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第四章・戊辰大乱
第54話 赤報隊と高松隊(二)
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さて、この十日ほど前に江戸で「薩摩藩邸焼き討ち事件」に遭遇し、そのあと上方へやって来た相楽総三とその同志たち。
そろそろ彼らにも目を向けなければならない。
前に触れたように、西宮で上陸した相楽たちは一月五日に入京を果たした。また、九鬼で上陸した落合、伊牟田、鯉淵の三人はその前日に入京していた。
当然ながら、どちらもすぐに薩摩藩の本営が置かれている東寺を訪れ、西郷に会って江戸での事件について報告した。
落合たち三人が西郷のところを訪れた時は、まだ三樹三郎たちの挙兵話は西郷に伝わっていなかった。
それで西郷は落合たちの江戸での「活躍」に感謝の言葉を述べ、これからの仕事は薩摩藩に任せて、しばらくゆっくり休むように、と彼らをねぎらった。
江戸で相楽たちが勝手にやった「活躍」については、本来、西郷の思惑から外れた出来事であった。それゆえ、上意下達の秩序を重んじる口うるさい人物であれば、江戸で相楽たちが暴発したことについて多少の嫌みや苦言を述べたとしてもおかしくない状況ではあるが、西郷はそんなことは言わなかった。
その太っ腹な態度こそが西郷の計り知れない度量を示すゆえんであり、彼も今さらそんなくだらない説教をする気はなかった。結果論ではあるものの結果は吉と出たし、なにより臆病を嫌い勇敢を好む薩摩隼人の気質として、良かれと思って命がけで行動した男たちに冷や水を浴びせるような発言などするはずがない。西郷はこのあと会った相楽にも苦言は述べなかった。
それからしばらくのち、落合は先に京都へ来ていた権田直助と再会し、二人は姫路へ向かう鎮撫使に随行することになった。
このすぐあとに西郷のところを訪れる相楽たちの運命と、落合と権田の運命は、ほんのわずかな時間の差によって、それがのちに天空と海底ほど隔絶した開きとなって両者の運命を分かつのである。
そして相楽たちが西郷のもとを訪れた。
その頃には、既に三樹三郎たちの挙兵話が西郷に伝わっていた。
西郷は相楽に会うと落合たちの時と同様、江戸での「活躍」を褒めた。そして、それにつづけて一つの提案をした。
「これからすぐに綾小路卿が近江で挙兵する予定でごわす。お疲れのところ、まことにあいすんもはんが、もう一度ご奮発してたもはんか」
これに対し相楽は、
「承知」
と即答した。
江戸で暴発した時から命は捨ててかかっていた。
幕府は必ず倒さねばならぬ。
幕府の開国政策のせいで物価が高騰し、民が困窮しているのだ。幕府を倒して攘夷を実現すれば、きっと民の暮らしは良くなるに違いない。だから自分は幕府を倒すために最前線で戦いつづけるのだ。
これが相楽の考えだった。
現在の価値観で考えればあまりに短絡的で、しかも「幕府を倒して攘夷を実現する」といった時勢の見方も痛々しいぐらい盲目的だが、当時の尊王攘夷家の思考回路は総じて相楽と大同小異だったといっていい。
その相楽が、西郷から「近江で挙兵する綾小路卿を助けてもらいたい」と提案されて断るはずがなかった。
幕府追討のために東へ向かうのは元より望むところ!
綾小路卿をお助けして幕府を討ち、攘夷を実現するのだ!
