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依存性薬物乱用人生転落砂風奇譚

第九話/向精神薬(中)-スリップ(前)・睡眠薬収集癖-

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 スリップの経緯は、正直言っていいものではない。
 いや、可能なかぎり思い出したくはないのだが、書けるときに書いておかないと『なんだ。覚せい剤は一度のやめる決意だけで簡単にやめられるんだ』などと勘違いする者が現れる恐れがあるため、書かなくてはならないだろう。
 私が未だに依存しているブロンも、睡眠薬も、これらすべて、今となっては覚醒剤をやりたいといった意識を誤魔化すための手段に他ならなくなっている。
 それほどまでに、フラッシュバッグーーと言っていい現象かわからないがーーは辛いものがある。
 フラッシュバッグというより、虫が涌くと表現したほうが正しいかもしれない。悪い虫、が涌くときがあるのである。それは期間をおいて合間合間に必ずやってきて姿を露にしてきてしまう。
 覚醒剤は一度使うと、悪い虫が同時に体内に潜入してくるようになっている。学術的理論ではなく、あくまで私の思う持論だが、表現はともかく、この症状は大半の覚醒剤依存症者に現れるといえよう。
 体内に潜入してきた悪い虫は、まず初めに『覚醒剤は怖い物ではない』と宿主乱用者に思い知らせるため、自身の存在について、利点だけを調べるように無意識へ信号を送るのである。
 すると、宿主は『覚醒剤について』調べるようになり、同じ乱用者仲間の主張やメリットばかりのみ情報を付け加えていくように自然と活動をはじめる。
 乱用者の方の中には、自覚できているひとも多々居られると思う。
 覚醒剤の素晴らしい効果、メリット、医学的活用などから始まり、想像よりも低く評価されている覚醒剤の依存性や危険性のWHOのスコア、学術的なメタンフェタミンの論文など、ありとあらゆる覚醒剤についての知識を無駄に身につけ認知を培った記憶があることを、覚えている方も沢山いると推測できる。
 それなのにも関わらず、覚醒剤の危険性はすべて嘘だと決めてかかり、本当はこんな目に遭ったりしないーーと読むことさえも放棄してしまうことも、だ。
 バイアスのかかった目線では無理もない。私など、乱用をやめ続けている覚醒剤依存経験者の先輩の言葉さえもーー無意識ながらーー頭にインプットしようとしないでいた。
 そして、覚醒剤について油断した宿主に対し、次に虫は、自分を使うように説得を頻繁に行うようになる。
 辛いとき、つまらないとき、大変なとき、性行為に、遊びに、孤独に、暇に、仕事に、徹夜に、現実逃避にーー細々と虫は攻めてくるようになっていく。
『こんなときにはオレ覚醒剤を使うと楽になるよ』『オレ覚醒剤を注射すれば不安なんて解消するよ』等々言葉巧みに宿主を動揺させてくるのだ。
 そして、大半の宿主乱用者は堪えることができず、この覚醒剤を長期間やめられない、あるいは、やりたい欲求と戦い続ける様になってしまうのである。
 これが私の考える、虫が湧く、という言葉の由来である。完全オリジナルの持論だと思うが、ブログで書いたりツイッターでツイートしたりしていることからもわかるとおり、私は、この虫が湧くというのは、悪い虫が湧く覚醒剤の欲求が湧くの意だと信じてやまない。

 さて、長々と脱線してしまい申し訳ない。
 今更ながら、自称がバラバラな点はご容赦願いたい。
 文章で書くときには普段から『私』を使っているのだが、会社での自称は『僕』で通しており、親しき友人とや日常生活での会話では『俺』と、ブログでは大半が『自分』にしているため、どうしてもバラバラに扱ってしまうのである。
 最初、本編では俺で統一しようと考えていたのだが、前回やらかしてしまったので、これよりさきは口に出す言葉以外、すべて『私』に統一させていただきたく思う。
 いきなりスリップしようと企む場面から入るのは、どうか許してほしい。
 嫌な夢の内容を、色濃く思い出したくはないからだーー。


