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第百六十一話 深い愛

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 ファニーが家に戻って来てから数日が経った。
 エルが色々と張り切ったお蔭でファニーは屋敷で過ごすのに過不足はまったくなかった。
 ファニーの隣の客間をエルにと言ったが、エルは使用人だからと断り、使用人達の部屋のある離れの一室をもらいそこを自室とした。

 エルはファニーと暮らしている間はこちらとは一切の連絡をとっていなかったので、いなかった間の知識や出来事、その他色々と把握する為に使用人達が集めた知識を吸収し、セドリック達とお互いに知識交換や記憶交換をしてこの屋敷での自分のすべき事などを把握していった。
 すぐにエルもこの屋敷に馴染んでいくだろう。

 そんなゆったりした日々の中、フォウがサイリールの元へ久々に帰ってきた。
 フォウは3年前から、山にいる時間が長くなり、屋敷にはたまにしか戻らなくなっていた。
 少し寂しかったが、フォウだってすでに大人なのだと優しく見守っていた。

 そんなフォウが何やらサイリールに頼みがあるらしい。
 フォウ専用のペンを咥え、フォウは紙に何かを書いていく。
 書き終えたそれを読んだサイリールはフォウに向けて笑みを零した。

「おめでとう、フォウ」

 サイリールのその言葉にフォウは照れたような仕草をしつつもクゥと鳴いて返事をした。
 紙に書かれていたのは、かつて屋敷に連れてきていたシーニーの事だった。
 あれからもずっと交流を続けていた二匹は遂に番となったようだった。
 本来なら生後1年が過ぎれば番になるものだが、二匹は随分時間をかけたようだ。
 そして、どうやらシーニーが妊娠したらしい。
 出産前後とその後1ヶ月は共に過ごせないから、彼女と子供をを守る為に自分と同じ首輪を作って欲しいと、そう訴えていた。
 読み終えたサイリールはフォウを見て、微笑みながら頷いた。

「いいよ、フォウ。君の大事な奥さんだもの。あちらに行って僕がつければいいかな?」

 サイリールの言葉にフォウは頷くと嬉しそうにクゥクゥと鳴いた。
 そうして、サイリールはフォウを肩にのせて、ゲートへ向かって歩いていった。
 途中アソートがいたので声をかけた所、満面の笑顔でフォウを祝福していたが、今日はサーシャとの約束があって一緒に行けないと残念がっていた。
 フォウはそんなアソートを慰めるかのようにクゥクゥと鳴いていた。

 アソートと別れてから、ゲートをくぐり、山へと着いた。
 彼ら、というよりはシーニーが待っているであろう山頂へ向けて移動する。
 それ程の距離はないのですぐに着いた。
 サイリールの肩から下りたフォウが一声クゥ!と鳴くと、穴の中からやや腹が膨れた一匹のリトーフォウが出てきた。
 胸元の銀色の毛に一房だけ茶色い毛が混じっている。

「やぁ、シーニー。おめでとう、久しぶりだね」

 サイリールの言葉にそのリトーフォウ、シーニーは嬉し気に目を細めると、クゥと鳴いた。
 サイリールはしゃがみ込むとシーニーの首にもフォウと同じ物をつけた。
 説明はいるか?とフォウとシーニーに尋ねたが、フォウがすでに何度も説明をしたようで、いらないとの事だった。
 フォウとシーニーはお互いの頬を相手にこすりつけ深い親愛を示していた。
 そんな中睦まじい二匹を見てサイリールはとてもほっこりとするのだった。


 その日はそのままフォウとシーニーと別れ、サイリールは屋敷に戻ってきていた。
 サーシャとの買い物を終えて屋敷に戻ってきたアソートがフォウ達の事が気になっていたらしくサイリールに詳細を尋ねてきた。
 サイリールはシーニーの腹が少し膨れていた事、二匹はとても中睦まじそうにしていた事などをアソートに語った。
 アソートは嬉しげにしていたが、本能によって出産前後とその1ヶ月、愛する相手と会えないのは辛いねと言った。

 人間と多くの時間を過ごしたフォウもそれはとても感じていて、本来であれば自分がそばにいれば危険から守ってあげられるのに、それが出来ない為、今回サイリールに頼み込んだのだ。
 本当であれば、仲間全員につけさせたい気持ちはあるのだ。
 この5年の間に、出産で山を下りたメスが戻って来なかった事があるからだ。
 初めてそれを知ったとき、フォウはかつての幼い頃の自分の記憶を瞬間的に思い出していた。
 母が目の前でかみ殺され、幼い自分の兄弟は踏み潰された。
 思い出した瞬間フォウは気絶するほどのショックを受けた。
 だけど、賢く聡明なフォウはサイリールにそこまでの負担をかけさせる事も、彼らの自然の摂理を自分の気持ちだけで覆すのもいけないと、自分の気持ちを押さえ込んだのだ。
 もしフォウが懇願すれば、サイリールはきっと全員の分を用意してくれただろう。
 だけどそれはいけない事で、ダメな事だと、フォウは思ったのだ。

