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管領職
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「実は、お願いがございまして・・・・・」
長尾憲景がやって来て、そう告げる。
相変わらず貫禄だけはある。もし越後の生まれであるなら、直江景綱ではなくこの男を家老にしていただろうと景虎は思う。
国が落ちついれば、こんなに重石として丁度良い者もいない。
「実は御屋形さまが、家督と管領の職を、弾正どのにお譲りしたいそうです」
景虎は眉を寄せる。
憲景の言う御屋形さまとは、主君、関東管領上杉憲政の事である。
桶狭間の戦さで、織田信長に今川義元が討たれた。
今川の同盟者である北条家は動揺している。
憲景や上野の長野業正にすれば今が好機、北条に攻勢を掛けたい所である。
そうなれば大将として、憲政の出陣を願いたいのいだ。
兵は景虎が率いればよい。しかし大将として、憲政に立って貰いたい。
それが憲景や業正の気持ちであり、そのことに景虎も否はない。
それなのに、肝心の憲政が渋っている。
それで憲政が、景虎に上杉の家督も管領職も譲ると言い出したのだ。
「思い止まって頂くよう、説得してくだされ」
景虎が渋い顔で言う。
「御屋形さまのご意志は固く、また弾正どのを信頼する気持ちも厚うございます」
言葉とは裏腹に、その硬い表情から、憲景の別の感情が伝わってくる。
憲政も越後に来た当初は、景虎に関東に出陣するよう命じてきた。
それを厄介だと思った景虎は、立派な屋敷と美姫に酒、それに京から唐渡りの高価な品々を与えて骨抜きにしたのだ。
だから憲政は、出陣したくないと言っているのだ。
つまり憲景にすれば、原因は景虎にあるのだから、責任を取れと言いたいのだろう。
「しかし・・・・・」
憲景の不満も分かるが、景虎としては御免こむりたい。
「それがしは氏は平氏・・・・管領は・・・藤原でしょう」
「存じております」
と憲景が応じる。
当然だ、憲景も長尾氏だし、上杉家の家老を務めている男、有職故事には景虎よりよっぽど詳しい。
「あくまで弾正どの一代の代理と言うことで、お願いいたしたい」
憲景の言いたいことは分かる。
景虎は守護代の長尾家の当主だ。
しかし越後守護の上杉家が断絶したので、代行として越後の国主を務めている。
だから更に関東管領職も務めろと言うのだ。
うううっ、と景虎は嫌な顔をする。
憲政には嫡子がいた。
しかしその嫡子龍若丸を関東に置き去りにして、憲政は越後に逃げてきたのだ。
哀れ龍若丸は北条家に捕らえられ、処刑されている。
だから憲政には息子がいない。景虎にもいない。
憲政から景虎に家督を譲り、その後また、上杉家か長尾家、或いはその他の家から男子を探し、景虎が務めている越後守護、越後守護代、そして関東管領職をそれぞれ誰かに任せると言うのだ。
関東各地に根を張る長尾家の中で、有力な一族である白井長尾家の当主である憲景にすれば、妥当な策だろう。
「そもそも・・・・」
景虎は顔を歪めたまま、憲景に言う。
「御屋形さまが譲ると言って、はいお受けしますと申して、良いものでもないでしょう?」
関東管領とは関東公方を補佐、及び監視するのが役目だ。
その為、京の足利公方が任命するのである。
北条氏康も今、関東管領を名乗っている。
しかしこれは関東公方、足利晴氏に任命された、と言うより、無理矢理任命させたものだ。
憲政が景虎に譲ると言うのも、氏康のそれと変わらない。
「それは・・・・・・」
硬い表情のまま、憲景が応える。
「京の公方さまに使者を出し、許しを貰うつもりです」
口には出さなかったが、金さえ出せば京の足利義輝も文句は言わないだろうと、憲景は言いたいのだ。
そしてそれは景虎も分かっている。
むむっ、と唸り、少し考え、
「家臣と相談したい」
と景虎は告げる。
分かりました、と憲景は引く。
「如何思う?」
景虎は直江景綱と山吉豊守に問う。
「お受けになるべきかと・・・・」
静かに景綱は答える。
うんんん、と景虎は悩む。
景綱も憲景と同じなのだろう。
とりあえず景虎が兼任し、その後は、管領職、越後守護、越後守護代、それぞれの後継者を用意すれば良いと言うの考えだ。
年をそれなりに取っているからなのか、そういう性格なのか、景綱にしろ憲景にしろ、あくまで家や当主を器と見做し、そこに入れる人物をあまり気にしていないように思える。
まぁそれが、武家として当たり前の事なのだろう。
「ただ二度、お断りになるべきです」
そう景綱は言う。
「二度お断りして、それでも御屋形さまが譲ると言うのを、お受け致すのです」
景綱の話を、あまり景虎は聞いていない。
受けるとなればそれは儀式なので、受けるか受けないかと言う決断には関係ない。
景虎の悩みは、受ければ関東へ拠点を移し、北条を滅ぼすまで戦わねばならぬと言うことだ。
そんな厄介な事、まっぴらごめんだ。
景虎にとって大切なのは、越後の安泰であり、それ以外の望みは無い。
だが受ければ管領職となり、権威は上がる。
今はでは守護代、長尾家の当主だから、家臣の国衆や地侍に対して盟主的立場だったが、管領になれば御屋形さまと呼ばれ、強く命令出来る。
以前の信濃の戦さの時の様に、越後に帰ろうとする家臣たちに、もっと強く止めることが出来るだろう。
また他国との交渉も、優位に進む。
こちらは京の公方より任命された正式な管領なのだ、甲斐及び信濃守護の武田信玄よりも、自称管領の北条氏康より格上ということになる。
そうなれば越後の安泰につながるのである。
「受けるか・・・・」
迷ったが、景虎は決断する。
織田が駿河まで攻め込めば、武田北条はどうにか出来る。
今、流れはこちらにある。
一気に東国の覇者となるかね。
ふっ、と景虎は笑う。
身に過ぎた野心か・・・・或いは・・・・。
長尾憲景がやって来て、そう告げる。
相変わらず貫禄だけはある。もし越後の生まれであるなら、直江景綱ではなくこの男を家老にしていただろうと景虎は思う。
国が落ちついれば、こんなに重石として丁度良い者もいない。
「実は御屋形さまが、家督と管領の職を、弾正どのにお譲りしたいそうです」
景虎は眉を寄せる。
憲景の言う御屋形さまとは、主君、関東管領上杉憲政の事である。
桶狭間の戦さで、織田信長に今川義元が討たれた。
今川の同盟者である北条家は動揺している。
憲景や上野の長野業正にすれば今が好機、北条に攻勢を掛けたい所である。
そうなれば大将として、憲政の出陣を願いたいのいだ。
兵は景虎が率いればよい。しかし大将として、憲政に立って貰いたい。
それが憲景や業正の気持ちであり、そのことに景虎も否はない。
それなのに、肝心の憲政が渋っている。
それで憲政が、景虎に上杉の家督も管領職も譲ると言い出したのだ。
「思い止まって頂くよう、説得してくだされ」
景虎が渋い顔で言う。
「御屋形さまのご意志は固く、また弾正どのを信頼する気持ちも厚うございます」
言葉とは裏腹に、その硬い表情から、憲景の別の感情が伝わってくる。
憲政も越後に来た当初は、景虎に関東に出陣するよう命じてきた。
それを厄介だと思った景虎は、立派な屋敷と美姫に酒、それに京から唐渡りの高価な品々を与えて骨抜きにしたのだ。
だから憲政は、出陣したくないと言っているのだ。
つまり憲景にすれば、原因は景虎にあるのだから、責任を取れと言いたいのだろう。
「しかし・・・・・」
憲景の不満も分かるが、景虎としては御免こむりたい。
「それがしは氏は平氏・・・・管領は・・・藤原でしょう」
「存じております」