と意気込んだ。それは相楽と一緒に江戸からやってきた同志たちも同じだった。彼らは準備が済むとすぐに出発して近江へ向かった。
一月七日、朝廷は「徳川慶喜を追討せよ」という大号令を発令。
そして翌八日。先に出発していた三樹三郎たちの隊と、後から出発した相楽たちの隊が合流して松尾山の金剛輪寺で挙兵した。
隊の名前は「赤報隊」と決まった。
「赤心をもって国恩に報いる」
という彼らの意気込みを示す見事な隊名である。
そしてこのころ綾小路に加えてもう一人、公卿が参加してきた。
滋野井公寿。二十六歳。
過激な少壮公家という点では綾小路と大差ないが、この滋野井の場合は過去に見逃すことのできない“黒歴史”を持っている。
文久三年の五月に姉小路公知という、その当時、三条実美と並び称されるほど有名だった公家が禁中の朔平門外で暗殺されるという事件があった。
まったくもって空前絶後の大事件である。
この事件は実行犯も黒幕も不明のまま(一応実行犯は事件の直後に切腹した薩摩の田中新兵衛が有力とされているが)その後お蔵入りとなった。しかしこの事件の黒幕は様々な状況証拠によってこの滋野井と西四辻公業の二人である、という見方が当時から公家たちの間では根強く、現在の歴史研究の世界でもその疑惑は消えていない。
しかも滋野井はかなり情緒不安定な人物だったようで、この松尾山に来た際にも、おそらく側近の山本太宰という男が強引に滋野井を説き伏せて引っ張り出して来たものと思われるが、夜通し泣き喚いたり自殺すると言い出したりで、どうにも扱いにくい人物だったようである。
一月ほど前に高野山で挙兵した鷲尾隊もそうであったように、この松尾山にも諸方から有志が駆けつけてすぐに三百人ほどの部隊となった。
そして十日までには隊の編成も出来上がった。
一番隊長・相楽総三(三田の薩摩藩邸にいた浪士たちが中心)
二番隊長・鈴木三樹三郎(元御陵衛士が中心)
三番隊長・油川錬三郎(水口藩士などの近江出身者が中心)
さらにこれらとは別に滋野井公寿も一隊を率いることになった。
全体を率いる大将の立場にあるのは綾小路俊実だが、このお公家様に一軍を率いる将としての器などあろうはずもない。
まったくもって「船頭多くして船、山にのぼる」ということわざの通り、各個バラバラの状態で松尾山にのぼっている、といった様相を呈していた。
しかしそれでも彼らはこの松尾山を拠点として各方面への活動を開始した。
まずはさっそく、山科能登之助と元御陵衛士の阿部十郎、佐原太郎などが彦根城へ出向くと、彦根藩はあっさりと新政府に恭順した。さらに周辺の近江の小藩もすぐに恭順してきた。
すでに大坂城は落城し、朝廷から「慶喜追討令」が出ているぐらいの状況なのだから「草木もなびく」といった具合に近江の諸藩は次々と新政府に下ってきた。彦根藩は大砲三門、ミニエー銃五十丁、さらに弾薬も添えて差し出し、他藩も相応の武器を赤報隊へ供出した。
赤報隊の出だしはなかなか順調である。
けれども相楽は不満だった。「こんなやり方では生ぬるい」と。
そして相楽はとりあえず一旦松尾山から下山して京都へ急行し、朝廷に建白書と嘆願書を提出した。
その概要は次の通り。
「幕府軍は大坂から関東へ退却したとはいえ、放っておけば再び猛虎となってこちらへ襲いかかってくるでしょう。急いで兵を東へ進めて東海道の箱根峠と中山道の碓氷峠を押さえてしまうべきです。ぐずぐずしているとこの隙に乗じてイギリスなどの夷狄が漁夫の利を狙って我が国の内政に介入してくるかも知れません。また『幕府領については当面のところ年貢を軽減する』とのお触れ書きを出せば皆が朝廷に感謝して、しかも関東の民心を切り崩すこともできるでしょう。ぜひ我々赤報隊に錦の御旗を授けていただき、東征軍の先鋒となるようお命じください」
この中にある「年貢を軽減して、関東の民心を切り崩す」というのは、
