10 / 213
宵と暁
好きな人と夏祭りに行ったら、白い蝶に何処かへ導かれました。
しおりを挟む「ねえ、食べる前に確かめない?すぐに戻れるか、わかんないけど」
私は空に光る一点のあの星だけを見つめながら、蓮くんに話しかけた。
「へ?」
蓮くんの声が少し遠くからしたから、そっちを見ると蓮くんが、名前は分からないけどジャガイモをぐるぐる巻きにして串に刺したやつを二本、左手に持ちながら右手でポケットに突っ込まれた財布をごそごそと触っていた。
「ごめん、もう買ってしもうたわ。こっちお前な。ほれ」
蓮くんが買ってくれたジャガイモは香ばしかった。蓮くんの褐色に焼けた腕みたい。蓮くんは昨日、花火大会の日にもう一つの扉が開くって言った。それは蓮くんの直感だろうか。それとも、蓮くんが小説の成瀬蓮と混ざり始めているのだろうか。
「もう一つの扉…どこにあるの?」
蓮くんの口の端にジャガイモのかけらがくっ付いている。
「わっかんねーな」
ジャガイモのかけらがひょこひょこと口の横で動く。
「だけどな、多分」
そう言って彼はジャガイモの串を口の中に入れたまま、右手でどこかを指さした。夜の闇の中に溶け込む大きな山。それをすぐ近くで開いた大きな花火の光がオレンジ色に照らした。
私は蓮くんの指さす先を見つめる。確かに、あの山にはいつも妙な違和感があった。あのふもとにある小さな神社、誰が管理しているのか分からないし、地元の誰もあそこに近づこうとしない。
「行ってみよっか?」
自分でも思ってもみなかった言葉が、口から出ていた。花火大会の喧騒の中で、私の声はかき消されそうだったけど、蓮くんはちゃんと聞いてくれていた。呆れたような顔。でも、笑ってる。私は頷いた。蓮くんは空になった串を近くのゴミ箱に突っ込んで、じゃあ行こか、と一言。
気づけば、二人で人の流れに逆らうようにして、公園の裏手の小道を進んでいた。空では、花火がぽんぽんと開いては散っていた。それはまるで、現実の世界が私たちを見送ってくれているみたいだった。次第に人の声が遠のき、周囲の音が虫の声と草のざわめきに変わっていく。
「蓮くん、こっちで合ってるの?」
「たぶん、な。」
彼はいつもの調子でそう言って、でもどこかいつもと違う顔で前を見据えていた。
ふと、視界の先に何かが揺れた。風もないのに、木の奥で白い何かが、ひらひらと舞っている。
私は立ち止まり、蓮くんの袖を掴んだ。
「見えた?」
「……ああ。見えた。」
あの星は、まだ空にあった。
「待って、あれ蝶々じゃんか。あんな真っ白なの初めて見たわ俺」
蓮くんは蝶々が逃げないように、そっと近づいた。蝶々はどんどん山の奥へと飛んでいく。蓮くんもそれについて奥へ行ってしまう。
「蓮くん、やめとこうよ今晩は。暗いし何がいるかわかんないよ。親も心配するといけないから、明日の朝にまた来よう?」
私の呼びかけに蓮くんは立ち止まった。蝶々は蓮くんと私の間を行ったり来たりしはじめた。
「今晩じゃなきゃいけないんだとしたら?」
私は初めて蓮くんのこんな顔を見た、声を聴いた。蓮くんの少し茶色がかった黒目が、私の全てを見抜いてしまいそうなくらいに鋭くて深い。蝶々がまた奥へ奥へと飛んでいく。
「ついて来いっていう意味だよきっと。行こう。死にはしない。」
蓮くんのその言葉が、小説の蓮が宮司に説得する場面と重なった。
私は、足がすくんだまま立ち尽くしていた。
暗がりの山道、草の匂い、土の湿った匂い。そこに、蓮くんの言葉が混じる。
死にはしない。
たったそれだけで、私の心にあった怖さが、少しだけ薄れた。
「…分かった。でも、絶対、手離さないでよ。」
蓮くんがまた私に手を差し出す。今度はさっきみたいなやわらかさではなくて、しっかりと私を引き寄せるような強さだった。私はその手を握り返した。白い蝶は、私たちを見ながら、ゆっくりと舞い進んでいく。道案内をしてくれているみたいに。
途中、地面に古びた鳥居のような形をした木の枠が、斜めに倒れていた。そこをくぐると、空気が急に変わった。気温が少し下がって、肌に触れる風が冷たく感じる。
「なあ、佳奈美……」
蓮くんの声が、少し震えていた。
「虫の声が……消えた。」
気づけば、あんなににぎやかだった虫の音が、どこにもなかった。代わりに、遠くから水のせせらぎのような音がかすかに聞こえる。その音の方へ向かって、白い蝶も飛んでいった。もう戻れないのかもしれない。だけど、不思議と怖くなかった。蓮くんと手をつないでいる限りは。――そして、私たちは、音のする方へと、一歩また一歩と歩いていった。
暗い。寒い。冷たい。帰りたい。
夜の山の中は全てが寝静まっている。一人の男と一人の女、一匹の蝶々の息遣いだけが山の中を響いている。山道のあちこちに水たまりがあった。ここ最近雨なんて降っていなかったのに。サンダルの穴から氷水みたいな雨水が入ってきて私の足指を一本ずつ凍らせていく感覚を覚える。今まで私を力強く引っ張ってきてくれた蓮くんが突然止まった。サンダルのつま先が濡れた土に食い込む。蓮くんの大きな背中で前が見えない。
「どうしたの?」
蓮くんの脇腹あたりから顔を覗かせると、蓮くんよりも大きな、空に届きそうな石碑が立っていた。
石碑は高く空に伸びていた。私たちはいつの間にか山頂まで来ていたんだ。 石碑は半径3メートルくらいの円い池の真ん中に立っていた。池は不思議なくらいに青く澄んでいた。
「佳奈美、さっき俺らが見た蝶々だ。」
久しぶりに蓮くんの声を聴いた気がする。蓮くんは石碑の高い所を見つめてる。石碑の一番上のところに、真っ白な蝶々の姿が彫られていた。蝶々がこのまま空の彼方へと飛んで行ってしまいそうに見えた。
「……この場所、なんなんやろな。」
蓮くんがつぶやく。私たちは自然と口を閉じて、石碑の周りの池を見つめた。風もないのに、水面がかすかに揺れている。何かが、呼吸しているみたいに。
「佳奈美、ちょっと池、覗いてみ?」
蓮くんに言われて、私は慎重に池の縁まで歩いていった。サンダルがじゅくじゅくと濡れた音を立てる。池の水は底が見えないくらい深くて、だけど青く澄んでいた。私は体をかがめて、水面を覗き込んだ。
……そこに映っていたのは、私の顔じゃなかった。髪が長くて、少し年下に見える女の子。だけど、目だけが私と同じだった。
「蓮くん……誰かいる。私じゃない誰かが、映ってる。」
蓮くんも池を覗き込む。彼の顔にも緊張が走る。
「……それ、成瀬蓮の小説に出てきた女の子やないか?」
私は思い出す。蓮の小説に出てきた、もう一つの世界で蓮と一緒にいた女の子。名前は――「圭吾」。
池の水面が急に波打ち、真ん中の石碑の蝶の彫刻がほのかに光りはじめた。
白い蝶が、その石碑からふわりと離れ、宙に舞い上がる。その蝶が飛び去った先には、光の粒が集まって、一つの扉のような形を作りはじめていた。私は、息を呑んだ。
これが――もう一つの扉?
2
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