と憲景が応じる。
当然だ、憲景も長尾氏だし、上杉家の家老を務めている男、有職故事には景虎よりよっぽど詳しい。
「あくまで弾正どの一代の代理と言うことで、お願いいたしたい」
憲景の言いたいことは分かる。
景虎は守護代の長尾家の当主だ。
しかし越後守護の上杉家が断絶したので、代行として越後の国主を務めている。
だから更に関東管領職も務めろと言うのだ。
うううっ、と景虎は嫌な顔をする。
憲政には嫡子がいた。
しかしその嫡子龍若丸を関東に置き去りにして、憲政は越後に逃げてきたのだ。
哀れ龍若丸は北条家に捕らえられ、処刑されている。
だから憲政には息子がいない。景虎にもいない。
憲政から景虎に家督を譲り、その後また、上杉家か長尾家、或いはその他の家から男子を探し、景虎が務めている越後守護、越後守護代、そして関東管領職をそれぞれ誰かに任せると言うのだ。
関東各地に根を張る長尾家の中で、有力な一族である白井長尾家の当主である憲景にすれば、妥当な策だろう。
「そもそも・・・・」
景虎は顔を歪めたまま、憲景に言う。
「御屋形さまが譲ると言って、はいお受けしますと申して、良いものでもないでしょう?」
関東管領とは関東公方を補佐、及び監視するのが役目だ。
その為、京の足利公方が任命するのである。
北条氏康も今、関東管領を名乗っている。
しかしこれは関東公方、足利晴氏に任命された、と言うより、無理矢理任命させたものだ。
憲政が景虎に譲ると言うのも、氏康のそれと変わらない。
「それは・・・・・・」
硬い表情のまま、憲景が応える。
「京の公方さまに使者を出し、許しを貰うつもりです」
口には出さなかったが、金さえ出せば京の足利義輝も文句は言わないだろうと、憲景は言いたいのだ。
そしてそれは景虎も分かっている。
むむっ、と唸り、少し考え、
「家臣と相談したい」
と景虎は告げる。
分かりました、と憲景は引く。
「如何思う?」
景虎は直江景綱と山吉豊守に問う。
「お受けになるべきかと・・・・」
静かに景綱は答える。
うんんん、と景虎は悩む。
景綱も憲景と同じなのだろう。
とりあえず景虎が兼任し、その後は、管領職、越後守護、越後守護代、それぞれの後継者を用意すれば良いと言うの考えだ。
年をそれなりに取っているからなのか、そういう性格なのか、景綱にしろ憲景にしろ、あくまで家や当主を器と見做し、そこに入れる人物をあまり気にしていないように思える。
まぁそれが、武家として当たり前の事なのだろう。
「ただ二度、お断りになるべきです」
そう景綱は言う。
「二度お断りして、それでも御屋形さまが譲ると言うのを、お受け致すのです」
景綱の話を、あまり景虎は聞いていない。
受けるとなればそれは儀式なので、受けるか受けないかと言う決断には関係ない。
景虎の悩みは、受ければ関東へ拠点を移し、北条を滅ぼすまで戦わねばならぬと言うことだ。
そんな厄介な事、まっぴらごめんだ。
景虎にとって大切なのは、越後の安泰であり、それ以外の望みは無い。
だが受ければ管領職となり、権威は上がる。
今はでは守護代、長尾家の当主だから、家臣の国衆や地侍に対して盟主的立場だったが、管領になれば御屋形さまと呼ばれ、強く命令出来る。
以前の信濃の戦さの時の様に、越後に帰ろうとする家臣たちに、もっと強く止めることが出来るだろう。
また他国との交渉も、優位に進む。
こちらは京の公方より任命された正式な管領なのだ、甲斐及び信濃守護の武田信玄よりも、自称管領の北条氏康より格上ということになる。
そうなれば越後の安泰につながるのである。
「受けるか・・・・」
迷ったが、景虎は決断する。
織田が駿河まで攻め込めば、武田北条はどうにか出来る。
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