「関東へ軍を進める道中、そこの領民が年貢軽減の恩恵を受ければ、関東の領民も幕府に対して年貢軽減を求めて一揆を起こす、あるいは年貢軽減を求めて朝廷の領民になりたいと言い出すでしょうから、そうやって関東の民心を切り崩しましょう」
という意味である。
この相楽の申し出に対して朝廷の太政官は、赤報隊に錦の御旗を下賜することは差し控え、あくまで東海道軍(鎮撫使)の指揮下で各地の鎮撫に専念するよう相楽たちに命じた。
つまり朝廷が赤報隊に期待しているのは幕府軍を追討することではなくて、新政府軍本隊の先乗り部隊として偵察や説得工作をすることなのである。それゆえ赤報隊に錦の御旗は与えなかったのだ。
官軍先鋒として一気に関東まで進軍し、特に中山道の碓氷峠をなんとしてでも押さえたい、という相楽の願いは残念ながら却下されてしまった。
しかし年貢軽減の願いについては聞き届けられた。
「幕府領については今年の年貢は半減とする」
という朝廷からの許可をもらったのだ。
これが有名な「赤報隊・相楽総三の年貢半減令」と言われるものである。
「赤報隊の相楽総三が悲惨な末路をたどったのは、相楽が年貢半減令を大々的に喧伝したため、それを不都合に思った新政府が、特に岩倉と西郷がすべての責任を相楽におっかぶせるために抹殺したのだ」
これが「赤報隊・相楽総三の年貢半減令」に関する俗人的なイメージだろう。
特に西郷の場合、酷いのになると「江戸でテロを起こした相楽、益満、伊牟田に生き残られては後々マズいことになるので三人とも西郷が謀略によって抹殺したのだ」といった荒唐無稽な陰謀論まであるが、こんなのは論外として、この「相楽総三の年貢半減令」についても実質とくらべて世俗のイメージが大きくかけ離れている。
それはこれからおいおい見ていくことになるが、ここで少しだけ触れておくと、年貢半減は別に相楽だけが唱えていたわけではなく、これとほぼ同じ時期に(一月十四日に)広島や岡山といった中国地方でも朝廷は年貢半減の布告を出している。さすがにこの責任まで相楽におっかぶせることはできないだろう。
そして相楽が年貢半減を喧伝したといっても基本的にその対象は「幕府領限定」であり、諸藩の領地はその対象となっていない。これもおそらく一般的にはあまり知られていない話だろう。「相楽はすべての人民に対して年貢半減を喧伝した」というのが俗人的なイメージかと思われる。
とにかく朝廷に自身の主張を訴えた相楽は、年貢半減令の許可といった一定の成果を得て十五日に松尾山へ帰ってきた。
そろそろ彼らにも目を向けなければならない。
前に触れたように、西宮で上陸した相楽たちは一月五日に入京を果たした。また、九鬼で上陸した落合、伊牟田、鯉淵の三人はその前日に入京していた。
当然ながら、どちらもすぐに薩摩藩の本営が置かれている東寺を訪れ、西郷に会って江戸での事件について報告した。
落合たち三人が西郷のところを訪れた時は、まだ三樹三郎たちの挙兵話は西郷に伝わっていなかった。
それで西郷は落合たちの江戸での「活躍」に感謝の言葉を述べ、これからの仕事は薩摩藩に任せて、しばらくゆっくり休むように、と彼らをねぎらった。
江戸で相楽たちが勝手にやった「活躍」については、本来、西郷の思惑から外れた出来事であった。それゆえ、上意下達の秩序を重んじる口うるさい人物であれば、江戸で相楽たちが暴発したことについて多少の嫌みや苦言を述べたとしてもおかしくない状況ではあるが、西郷はそんなことは言わなかった。
その太っ腹な態度こそが西郷の計り知れない度量を示すゆえんであり、彼も今さらそんなくだらない説教をする気はなかった。結果論ではあるものの結果は吉と出たし、なにより臆病を嫌い勇敢を好む薩摩隼人の気質として、良かれと思って命がけで行動した男たちに冷や水を浴びせるような発言などするはずがない。西郷はこのあと会った相楽にも苦言は述べなかった。
それからしばらくのち、落合は先に京都へ来ていた権田直助と再会し、二人は姫路へ向かう鎮撫使に随行することになった。
このすぐあとに西郷のところを訪れる相楽たちの運命と、落合と権田の運命は、ほんのわずかな時間の差によって、それがのちに天空と海底ほど隔絶した開きとなって両者の運命を分かつのである。
そして相楽たちが西郷のもとを訪れた。
その頃には、既に三樹三郎たちの挙兵話が西郷に伝わっていた。
西郷は相楽に会うと落合たちの時と同様、江戸での「活躍」を褒めた。そして、それにつづけて一つの提案をした。
「これからすぐに綾小路卿が近江で挙兵する予定でごわす。お疲れのところ、まことにあいすんもはんが、もう一度ご奮発してたもはんか」
これに対し相楽は、
「承知」
と即答した。
江戸で暴発した時から命は捨ててかかっていた。
幕府は必ず倒さねばならぬ。
幕府の開国政策のせいで物価が高騰し、民が困窮しているのだ。幕府を倒して攘夷を実現すれば、きっと民の暮らしは良くなるに違いない。だから自分は幕府を倒すために最前線で戦いつづけるのだ。
これが相楽の考えだった。
現在の価値観で考えればあまりに短絡的で、しかも「幕府を倒して攘夷を実現する」といった時勢の見方も痛々しいぐらい盲目的だが、当時の尊王攘夷家の思考回路は総じて相楽と大同小異だったといっていい。
その相楽が、西郷から「近江で挙兵する綾小路卿を助けてもらいたい」と提案されて断るはずがなかった。
幕府追討のために東へ向かうのは元より望むところ!
綾小路卿をお助けして幕府を討ち、攘夷を実現するのだ!
と意気込んだ。それは相楽と一緒に江戸からやってきた同志たちも同じだった。彼らは準備が済むとすぐに出発して近江へ向かった。
一月七日、朝廷は「徳川慶喜を追討せよ」という大号令を発令。
そして翌八日。先に出発していた三樹三郎たちの隊と、後から出発した相楽たちの隊が合流して松尾山の金剛輪寺で挙兵した。
隊の名前は「赤報隊」と決まった。
「赤心をもって国恩に報いる」
という彼らの意気込みを示す見事な隊名である。
そしてこのころ綾小路に加えてもう一人、公卿が参加してきた。
滋野井公寿。二十六歳。
過激な少壮公家という点では綾小路と大差ないが、この滋野井の場合は過去に見逃すことのできない“黒歴史”を持っている。
文久三年の五月に姉小路公知という、その当時、三条実美と並び称されるほど有名だった公家が禁中の朔平門外で暗殺されるという事件があった。
まったくもって空前絶後の大事件である。
この事件は実行犯も黒幕も不明のまま(一応実行犯は事件の直後に切腹した薩摩の田中新兵衛が有力とされているが)その後お蔵入りとなった。しかしこの事件の黒幕は様々な状況証拠によってこの滋野井と西四辻公業の二人である、という見方が当時から公家たちの間では根強く、現在の歴史研究の世界でもその疑惑は消えていない。
しかも滋野井はかなり情緒不安定な人物だったようで、この松尾山に来た際にも、おそらく側近の山本太宰という男が強引に滋野井を説き伏せて引っ張り出して来たものと思われるが、夜通し泣き喚いたり自殺すると言い出したりで、どうにも扱いにくい人物だったようである。
一月ほど前に高野山で挙兵した鷲尾隊もそうであったように、この松尾山にも諸方から有志が駆けつけてすぐに三百人ほどの部隊となった。
そして十日までには隊の編成も出来上がった。
一番隊長・相楽総三(三田の薩摩藩邸にいた浪士たちが中心)
二番隊長・鈴木三樹三郎(元御陵衛士が中心)
三番隊長・油川錬三郎(水口藩士などの近江出身者が中心)
さらにこれらとは別に滋野井公寿も一隊を率いることになった。
全体を率いる大将の立場にあるのは綾小路俊実だが、このお公家様に一軍を率いる将としての器などあろうはずもない。
まったくもって「船頭多くして船、山にのぼる」ということわざの通り、各個バラバラの状態で松尾山にのぼっている、といった様相を呈していた。
しかしそれでも彼らはこの松尾山を拠点として各方面への活動を開始した。
