退魔の少女達

コロンド

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プロローグ

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足を踏むたび、ぴちゃりぴちゃりと泥水が飛沫を上げる。
靴下を通り越して足の裏が濡れる感覚が不快だ。

学校の裏門の先には小さな裏山へと続く道がある。
この道を使う人などほとんどいないが、ちょうど裏山を超えた先の住宅街に住んでいる彼女にとって、裏山を迂回して帰宅するよりもこの塗装されていない道を通った方がいくらか早く家に着く。
ただ今日は、少し学校を出るのが遅すぎたかもしれない。
日は完全に沈み、街並みの光は周囲の木々に遮られ、スマホのライトを使わなければ前も見えない。
それに加えて昨夜の雨で地面はぬかるんでいて足場が悪い。
遠回りでもいいから迂回路を通るべきだったと彼女は後悔しつつ足を進めた。
視界の悪い夜の道はなんだかいつも通っている道ではないように見えて、住宅街までは一本道のはずなのにどこかで道を間違えたのではないかと不安になる。
だが、ようやく目の前に街灯の光が見えて心が休まる。

その時だった。
足に何かが引っ掛かり、躓く。

「痛っ、……最悪」

制服が泥水を吸い込む。
最初は木の根か何かに足をぶつけたのかと思った。
だが次に足に何かがぬるりと絡みつく感覚が襲い、生きた何かがそこにいるのだと気付く。

「ひっ……な、なにっ!?」

足に絡みついたそれは、明らかな意識をもって彼女の足首からふとももにかけて這いずり回り拘束する。
彼女は態勢を変え、自分の足に絡みつくそれが何なのかを確認しようとする。
最初は蛇か何かかと思ったが、鱗はなくその形や色はどちらかと言えばミミズに近い。
いや、こんな巨大なミミズなど見たことも聞いたこともない。
禍々しく動く触手のようなその姿は、とてもこの世に存在する生物には見えない。
動物の内臓が意思を持って動いているかのようだった。
そして呆気に取られているうちに、空いていたもう片方の足にも別の触手が絡みつく。

「い、いやっ!」

ずるずる、と地面を這う気色の悪い音。
遠くの街灯が差す薄い光に照らされて、その生物の全貌がようやく見える。
体を拘束する触手はその生物の体の一部でしかなく、数十の触手が這いまわるその中心には巨大な心臓のような体がある。
形だけを見ればタコに近いその謎の生物の体の中心には大きな空洞がある。
おそらくそれは口。
人一人は簡単に飲み込めそうな巨大な口だ。
足に絡みついた触手にずるずると体が引っ張られる。
足を引っ張られる彼女はこれから自分がどうなるのかを察し、血の気が引く。

「いやぁ、やだっ!! 誰か助けてぇぇぇえっ!!」

足をじたばたさせ抵抗するも、絡みつく触手は想像以上に力が強い。
腰が地面から離れる。

「せやあっ!」

全てをあきらめかけたその時、銀色の光が目の前をよぎる。
足を拘束していた二本の触手の力が急に抜け、宙に浮いていた両足が地面に落ちる。

「ギイイイイイィィッ!!」

目の前の化け物が、甲高い声で悲鳴を上げる。
少し遅れて彼女は何者かが自分の足に絡みついていた触手を切断したのだと気付いた。
さっきまで足に絡みついていた触手にもう形はなく、煙の様に霧散していく。

「大丈夫ですか? でも、もう大丈夫です!」

温かみのある女性の声。
目の前に立つ小柄な人影は、自分と同じ学校の制服を着ているように見える。
そしてその手の先には銀色に輝く刀が握られていた。

化け物の触手が多方向から襲い掛かる。
しかし刀を持った人影が軽く一振りしただけで、襲い掛かる触手が次々に霧散していく。

「これで、終わりです!!」

人影は刀を構え、そして化け物の体を一瞬で薙いだ。
悲鳴を上げながら、化け物の体が霧散していく。
その光景を見て安堵したのか、彼女の意識は次第に薄れていく。
消えかけていく意識の中、あの小柄な人影がこちらを心配して叫ぶ声が聞こえた気がした。


 ***


少女は20階建てのマンションから見える夜景を眺める。
国道を走る車の一つ一つに別々の人が乗っていてそれぞれの人生を送っているのだと思うと不思議な気分になる。

背後からガチャリと扉が開錠される音、続いてドアが開く音が聞こえた。
少女が振り返ると玄関の方から、スラリとした体型でどこか大人びた顔立ちの女性がこちらへ向かってくる。

「お疲れサクラ、さっきの子は家に帰してきたよ」

サクラと呼ばれたその少女は帰ってきた彼女の姿を見て微笑む。

「カナ先輩こそお疲れ様です! それとすいません、あの人が気を失った後、私どうしたらいいか分からなくなって……」
「いいんだよ、サクラはきちんと仕事をこなしてくれたからね。今日は現場に先に着いたサクラのお手柄だよ。初めての淫魔単独撃破だね、おめでとう」