○☆☆☆★★○


 私は売人に電話していた。
 覚醒剤0.2gのみ買えないかどうか相談していたのだ。
 理由は、耐えられない期間に逆血する夢を見てしまい、しかし注入しても薬効が起きないという夢だからだ。
 そしてこれが原因で会社をもう一日休んでしまい、会社に行く前日だけ、少し注射しようと思ってしまったせいである。
 瑠奈からは止められたが、ぜったいにもう一度はやらない、と宣言したのを見て、呆れた顔を浮かべながらも『なら、試してみなよ?』と言われ許しが出た。
『02? この前までは5や10買ってたのに、安くするよ?』
「い、いえ、お金がなくて……割高でいいので売って貰えませんか?」
『……なら1ね。送り先はいつもの場所でいいね』
「はい、ありがとうございます!」
 私は末期、ゆうパックで送ってもらうことも増えていた。
 だから、前日の朝に電話して振り込めば、翌日には届いたのである(距離的にも短いためだ)。
『ま、もう一度スリップしてどうなるか、経験してみるしかないのかな……』
 瑠奈は呆れながらもそう呟く。
 どうなるか……以前に、会社に行けないと始まらないのだから仕方がない。
 これはあくまで、緊急措置。まえみたく毎日やりつづけるわけじゃない。だから、大丈夫だ。
 しかし、あれだ。届くまで、やたらとソワソワする。
 別に、楽しみで仕方ないというわけではないはずなのにな……。
 そう考えているだけで、体は覚醒剤を楽しみにしていたのは言うまでもないだろう。
 人間の意志は、意識に勝てるほど強くない。それは、魔術を途中放棄した私にだって、わかっていたはずだ。
 しかし、いくら魔術の知識があるからといって、魔術師ではないのだ。意志で意識を操る術など、私は持ち得ていない。
 ならば、ならばこれも、仕方ないことだろう。


○☆☆☆★★○


 届いた覚醒剤を久しぶりに注射器に詰めていく。
 0.05gほど量が入ったところで、水の入ったペットボトルに針を浸して押し子を引いた。内筒に水が入り覚醒剤の粉末と綺麗に混ざる。
『はぁ……本当ガッカリ』
 ご、ごめん、瑠奈……。
 でも、これだけだから。たった、これだけだから。
 瑠奈に懺悔しつつ、私は注射器を構え、久しぶりに肘窩を針で穿刺する。真っ直ぐに入っていき、すぐに逆血が起こり内筒に血が飛び込む。
 ーーこういうときだけは一発ですんなり成功するんだな……。
 逆血確認後、注射器を寝かせて角度を無くす。そのまま針を二ミリほど進め、再び押し棒を引き逆血することをチェックした。
 そのまま覚醒剤溶液を注入していきーー。
 ーー俺は、久しぶりの覚醒剤を味わうことになる。
「はぁああーーッ!」
 これだ!
 この感覚!
 先ほどまでの鬱々とした気分はどこへやら、影も残さず果てへと消え去り、代わりとばかりに一年ぶりと錯覚するような覚醒剤の爽快感や多幸感ラッシュを噛み締めるように体感する。
 あれ?
 憂鬱って、どんな感じだっけ?
 不安や鬱屈とした感情を損失したと言っても過言ではない気分に曝される。
 元気がみなぎり、活力が湧き、途端に何事へのやる気も湧き出てくる。
 よし、これで会社に行ける……!
『これで会社に行っても、無くなったらまーた行けなくなるのに……まったくさあ……』
 大丈夫だって。なんとかなるよ、なんとかなるなる。


○☆☆☆★★○


 なんとかなんて、なるはずないだろ……ぁぁ……バカだろ、俺……。
 ……結局、覚醒剤は今日の日まで持たせることはできず、覚醒剤ガス切れを起こした俺は、再び会社を休んでしまったのであった。
『ほら、言わんこっちゃない』 
 ごめん……ああ……憂鬱だ……未来は真っ暗……生きている意味なんて、あるのかな……。
 覚醒剤をつかっていたときの気分は、まるで泡沫の様。
 夢のようにアッサリ消え去ると、忘れていた不安、憂鬱、無気力、悲哀、絶望、焦燥感、悲観など、ありとあらゆる負の感情が大群を決し、洪水のように襲いかかってきた。
 もはや、なにをする気力もない。
 だが、きょうは病院の日ーー。
 せめて病院には行かなければ、なにもすがる希望がないではないか。
 効かないと相談して、どうにか強い薬をもらえるように、一縷の望みにかけよう。
『ほら、さっさと病院行こう?』
 うん……行こうか、瑠奈……。
 だらだら瑠奈と会話を交わしながら、私は病院へと向かうのであった。


○☆☆☆☆★○


 結果的に、希望は叶ったーー。
 この病院が、たまたま投薬に対して甘かったのか、基本的にはこうなのかはわからない。
 しかし、どうやらこうもすぐに変えていってくれる医師は、そんなにいないように思える。理由として、私は去年の十月辺りからツイッターをはじめさせていただき、他の精神科に通っている薬スキーな方たちから話を伺う機会が幾度となくあった。
 その際、一部の方は、なかなか薬を変えてくれない。あるいは、ベンゾジアゼピン系の睡眠薬は一切処方してくれない医師もいるーーと仰られる御方も居られたからだーー。

「すみません……飲んでもまったく眠るませんでした。不安も消えませんし……薬が体質に合わないんだと思います。ちゃんと効く睡眠薬に変えてはもらえないでしょうか?」
 緊張しつつも、今度は医師にはっきりと希望を伝えた。
「うーん、わかった。それじゃ、変えてみよう。えっと、不安は大丈夫なのかな?」
「ふ、不安も、きえ、消えなかった、消えなくて……すみません……」
 どうして私は緊張すると、こうも噛み噛みになってしまうのか……。
 しかし、主治医はこれを不安のせいだと勘違いしたのか、見抜いていたが私の要望を聞き入れてくれたのかーー。
「うん、それじゃ、ワイパックスという不安に効くお薬と、マイスリーという不眠に効くお薬出しときますから、試してみてください」
 ーー結果として、今回は、きちんと睡眠薬が処方されたのであった。
「ありがとうございます……!」
 無性に嬉しかった。マイスリーは試したことのある睡眠薬ではあるが、あの作用は私的に大好きだからだ。
 商品名、マイスリー。
 成分名、ゾルピデム酒石塩。
 それが、今回、私が処方された睡眠薬の詳細である。もう少し明確に記載させていただくならーー。
マイスリー(ゾルピデム酒石塩)
剤型/10mg(他に5mg錠もある)
系統/非ベンゾジアゼピン系
区分/超短時間作用型の睡眠導入剤
最高血中血漿濃度到達時間(Tmax)/0.8±0.3(時間)
消失半減期(T½)/2.30±1.48(時間)
 ーーとなる。(※マイスリー添付資料より引用。)
 これらの情報からなにがわかるのかというと、一番強く効くタイミングや、体感効果のなくなる時間である。
 たとえば、これならマイスリーは、およそ48分で作用がピークに到達。その後、さらに2時間半ほど経過した頃に効果が感じられなくなることが推測できる。そして、体内からほぼ完全に消失するのは、5半減期くらいという話から慮るに、0.8(Tmax)+2.3(T½)+2.3×4(2半減期~5半減期)=12.3時間。およそ12時間半で体内から完全消失すると計算できる。
 この薬剤の体内消失半減期については、別枠で改めて説明させていただく。なにやら勘違いしている方が多いらしいので、それらについての用語の定義を共通のものに整えておきたいからだ。
『やけ嬉しそうじゃん?』
 そうかな?
 私はあっさり睡眠薬が処方されたことに対してテンションが上がっていたらしい。考えてみれば、この頃からだ。処方されたり購入したりした薬剤の添付資料を、わざわざダウンロードしてまで読み漁るようになったのは……。
 そして、マイスリー10mgとワイパックス0.5mgを受け取った私は、来るときより少し明るい気分で帰宅したのであった。


○☆☆☆☆★○


 自宅に帰った私は、早速マイスリーを飲み込んだ。
 覚醒剤みたいな強烈な薬効ではないが、別のベクトル、ダウナー的な多幸感に包まれる。
 私はホッとする。
 ーーこれなら、覚醒剤がなくても案外いけるのではないか?
 と……。
 そして、次の給料日からーーどうしてそうするように変わったか、理由は思い出せないがーー向精神薬を多種コレクションするという奇行に走るようになってしまう。
 この日が、向精神薬収集嗜癖症とでも名付けられる、謎趣味のプロローグといえる特別な日といえよう。

 さあ、成人男性が、様々な睡眠薬・抗不安薬を、売人から購入したり、医師から処方してもらったりし、それをコレクションし並べて眺めてニヤニヤする物語の幕が上がる。
 ……無駄に格好つけてもやっていることが気持ち悪い薬中野郎だから、なんにも格好よく見えはしないが、そこは気にしないでほしい。気にしないでください……。
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みんなの感想(1件)

なろきそん
2019.08.10 なろきそん

貴重な依存症当事者の独白。
ちょっとしたきっかけで薬の世界へ入って行き、、、
当事者なだけあって臨場感がある。
誰しもが依存症になりうるだけに、背筋が凍る思いをした。

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