異世界で奴隷になったら溺愛されました。

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(82)緊急事態2

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 エルマーに率いられたディラン公爵の軍は、皇宮内にある謁見の間にまで押し寄せていた。
 謁見の間には戦闘の指揮を執る皇帝と皇太后の他、ここへ避難してきた多くの貴族たちがいた。
 皇帝は城内にいるはずの兵士たちに召集をかけたが、皇帝直属の憲兵隊以外は遠征中で、迎え撃てるだけの兵力が殆どないことがここへ来てわかって焦りを覚えた。

 そんな中、大きな地震のような揺れが城内を襲った。

「今の揺れは何…?」

 皇太后の問いに、その場にいた者は誰も答えを持っていなかった。
 その揺れがまさか地下牢で起こっているとは誰も想像もしていなかった。

 殺到するディラン兵の先頭にエルマーがいたことに、皇帝は激高した。
 まだこのクーデターの首謀者が誰か、皇帝は知らなかった。

「エルマー!この緊急時に何をしていた!?」

 皇帝の叱責に、エルマーは膝を折ることなく不敵に笑った。
 エルマーは皇帝を指差した。

「皇帝キュリオス、汝に退位を要求する」
「何…?」

 その不遜な態度に皇太后が口を挟んだ。

「エルマー、あなた何を言っているの?気でも違ったの?」
「いいえ、私は正気だ。キュリオスの退位後、その玉座には私が座るのだからな」
「何ですって…?」
「貴様ごときが皇帝にだと?冗談がすぎるぞ」
「城内の大多数の兵や魔法師を演習と称して市外の駐屯地へ遠征させたことすら把握しておらぬくせに、皇帝が聞いて呆れる」
「エルマー、貴様、一体何を…」

「おやおや陛下、まだ気付いていないのですかな?この騒ぎの首謀者が誰なのか」

 エルマーの背後から悠々と中年の男が歩いて来る。

「ディラン公…!」

 皇帝が口走った通り、それはディラン公爵だった。

「エルマー殿は本来ならば第一皇位継承者。当然の主張だと思いますがね。私はエルマー殿の志に賛同し、陛下にご退位いただくお手伝いをさせていただくことにしたのですよ」
「なんだと…」
「この国は貴族が支えている。その貴族を武力で支配しようなどと、世迷言をおっしゃるような陛下にはこの国を治めるに相応しくない。ご退位していただくしかありません」

 エルマーの隣に並んだディラン公爵の言葉を聞いて、皇帝はようやく悟った。

「エルマー、貴様…裏切ったのか?」

 皇帝はわなわなと震えながら尋ねた。
 隣にいた皇太后や周囲にいた貴族たちからも驚きの声が上がった。
 エルマーはフッと笑いながら答えた。

「裏切るも何も、私は一度だって貴様を自分の主だなどと思ったことはない。貴様らは何かにつけて恩着せがましく生かしてやったと言い、私を下郎と蔑んだ。どうして忠実な臣下でなどいられるものか!」

 エルマーが、これまでの恨みを口にすると、皇太后アデレイドは憎々し気に唇を噛んだ。

「これまでの恩を忘れて裏切るなんて、この痴れ者が!」
「恩だと?私は貴様ら親子が私と母にした仕打ちを決して忘れぬ」
「フン、母子そろって愚かなこと。所詮、下賤の身だったというわけね。身の程を知るがいい!」

 アデレイドは右手でエルマーを指差すと、その爪先から黒い液体のようなものが飛び出した。
 彼女のお得意の毒液だ。
 皇太后アデレイドは毒を操る魔法師であり、これまでも数多の者たちを葬ってきた。
 今その毒はエルマーに向かって噴射され、シャワーのように彼に降りかかろうとしていた。

「ホホホ!苦しんで死ぬがいい!」

 だが、その毒液はエルマーに届く前に、見えない壁のようなもので遮られ、垂直に下へ垂れてポタポタと絨毯の上に落ちた。
 毒液を吸った絨毯はどす黒く変色してそこだけ繊維が縮むように穴が開いてしまった。

