50 / 91
第4章第12節 教皇の罠と聖女の逆鱗
しおりを挟む
教皇の言葉が、レンの脳内で反響していた。
「……エリナを、『殺す』のだ」
レンの思考は完全に停止した。
大聖堂の重苦しい静寂が、耳をつんざくような轟音となって、彼の脳内を駆け巡った。
冷たい石畳の床から、底冷えするような冷気が足元を這い上がり、背筋を駆け抜けていく。心臓が早鐘のように打ち鳴らされ、その音が自分の耳にドクドクと響く。
(……は? ……殺す? ……誰を? ……エリナを? ……俺が?)
レンの視線が、無意識のうちに泳いだ。
彼の喉仏が、ゴクリと乾いた音を立てて上下した。
額から冷や汗が滲み出し、それがこめかみを伝って頬に落ちる感覚が、嫌にはっきりと感じられた。
教皇は、そんなレンの動揺を楽しむように、ゆっくりとレンの周りを歩き始めた。彼の足音が、静寂な大聖堂にコツコツと響く。
「……驚いたかね? 賢者よ」
教皇の声は、相変わらず穏やかで、まるで孫に昔話でも聞かせるような口調だった。だが、その言葉の内容は、国家反逆罪どころではない、神への冒涜そのものだった。
「……猊下。……それは、冗談にしては……」
レンが、やっとの思いで声を絞り出した。声が震えて、うまく言葉にならない。
「……冗談?」
教皇が立ち止まり、レンを振り返った。
その瞳には、底知れない闇が渦を巻いていた。
「……私は、至って真剣だよ。……お主も見たであろう? ……あのエリナの、『力』を」
教皇が、祭壇の蝋燭の炎を見つめながら言った。
「……ガイウスと、その部下たち数十人。……彼らは、エリナのたった一撃で、塵となって消えた。……あの力は、もはや人の手には負えん。……神の領域の力だ」
レンの脳裏に、昨日の惨状がフラッシュバックした。
圧倒的な魔力の奔流。宙を舞う審問官たち。そして、黒い炎に包まれて断末魔の叫びを上げるガイウス。
あの光景は、レンの心に深いトラウマとして刻み込まれていた。
「……あれは、神の愛ではない。……『業火』だ」
教皇が、低い声で呟いた。
「……エリナは、自分の感情を制御できていない。……特に、お主への執着が絡むと、彼女は理性を失う。……このままでは、遠からず、この国は彼女の『愛』によって焼き尽くされるだろう」
教皇の言葉には、否定しがたい説得力があった。レン自身、エリナの狂気を肌で感じているからだ。
「……だからこそ、お主が必要なのだ、賢者よ」
教皇が、再びレンに歩み寄ってきた。
「……エリナは、お主にだけは心を許している。……お主の言葉なら、彼女は聞く。……そして、お主になら、彼女は隙を見せる」
教皇は、懐から小さな短剣を取り出した。
柄には、教会の聖印が刻まれ、刃は奇妙なほど白く、冷たい輝きを放っていた。
「……これは、『聖別の短剣』。……いかなる魔力障壁をも貫き、対象の命を奪う、神の武器だ」
教皇が、短剣をレンに差し出した。
「……これを、お主に授ける。……機会を見て、これでエリナの心臓を貫け」
レンは、差し出された短剣を、呆然と見つめていた。
(……これ、マジなやつじゃん。……本気で、俺にエリナを殺させようとしてる……)
レンの心臓が、破裂しそうなほど激しく鼓動していた。
胃痛が、最高潮に達し、吐き気がこみ上げてくる。
(……無理だろ! ……絶対に無理! ……まず、俺にはそんな度胸ないし! ……それに、もし失敗したら? ……エリナに殺される! ……いや、成功したとしても、その後はどうなる? ……聖女殺しの罪で、結局処刑されるんじゃないのか?)
レンの頭の中で、最悪のシミュレーションが高速で駆け巡った。
どちらに転んでも、破滅しかない未来。
「……もし、断ったら?」
レンが、震える声で尋ねた。
教皇が、ニヤリと笑った。
「……断れば、お主を『異端者』として、この場で処刑する。……ガイウス殺害の首謀者としてな」
(……やっぱりかよ! ……完全に詰んでるじゃん!)
レンは、心の中で絶叫した。
これは「取引」ではない。問答無用の「脅迫」だ。
レンは、追い詰められた鼠のように、周囲を見渡した。
大聖堂の出口は遠く、周囲には武装した神殿騎士たちが、無言で控えている。逃げ場はない。
(……どうする? ……どうすれば生き残れる? ……ハッタリ? ……いや、このジジイには通じない。……観察眼? ……相手の心は読めても、状況を覆す力はない。……暗示? ……こんな状況で、かけられるわけがない)
レンの思考が、袋小路に入り込んだ。
万策尽きた。
その時だった。
大聖堂の重い扉が、ドォォォンッ!! という轟音とともに、内側から吹き飛んだ。
「……誰が、誰を殺すですって?」
粉塵が舞う中から現れたのは、純白の修道服に身を包み、黒い魔力のオーラを纏った、聖女エリナだった。
彼女の背後には、吹き飛ばされた神殿騎士たちが、床に転がっている。
「……エリナ!?」
レンが、驚愕の声を上げた。
「……どうして、ここへ?」
エリナは、レンの問いには答えず、ゆっくりと教皇の方へ歩み寄った。
彼女の瞳は、漆黒の闇に染まり、その奥底で、紅蓮の炎が揺らめいている。
「……おじい様」
エリナの声は、地獄の底から響いてくるような、絶対的な冷たさを持っていた。
「……私のレン様に、何を吹き込んだのかしら?」
教皇の顔から、初めて余裕の色が消えた。彼は、エリナの予想外の登場に、明らかに動揺していた。
「……エリナ。……これは、国のために必要なことなのだ」
教皇が、苦しい言い訳を口にした。
「……国? ……そんなもの、どうでもいいわ」
エリナが、一蹴した。
「……貴方は、私の大切なレン様を傷つけようとした。……そして、私から奪おうとした。……その罪は、万死に値しますわ」
エリナの体から、膨大な魔力が放出された。
大聖堂の空気が、重く、冷たく淀み始める。数百本の蝋燭の炎が、一斉に消え失せた。
月光だけが照らす薄暗い空間で、エリナの纏う黒いオーラだけが、不気味に輝いている。
「……エリナ! ……やめなさい!」
教皇が、叫んだ。
「……お主は、自分が何をしているのか分かっているのか! ……これは、神への反逆だぞ!」
「……神?」
エリナが、鼻で笑った。
「……私の神は、レン様だけですわ」
(……うわぁ。……言っちゃったよ。……完全にアウトな発言きたこれ)
レンは、エリナの狂信的な言葉に、戦慄した。
彼女は、本気でレンを「神」として崇拝しているのだ。
エリナが、右手をゆっくりと持ち上げた。
その手のひらに、黒い炎の球体が生成された。それは、ガイウスを焼き尽くした、あの「業火」だった。
「……さようなら、おじい様。……レン様の敵は、全て排除します」
エリナが、炎の球体を教皇に向けて放とうとした。
「……待てッ! ……エリナ!」
レンが、叫んだ。
(……ここで教皇が死んだら、マジでこの国終わる! ……内戦確定だ! ……そうなったら、俺も巻き添えで死ぬ!)
レンは、必死の思いで、エリナと教皇の間に割って入った。
「……レン様! ……どいてください! ……そいつは、貴方を殺そうとしたのです!」
エリナが、叫んだ。
「……違うんだ、エリナ! ……教皇猊下は、僕を試しただけなんだ!」
レンは、咄嗟に嘘をついた。
「……僕が、君をどれだけ愛しているか。……そして、君が、僕をどれだけ愛しているか。……それを、確かめようとしただけなんだよ!」
これは、苦し紛れのハッタリだった。だが、今のエリナには、論理的な説得は通じない。彼女の「愛(執着)」に訴えかけるしかなかった。
「……試した? ……私たちの愛を?」
エリナの動きが止まった。彼女の瞳の中の炎が、少しだけ揺らいだ。
「……そうだよ。……猊下は、僕たちの絆が本物かどうか、心配してくださったんだ」
レンは、ここぞとばかりに畳みかけた。
彼は、エリナに歩み寄り、そっと(鎖ごしに)彼女の手を取った。
「……エリナ。……君が来てくれて、僕は本当に嬉しかった。……君の愛が、僕を救ってくれたんだ」
レンは、エリナの目を真っ直ぐに見つめ、最も効果的な「暗示」の言葉を囁いた。
「……愛しているよ、エリナ。……僕の、唯一の女神」
その言葉は、エリナの心の琴線に、劇的な効果をもたらした。
彼女の手から、黒い炎が消え失せた。彼女の体から立ち上っていたオーラも、霧散するように消えていく。
彼女の瞳から、狂気が消え、代わりに、陶酔と恍惚の色が浮かんだ。
「……まぁ! ……レン様……!」
エリナが、感激したようにレンに抱きついた。
「……嬉しいですわ! ……ええ、そうですわね! ……私たちの愛は、誰にも疑わせませんものね!」
(……ちょ、苦しい! ……抱きつく力が強すぎるって! ……また肋骨が!)