そう言ってカナはサクラの頭を軽く撫でると近くのソファへ腰を下ろした。
カナはサクラの憧れだ。
いつか自分もこうなりたい、という憧れの気持ちをいつも抱いている。
だが同じ制服を着た、たった一年早く生まれただけの先輩だという事実にはあまり目を向けたくない。
とてもじゃないが自分が一年後、カナのような人間になっているビジョンが見えないからだ。
いや、そもそもカナは30畳のLDKがある高級マンションで一人暮らしするような人間だ。スタート地点からして人生どんなに頑張っても追いつける気がしない。
六畳一間で一人暮らしをする彼女にとってこの部屋はあまりに暴力的すぎる。
おそらくサクラの部屋にあるものを全て売っぱらっても、カナが今腰掛けているソファの値段にすら追いつかないだろう。

(別に今の生活に不満とかはないんですけどね……)

「そういえばサクラが今日助けたあの子、学生証を見る限りサクラと同じ二年生だと思うんだけど知り合い?」
「えっ、うーん。知り合いではないと思いますけど」
「そう、良かった。私たち退魔師はできるだけ正体を隠さないとだから。まあどっちにしろ今日のことは夢か何かだと思うんじゃないかな。ぐっすり寝てたよ」
「そういえば、カナ先輩はどうやってあの子を家に帰したんですか?」
「財布を漁って住所特定。退魔術を使いこなせば鍵開け程度はお手の物。とりあえず寝巻きに着替えさせてベッドに寝かせておく。汚れた制服は浄化の術を上手い感じにやったら案外綺麗になった。彼女が一人暮らしで助かったよ」
「いくつかグレーゾーンな気が……随分と手慣れてますね」
「だってそれは、もう、ねぇ……初めてのことじゃ、ないからね」

カナの声はだんだんと小さくなり、最後の方はほぼ独り言だった。
それを境に二人は喋ることが無くなってしまった。


 ***


サクラが退魔師と呼ばれる者になってから3ヶ月が経とうとしている。
それより前は退魔師という言葉も、淫魔という存在すらも知らなかった。
3ヶ月前、サクラは今日救うことのできた彼女のように、偶然淫魔と呼ばれる存在と遭遇してしまった。
淫魔とは人間の女性を襲う化け物。
奴らは遭遇した女性をただただ犯し尽くす。
淫魔の存在は世の中ではあくまで噂話程度の存在にすぎず、本気にするものはほとんどいない。
だが、奴らが本当に存在するということをサクラは知ってしまった。
そしてそれらを討伐する者達がいるということも。

その日、サクラは知性もあるかすら分からない化け物に激しく犯された。
深夜に眠れずジョギングに行こうと家を出たときのことだった。
急に現れた触手に口を塞がれ、手足を抑えられ、人気のない場所へと引きづられていく。
暗闇の中で、犯され、弄ばされ、泣き、喚き、喘ぎ、絶叫して助けを乞う。
死すらも覚悟した時、その声が届いたのか、すらりとした立ち姿の彼女が現れた。
サクラは薄れる意識の中、彼女が懐から銃を取り出しトリガーを引く姿を見た。
散々サクラを冒し尽くした淫魔は、奇声を上げながらあっけなく霧散していった。

それを見て安堵したサクラは眠りにつき、気が付いた時には30畳はある広いリビングにいた。
カナが自分の部屋にサクラを連れて来たのは、サクラの持ち物から住所を特定できるものが見つからなかったからだろう。
ジョギングのためだけに外に出たサクラは財布すら持っていなかった。
もしも持っていたら、きっと今日サクラが救った彼女と同じように自分の部屋に戻され、その日の出来事は夢か何かだと思いつつ、また普通の日々に戻っていっただろう。
そしてカナはサクラを部屋に連れ込んでしまった以上、何が起きたのかを誤魔化すことはできなかった。
淫魔のこと、退魔師のこと、サクラはその時初めてそれらが実在することを知った。
そして思った。
自分も退魔師としてこの街を守りたいとーー。


 ***


「それじゃあ今日はもう夜遅いので帰りますね」
「うん、今日はお疲れ様。気をつけて帰ってね」

カナに別れの挨拶を告げ、部屋を後にした。
高級マンションから外に出るときは妙に緊張する。
自分がこんなところにいて申し訳ないと、謝りたい気分になる。
人とすれ違うとそれだけで品位の違いを知らしめさせられるような気がした。
高級マンションが立ち並ぶ一角を抜け、24時間営業のチェーン店が見えたあたりでようやくサクラの気持ちは休まった。

「私高級品アレルギーなのかも、ちょっと気分転換に遠回りして帰ろ」

戦闘とは違う形の疲れをドッと感じ、森林公園の方へ足を向ける。
歩いたり走ったりするのがサクラにとって一番の気分転換の方法だった。

森林公園に一歩足を踏み入れた途端、妙な違和感を覚える。
この森林公園は夜間でもジョギングコースとして使われることが多い場所だ。なのに今日は公園内の電灯が一つもついていない。
それにもう一つ、鼻をくすぐる妙な甘い匂い。

「これは、淫魔の匂いーーっ!!」

気づくと同時、サクラは匂いのする方へ走り始めた。
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