まずはさっそく、山科能登之助と元御陵衛士の阿部十郎、佐原太郎などが彦根城へ出向くと、彦根藩はあっさりと新政府に恭順した。さらに周辺の近江の小藩もすぐに恭順してきた。
すでに大坂城は落城し、朝廷から「慶喜追討令」が出ているぐらいの状況なのだから「草木もなびく」といった具合に近江の諸藩は次々と新政府に下ってきた。彦根藩は大砲三門、ミニエー銃五十丁、さらに弾薬も添えて差し出し、他藩も相応の武器を赤報隊へ供出した。
赤報隊の出だしはなかなか順調である。
けれども相楽は不満だった。「こんなやり方では生ぬるい」と。
そして相楽はとりあえず一旦松尾山から下山して京都へ急行し、朝廷に建白書と嘆願書を提出した。
その概要は次の通り。
「幕府軍は大坂から関東へ退却したとはいえ、放っておけば再び猛虎となってこちらへ襲いかかってくるでしょう。急いで兵を東へ進めて東海道の箱根峠と中山道の碓氷峠を押さえてしまうべきです。ぐずぐずしているとこの隙に乗じてイギリスなどの夷狄が漁夫の利を狙って我が国の内政に介入してくるかも知れません。また『幕府領については当面のところ年貢を軽減する』とのお触れ書きを出せば皆が朝廷に感謝して、しかも関東の民心を切り崩すこともできるでしょう。ぜひ我々赤報隊に錦の御旗を授けていただき、東征軍の先鋒となるようお命じください」
この中にある「年貢を軽減して、関東の民心を切り崩す」というのは、
「関東へ軍を進める道中、そこの領民が年貢軽減の恩恵を受ければ、関東の領民も幕府に対して年貢軽減を求めて一揆を起こす、あるいは年貢軽減を求めて朝廷の領民になりたいと言い出すでしょうから、そうやって関東の民心を切り崩しましょう」
という意味である。
この相楽の申し出に対して朝廷の太政官は、赤報隊に錦の御旗を下賜することは差し控え、あくまで東海道軍(鎮撫使)の指揮下で各地の鎮撫に専念するよう相楽たちに命じた。
つまり朝廷が赤報隊に期待しているのは幕府軍を追討することではなくて、新政府軍本隊の先乗り部隊として偵察や説得工作をすることなのである。それゆえ赤報隊に錦の御旗は与えなかったのだ。
官軍先鋒として一気に関東まで進軍し、特に中山道の碓氷峠をなんとしてでも押さえたい、という相楽の願いは残念ながら却下されてしまった。
しかし年貢軽減の願いについては聞き届けられた。
「幕府領については今年の年貢は半減とする」
という朝廷からの許可をもらったのだ。
これが有名な「赤報隊・相楽総三の年貢半減令」と言われるものである。
「赤報隊の相楽総三が悲惨な末路をたどったのは、相楽が年貢半減令を大々的に喧伝したため、それを不都合に思った新政府が、特に岩倉と西郷がすべての責任を相楽におっかぶせるために抹殺したのだ」
これが「赤報隊・相楽総三の年貢半減令」に関する俗人的なイメージだろう。
特に西郷の場合、酷いのになると「江戸でテロを起こした相楽、益満、伊牟田に生き残られては後々マズいことになるので三人とも西郷が謀略によって抹殺したのだ」といった荒唐無稽な陰謀論まであるが、こんなのは論外として、この「相楽総三の年貢半減令」についても実質とくらべて世俗のイメージが大きくかけ離れている。
それはこれからおいおい見ていくことになるが、ここで少しだけ触れておくと、年貢半減は別に相楽だけが唱えていたわけではなく、これとほぼ同じ時期に(一月十四日に)広島や岡山といった中国地方でも朝廷は年貢半減の布告を出している。さすがにこの責任まで相楽におっかぶせることはできないだろう。
そして相楽が年貢半減を喧伝したといっても基本的にその対象は「幕府領限定」であり、諸藩の領地はその対象となっていない。これもおそらく一般的にはあまり知られていない話だろう。「相楽はすべての人民に対して年貢半減を喧伝した」というのが俗人的なイメージかと思われる。
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