リリスの洋館、その青年は

猩々けむり

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リリートゥの誘引《ep.1》

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 管楽器の音色に導かれるようにして、気がつくと、金井は見知らぬ部屋を歩いていた。

 頭上には宝石を散りばめたようなシャンデリアが煌めき、ドレスを纏った婦人たちが花を咲かすように回っている。燭台の炎が揺れ、人々の顔を橙色に照らし、優雅なワルツの合間に淫靡な笑い声が差し込まれる。

 ここは何処だ。
 自分は何を見せられているんだ。

 朱色の絨毯を踏む足元は浮いているような感覚があり、鼻をつく香りも少し甘い。頭の中は泥酔したように靄がかかっていて、目に映るもの、聞こえるもの、総じて現実味がない。
 壁際で足を止めた金井は、状況を把握しようと視線を漂わせる。

 すると突然、目の前に美しい女が現れた。

 纏めた黒髪は射干玉の如く艶めき、陶器と見紛うほどの肌理の整った肌。小さな顔に収まる造作も、精密な彫刻を思わせる完成度。全身から眩暈がするほどの色気を醸し出している。
 豊満な胸を封印するように、ウエストを引き締めた臙脂色のドレス。そこに施された繊細な織り柄も、大袈裟なフレアスカートのラインも、淫らな視線を遮るためにあるように思えた。
 今、この場にいる全ての男たちが、彼女を巡って争いを始めても不思議ではない。そう思わせる圧倒的な美を前にして、金井の目は女に釘付けられた。けれど次の瞬間、視線を遮るようにして男の影が割り込んでくる。

「私と一緒になってください」

 タキシードの裾を靡かせ、女の前に跪いた男は、すっと手を差し出した。金井の顔が強張る。この男を見ていると、今すぐ頭を割って、脳髄を引き摺り出したくなるのは何故だろう。

「———い」

 女の返答は、水中で話しているように曖昧で判然としない。唐突に振り返った女は、金井を真っ直ぐに見据える———。

 そこで金井は目を覚ました。
 日記を引き取って一週間が経っていた。毎晩妙な夢を見るせいで身体が怠い。カウンターに伏せて、ぼんやりと香の煙を眺めていると、しばらくして、ふと、何か大事なことを忘れているような、それを思い出さなくてはいけないような焦燥感を覚える。

 何かを思い出そうとするみたいに、頭が動き続けたり———男の言葉は、これを指していたのだろうか。

「よう、玻璃くん」

 はっと我にかえると、スーツを着た大柄な男が立っていた。金井は姿勢を正して、軽く会釈する。

相沢あいざわ社長」
「なんだその顔。寝不足か?」

 彫りの深い顔付きに、地鳴りに似た声色。憐れむような視線が、やつれた金井に注がれる。
 相沢秀喜ひできは、この町で名の知れた不動産会社の社長だ。金井とは土地の仲介に関する相談をするうちに仲良くなった。
 もちろん相沢の記憶を辿って、売れそうな土地に目星を付けたわけだが、それが神の御告げと勘違いした相沢は、金井を信頼している。

「そんなに疲れてんなら、ここらで一発ガッポリ儲けて、しばらく休むってのはどうだ?」

 カウンターに腰掛けながら、カレンダーを見遣って、相沢が言う。

「つまり、頼みたい仕事があるってことですね」

 相沢の腕に光るロレックスを見たまま、金井は呟いた。不動産会社を経営しているだけあって、相沢は金払いがいい。少し前、『四神相応ししんそうおうの地』という風水に従い、山が北にあり、東に川が流れ、南に畑があり、西に幹線道路があるという、『四神』に守られた土地を勧めたことがある。それが高値で売れたらしく、高額な謝礼をもらったことがあり、今回も仕事の相談だろうと思っていた。

「さすが玻璃くん、察しがいい」

 顎の前で手を組んで、相沢は依頼の詳細を話し始めた。

 相沢が所有する不動産の中に『阿久津荘あくつそう』という名の洋館がある。1900年代前半に、どこかの伯爵が別邸として建てたもので、元々は別の人物が所有してたのだが、紆余曲折を経たのち、相沢の元に来たという。

「五年ほど前までは町の資料館にする案も持ち上がっていたんだ。まあ、築百年以上の洋館といえば、重要文化財に指定されて、国の所有物になるのはよくある話しだろ。ただ、阿久津荘の前の持ち主が乗り気じゃなかった。五十年以上、別荘として使っていたようだが———沙都子さとこがいる。ここは呪われている。町の資料館にしたら犠牲者が出る。病床に伏せてからも、そんなうわ言を呟くものだから、親類者が気味悪がって、相続を拒否したんだ。その翌年、持ち主は亡くなった」
「その、沙都子さんというのは」
「阿久津荘を建てた伯爵の娘だ。上に一人、男兄弟がいて、沙都子さんは次女。二階の自室から落ちて死んだらしい」

 よくある心理的瑕疵かし物件だろう。瑕疵とは、自殺、他殺、事故死、孤独死などの、買主が購入を躊躇うような不都合を指し、不動産の価値を落とす要因である。瑕疵発生から年月が経っていたとしても告知義務の時効はない。
 話しが長くなりそうなので、金井は一度キッチンへ入り、二人分の紅茶を用意してカウンターに戻った。

「自殺、ですか」

 差し出されたカップを受け取り、相沢は目を伏せる。

「伯爵令嬢とあらば、政治的な駆け引きに利用されるのはよくある話しだ。自分の未来を悲観して飛び降りたのだろう」
「人が死んでるから、阿久津荘は呪われていると?」

 「いや、それだけじゃない」相沢は両手で古典的な幽霊の格好を作る。「今も出るんだよ。死んだ沙都子が」金井は紅茶を飲んで苦笑いを返す。

「でしたら、沙都子さんの霊を祓えばいい。相沢社長の人脈をもってすれば、霊媒師の一人や二人、直ぐにつかまりそうなものですけど」
「もちろん、何度も試したさ。巷で有名な霊媒師、近隣神社の神職。だが、一人として沙都子を祓えるものはいなかった。全員が全員、私の手には負えないと言って、逃げ出す始末さ」
「へぇ、神職も霊媒師も大したことないんですね」

 金井の渇いた笑い声を合図に、微妙な沈黙が店内に流れた。
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