レンは、エリナの過剰な愛情表現に圧死しかけながらも、なんとかその場を収めることに成功した。
教皇は、その光景を、呆然と見つめていた。
彼は、レンがたった数言の言葉で、暴走寸前のエリナを鎮めたことに、驚愕していた。
(……まさか。……あの男、本当にエリナを「支配」しているのか……?)
教皇のレンに対する評価が、また一つ、誤った方向に更新された。
「……さあ、レン様。……帰りましょう。……ここは空気が悪いですわ」
エリナが、すっかり機嫌を直して、レンの手を引いた。
「……あ、ああ。……そうだね」
レンは、引きつった笑顔で頷いた。
彼は、去り際に一度だけ振り返り、教皇と視線を合わせた。
教皇の目は、まだ驚きと、新たな警戒の色を帯びていた。
レンは、心の中で深くため息をついた。
(……なんとか、最悪の事態は回避できたけど……。……これで、教皇とも完全に敵対しちゃったな。……しかも、エリナの「愛」は、さらに重くなった気がする……)
大聖堂を後にするレンの足取りは、鉛のように重かった。
彼の胃痛は、もはや慢性的なものとなり、彼は、自分の未来が、完全に「詰んでいる」ことを確信したのだった。
「……エリナを、『殺す』のだ」
レンの思考は完全に停止した。
大聖堂の重苦しい静寂が、耳をつんざくような轟音となって、彼の脳内を駆け巡った。
冷たい石畳の床から、底冷えするような冷気が足元を這い上がり、背筋を駆け抜けていく。心臓が早鐘のように打ち鳴らされ、その音が自分の耳にドクドクと響く。
(……は? ……殺す? ……誰を? ……エリナを? ……俺が?)
レンの視線が、無意識のうちに泳いだ。
彼の喉仏が、ゴクリと乾いた音を立てて上下した。
額から冷や汗が滲み出し、それがこめかみを伝って頬に落ちる感覚が、嫌にはっきりと感じられた。
教皇は、そんなレンの動揺を楽しむように、ゆっくりとレンの周りを歩き始めた。彼の足音が、静寂な大聖堂にコツコツと響く。
「……驚いたかね? 賢者よ」
教皇の声は、相変わらず穏やかで、まるで孫に昔話でも聞かせるような口調だった。だが、その言葉の内容は、国家反逆罪どころではない、神への冒涜そのものだった。
「……猊下。……それは、冗談にしては……」
レンが、やっとの思いで声を絞り出した。声が震えて、うまく言葉にならない。
「……冗談?」
教皇が立ち止まり、レンを振り返った。
その瞳には、底知れない闇が渦を巻いていた。
「……私は、至って真剣だよ。……お主も見たであろう? ……あのエリナの、『力』を」
教皇が、祭壇の蝋燭の炎を見つめながら言った。
「……ガイウスと、その部下たち数十人。……彼らは、エリナのたった一撃で、塵となって消えた。……あの力は、もはや人の手には負えん。……神の領域の力だ」
レンの脳裏に、昨日の惨状がフラッシュバックした。
圧倒的な魔力の奔流。宙を舞う審問官たち。そして、黒い炎に包まれて断末魔の叫びを上げるガイウス。
あの光景は、レンの心に深いトラウマとして刻み込まれていた。
「……あれは、神の愛ではない。……『業火』だ」
教皇が、低い声で呟いた。
「……エリナは、自分の感情を制御できていない。……特に、お主への執着が絡むと、彼女は理性を失う。……このままでは、遠からず、この国は彼女の『愛』によって焼き尽くされるだろう」
教皇の言葉には、否定しがたい説得力があった。レン自身、エリナの狂気を肌で感じているからだ。
「……だからこそ、お主が必要なのだ、賢者よ」
教皇が、再びレンに歩み寄ってきた。
「……エリナは、お主にだけは心を許している。……お主の言葉なら、彼女は聞く。……そして、お主になら、彼女は隙を見せる」
教皇は、懐から小さな短剣を取り出した。
柄には、教会の聖印が刻まれ、刃は奇妙なほど白く、冷たい輝きを放っていた。
「……これは、『聖別の短剣』。……いかなる魔力障壁をも貫き、対象の命を奪う、神の武器だ」
教皇が、短剣をレンに差し出した。
「……これを、お主に授ける。……機会を見て、これでエリナの心臓を貫け」
レンは、差し出された短剣を、呆然と見つめていた。
(……これ、マジなやつじゃん。……本気で、俺にエリナを殺させようとしてる……)
レンの心臓が、破裂しそうなほど激しく鼓動していた。
胃痛が、最高潮に達し、吐き気がこみ上げてくる。
(……無理だろ! ……絶対に無理! ……まず、俺にはそんな度胸ないし! ……それに、もし失敗したら? ……エリナに殺される! ……いや、成功したとしても、その後はどうなる? ……聖女殺しの罪で、結局処刑されるんじゃないのか?)
レンの頭の中で、最悪のシミュレーションが高速で駆け巡った。
どちらに転んでも、破滅しかない未来。
「……もし、断ったら?」
レンが、震える声で尋ねた。
教皇が、ニヤリと笑った。
「……断れば、お主を『異端者』として、この場で処刑する。……ガイウス殺害の首謀者としてな」
(……やっぱりかよ! ……完全に詰んでるじゃん!)
レンは、心の中で絶叫した。
これは「取引」ではない。問答無用の「脅迫」だ。
レンは、追い詰められた鼠のように、周囲を見渡した。
大聖堂の出口は遠く、周囲には武装した神殿騎士たちが、無言で控えている。逃げ場はない。
(……どうする? ……どうすれば生き残れる? ……ハッタリ? ……いや、このジジイには通じない。……観察眼? ……相手の心は読めても、状況を覆す力はない。……暗示? ……こんな状況で、かけられるわけがない)
レンの思考が、袋小路に入り込んだ。
万策尽きた。
その時だった。
大聖堂の重い扉が、ドォォォンッ!! という轟音とともに、内側から吹き飛んだ。
「……誰が、誰を殺すですって?」
粉塵が舞う中から現れたのは、純白の修道服に身を包み、黒い魔力のオーラを纏った、聖女エリナだった。
彼女の背後には、吹き飛ばされた神殿騎士たちが、床に転がっている。
「……エリナ!?」
レンが、驚愕の声を上げた。
「……どうして、ここへ?」
エリナは、レンの問いには答えず、ゆっくりと教皇の方へ歩み寄った。
彼女の瞳は、漆黒の闇に染まり、その奥底で、紅蓮の炎が揺らめいている。
「……おじい様」
エリナの声は、地獄の底から響いてくるような、絶対的な冷たさを持っていた。
「……私のレン様に、何を吹き込んだのかしら?」
教皇の顔から、初めて余裕の色が消えた。彼は、エリナの予想外の登場に、明らかに動揺していた。
「……エリナ。……これは、国のために必要なことなのだ」
教皇が、苦しい言い訳を口にした。
「……国? ……そんなもの、どうでもいいわ」
エリナが、一蹴した。
「……貴方は、私の大切なレン様を傷つけようとした。……そして、私から奪おうとした。……その罪は、万死に値しますわ」
エリナの体から、膨大な魔力が放出された。
大聖堂の空気が、重く、冷たく淀み始める。数百本の蝋燭の炎が、一斉に消え失せた。
月光だけが照らす薄暗い空間で、エリナの纏う黒いオーラだけが、不気味に輝いている。
「……エリナ! ……やめなさい!」
教皇が、叫んだ。
「……お主は、自分が何をしているのか分かっているのか! ……これは、神への反逆だぞ!」
「……神?」
エリナが、鼻で笑った。
「……私の神は、レン様だけですわ」
(……うわぁ。……言っちゃったよ。……完全にアウトな発言きたこれ)
レンは、エリナの狂信的な言葉に、戦慄した。
彼女は、本気でレンを「神」として崇拝しているのだ。
エリナが、右手をゆっくりと持ち上げた。
その手のひらに、黒い炎の球体が生成された。それは、ガイウスを焼き尽くした、あの「業火」だった。
「……さようなら、おじい様。……レン様の敵は、全て排除します」
エリナが、炎の球体を教皇に向けて放とうとした。
「……待てッ! ……エリナ!」
レンが、叫んだ。
(……ここで教皇が死んだら、マジでこの国終わる! ……内戦確定だ! ……そうなったら、俺も巻き添えで死ぬ!)
レンは、必死の思いで、エリナと教皇の間に割って入った。
「……レン様! ……どいてください! ……そいつは、貴方を殺そうとしたのです!」
エリナが、叫んだ。
「……違うんだ、エリナ! ……教皇猊下は、僕を試しただけなんだ!」
レンは、咄嗟に嘘をついた。
「……僕が、君をどれだけ愛しているか。……そして、君が、僕をどれだけ愛しているか。……それを、確かめようとしただけなんだよ!」
これは、苦し紛れのハッタリだった。だが、今のエリナには、論理的な説得は通じない。彼女の「愛(執着)」に訴えかけるしかなかった。
「……試した? ……私たちの愛を?」
エリナの動きが止まった。彼女の瞳の中の炎が、少しだけ揺らいだ。
「……そうだよ。……猊下は、僕たちの絆が本物かどうか、心配してくださったんだ」
レンは、ここぞとばかりに畳みかけた。
彼は、エリナに歩み寄り、そっと(鎖ごしに)彼女の手を取った。
「……エリナ。……君が来てくれて、僕は本当に嬉しかった。……君の愛が、僕を救ってくれたんだ」
レンは、エリナの目を真っ直ぐに見つめ、最も効果的な「暗示」の言葉を囁いた。
「……愛しているよ、エリナ。……僕の、唯一の女神」
その言葉は、エリナの心の琴線に、劇的な効果をもたらした。
彼女の手から、黒い炎が消え失せた。彼女の体から立ち上っていたオーラも、霧散するように消えていく。
彼女の瞳から、狂気が消え、代わりに、陶酔と恍惚の色が浮かんだ。
「……まぁ! ……レン様……!」
エリナが、感激したようにレンに抱きついた。
「……嬉しいですわ! ……ええ、そうですわね! ……私たちの愛は、誰にも疑わせませんものね!」
(……ちょ、苦しい! ……抱きつく力が強すぎるって! ……また肋骨が!)
レンは、エリナの過剰な愛情表現に圧死しかけながらも、なんとかその場を収めることに成功した。
教皇は、その光景を、呆然と見つめていた。
彼は、レンがたった数言の言葉で、暴走寸前のエリナを鎮めたことに、驚愕していた。
(……まさか。……あの男、本当にエリナを「支配」しているのか……?)
教皇のレンに対する評価が、また一つ、誤った方向に更新された。
「……さあ、レン様。……帰りましょう。……ここは空気が悪いですわ」
エリナが、すっかり機嫌を直して、レンの手を引いた。
「……あ、ああ。……そうだね」
レンは、引きつった笑顔で頷いた。
彼は、去り際に一度だけ振り返り、教皇と視線を合わせた。
教皇の目は、まだ驚きと、新たな警戒の色を帯びていた。
レンは、心の中で深くため息をついた。
(……なんとか、最悪の事態は回避できたけど……。……これで、教皇とも完全に敵対しちゃったな。……しかも、エリナの「愛」は、さらに重くなった気がする……)
大聖堂を後にするレンの足取りは、鉛のように重かった。
彼の胃痛は、もはや慢性的なものとなり、彼は、自分の未来が、完全に「詰んでいる」ことを確信したのだった。
0
あなたにおすすめの小説
クラス全員が転生して俺と彼女だけが残された件
兵藤晴佳
ファンタジー
冬休みを目前にした田舎の高校に転校してきた美少女・綾見(あやみ)沙羅(さら)は、実は異世界から転生したお姫様だった!
異世界転生アプリでクラス全員をスマホの向こうに送り込もうとするが、ただひとり、抵抗した者がいた。
平凡に、平穏に暮らしたいだけの優等生、八十島(やそしま)栄(さかえ)。
そんな栄に惚れ込んだ沙羅は、クラス全員の魂を賭けた勝負を挑んでくる。
モブを操って転生メンバーを帰還に向けて誘導してみせろというのだ。
失敗すれば、品行方正な魂の抜け殻だけが現実世界に残される。
勝負を受ける栄だったが、沙羅は他クラスの男子の注目と、女子の嫉妬の的になる。
気になる沙羅を男子の誘惑と女子の攻撃から守り抜き、クラスの仲間を連れ戻せるか、栄!
魔力0の貴族次男に転生しましたが、気功スキルで補った魔力で強い魔法を使い無双します
burazu
ファンタジー
事故で命を落とした青年はジュン・ラオールという貴族の次男として生まれ変わるが魔力0という鑑定を受け次男であるにもかかわらず継承権最下位へと降格してしまう。事実上継承権を失ったジュンは騎士団長メイルより剣の指導を受け、剣に気を込める気功スキルを学ぶ。
その気功スキルの才能が開花し、自然界より魔力を吸収し強力な魔法のような力を次から次へと使用し父達を驚愕させる。
趣味で人助けをしていたギルマス、気付いたら愛の重い最強メンバーに囲まれていた
歩く魚
ファンタジー
働きたくない元社畜、異世界で見つけた最適解は――「助成金で生きる」ことだった。
剣と魔法の世界に転生したシンは、冒険者として下積みを積み、ついに夢を叶える。
それは、国家公認の助成金付き制度――ギルド経営によって、働かずに暮らすこと。
そして、その傍で自らの歪んだ性癖を満たすため、誰に頼まれたわけでもない人助けを続けていたがーー
「ご命令と解釈しました、シン様」
「……あなたの命、私に預けてくれるんでしょ?」
次第にギルドには、主人公に執着するメンバーたちが集まり始め、気がつけばギルドは、愛の重い最強集団になっていた。
筑豊国伝奇~転生した和風世界で国造り~
九尾の猫
ファンタジー
亡くなった祖父の後を継いで、半農半猟の生活を送る主人公。
ある日の事故がきっかけで、違う世界に転生する。
そこは中世日本の面影が色濃い和風世界。
しかも精霊の力に満たされた異世界。
さて…主人公の人生はどうなることやら。
俺のスキルが回復魔『法』じゃなくて、回復魔『王』なんですけど?
八神 凪
ファンタジー
ある日、バイト帰りに熱血アニソンを熱唱しながら赤信号を渡り、案の定あっけなくダンプに轢かれて死んだ
『壽命 懸(じゅみょう かける)』
しかし例によって、彼の求める異世界への扉を開くことになる。
だが、女神アウロラの陰謀(という名の嫌がらせ)により、異端な「回復魔王」となって……。
異世界ペンデュース。そこで彼を待ち受ける運命とは?
近未来の魔法世界に転生して最強ハーレムを作る
こうたろ
ファンタジー
トラックの直撃で死亡。「君は選ばれた。異世界へ行く資格を得たのだ」とか言われてとりあえず転生させられたクルト。公爵家だけど四男だし魔術があるけど魔力量判定Eでほぼほぼ使い物にならないし……魔物1体倒すのも一苦労。俺の転生後生活、大丈夫か?
勝手にダンジョンを創られ魔法のある生活が始まりました
久遠 れんり
ファンタジー
別の世界からの侵略を機に地球にばらまかれた魔素、元々なかった魔素の影響を受け徐々に人間は進化をする。
魔法が使えるようになった人類。
侵略者の想像を超え人類は魔改造されていく。
カクヨム公開中。
死神と恐れられた俺、転生したら平和な時代だったので自由気ままな人生を享受する
オカさん
ファンタジー
たった一人で敵軍を殲滅し、『死神』と恐れられた男は人生に絶望して自ら命を絶つ。
しかし目を覚ますと500年後の世界に転生していた。
前世と違う生き方を求めた彼は人の為、世の為に生きようと心を入れ替えて第二の人生を歩み始める。
家族の温かさに触れ、学園で友人を作り、世界に仇成す悪の組織に立ち向かって――――慌ただしくも、充実した日々を送っていた。
しかし逃れられたと思っていたはずの過去は長い時を経て再び彼を絶望の淵に追いやった。
だが今度こそは『己の過去』と向き合い、答えを導き出さなければならない。
後悔を糧に死神の新たな人生が幕を開ける!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる