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  足利義輝

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 景虎は足利公方義輝に拝謁した。
 と言っても、親しく口を利くけるわけではない。
 景虎は頭を下げて、義輝の側近の一色藤長なる者が、
「これなるが、越後から来た、長尾弾正にございます」
 と言って、顔を少し上げて、それを義輝に見せるだけだ。

 そう言う作法なのだ。

 作法通り、景虎は顔を義輝に見せる。
 景虎の方は義輝の顔を見てはいけない。
 無礼になるからだ。

 だが景虎は、思わずはずみで義輝の方を見てしまった。
 しまったと思ったが、そのまま義輝の顔を凝視する。

 精悍な顔つきをした立派な武者面だ。
 年は景虎より五つほど下の、二十はじめのはすだが、それより老けて見える。
 貫禄がると言うか、風格があるというか、とにかく人物として重みを感じた。

 そしてその小さな目は、深く暗かった。

「弾正」
 低い声で義輝が告げる。
「ご苦労であった」

 その声を聞いた時、景虎は自分が思い違いをしていた事に気がつく。

 義輝は全て分かっているのだ。
 幕府がどうしようないこと。
 景虎ら諸侯が、なぜ公方である自分の言うことを聞かず、土地争いをしてるのかも。
 みな分かっているのだ。
 分かっていて、どうしようもないと分かっていて、それでも公方としての責務を投げ出さず、どうにかしようとしているのだ。

 どうしようもないと分かっていながら。

 別に投げ出しても良い。
 現に義輝の五代前の義政は、全てを投げ出し、自分の趣味である芸事に精を出していた。
 義輝も全てを捨てて、好きな、そして才がある兵法者になっても良いのだ。

 それなのに義輝は、それを投げ出さず、自らの務めを果たそうとしている。

 果たせないのにだ。

 義輝は無力かもしれない、無能かもしれない。
 それでも愚かではない。
 分かってはいるのだ。

 はぁ・・・・と溜め息を吐き、景虎は思わず、
「ご武運を」
 と言ってしまった。

 義輝の側に控える一色藤長、三淵藤英ら側近が咎めようとするが、義輝が手で制す。
 そして、ああっ、とだけ義輝は答えた。
 景虎は心の底から、頭を下げた。

 どうすることも出来ない。
 声を掛けるとこしか、或いはそれすらも、自分には出来ないのだ。

 人の無力さを、ただただ景虎は思った。
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