 それでも、今回ばかりはそんなフォウの決意も吹き飛んだ。
 ひたすらにフォウを愛してくれたシーニー。
 4年間、発情期が来てもずっと耐えていてくれたシーニー。
 4年の間、発情期の時、フォウはこの屋敷に逃げ帰ってきていた。
 フォウはシーニーが自分を好きな素振りを見せない事に、きっとシーニーには好きなオスがいるのだと思い込んでいたのだ。
 だから、シーニーが発情期の時、そのオスと交尾しているのを見たくなくて、屋敷に逃げていた。
 いつもフォウと一緒にいて、他のオスといる事がなかったというのに、フォウは勝手にそう思い込んでいたのだ。
 ただ単に、自分に自信がなくて。

 そして、シーニーが妊娠していないのは、たまたま妊娠しなかったのだと、そう勝手に思い込んでいた。
 実際、メスは中々妊娠しない、毎年発情期は来るが、2~3年に1回妊娠するかどうかなのである。
 この屋敷に逃げ込んだフォウは良かったが、シーニーは周りが発情してる中、たった一匹でそれに耐えたのだ。
 誘ってくるオスを軒並み断って。それは、どれだけ辛かっただろうか。
 4年目の発情期を一人屋敷で過ごしたフォウが山へ戻った時、シーニーの母が訴えたのだ。
 シーニーは黙っててと言っていたが、耐えかねたシーニーの母がその事実をフォウに伝えた。
 発情期を耐えるというのはとても辛い事だった。
 フォウは一匹でいたし、子供達やサイリール達と過ごして気を紛らわす事が出来た。
 だけど、シーニーはそうではない。
 フォウは深く後悔した。なんとひどい事をしてしまったのかと。
 そしてどれだけシーニーが自分を深く深く愛してくれていたのかと。
 現実から目を逸らし、シーニーには好きなオスがいるんだと自分の情けなさから目を逸らし、どれだけ彼女を傷つけたのだろう。
 フォウはすぐにシーニーに会いに行った。

 発情期をたった一匹で耐え抜いたシーニーは、フォウの姿を見るといつも通りに嬉しそうにした。
 そんな姿を見たフォウは涙を流しながらシーニーに謝った。
 すまなかったと、一匹でどれだけ辛い思いをしていたのかと。
 シーニーは困った顔をしていたが、フォウに近寄ると自分の頬をフォウにこすりつけた。
 それは親愛を示す行為だった。
 そう、彼女はいつもそれをしていてくれた。
 なのにフォウはそれすらも考えないようにしていた。
 自分に自信がないから、シーニーには好きなオスがいるんだと勝手に思い込み、シーニーを一匹で耐えさせ、自分は逃げ回り、発情期が終わればノコノコと山へ戻ってシーニーと一緒にいた。
 彼女は何も言わず、ずっとそばにいてくれたのに。

 フォウはリトーフォウの特別な愛の示し方をした。
 所謂いわゆる発情期に行う求愛行動である。
 かつては自分よりも大きかったシーニーも、今ではフォウよりも少し小さい。
 オスの方が体が大きくなるからだ。
 フォウは彼女の首の下から自らの頭をくぐらせ、そして首の上まで回ると軽く首に噛み付いた。
 本来はそれでメスが受け入れれば大人しくそのまま噛まれているのだが、拒否する場合は激しく首を振ってガッと吼えるのだ。

 当然シーニーは発情期ではない、だけどその意味を理解した。
 シーニーは大人しく受け入れた。
 そして、嬉しくて嬉しくて、涙を流していた。
 それに気づいたフォウは噛み付くのをやめて、シーニーに顔をこすりつけシーニーに愛を伝えた。
 愛している、だけどずっと自信がなくて君に辛い思いをさせてしまったと。
 シーニーは涙を零しながらも首を振り、自分の気持ちを伝えなかった私が悪いのだと言った。
 その後二匹はこれまでの謝罪と、愛を確かめ合った。

 そして、今年、発情期の時期にフォウは屋敷に帰らなかった。
 フォウにとっても、シーニーにとっても初めての交尾となった。
 二匹は発情期の間何度も何度も愛の確認をした。
 そして、妊娠しにくいはずなのに、シーニーは見事妊娠したのだ。
 二匹は涙を流してそれを喜んだ。
 だけど、どうしても避けられない本能がある。
 せっかく愛を成し遂げたのに、そばで守っててあげられないのだ。
 だから、フォウは恥を承知の上でサイリールに頼んだのだ。
 サイリールは当然、笑顔でそれを受け入れた。
 そして今回のシーニーへの首輪をつける事に繋がったのである。

 サイリールが屋敷へと戻り、二匹きりになったフォウとシーニーは実際に首輪の機能を試す訓練をしはじめた。

 生まれてくる愛しいわが子と、愛するシーニーの安全を守るために。
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