3 / 5
リリートゥの誘引《ep.1》
しおりを挟む
管楽器の音色に導かれるようにして、気がつくと、金井は見知らぬ部屋を歩いていた。
頭上には宝石を散りばめたようなシャンデリアが煌めき、ドレスを纏った婦人たちが花を咲かすように回っている。燭台の炎が揺れ、人々の顔を橙色に照らし、優雅なワルツの合間に淫靡な笑い声が差し込まれる。
ここは何処だ。
自分は何を見せられているんだ。
朱色の絨毯を踏む足元は浮いているような感覚があり、鼻をつく香りも少し甘い。頭の中は泥酔したように靄がかかっていて、目に映るもの、聞こえるもの、総じて現実味がない。
壁際で足を止めた金井は、状況を把握しようと視線を漂わせる。
すると突然、目の前に美しい女が現れた。
纏めた黒髪は射干玉の如く艶めき、陶器と見紛うほどの肌理の整った肌。小さな顔に収まる造作も、精密な彫刻を思わせる完成度。全身から眩暈がするほどの色気を醸し出している。
豊満な胸を封印するように、ウエストを引き締めた臙脂色のドレス。そこに施された繊細な織り柄も、大袈裟なフレアスカートのラインも、淫らな視線を遮るためにあるように思えた。
今、この場にいる全ての男たちが、彼女を巡って争いを始めても不思議ではない。そう思わせる圧倒的な美を前にして、金井の目は女に釘付けられた。けれど次の瞬間、視線を遮るようにして男の影が割り込んでくる。
「私と一緒になってください」
タキシードの裾を靡かせ、女の前に跪いた男は、すっと手を差し出した。金井の顔が強張る。この男を見ていると、今すぐ頭を割って、脳髄を引き摺り出したくなるのは何故だろう。
「———い」
女の返答は、水中で話しているように曖昧で判然としない。唐突に振り返った女は、金井を真っ直ぐに見据える———。
そこで金井は目を覚ました。
日記を引き取って一週間が経っていた。毎晩妙な夢を見るせいで身体が怠い。カウンターに伏せて、ぼんやりと香の煙を眺めていると、しばらくして、ふと、何か大事なことを忘れているような、それを思い出さなくてはいけないような焦燥感を覚える。
何かを思い出そうとするみたいに、頭が動き続けたり———男の言葉は、これを指していたのだろうか。
「よう、玻璃くん」
はっと我にかえると、スーツを着た大柄な男が立っていた。金井は姿勢を正して、軽く会釈する。
「相沢社長」
「なんだその顔。寝不足か?」
彫りの深い顔付きに、地鳴りに似た声色。憐れむような視線が、やつれた金井に注がれる。
相沢秀喜は、この町で名の知れた不動産会社の社長だ。金井とは土地の仲介に関する相談をするうちに仲良くなった。
もちろん相沢の記憶を辿って、売れそうな土地に目星を付けたわけだが、それが神の御告げと勘違いした相沢は、金井を信頼している。
「そんなに疲れてんなら、ここらで一発ガッポリ儲けて、しばらく休むってのはどうだ?」
カウンターに腰掛けながら、カレンダーを見遣って、相沢が言う。
「つまり、頼みたい仕事があるってことですね」
相沢の腕に光るロレックスを見たまま、金井は呟いた。不動産会社を経営しているだけあって、相沢は金払いがいい。少し前、『四神相応の地』という風水に従い、山が北にあり、東に川が流れ、南に畑があり、西に幹線道路があるという、『四神』に守られた土地を勧めたことがある。それが高値で売れたらしく、高額な謝礼をもらったことがあり、今回も仕事の相談だろうと思っていた。
「さすが玻璃くん、察しがいい」
顎の前で手を組んで、相沢は依頼の詳細を話し始めた。
相沢が所有する不動産の中に『阿久津荘』という名の洋館がある。1900年代前半に、どこかの伯爵が別邸として建てたもので、元々は別の人物が所有してたのだが、紆余曲折を経たのち、相沢の元に来たという。
「五年ほど前までは町の資料館にする案も持ち上がっていたんだ。まあ、築百年以上の洋館といえば、重要文化財に指定されて、国の所有物になるのはよくある話しだろ。ただ、阿久津荘の前の持ち主が乗り気じゃなかった。五十年以上、別荘として使っていたようだが———沙都子がいる。ここは呪われている。町の資料館にしたら犠牲者が出る。病床に伏せてからも、そんなうわ言を呟くものだから、親類者が気味悪がって、相続を拒否したんだ。その翌年、持ち主は亡くなった」