「何…?今のは何なの?おまえがそんな魔法を使えるはずないわ!」
「私が何の準備もせずにここへ乗り込んでくるとでも?」

 愕然とするアデレイドに対し、エルマーは不敵な笑みを作った。
 エルマーの脇から登場したのは、黒い服に金の仮面を着けた中肉中背の男だった。

「お…おまえは国際条約機構の調査員…!?なぜここに?今のはおまえの仕業なの?」
「はい。アイズマンと申します」

 アデレイドの叫びに、仮面の男が答えた。

「機構の調査員はそれぞれ優秀な能力を持っています。私の能力は今ご覧いただいたように障壁バリアを張ってあらゆる攻撃を防ぐというものなんですよ」

 その仮面の奥の目は笑っているかのように見えた。
 エルマーは隣の仮面の男を横目で見た。

「機構は私に協力してくれることになったのだ」
「何ですって…!」
「申し訳ありませんねえ、皇太后様。実はエルマーさんから異界人の情報と引き換えに、今回の件への協力依頼がありましてね」
「なんだと…!?」
「無論、貴様の執着するあの娘の情報もな」
「エルマー、貴様、サラのことをしゃべったのか!?よくも…!」

 皇帝は怒りのあまり、握った拳を震わせた。
 アイズマンは構わずに話を続けた。

「エルマーさんが皇帝になった暁には、多額の拠出金を払って我が機構に参加してくださるというのでね。悪い話ではないと思い、協力することにした次第です」
「国際条約機構は内政には干渉しないはずではなかったのか?」
「異界人の情報との取引ですから、問題はありません」
「フン、詭弁だ。結局は貴様らも金で動く下郎ゲスだったというわけだな」

 皇帝が吐き捨てるよう言った。

「皇帝と皇太后を捕えよ」
「はっ!」

 エルマーが言うと、彼の背後にいた兵士たちが武器を構えて玉座を取り囲んだ。

「陛下をお守りしろ!」

 皇帝を守ろうとする憲兵隊とディラン兵が玉座の前で衝突しようとした。

 と、その時だった。
 突然、謁見の間の入口付近で凄まじい爆発が起こった。

「うわあああ!!」

 扉の近くにいたディラン兵らが、悲鳴と共に玉座の前まで吹き飛ばされてきた。
 爆風と煙で視界を奪われる中、皇帝も皇太后も、その場にいた者たち全員が、驚いて扉の方を振り返った。
 兵士たちも、何が起こったのか理解できず、戦いを一時休止して爆発の起こった方向を見ていた。
 埃と黒煙が徐々に薄れて行くと、謁見の間の扉があったはずの場所には、扉が壁ごとなくなっていて、大きな穴が開いているのが見えた。

「一体何が…」

 皇太后はその大きな穴に、一人の女が立っているのを見た。
 砂煙が収まってくると、その人物の顔がハッキリ見えた。

 彼女は目を凝らして見た。
 それは薄汚れたいで立ちの若い娘だった。

「…サ、サヤカ…?」

 彼女は思わずそう口走っていた。
 それは紛れもなく、地下牢に落としたはずのサヤカだった。

「あっは!オバサン見っけー!」

 サヤカは皇太后を指差して笑った。
 彼女は裸足に茶色のローブ姿で、髪はボサボサ、顔もすすで薄汚れていた。
 彼女はゆっくりと玉座に向かって歩き出した。
 真っ直ぐ向かってくるサヤカに、アデレイドは青くなって叫んだ。

「サ…サヤカ…?あなた、どうしてここに?」
「決まってんじゃん。あんたに復讐しに来たんだよ」
「地下牢にいたはずよ。どうやって出てきたの?」
「ああ、そんなの魔法で吹っ飛ばしてきたよ。あのブサイクな管理人ごとね」
「なんですって…!?薬を使ったはずよ?なのにどうして…」
「薬?ああ、あのブサイク男がいい気持になれるからって、私のアソコに塗りこんでたやつのこと?別に何も変わらなかったよ?」
「う、嘘よ…!あれを使ってまともでいられるはずがないわ!」
「ブサイク男も同じこと言ってたよ。何も考えなくて済むようになるって。それで私に子供産ませようとしてたらしいんだよね」
「そうよ。あの薬を使えば何も考えられなくなって…薬欲しさに奴隷になるのよ」

 アデレイドの言葉に、サヤカは思い当たることがあったようで、急に笑い出した。

「キャハハ!わかった!あの薬って、麻薬だったんだ?」

 周囲の者たちも、突然現れたこの少女を食い入るように見つめていた。

「ねえ、知ってる?私さ、こっちへ来る前、麻薬中毒で死んだらしいんだよね。たぶんさあ、ちょっとやそっとの薬の量じゃ効かなくなっちゃってんだよ」
「何ですって…」
「つまり、私にはあんたの毒は効かないってことじゃない?」
「そ、そんなバカな…!」
「残念でしたー!アハハハ!」

 勝ち誇ったように笑うサヤカをアデレイドは憎らし気に睨んだ。

 思わぬ乱入者にアイズマンは手を出せすにいた。
 そのアイズマンの傍に、もう一人別の調査員が外から駆け付けて来た。

「アゼルス。外の様子を監視していろと言っておいたはずだが」

 アゼルスは彼に何事かを耳打ちした。

「何っ!?ナンバー55と56が…?どうりで…」

 アイズマンは短く舌打ちをしてサヤカを見た。

「衛兵!その娘を捕えなさい!殺しても構わないわ!」

 アデレイドの命令により、憲兵隊が彼女を取り囲んだ。

「へえ、いいの?あんたたち、巻き添えで死ぬよ?」

 サヤカはアデレイドを指差し、呪文を唱えた。
 彼女の指先から、大きな黒い炎の塊が出現した。

「死ね――!」

 サヤカが叫ぶと同時に、炎の塊が皇帝とアデレイドに向かって飛んで行った。
 目を開けていられぬほどの凄まじい爆風がホール内を襲った。
 その凄まじい爆発に、誰しもが皇帝と皇太后が玉座ごと吹き飛ぶかと思った。

「何っ…」

 静まり返ったホール内で言葉を発したのは皇帝だった。
 爆発したのは、玉座ではなく謁見の間の天井近くの壁だった。
 壁はその衝撃でガラガラと崩れた。

 サヤカの前に、黒衣の男が立っていた。
 その男がサヤカの腕を掴んでいたせいで、魔法の軌道が逸れたのだとわかった。

「な、何が起こったの?あの男は…?」

 その男はゆっくりと皇太后を振り向いた。
 それは白に近い金髪とアイスブルーの瞳を持つ美丈夫だった。

「仮面を着けていないが、あの服装は国際条約機構の調査員の一人だな」

 皇太后の問いに皇帝が答えた。
 確かにその男は漆黒に金の縁取りのある制服を着ていた。

 一番驚いていたのは、サヤカ本人だった。
 突然目の前に現れて、腕を掴まれたのだ。

「あ、あんた…、一体どこから…」
「俺のことを覚えているか?」
「…あ!あんた、サラと一緒に居たイケメン…」
「ここで魔法を使うのはやめておけ」
「何でよ…!私の邪魔をしないでよ!」
「仕方がない」

 暴れるサヤカの鳩尾に、彼は当て身を食らわせた。
 声もなく彼女は倒れ、その場に横たえられた。

「これは、殿下。意外なところでお会いしますね」

 彼に声を掛けたのはアイズマンだった。
 サヤカを無力化した男は、言うまでもなくガイアだった。

「機構がクーデターに手を貸すなんて聞いておらんぞ。本来なら調査団の到着を待って、この娘を連れ出す予定だったのではないのか?」
「少々事情が変わりましてね。それにしても、殿下はどうやってここへ来れたんです?外はディラン軍が包囲していたはず」
「今朝早く、アンゼルに到着した我がアレイス軍の精鋭が、既に外のディラン軍を制圧し無力化している」
「な…!」

 この言葉にショックを受けたのはエルマーだった。

「嘘だ!アレイス軍だと?そんなものがこの国にいるはずがない!」
「そうだとも。我が軍はそう容易く負けはせぬ」

 エルマーとディラン公爵の言葉には耳を貸さず、アイズマンは口を歪めて言った。

「なるほど、我々が調査団用の兵を貸して欲しいと申し出たことを利用したわけか。国際条約機構の調査団に偽装すれば容易く国境を越えられる。もしかしてこうなることを予想しておられたのかな?」
「情報源は確保している」
「どこかへ出かけていると聞いていましたが、そんな細工をしておられたとは、いやはや、恐れ入りました」

 アイズマンは両肩をすくめて言った。

「国際条約機構の調査団を偽装しただと…?貴様…、一体何者だ!?」

 エルマーの問い掛けに、ガイアは襟を正して玉座に視線を送った。

「俺はゼスティン侯爵ガイウス・ノイエ・アレイス。アレイス王国の第一王子だ」

 堂々と名乗るガイアを前に、皇帝と皇太后は身を乗り出した。

「アレイス王国のガイウス王子だと!?」
「アレイス王国の王子が一体何の用でここにいるというの?まさか…」

 皇太后の問いに、ガイアは眉をひそめた。

「あなたには今、俺に命を救われたという自覚がおありではないのか?」

 嫌味を込めたガイアの言葉に、皇帝はまだ何か言おうとしている母親を手で制した。

「余の命を救ってくれたことには礼を言おう。貴公がここへ来た目的は何だ?」
「俺の目的は二つ。一つは貴国が我が国の王都を襲撃したことへの謝罪と賠償だ。あなたにはその責任を果たしてもらうまで死なれては困るのでな。そしてもう一つは、サラを奪い返すことだ」
「何だと…!なぜサラを知っている?」
「キュリオス、この男はサラを奴隷にしていたのよ。あの子を取り戻しに来たに違いないわ」

 皇太后の言葉で皇帝はようやく事態を呑み込んだ。

「…そうか、わかったぞ。貴様がサラに青竜の涙を贈った男だな?」
「ああ、そうだ」
「フン、そのために国際条約機構の調査員だなどと偽り、我が国に潜入していたのか。姑息な手を使いおって」

 皇帝はガイアを足の先から頭の天辺まで舐めるように見た。
 これが、サラの好きな男か、と。

「国際条約機構を騙るなんて、卑怯な男。虚偽申告と不法侵入の罪で投獄し、国元へ身代金を要求してやるわよ」

 皇太后が毒づいたが、ガイアは相手にせず笑ってそれをやり過ごした。
 エルマーもディラン公爵らも驚きを隠せずにいた。
 周囲がざわつく中、ガイアは謁見の間の入口に目を移して片手を上げた。

「ウルリック」

 ガイアが呼び掛けたのは、そこから中に入ってくる彼の部下、ウルリックにだった。
 彼もまた仮面を着けていないが、ガイアと同じ黒衣の制服姿だった。
 ウルリックはエルマーの前を平然と横切り、ガイアの傍にやって来て報告した。

「ご命令通り、城内に残っていたディラン公の兵力すべてを無力化させました。残っているのはここにいる手勢のみです」
「うむ、ご苦労だったな」
「な…!」

 エルマーとディラン公爵は絶句した。

「そ、そんなはずはない。おまえ、確かめてこい」

 公爵の部下の兵士が確認のため、慌てて謁見の間を出て行った。
 アイズマンはアゼルスから耳打ちされ、首を振った。

「エルマーさん、今の話は本当のようです。どうやらあなた方の計画はここまでのようですねえ」

 するとディラン公爵は慌てた様子でエルマーを責め始めた。

「エルマー殿、話が違うではないか!勝算があるというから手を貸したのですぞ?」
「く…!まだだ…!キュリオスに一泡吹かせてやるまでは…」
「ほう?まだ何か計画がおありで?」

 唇を噛みしめるエルマーをアイズマンは不思議そうに見た。

「…来た!」

 そう言ってエルマーが見たのは、謁見の間の入口だった。
 そこに現れたのはサラを連れたウォルフだった。
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