冬の窓辺に鳥は囀り

ぱんちゃん

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tapestries. なんとも頭の痛いこと

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「まず、俺とクレメンス司祭で話をするから。」

訪ねてきた黒の騎士が、私の部屋の前でセレスにそう言って、その肩を優しく撫でる。
セレスは、頬が紅潮している割には、不安そうな目をしていた。
私はいささか訝しみ、その表情をじっと見る。

「自室で待っていてもいいよ。話をするなら後でまたここに来たらいい。」

私の言葉に僅かに頷き、見上げてくるその顔を廊下に残して、私は扉をゆっくりと締める。



招き入れた執務室で、いつものようにお茶を入れようとして制された。
目の前の青年騎士の強張る顔に、私はまじまじと見入ってしまう。

人との距離をとるのが上手く、生真面目な割にフランクなこの青年が、見たこともない程に緊張している。

私はその珍しさに、思わず興味をひかれてしまった。
次に訪ねてくることがあったら、嫌味の一つでも言ってやろうと思っていた。
返答によっては、線を引くことも辞さないつもりでいたというのに。



「急に訪ねてきたことを、まず謝罪させてください。」
「セレスを送って来たのでしょう?」
「それもあります。けれど今日は、ご相談したくて来たのです。」

日を改めた方が良いかと問うてくる、彼のグレーの瞳は澄んでいて、生来の真面目さが透けて見える。
私はちらりと、チェストの上の刻時器に目をやる。

「いいでしょう。お話をお聞きします。」

私の返事にすっと背を伸ばして姿勢を正すと、年若い騎士は真剣な顔で口を開いた。

「セレスに、婚儀を申し込むつもりです。」




私は、思わず目の前の若造をじっと見る。
その表情は酷く真摯で、冗談を言っている雰囲気は露ほどもない。
ドアの外の気配に意識を集中させると、何やら落ち着きなくそわそわしている。
深呼吸を繰り返し、「ちゃんと考えなきゃ。」という呟きには、高揚と戒めの響きがある。

これはもう、申し込むというよりも、すでに何らかの取り交わしをしたとみえる。

私は内心、溜息を吐く。

「それは、いつ?」
「建国祭の翌日に行われるトゥルネイに参加します。」
「勝つとは限らないでしょう。」
「いえ、勝ちます。俺たちは四団なので。」

私の皮肉など意にも介さず、まるで勝つことが決定しているような口ぶりだ。
逆上するでもなく、嘲笑するでもなく。ただ、当たり前のことを言うように、その口調は静かだった。

私は、今度こそ溜息を吐く。



王城の人間が、コルスの子供たちに熱を上げることは、実は割とある事だ。
愛玩の対象として見ているような輩なら、圧力をかけて距離をとらせることもできる。
そもそも昔と違って、良識ある大人たちは囲おうなどというゲスな考えには及ばない。
そう。そんな考えは恥ずべき事という風潮を、私達が必死で作ってきたのだ。
それこそ、血の滲む思いをして。
コルスの子供達が『神の恩寵を受けた者』と、認識されるように。

厄介なのは、それが色恋だった場合だ。
特に面倒なのは、相手が年若い者の時。
自制できず、こちらの立場に思いが至らない。
愛だの恋だのが教義になっているから、なお質が悪い。

私は、目の前の青年を見る。
真面目な顔と姿勢を崩さず、真っすぐに私を見てくる。

遅かれ早かれ、こうなるだろうことは目に見えていた。
お互いが惹かれ合っているのは一目瞭然だったのだから。

歌ばかりに傾倒していたあの頃のセレスを思えば、見違える様な変化だ。
それは、私にとっても喜ばしいことだった。
暗く陰った瞳で、夢中になって歌っていたあの頃よりずっといい。
ずっと人として生きている。

けれど、生誕祭のリハーサルはやりすぎだった。
神への賛歌を、まるで巷に溢れる恋の歌のようにしてしまった。
あれはどうにもいただけない。

「しばらく、こちらで預からせてください。」

私の言葉に、目の前の青年は無言で頷く。
不服さなど微塵も滲ませず、ただ真摯な顔で。

「セレスは、現状教会との契約が何よりも優先される身です。彼には、それを遂行する義務があります。あなたたち騎士の都合で気持ちを押し付け、セレスの心を裂くようなことは、断じて許容できない。」

「あの子の声は、今が一番美しい。」

「それを配慮の無い行動で奪うことは、許されざる罪悪です。それだけは、心に留め置くように。」

硬い表情で頷くその顔に、私も無言で頷きを返す。



この一年間、私はフォルティス・ルーメンという人間を観察してきた。
コルスと初めて接触したのは、セレスの起こした事故だった。
その対応には誠意があったが、当初考えていたよりも執着が透けて見え始めた。
私の仕事上、彼は観察対象になったのだった。

年の割には落ち着いていて、隊からの信頼も厚い。
この青年の稀有なところは、周囲から随分と愛されているということだった。
特に、年のいった、かつてこの国の中枢に食い込んでいたような歴戦の騎士たちに、随分と可愛がられている。

実際に会話をする機会を得て、私は納得したものだ。
性根の真面目さの割に、頭が固すぎることがない。
人の話に耳を傾ける心の余裕があり、知らないことを、素直に聞くことが出来る。
貴族の出身で小隊長という驕りがない。
相手によって態度を変えることもなく、どちらかと言えば聞き役に徹しているのに、その合いの手の絶妙さから、会話の相手に距離を感じさせない。

ルーメン伯爵家の四男で末子。
貴族社会の中には組み込まれておらず、貴族の義務と権利を負わない。
第四騎士団は、もともと権力を伴わない部隊だ。
王の剣に過ぎず、頭にはなりえない。
その末端の発言で、他権力を動かすような力は皆無だ。

だが、なぜか人の心を動かす力を持っている。

要するに、人たらしなのだ。
それも、計算などではないところが、良くも悪くもある。

このまま、末端にいればいい。
権力の届かないところで、セレスと二人、穏やかに生きられるよう。

なんのことはない。
この私ですら、すでにこの青年の人柄を、好ましいと思っているのだった。




「ところで、アズユール司祭はお元気でしたか?」
「えっ!?」
「行ってきたのでしょう?北からの帰り道にでも。」

私の問いに狼狽えた様子を見せるのを、内心ほくそ笑んで眺める。

「誰にも言わずに単騎で行動したのですが…。クレメンス司祭はさも見ていたようにおっしゃる。」

そう言って、困ったような笑みを浮かべる。

生誕祭のリハーサルの時、セレスとしていた会話を『聴いて』推測した事だった。
この青年の事だ。きっと動いていると思っていた。
『外堀を埋める』という明確な意思なくとった行動が、結果としてその道を辿っている。

悪用されてくれるなよ、と願う。
彼に、裏の裏まで見抜く力を、誰が教えてやれるのだろう。


グレーの瞳が不意に緩み、ぽつりと言葉を零す。

「セレスに、よく似ていました。」

「青灰色は、父親譲りだったのですね。」

私は、僅かに頷く。

古い記憶が、一気に蘇ってきた。

憔悴し、思いつめたような目。
長くここに勤め、離別の場面など数多見てきた私にとっても、あれは、なんとも心苦しいものだった。

「クレメンス司祭がかつて危惧していたように、やはり祭事への招待は間に合っていないようでした。」

この言葉に、私は思わず目を伏せる。
記憶の瞳を思い出したことで、いっそう気分が重くなってゆく。

見せてやりたかった、彼に。
セレスがどれほど美しい声で歌うのかを。

「そうでしたか……。近郊でないことを考慮して早めに知らせを出していたのですが…。……もう、きっとこの一年です。次は、早めに知らせを飛ばしましょう。」

ありがとう。
そう、心から礼をすると、目の前の青年は柔らかく微笑んでくる。
不思議に思ってその表情を見ていると、思いもよらぬことを言い出した。

「許可いただいたセレスの歌を、見せてきたんです。」

私は瞠目した。

「機密扱いのはずではっ!?」

私の叫びに、青年は視線を上向かせ、ちょっと考えるふりをする。
そして再び視線を戻すと、人差し指を口元に当て、にっこりと笑ったのだった。

私は胡乱な目を向ける。
なんとも、人の心をつかむのが上手いことだ。



「では、追って連絡をします。然程時間はかからないでしょう。」

そういって、私は黒の騎士を見送った。
私に向かって厳かに頷くと、ドアのわきに立つセレスを見てほほ笑む。

ゆるゆるだな……

私は内心溜息を吐き、もう一人の当事者を見て、頭痛がする思いだった。
こちらはこちらで、思いつめたような顔になっていたからだ。
先ほどのそわそわとした雰囲気は、微塵もなくなってしまっている。




建国祭まで、あと2ヶ月とわずか。
もうすぐ、選抜の時期になる。

コルスとして式典に立つことの意味を、彼らはシビアなほど理解している。
出席できるのは全体の3割ほど。
入りたての頃ならばいざ知らず、10歳を過ぎてくると自分の立場というものを、容赦なく思い知らされるものだ。

出席できるものと、そうでないもの。

コルスの選抜は非情だ。
国の威信を背負わねばならない。
日々の練習だけでなく、精神の強さがものを言う。

その点で言えば、セレスは群を抜いていた。
不安定さは、歌においては影響しないのだ。
おそらくこの子の中で『歌い手のあるべき姿』という、確固としたイメージがあるに違いない。

私は、セレスの事はコルスとしてはあまり心配をしていなかった。
けれど、セレスのこの不安定さに、エレインが引きずられてしまうのだ。
サントスがいない今、補い合っていたバランスは崩れてしまった。

したたかさと、感受性の強さを持っているエレイン。
セレスの後を担う、カントールとしての頭角を現している今が、一番大事な時期だった。



私はセレスを部屋に招き入れながら、そっとこめかみを押さえる。

なんとかして、上手く動かねばならない。
教会の在り様など、私にとっては二の次なのだ。
コルスの子供達の、現在と未来を守るためにのみ、私はここに居るのだから。




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