳にした久六は心配になったものの、その後しばらくして「次郎長は病気になって清水へ帰ったそうだ」という噂も流れ出し、ひとまず久六は安心していた。ところが、その清水へ帰ったはずの次郎長が突然目の間に現れたので狼狽したのだ。
今さら逃げようにも狭い一本道なので相手を回避することはできない。といって、この状況でこっちが後ろへ逃げ出すと、かえって次郎長を激昂させてしまうかもしれない。ならばいっそのこと、こちらの目明しとしての立場を弁明し、誤解を解いたほうが得策だろう。幸い次郎長も笑顔を見せながらこちらへ近づいて来る。話せば分かる、と思った。
「よう。久しぶりだな、保下田の兄弟。達者だったかい?」
次郎長がこう、笑顔で語りかけた。
「やあ、これは清水の兄弟。こんなところで会うとは奇遇じゃないか。それはそうと、先だっては名古屋で何かと難儀な目に遭ったようだが、お役目柄、顔を出すことができなかった。それでお互い、何か誤解があるといけない。ここであらためてお悔やみを申し上げる。あいさつが遅れてまことに申し訳なかった。勘弁してくれ」
「これはこれは、ご丁寧なお言葉。まことに痛み入る」
と言って次郎長は深々と頭を下げた。それにつられて、久六も丁重に頭を下げた。
その瞬間、次郎長は懐から短刀を引き抜き、すっと前へ出た。
頭を下げている久六は次郎長の動きに気づかない。
次郎長はそのまま体ごと久六にぶつかった。
短刀が久六の胸板を貫き、久六は路上に倒れた。そして血を吹き出しながら路上をのたうち回った。
「ハッハッハ。とぼけるんじゃねえ、久六!テメエの悪事はすべてお天道様がお見通しだ!」
次郎長はそう叫びながら長脇差を抜刀し、倒れている久六の体にやたらめったら斬りつけた。
それからすかさず大政、石松、八五郎が久六の子分たちに斬りかかった。が、久六の子分たちはとっさの出来事に狼狽して抵抗できず、すぐに後ろへ向かって逃げていった。
こうして次郎長は久六への敵討ちを見事に果たした。
と同時に、再び幕府(御三家)の目明しを殺した、という罪を背負うことになった。甲州で幕府の目明し祐天仙之助の身内を殺して追われることになったのに続き、この尾張でもまた、幕府の目明しから追及されることになったのである。
逃げた久六の子分たちがやがてこの事を尾張藩へ伝えるだろう。自分たちは急いで尾張から脱出しなければならない。ということで、次郎長たちはすぐに乙川の地を後にした。
田んぼ道には、ズタズタに斬り刻まれた久六の無残な死体だけが残された。
このくだり、次郎長の基本史料『東海遊侠伝』では次のように書いている。
「久六倒る。長五(次郎長)すなわちその罪を責め、ついに斬って肉泥となす。久六の子弟、皆散ず」
ちなみに『東海遊侠伝』を種本とした広沢虎造の浪曲『清水次郎長伝』では『代官斬り』の一節がこの場面にあたり、次郎長は石松などの子分たちと代官の陣屋敷へ斬り込む筋立てとなっている。そして人質を救い出し、久六の縁者である悪徳代官を次郎長が斬り、最後には久六も斬ってめでたしめでたしとなる。ちょっとやり過ぎだろう。
次郎長が久六を殺したのは安政六年(1859年)六月十九日のことである。
とりあえずの目的地は尾張東端の瀬戸である。むろん、瀬戸物で有名な瀬戸のことだ。そこに岡一という知り合いがいるので、そこでしばらく潜伏するつもり。
次郎長の一行は次郎長のほか、女房のおちょう、大政、石松、相撲常である。五人は田舎道を瀬戸へ向かって歩いている。
歩きながら石松が大政に語りかけた。
「あーあ、腹が減ったなあ、大政よ」
これに大政が応える。
「やかましい。ぐずぐず言わねえでさっさと歩きやがれ」
「あとどれぐらいあるんだ?」
「もうちょっとだ」
「何を言いやがる。さっきからずっと『もうちょっと、もうちょっと』って言ってるくせに、全然着かねえじゃねえか」
「もうそろそろ瀬戸村が見えてくるはずだ」
「何、本当か?そうとなりゃあ、さっさとその岡一って人の家へ行ってメシを食わしてもらわねえとな。さあ、姐さん、しっかりしておくんなさい。具合が悪いようだから、あっしが背負って差し上げましょう」
「石松や、すまないねえ……」
そうして石松が病身のおちょうを背負って歩き出した。
しかし歩いても歩いても瀬戸村は全然見えてこない。石松がまた喚きだした。
「全然見えてこねえじゃねえか、大政!一体あと何町あるんだ?五町か、六町か?」
「いや、それじゃまだ着かねえ」
「七町か、八町か?」
「いや、まだまだ」
「一里か?」
「いや、二里だ」
「姐さん、申し訳ねえ、降りておくんなさい……。てめえ、大政!お前がもうちょっとって言うから、さっさと村に入っちまおうと思ったんだ!こんなに腹ペコじゃ人は背負えねえよ……。まったくデタラメばかり言いやがって。二里先が見えるかい!」
「近くまで行けば見える」
「あたりめえだい!」
それからもうしばらく歩いて行くとようやく瀬戸に入り、岡一の家に着いた。
ところがここでおちょうの病気が悪化してしまった。おそらく冬の寒さがたたったのだろう。
瀬戸のような田舎にいては薬もなかなか手に入れにくい。それに薬代の費用もバカにならず、名古屋へ行って金を工面する必要も出てきた。
名古屋には保下田の久六がいる。
あの元相撲取りで、清水にいた時に次郎長から助けられたとの評判もある久六のことだ。そんなこともあって次郎長とは兄弟分の間柄だ。
尾張藩の目明しを勤め、尾張ではかなりの勢力を誇る親分なので財力は申し分ない。
そこで岡一が久六のところへ使いを送って、
「次郎長親分が今ウチに来ているんだが、姐さんが病気になって困窮している。一度来てもらえないだろうか」
と要請した。しかし久六からは、
「こちらもいろいろと取り込んでいるので行けそうもない」
と言って寄こしてきた。
この返事を聞いて次郎長は当然、憮然とした。
そしてその頃ちょうど名古屋の長兵衛という博徒が次郎長に、
「瀬戸では薬の入手も難しいでしょう。よろしかったら我が家へお移りください」
と言って転居を勧めてきた。
次郎長たちはこの厚意を受け入れて名古屋へ移った。そして移ってすぐに次郎長は久六のところを訪れて詰問した。
「俺たちは長い付き合いだが俺がお前を裏切ったことがあったか?それなのになぜ、お前は俺に背を向けるのだ。俺の女房が病気になって困っているのを岡一から聞いただろう?もし俺に何か不徳があったとしても、お前の徳だって厚いとは言えねえぞ。そこんところをよーく自分の胸に聞いてくれ」
次郎長はこう、思いのたけを久六へぶつけて、それから帰っていった。
しかし久六としては「片腹痛い」と言いたい気持ちだった。
久六は尾張藩から十手取り縄を任された目明しなのである。
幕府の目明しから追われている次郎長を捕まえる側の人間なのだ。だが兄弟分の関係ということで、これまで次郎長に対してお目こぼしをしていたつもりだった。
なにしろ久六には「天下の尾張藩」を後ろ盾にしているという自負がある。国を売って逃亡中の博徒と同列にされてはたまらない。そのうえ、兇状持ちの次郎長を助けたと尾張藩に聞こえれば、目明しとしての自分の立場があやうくなる。それでせいぜい「お目こぼしする」という程度に抑えていたのだ。
(次郎長よ。お前さんはそんなに俺のことを糾弾できる立場なのかい?)
と久六としては言いたい気持ちだった。
そして安政五年(1858年)も暮れて、安政六年の正月となった。
正月飾りを整えた長兵衛宅で、次郎長が長兵衛の部屋へあいさつに来た。
「正月元旦、本来なら『おめでとう』と言いたいところだが、それが言えなくなりました。お世話になった甲斐もなく、おちょうは昨夜、亡くなりました」
重病だったおちょうは大晦日の夜、長兵衛の家で息を引き取ったのだった。
おちょうの枕元で石松が泣き喚いた。
「尾張の野郎は薄情な奴ばっかりだ!」
これは久六を恨んで言ったつもりの言葉なのだが、長兵衛とて尾張人である。それで大政が気をつかって言った。
「バカ。石。ここは尾張の国だ。ここでそんな事を言うんじゃねえ」
旅先で、しかも逃亡中の客死ということで満足な葬儀は出せなかったが、それでも多くの知人が弔問に集まり、心ばかりの葬儀を出すことができた。ちなみに、このおちょうの墓は現在、名古屋市千種区の平和公園墓地にあるという。
そして久六はやはり、今回も次郎長のところへ弔問に来なかった。
それから数日が経ち、初七日が過ぎた一月八日、突然尾張藩の捕り方数名が次郎長を捕まえるために長兵衛宅へ踏み込んできた。
次郎長や子分たちはこういった修羅場を何度もくぐり抜けてきた経験があるため、素早く活路を切り開いて家から逃げ出した。しかし長兵衛は捕まって連れて行かれてしまった。
次郎長たちは三河の寺津へ逃げた。
ここには「寺津の間之助」という兄弟分がおり、昔から次郎長が何かやったときの逃亡先として事あるごとに世話になっていた。現在で言えば愛知県西尾市にあたり、吉良上野介で有名な吉良町の少し西にある。そしてその吉良には、間之助の兄弟分で次郎長とも親しい「吉良の仁吉」という博徒もいる。三河と次郎長の関係はかなり深い。
次郎長たちが寺津に着いてから数日後、長兵衛の女房のお縫が幼子の手を引いて間之助宅へやって来た。
玄関で対応した間之助の子分が彼女を乞食と見まちがえるほど、汚れきった姿をしていた。しかし彼女が「清水の親分さんに会いたい」というので、その子分が彼女を次郎長のところへ連れて来た。
次郎長がお縫から事情を聞こうとすると彼女は泣きながら、
「夫は清水の親分さんをかくまった罪で拷問され、牢屋で病死しました」
と語った。そして夫の死のあと、目明しに後をつけられないよう乞食に変装してここまでやって来た、という話だった。
(なんという事だ!これはすべて久六の差し金に違いない!)
おちょうは久六が薄情だったせいで死んだようなものだ。そして長兵衛は自分の身代わりとして久六に殺された。
そう考えればすべてのつじつまが合う。次郎長はこのように確信した。
その途端、次郎長は怒髪天を衝く表情となり、ボロボロと涙を流しながら震えるような声で言った。
「久六の野郎!地獄の果てまで追いかけて、必ずズタズタに斬り殺してやる!おちょうと長兵衛の無念は必ず晴らしてみせる!」
そう決意した次郎長は、子分たちを引き連れて讃岐の金比羅神社へ向かった。久六への敵討ちを願掛けするためだった。
なぜ敵討ちの願掛けをするのに金比羅神社へ行くのか?と普通は疑問に思うところだろう。金比羅神社は航海安全の守り神である。実は次郎長の父は清水港で船乗りとして働く高木三右衛門(通称、雲不見三右衛門)という男で次郎長は幼い頃から金比羅神社に親しんでおり、その単に親しんでいたという、ただそれだけの思いつきで選んだのだった。
それで遠路はるばる四国の讃岐まで行って金比羅参りを済ませ、そこから伊勢を経由して尾張へ戻ってきた。季節はもう六月になっていた。
このとき次郎長は十名の子分を従えていた。子分たちは、これからさっそく名古屋の久六のところへ討ち入るのだろう、と気持ちをたかぶらせていたのだが、あにはからんや次郎長は大政、石松、八五郎の三名だけを残し、他の子分たちは清水へ帰るよう命じた。
むろん帰国を命じられた子分からは不満の声があがった。が、次郎長は一喝してこれを退けた。
「大人しく言うことを聞け!大勢で名古屋へ入ると目明しに見つかるかも知れねえ。久六ごときをぶち殺すのは俺たち四人でたくさんだ。それとお前たちは『次郎長は病気になって清水へ帰ることになった』と道々で言いふらすんだぞ!分かったか!」
こうして次郎長は討手を少数精鋭に絞り込み、かつ陽動部隊に「次郎長は清水へ帰った」という風評を流布させて敵を油断させようとした。なかなか用意周到な男である。
四人は密かに名古屋へ潜入して久六の動向を探ったところ、久六は今、知多半島の亀崎(現、半田市)にいることが分かった。次郎長はこれを好機到来と見て、さっそく亀崎へ向かって南下した。
事前に入手した情報によると久六の一行は亀崎の隣り村の乙川を通ると見込まれたので、そこで待ち伏せすることにした。この亀崎も乙川も、現在の武豊線の駅があるところだ。待ち伏せ場所は田んぼに挟まれた一本道の土手を選んだ。ここなら敵を逃がすおそれがない。
しばらく物陰に隠れて待っていると狙い通り、久六が七人の子分を連れて通りの向こうからやって来た。久六は待ち伏せされていることに気づかなかった。次郎長たちは相手が十分近づいてから道に躍り出て、ゆっくりと正面から久六へ向かって歩いて行った。
久六は、次郎長たちが突然現れて狼狽した。
このころ名古屋では「長兵衛の死を恨みに思った次郎長が久六を狙っている」という噂が流れていた。それを耳にした久六は心配になったものの、その後しばらくして「次郎長は病気になって清水へ帰ったそうだ」という噂も流れ出し、ひとまず久六は安心していた。ところが、その清水へ帰ったはずの次郎長が突然目の間に現れたので狼狽したのだ。
今さら逃げようにも狭い一本道なので相手を回避することはできない。といって、この状況でこっちが後ろへ逃げ出すと、かえって次郎長を激昂させてしまうかもしれない。ならばいっそのこと、こちらの目明しとしての立場を弁明し、誤解を解いたほうが得策だろう。幸い次郎長も笑顔を見せながらこちらへ近づいて来る。話せば分かる、と思った。
「よう。久しぶりだな、保下田の兄弟。達者だったかい?」
次郎長がこう、笑顔で語りかけた。
「やあ、これは清水の兄弟。こんなところで会うとは奇遇じゃないか。それはそうと、先だっては名古屋で何かと難儀な目に遭ったようだが、お役目柄、顔を出すことができなかった。それでお互い、何か誤解があるといけない。ここであらためてお悔やみを申し上げる。あいさつが遅れてまことに申し訳なかった。勘弁してくれ」
「これはこれは、ご丁寧なお言葉。まことに痛み入る」
と言って次郎長は深々と頭を下げた。それにつられて、久六も丁重に頭を下げた。
その瞬間、次郎長は懐から短刀を引き抜き、すっと前へ出た。
頭を下げている久六は次郎長の動きに気づかない。
次郎長はそのまま体ごと久六にぶつかった。
短刀が久六の胸板を貫き、久六は路上に倒れた。そして血を吹き出しながら路上をのたうち回った。
「ハッハッハ。とぼけるんじゃねえ、久六!テメエの悪事はすべてお天道様がお見通しだ!」
次郎長はそう叫びながら長脇差を抜刀し、倒れている久六の体にやたらめったら斬りつけた。
それからすかさず大政、石松、八五郎が久六の子分たちに斬りかかった。が、久六の子分たちはとっさの出来事に狼狽して抵抗できず、すぐに後ろへ向かって逃げていった。
こうして次郎長は久六への敵討ちを見事に果たした。
と同時に、再び幕府(御三家)の目明しを殺した、という罪を背負うことになった。甲州で幕府の目明し祐天仙之助の身内を殺して追われることになったのに続き、この尾張でもまた、幕府の目明しから追及されることになったのである。
逃げた久六の子分たちがやがてこの事を尾張藩へ伝えるだろう。自分たちは急いで尾張から脱出しなければならない。ということで、次郎長たちはすぐに乙川の地を後にした。
田んぼ道には、ズタズタに斬り刻まれた久六の無残な死体だけが残された。
このくだり、次郎長の基本史料『東海遊侠伝』では次のように書いている。
「久六倒る。長五(次郎長)すなわちその罪を責め、ついに斬って肉泥となす。久六の子弟、皆散ず」
ちなみに『東海遊侠伝』を種本とした広沢虎造の浪曲『清水次郎長伝』では『代官斬り』の一節がこの場面にあたり、次郎長は石松などの子分たちと代官の陣屋敷へ斬り込む筋立てとなっている。そして人質を救い出し、久六の縁者である悪徳代官を次郎長が斬り、最後には久六も斬ってめでたしめでたしとなる。ちょっとやり過ぎだろう。
次郎長が久六を殺したのは安政六年(1859年)六月十九日のことである。
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どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
輿乗(よじょう)の敵 ~ 新史 桶狭間 ~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
美濃の戦国大名、斎藤道三の娘・帰蝶(きちょう)は、隣国尾張の織田信長に嫁ぐことになった。信長の父・信秀、信長の傅役(もりやく)・平手政秀など、さまざまな人々と出会い、別れ……やがて信長と帰蝶は尾張の国盗りに成功する。しかし、道三は嫡男の義龍に殺され、義龍は「一色」と称して、織田の敵に回る。一方、三河の方からは、駿河の国主・今川義元が、大軍を率いて尾張へと向かって来ていた……。
【登場人物】
帰蝶(きちょう):美濃の戦国大名、斎藤道三の娘。通称、濃姫(のうひめ)。
織田信長:尾張の戦国大名。父・信秀の跡を継いで、尾張を制した。通称、三郎(さぶろう)。
斎藤道三:下剋上(げこくじょう)により美濃の国主にのし上がった男。俗名、利政。
一色義龍:道三の息子。帰蝶の兄。道三を倒して、美濃の国主になる。幕府から、名門「一色家」を名乗る許しを得る。
今川義元:駿河の戦国大名。名門「今川家」の当主であるが、国盗りによって駿河の国主となり、「海道一の弓取り」の異名を持つ。
斯波義銀(しばよしかね):尾張の国主の家系、名門「斯波家」の当主。ただし、実力はなく、形だけの国主として、信長が「臣従」している。
【参考資料】
「国盗り物語」 司馬遼太郎 新潮社
「地図と読む 現代語訳 信長公記」 太田 牛一 (著) 中川太古 (翻訳) KADOKAWA
東浦町観光協会ホームページ
Wikipedia
【表紙画像】
歌川豊宣, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
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