上 下
90 / 167

  鬼小島

しおりを挟む
 霧の中を、一直線に越後勢は進んでいく。
 策も何もない。唯々、駆ける。

 人影が見える。
「敵襲、敵襲だ」
「防げ、防げ」
 敵兵の声が響く。
 流石に見張りは立てていた様で、こちらの攻撃に対し、迎撃の構えをみせる。

 しかし無駄だ。
 政虎は一万三千の兵のうち、三千を甘粕景持に任せ、妻女山の守りつかせた。
 対する武田は、初め海津城に三千、そして後詰めである信玄の本隊が一万七千なので、全軍で二万ほどだ。
 その二万のうち幾らかを、別働隊として妻女山の裏手に回している。
 政虎の読みでは、この辺りの土地に詳しい、海津城詰めの三千が回っているだろう。
 海津城にも二、三千は残しているはずだ。

 こちらが一万で、相手は一万五千というところ。
 兵は敵の方が多い。
 
 しかしこちらにはまず、敵の策を見抜いたという勢いがある。
 その勢いのまま、攻めかかっているのだ。
 それがまず利だ。
 そしてそれ以上の利が、政虎の方にはある。

 先陣は柿崎景家の部隊。
 しかしその更に前に一騎、ものすごい勢いで駆けていく者がいる。

 小島弥太郎貞興だ。

 命じたわけではない。許したわけでもない。
 それでも当然として、貞興は一騎駆けしている。

 うわぁあああああ、と言う雄叫びと共に、小島貞興が武田勢に襲いかかる。
「防げ」
 大量の矢と槍衾が、貞興に向かう。
 しかしそんなもの関係ない。
 ふんと、貞興が槍を振るえば、その全てが跳ね飛ばされる。

 おのれ、と一人の大柄の武者が、貞興を迎え撃とうした。
 しかし貞興が槍を振るうと、武者の槍ごと、胴が真っ二つになる。
 くそ、抑えろ、と幾人もの武者が貞興に向かう。
 だが貞興が槍を振るう度、次々と武者が跳ね飛ばされる。

 そして縦横無尽に、武田の陣を引き裂いていく。

 政虎は己の軍が野戦において、天下無敵だと思っている。
 なぜなら小島貞興がいるからだ。
 一騎当千、万夫不当の小島弥太郎貞興がいれば、どんな敵にも勝てる。
 弥太郎がいるから、越後の鬼がいるから、自分は無敵なのだ。
 無敵の上杉政虎なのだ。



 
しおりを挟む

処理中です...