「その、沙都子さんというのは」
「阿久津荘を建てた伯爵の娘だ。上に一人、男兄弟がいて、沙都子さんは次女。二階の自室から落ちて死んだらしい」
よくある心理的瑕疵物件だろう。瑕疵とは、自殺、他殺、事故死、孤独死などの、買主が購入を躊躇うような不都合を指し、不動産の価値を落とす要因である。瑕疵発生から年月が経っていたとしても告知義務の時効はない。
話しが長くなりそうなので、金井は一度キッチンへ入り、二人分の紅茶を用意してカウンターに戻った。
「自殺、ですか」
差し出されたカップを受け取り、相沢は目を伏せる。
「伯爵令嬢とあらば、政治的な駆け引きに利用されるのはよくある話しだ。自分の未来を悲観して飛び降りたのだろう」
「人が死んでるから、阿久津荘は呪われていると?」
「いや、それだけじゃない」相沢は両手で古典的な幽霊の格好を作る。「今も出るんだよ。死んだ沙都子が」金井は紅茶を飲んで苦笑いを返す。
「でしたら、沙都子さんの霊を祓えばいい。相沢社長の人脈をもってすれば、霊媒師の一人や二人、直ぐにつかまりそうなものですけど」
「もちろん、何度も試したさ。巷で有名な霊媒師、近隣神社の神職。だが、一人として沙都子を祓えるものはいなかった。全員が全員、私の手には負えないと言って、逃げ出す始末さ」
「へぇ、神職も霊媒師も大したことないんですね」
金井の渇いた笑い声を合図に、微妙な沈黙が店内に流れた。
頭上には宝石を散りばめたようなシャンデリアが煌めき、ドレスを纏った婦人たちが花を咲かすように回っている。燭台の炎が揺れ、人々の顔を橙色に照らし、優雅なワルツの合間に淫靡な笑い声が差し込まれる。
ここは何処だ。
自分は何を見せられているんだ。
朱色の絨毯を踏む足元は浮いているような感覚があり、鼻をつく香りも少し甘い。頭の中は泥酔したように靄がかかっていて、目に映るもの、聞こえるもの、総じて現実味がない。
壁際で足を止めた金井は、状況を把握しようと視線を漂わせる。
すると突然、目の前に美しい女が現れた。
纏めた黒髪は射干玉の如く艶めき、陶器と見紛うほどの肌理の整った肌。小さな顔に収まる造作も、精密な彫刻を思わせる完成度。全身から眩暈がするほどの色気を醸し出している。
豊満な胸を封印するように、ウエストを引き締めた臙脂色のドレス。そこに施された繊細な織り柄も、大袈裟なフレアスカートのラインも、淫らな視線を遮るためにあるように思えた。
今、この場にいる全ての男たちが、彼女を巡って争いを始めても不思議ではない。そう思わせる圧倒的な美を前にして、金井の目は女に釘付けられた。けれど次の瞬間、視線を遮るようにして男の影が割り込んでくる。
「私と一緒になってください」
タキシードの裾を靡かせ、女の前に跪いた男は、すっと手を差し出した。金井の顔が強張る。この男を見ていると、今すぐ頭を割って、脳髄を引き摺り出したくなるのは何故だろう。
「———い」
女の返答は、水中で話しているように曖昧で判然としない。唐突に振り返った女は、金井を真っ直ぐに見据える———。
そこで金井は目を覚ました。
日記を引き取って一週間が経っていた。毎晩妙な夢を見るせいで身体が怠い。カウンターに伏せて、ぼんやりと香の煙を眺めていると、しばらくして、ふと、何か大事なことを忘れているような、それを思い出さなくてはいけないような焦燥感を覚える。
何かを思い出そうとするみたいに、頭が動き続けたり———男の言葉は、これを指していたのだろうか。
「よう、玻璃くん」
はっと我にかえると、スーツを着た大柄な男が立っていた。金井は姿勢を正して、軽く会釈する。
「相沢社長」
「なんだその顔。寝不足か?」
彫りの深い顔付きに、地鳴りに似た声色。憐れむような視線が、やつれた金井に注がれる。
相沢秀喜は、この町で名の知れた不動産会社の社長だ。金井とは土地の仲介に関する相談をするうちに仲良くなった。
もちろん相沢の記憶を辿って、売れそうな土地に目星を付けたわけだが、それが神の御告げと勘違いした相沢は、金井を信頼している。
「そんなに疲れてんなら、ここらで一発ガッポリ儲けて、しばらく休むってのはどうだ?」
カウンターに腰掛けながら、カレンダーを見遣って、相沢が言う。
「つまり、頼みたい仕事があるってことですね」
相沢の腕に光るロレックスを見たまま、金井は呟いた。不動産会社を経営しているだけあって、相沢は金払いがいい。少し前、『四神相応の地』という風水に従い、山が北にあり、東に川が流れ、南に畑があり、西に幹線道路があるという、『四神』に守られた土地を勧めたことがある。それが高値で売れたらしく、高額な謝礼をもらったことがあり、今回も仕事の相談だろうと思っていた。
「さすが玻璃くん、察しがいい」
顎の前で手を組んで、相沢は依頼の詳細を話し始めた。
相沢が所有する不動産の中に『阿久津荘』という名の洋館がある。1900年代前半に、どこかの伯爵が別邸として建てたもので、元々は別の人物が所有してたのだが、紆余曲折を経たのち、相沢の元に来たという。
「五年ほど前までは町の資料館にする案も持ち上がっていたんだ。まあ、築百年以上の洋館といえば、重要文化財に指定されて、国の所有物になるのはよくある話しだろ。ただ、阿久津荘の前の持ち主が乗り気じゃなかった。五十年以上、別荘として使っていたようだが———沙都子がいる。ここは呪われている。町の資料館にしたら犠牲者が出る。病床に伏せてからも、そんなうわ言を呟くものだから、親類者が気味悪がって、相続を拒否したんだ。その翌年、持ち主は亡くなった」
「その、沙都子さんというのは」
「阿久津荘を建てた伯爵の娘だ。上に一人、男兄弟がいて、沙都子さんは次女。二階の自室から落ちて死んだらしい」
よくある心理的瑕疵物件だろう。瑕疵とは、自殺、他殺、事故死、孤独死などの、買主が購入を躊躇うような不都合を指し、不動産の価値を落とす要因である。瑕疵発生から年月が経っていたとしても告知義務の時効はない。
話しが長くなりそうなので、金井は一度キッチンへ入り、二人分の紅茶を用意してカウンターに戻った。
「自殺、ですか」
差し出されたカップを受け取り、相沢は目を伏せる。
「伯爵令嬢とあらば、政治的な駆け引きに利用されるのはよくある話しだ。自分の未来を悲観して飛び降りたのだろう」
「人が死んでるから、阿久津荘は呪われていると?」
「いや、それだけじゃない」相沢は両手で古典的な幽霊の格好を作る。「今も出るんだよ。死んだ沙都子が」金井は紅茶を飲んで苦笑いを返す。
「でしたら、沙都子さんの霊を祓えばいい。相沢社長の人脈をもってすれば、霊媒師の一人や二人、直ぐにつかまりそうなものですけど」
「もちろん、何度も試したさ。巷で有名な霊媒師、近隣神社の神職。だが、一人として沙都子を祓えるものはいなかった。全員が全員、私の手には負えないと言って、逃げ出す始末さ」
「へぇ、神職も霊媒師も大したことないんですね」
金井の渇いた笑い声を合図に、微妙な沈黙が店内に流れた。
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
洒落にならない怖い話【短編集】
鍵谷端哉
ホラー
その「ゾワッ」は、あなたのすぐ隣にある。
意味が分かると凍りつく話から、理不尽に追い詰められる怪異まで。
隙間時間に読める短編ながら、読後の静寂が怖くなる。 洒落にならない実話風・創作ホラー短編集。
ト・カ・リ・ナ〜時を止めるアイテムを手にしたら気になる彼女と距離が近くなった件〜
遊馬友仁
青春
高校二年生の坂井夏生(さかいなつき)は、十七歳の誕生日に、亡くなった祖父からの贈り物だという不思議な木製のオカリナを譲り受ける。試しに自室で息を吹き込むと、周囲のヒトやモノがすべて動きを止めてしまった!
木製細工の能力に不安を感じながらも、夏生は、その能力の使い途を思いつく……。
「そうだ!教室の前の席に座っている、いつも、マスクを外さない小嶋夏海(こじまなつみ)の素顔を見てやろう」
そうして、自身のアイデアを実行に映した夏生であったがーーーーーー。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる