1 / 1
最後の夏
しおりを挟む
公園の真ん中に立ったやぐら。聞き慣れた、曲名も知らない盆踊りの唄。赤い提灯と鮮やかな浴衣の波。熱気に眩暈がしそうだ。
前を行く陽平が「あっ」と飛び跳ねた。人垣の向こうを指差す。日に焼けた腕には光る腕輪がはまっていて、もう片方の手には輪投げの景品だったおもちゃの剣。頭にはキャラクターのお面までつけている。俺は中三にもなってそんなにはしゃぐ気にはなれなくて、陽平に押し付けられた水風船だけをぶら下げている。
「肇、焼きそば買って」
「なんでだよ。自分で買えよ」
「だってもう金ねえもん。ねえ、お願い」
男の上目遣いなんてかわいくない。かわいくないと思っているのに、結局財布を出してしまう。「肇様あざまーす」なんて拝む坊主頭を、腹立ち紛れに軽くはたいた。
学校ではなんとなく苗字で呼び合っているけれど、ふたりになると自然と名前呼びに戻る。理由なんてない。ただ幼馴染みだから、名前の方が呼び慣れているから。
人酔いして食欲がなくなっていたのに、長い列に並んでいるとなんとなく腹が減ってきた。陽平は最初隣で列に並んでいたが、いつの間にかふよふよと歩いていってしまった。じっとしているのが苦手なのだ。
買ってから見回すと、陽平は所属している野球チームが出している屋台の裏に、チームのメンバーとつるんでいた。ビニール袋に焼きそばのパックと割り箸を突っ込んで渡す。袋をのぞき込んだ陽平は、「食べかけかよ」と文句を言いながら、自然に野球チームの群れから離れ、ひとの少ない隅っこにしゃがみ込んだ。俺は隣に座って、ずるずると焼きそばをすする口元を眺めていた。
陽平の手首にビニール袋がかかっているのに気づく。水の中で、小さな金魚が二匹、ゆらゆら揺れていた。赤いのが一匹と、黒いのが一匹。いつの間に金魚すくいをしたのだろうか。
「金魚、飼うのかよ」
「どうしよっかな。肇、いる?」
「いらない」
「えー、じゃあ鈴木さんにあげよっかな。鈴木さん、家で魚飼ってるって言ってたよね。なあ、喜んでもらえると思う?」
「知らね」
にやける陽平の顔を見たくなくて、そっぽを向いた。中学で同じクラスの鈴木さんは、おっとりとした美人で、どこかお嬢様然としている。いかにも家にでっかい熱帯魚の水槽とか置いてそうな感じ。そんなお上品なお嬢様が、なぜ鈴木みたいな馬鹿とよくしゃべっているのか、俺にはわからない。犬っころみたいに可愛がられてるのかな。
焼きそばを食べ終わった陽平は、目の前に金魚を掲げてぼうっと見ている。
「これで最後かねえ」
陽平がつぶやく。何が、とは聞かない。
中三の夏休み。陽平は、野球の推薦で私立の高校に行くのだという。来年のこの時期は、今以上に野球で忙しくなっているはず。寮に入ったら、帰って来ることも叶わないかもしれない。「はじめくん」「ようへいくん」なんて舌足らずに呼び合っていたころから、毎年の恒例行事だった夏祭りには、来年は行かないのだろう。少なくとも、多分、陽平とふたりでは。
浴衣を着た高校生らしき女子の集団が、高い声でしゃべりながら通り過ぎる。反射のように陽平は彼女らを目で追っていて、そんな陽平を俺は見ている。陽平の手元で、二匹の金魚は静かに泳ぐ。
いつかこいつも、浴衣の女の子を連れて祭りに行くこともあるのだろうか。例えば鈴木さんとか。
そう思ったら、今すぐに陽平の腕を掴んで引きよせて、どこにも行けないようにしたくなる。でも同時に、俺が腹の中にそんな物騒な妄想を抱えているとはつゆ知らず、油断している陽平を、ただずっと友だちの近さで見ていたいとも思う。相反するふたつの気持ちは、俺の中で矛盾することなく共存し続ける。
だからいいのだ。俺がその手の中の金魚になりたいとか考えていることは、こいつは知らないままでいい。
前を行く陽平が「あっ」と飛び跳ねた。人垣の向こうを指差す。日に焼けた腕には光る腕輪がはまっていて、もう片方の手には輪投げの景品だったおもちゃの剣。頭にはキャラクターのお面までつけている。俺は中三にもなってそんなにはしゃぐ気にはなれなくて、陽平に押し付けられた水風船だけをぶら下げている。
「肇、焼きそば買って」
「なんでだよ。自分で買えよ」
「だってもう金ねえもん。ねえ、お願い」
男の上目遣いなんてかわいくない。かわいくないと思っているのに、結局財布を出してしまう。「肇様あざまーす」なんて拝む坊主頭を、腹立ち紛れに軽くはたいた。
学校ではなんとなく苗字で呼び合っているけれど、ふたりになると自然と名前呼びに戻る。理由なんてない。ただ幼馴染みだから、名前の方が呼び慣れているから。
人酔いして食欲がなくなっていたのに、長い列に並んでいるとなんとなく腹が減ってきた。陽平は最初隣で列に並んでいたが、いつの間にかふよふよと歩いていってしまった。じっとしているのが苦手なのだ。
買ってから見回すと、陽平は所属している野球チームが出している屋台の裏に、チームのメンバーとつるんでいた。ビニール袋に焼きそばのパックと割り箸を突っ込んで渡す。袋をのぞき込んだ陽平は、「食べかけかよ」と文句を言いながら、自然に野球チームの群れから離れ、ひとの少ない隅っこにしゃがみ込んだ。俺は隣に座って、ずるずると焼きそばをすする口元を眺めていた。
陽平の手首にビニール袋がかかっているのに気づく。水の中で、小さな金魚が二匹、ゆらゆら揺れていた。赤いのが一匹と、黒いのが一匹。いつの間に金魚すくいをしたのだろうか。
「金魚、飼うのかよ」
「どうしよっかな。肇、いる?」
「いらない」
「えー、じゃあ鈴木さんにあげよっかな。鈴木さん、家で魚飼ってるって言ってたよね。なあ、喜んでもらえると思う?」
「知らね」
にやける陽平の顔を見たくなくて、そっぽを向いた。中学で同じクラスの鈴木さんは、おっとりとした美人で、どこかお嬢様然としている。いかにも家にでっかい熱帯魚の水槽とか置いてそうな感じ。そんなお上品なお嬢様が、なぜ鈴木みたいな馬鹿とよくしゃべっているのか、俺にはわからない。犬っころみたいに可愛がられてるのかな。
焼きそばを食べ終わった陽平は、目の前に金魚を掲げてぼうっと見ている。
「これで最後かねえ」
陽平がつぶやく。何が、とは聞かない。
中三の夏休み。陽平は、野球の推薦で私立の高校に行くのだという。来年のこの時期は、今以上に野球で忙しくなっているはず。寮に入ったら、帰って来ることも叶わないかもしれない。「はじめくん」「ようへいくん」なんて舌足らずに呼び合っていたころから、毎年の恒例行事だった夏祭りには、来年は行かないのだろう。少なくとも、多分、陽平とふたりでは。
浴衣を着た高校生らしき女子の集団が、高い声でしゃべりながら通り過ぎる。反射のように陽平は彼女らを目で追っていて、そんな陽平を俺は見ている。陽平の手元で、二匹の金魚は静かに泳ぐ。
いつかこいつも、浴衣の女の子を連れて祭りに行くこともあるのだろうか。例えば鈴木さんとか。
そう思ったら、今すぐに陽平の腕を掴んで引きよせて、どこにも行けないようにしたくなる。でも同時に、俺が腹の中にそんな物騒な妄想を抱えているとはつゆ知らず、油断している陽平を、ただずっと友だちの近さで見ていたいとも思う。相反するふたつの気持ちは、俺の中で矛盾することなく共存し続ける。
だからいいのだ。俺がその手の中の金魚になりたいとか考えていることは、こいつは知らないままでいい。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
【完】君に届かない声
未希かずは(Miki)
BL
内気で友達の少ない高校生・花森眞琴は、優しくて完璧な幼なじみの長谷川匠海に密かな恋心を抱いていた。
ある日、匠海が誰かを「そばで守りたい」と話すのを耳にした眞琴。匠海の幸せのために身を引こうと、クラスの人気者・和馬に偽の恋人役を頼むが…。
すれ違う高校生二人の不器用な恋のお話です。
執着囲い込み☓健気。ハピエンです。
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
お兄ちゃんができた!!
くものらくえん
BL
ある日お兄ちゃんができた悠は、そのかっこよさに胸を撃ち抜かれた。
お兄ちゃんは律といい、悠を過剰にかわいがる。
「悠くんはえらい子だね。」
「よしよ〜し。悠くん、いい子いい子♡」
「ふふ、かわいいね。」
律のお兄ちゃんな甘さに逃げたり、逃げられなかったりするあまあま義兄弟ラブコメ♡
「お兄ちゃん以外、見ないでね…♡」
ヤンデレ一途兄 律×人見知り純粋弟 悠の純愛ヤンデレラブ。
僕は今日、謳う
ゆい
BL
紅葉と海を観に行きたいと、僕は彼に我儘を言った。
彼はこのクリスマスに彼女と結婚する。
彼との最後の思い出が欲しかったから。
彼は少し困り顔をしながらも、付き合ってくれた。
本当にありがとう。親友として、男として、一人の人間として、本当に愛しているよ。
終始セリフばかりです。
話中の曲は、globe 『Wanderin' Destiny』です。
名前が出てこない短編part4です。
誤字脱字がないか確認はしておりますが、ありましたら報告をいただけたら嬉しいです。
途中手直しついでに加筆もするかもです。
感想もお待ちしています。
片付けしていたら、昔懐かしの3.5㌅FDが出てきまして。内容を確認したら、若かりし頃の黒歴史が!
あらすじ自体は悪くはないと思ったので、大幅に修正して投稿しました。
私の黒歴史供養のために、お付き合いくださいませ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる