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第1章
41.彼は惑いを飲み込んだまま
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目の前で〈魔女〉が口許に弧を描き、こちらを見ている。
それを見つめ返しながら、ウェインはやはり〈魔女〉とは関わるべきではないとしみじみと思った。
「どうしても何もないだろ。一緒に旅をしてるんだ、助けるのは当たり前だ。そもそも、その問いを俺だけに投げ掛ける意味がわからない。あの子が何者なのか理解してるんなら、俺ではなくあの場にいた〈神族〉にこそ問うべきだろ?」
「確かにそうね。まだボウヤとはいえ、〈神族〉に懐かれる〈魔王〉なんて前代未聞だもの……器は人間でも、魔を率い立つに相応しき魂を宿した瞬間、〈魔王〉は〈神族〉を本能的に拒絶するもの。そして〈神族〉だって、その強大さから畏怖することの方が多いわ……末端の天使なら尚更ね」
そう考えると不思議よねえ、とカーマインは言いながら歩き出す。道なき獣道を進むその足取りに迷いはない。
「〈勇者〉もね、そうなのよ。〈魔王〉や〈勇者〉は、それ自体が称号であることには間違いないけれど、それをいただくには魂が重要であり、故に否応無しにそうした存在になる。そしてだからこそ、敵対する存在から畏《おそ》れられる……何故なら彼らの魂は、生ける者にとってそれほどまで圧倒的な脅威となり得ると思わせるものだから。いかなる時代においても〈魔王〉と〈勇者〉は敵に畏怖されるし、敵を畏怖させる」
「……俺はあの子に対して〈魔王〉だからという畏怖はない。敵とも思わない。あれはただの女の子だろう。仰々しい称号を与えられ、使いこなすこともできない力を宿した、ただそれだけの、人間の女の子」
「そういう答えが聞きたいわけではないわ。それとも、気付かれてないとでも思ってるのかしら?」
ぴしゃりと、問いの答え以外を受け付けるつもりもないと言わんばかりに清々しいまでの一蹴をされて、ウェインは口許だけで笑った。
ああ――これだから〈魔女〉を相手にするのは嫌なんだ。
立ち止まったウェインに、カーマインが距離を置いた道の先で振り返り、ふっと表情を緩める。
「良い顔ね。でも勘違いしないでちょうだい、あたしはあなたを追い詰めたいわけではないの」
「どうだか」
「すっかり嫌われちゃったわねぇ。まあ、あなたが何者かについて聞きたいわけではないから、構わないんだけど」
あっけらかんと言って先導を再開するカーマインに、ウェインは眉を顰めて睨みつける。
ウェインが何者か、だなんて尋ねるまでもなく既にわかっているはずだろうに、白々しい。
〈魔女〉や〈魔術師〉は、端的に言えば人間に生じた異端――変則的存在《イレギュラー》だ。本来なら生まれぬはずの存在。それゆえに魔族的とも神族的とも言える感覚を有する。早い話、人間でありながら彼らも力ある〈魔族〉や〈神族〉と同様に、あるいは彼らよりも仔細に様々なことを見抜くことが出来るのである。
カーマインが聖奈が〈魔王〉であると一目見て理解したのも、そうした鋭敏な感覚ゆえ。
そしてウェインにとってそれは忌避すべき能力であり、〈魔女〉や〈魔術師〉の特性的にもまた、決して対面はしたくはなかったのである。
「信じられない?」
「ああ。まったく」
「はっきりと言うわねえ。でも、このまま探りを入れてあたしが得することってある? 損することばかりじゃない。命は流石に惜しいわ。好奇心のままに行動して答えを得たとしても、死ぬんじゃ意味がないもの」
それもそうだ、と納得する一方で、ならば何故敢えて自分の命を危ぶませるような聞き方をしたのだろうか。
一切分からない。理解が出来ないからこそ、眉間に刻まれたシワは消えない。
「理解出来ないのと理解しようとしないのとでは、まったく違うわよ」
前を向いて歩いているのに、まるで見ていたかのようにカーマインは言った。
「どういう意味だ」
「そのままの意味よ。何を前にしても、待っていればすぐに誰かから答えが示されるわけじゃない。なら、投げ掛けられた問いに対して考えようともしないのは、ただの人形と同じだわ」
「…………」
「あたしはね、不思議でならないのよ。あなたの行動や表情がね」
黙り込んだウェインを気にも留めず、カーマインは語り続けた。
その足は変わることなく、目的の場所が既に見えているかのように動き続けている。
「さっき、あなたはあの子のことをただの女の子と言ったわ。〈魔王〉の魂を宿しただけの、ただの女の子……おそらくそれは正しいんでしょう。でなければ本来なら片手で捻り潰す事が出来るような、力も弱い子供二人を連れ歩いているはずがないもの」
「そんな動く畏怖対象と俺が、何故共にいるのか、と?」
「それ以上に、何故あなたは彼女を案ずるのか、かしら」
「…………」
ウェインは答えない。否、答えられなかった。
カーマインの問いに対する答えが見付からなかったわけではない。彼女と共に行動する理由は確かにある。
だがそれを答えようとすると、どうにも言葉を紡げなかった。躊躇ってしまうのだ。それ以外の答えなんてないはずなのに。
「ふぅん、これには答えられないのね……」
「厭味か?」
「いいえ、少しだけ意外だっただけよ。あたしとしてはその方が面白いし、観察のしがいもあるわ。あの女の子がどんな子なのか、俄然興味が出てきたし」
「………」
「うふふ、そう警戒しなくても何もしないわよぉ」
心底楽しそうな顔を見ていると、どうにも信じられない。そうでなくとも、〈魔女〉だ。言葉の裏に隠された真意には気を張らなくては――――否、〈魔女〉とひと括りにするのは早計か。
目の前を歩く〈魔女〉が厄介な性格をしているだけなのかもしれないのだから。伝え聞いたことと、示された事実、どちらが大切で――――そこでウェインは我に返る。
「……感化され過ぎだろ」
小さく呟いて、息を吐いた。
どうでもいいじゃないか、そんなこと。そんなことを考えて、何になる? すべきことは、やるべきことは、そんなことにまで考えを回すことじゃない。俺がやるべきことは、今すべきは――。
「んー? 何か言ったかしら?」
「いや、何も」
「そう? それならいいけど」
呟き声が聞こえていたらしいカーマインがちらりと振り向き、すぐに前方へと向き直る。気配を感じたのは、その直後のことだった。
咄嗟に身構えると、カーマインはふっと笑う。
「鋭いのね。でも、そこまで反応が良ければ問題はなさそうで助かるわ」
刹那、ガサガサと茂みが揺れたかと思えば、のそのそと魔物が姿を現した。
フォレストバードやハウンドウルフ、キラービー以外にも、森林に適応したスライムであるリーフスライムなど多数。行く手を阻むように現れた魔物たちは、皆こちらへと戦意を向けている。避けて通れそうにはない。
「倒して進んでいいのか?」
「ええ、構わないわ。この辺にはガルムみたいな賢い子はいないし、むしろあたしも定期的に排除してるくらいだから」
言いながらカーマインは中空に光を帯びた指先で魔法陣を描く。と、広がったその中心に手を突っ込んだ。
それは異空間と繋げてあるのか、魔方陣を境目として突っ込まれた腕が消えていた。
「迂回してる暇はないし、強行突破と行きましょ」
「それは実に単純明快。わかりやすくていい」
何かを探るように動いていた腕が引き抜かれる。すぐに薄れ消える魔方陣から取り出されたのは、一本の箒だった。
ホルスターから銃を抜くウェインの前で、カーマインは箒へと横向きに座り、浮き上がる。
「先導するスピードを上げるわ。はぐれないようにね」
言うや否や飛び出したカーマインは、箒に乗ったまま片手を振るう。軌跡を描くように浮かんだ魔方陣から顕現されたのは、無数の風刃。
カーマインは色のない風の刃を追い掛けるようにして、倒れていく魔物の群れを突っ切って行く。
ウェインはその後ろを追って、襲い掛かろうとする魔物をことごとく撃ち抜きながら駆けた。
「さっき、この辺りの魔物を排除してると言ってたが」
駆け抜ける足は止めず、左から強襲してきたフォレストバードを撃ち抜き、右から襲い掛かろうとするハウンドウルフの顔面に躊躇いなくグリップを叩き込む。そのまま前方から来るもう一体のハウンドウルフを踏み潰して跳躍、空中でキラービーへと体を捻りながら踵を叩き落とした。
そのまま何事もなかったかのように着地し、先を箒に乗って駆けるカーマインをまた追い掛ける。
「生活するにも多すぎる魔物は邪魔だから、適当に減らしているのよ。ただでさえ魔女の存在のせいでこの山には悪い噂が流れてるのに、増えた魔物のせいで何か起きようものなら、生きにくいったらないもの」
「……山を越えようって旅人や商人は少なくないからな」
「危険が少ないって判断をされることには文句もないけど、たまに護衛もつけずに山越えをしようとする輩がいるのが難点ね。偶然見かけて、助けようとしたらしたで勝手に怯えだして逃げ出すか、命乞いでしょ?」
空に浮かんで駆けながら、カーマインは指先を動かして魔法を紡ぎ、顕現するそれを追い掛けて突っ切り続けていた。
追従するウェインが容易く仕留める魔物と合わせ、駆け抜けた痕は死屍累々。それも数分も経たない内に光へと消え行く。
「ほんと、イヤになっちゃうわ。誤解を解くのも面倒だし勝手にさせるかって思ったら謂れのない罪がでっち上げられていくし……人肉を喰らう? 人骨で怪しい薬を作る? 笑っちゃうわ。そんな非道をして、何を得られるってのかしら?」
「だが世間一般はそう認識している。人が、〈魔族〉を嫌うのと同じように」
「噂話には尾びれ背びれがつくものなのは理解してるわ、嫌というほどね。それに、別に構わないのよ。顔も名前も知らないし興味もない奴らに何を言われようが思われようが。けど、問題なのはその元凶」
「……〈神族〉、か」
「未知なるものは、誰しも怖いものよ。〈魔女〉や〈魔族〉は確かに人よりも強い力を持つ……まだ何も知らない幼子であれば違うかもしれないけれど、物心がつけば自然と強大なものは怖くなるに決まっている。情報操作をすれば、なおのこと、ね」
やがて、魔物の数が目に見えて減り始めた。それはこれまで魔物を打ち倒して進んできたから、ということだけではない。
速度を緩めたカーマインが見据える先を、ウェインは立ち止まり見据えた。
多少の距離はあるが、そこにはクルフの木があり、実をつけている。だがその近くにある影を見付けて、眉を顰めた。
「……面倒なことになってるわね」
苦々し気にカーマインが呟く。
視線の先にあるクルフの木の根元には、魔物が身を丸めていた。
赤褐色の体躯は鱗のようなものに覆われ、形は爬虫類に近く、背に携えられる畳まれた翼。遠目でも鋭利な爪を持ち丸くなるそれは、見間違いようもなくドラゴンだ。
「この山にはドラゴンまでいるのか?」
ちらりと目を遣り問い掛けると、カーマインはひとつ、頷く。
「そりゃ棲息くらいはしてるわ。あれはアヤタル、大きさとしては中型程度だけど、凶暴よ……近付いたら間違いなく襲い掛かってくるでしょうね」
「そんなやつが、こんな場所に?」
ドラゴンは、魔物たちの中でも上位に位置する強大な力を有する。それこそ街道で遭遇したグリフォンよりも遥かに上であるくらいには強力な魔物だ。
だが彼らは住処から離れることは少ない。しかもその住処は人が決して立ち入ることのない場所に築かれるという。
それが何故かと聞かれれば、ドラゴンが高い知能も有するため以外の何物でもない。同時に理性的でもあるドラゴンたちの中には、人語までもを操るものもいると聞く。
であるからこそ、彼らは人に侵入すること叶わぬ場所にひっそりと巣を作るのだ。ドラゴンにとって人は脆弱そのもの、接する意義すら本来は持たないはずなのだから。
そんなドラゴンが、人も踏み入ることのできる場所で体を休めているなど、まず有り得ないはずなのだ。
「羽休めをすること自体は珍しいことではないわ。けどねえ、タイミングが悪すぎるわね……アヤタルは対話が出来るほどの知能があるわけでもない、本能のままに生きてる個体だから」
「……詳しいな?」
「悪評の一端は、アヤタルにもあるのよ。でも、あたしとガルムじゃ分が悪くて、討伐も不可能だったってわけ」
嫌そうに眉を寄せるカーマインの様子から、彼女がアヤタルと呼ばれるドラゴンと相対した経験があるということは明白だった。
それはすなわち――。
「つまり、倒していいと?」
ウェインはアヤタルを見詰めて目を細める。
視界の端で、カーマインがきょとんと目をしばたかせた。
「願ったり叶ったりだけど、倒せるの?」
「他に実をつけたクルフの木のある場所に目星はあるのか?」
「……いいえ。確実性があると把握してた場所は、此処だけよ」
緩く顔を横に振るカーマインが、僅かに眉を下げる。
その姿に嘘はないとするならば。仮にそれが嘘だったとしても、確実に採取できる場所を把握していないウェインには、別の場所に移動するという選択肢は選べなかった。
「どのみち、しらみ潰しに歩き回って見付けて戻るだけの時間の猶予はそれほどない。なら、多少は無茶してでもあのドラゴンを掻い潜って採取した方が良いだろう?」
聖奈の疲弊は著しい。
ベッドに寝かせ、カーマインから薬を貰い、それを飲ませた上でアリシアに看てもらっていると言っても、あのときカーマインが告げた通り、残された時間は半日と引き延ばされた幾許か。決して余裕があるとは言い難い。
それに、毒は回りきれば的確な解毒剤を飲ませたとしても、効きは甘くなる。早めに戻れるのならその方がいいのだ。
「みすみす死なせるわけにはいかないんだよ。俺にだってやるべきことがあるんだ、そのためにも」
聖奈には、あの少女には――当代〈魔王〉には死なれては困るのだ。
彼女を生かすためなら、多少ウェインの身に危険があっても構うことはない。
ホルスターから銃を引き抜き構えるウェインに対して、カーマインは興味深そうに顔を覗き込んでくる。
「それが本音とは思えないけど?」
「あんたを満足させる答えを告げる理由がない」
「ふふっ。ま、それもそうね」
にんまりとカーマインは笑って、魔方陣を中空に描き出す。
その目は真っ直ぐにアヤタルを睨み付けていた。
「いいわ、やるだけやってみましょうか。ガルムと挑むよりは勝機はあるでしょうしね」
倒せたらあたしとしても万々歳だもの、とおどけるカーマインと並び立つウェインは、強大なる存在であるドラゴンと対峙する直前であるにも関わらず、恐れは一切感じてはいなかった。
それを見つめ返しながら、ウェインはやはり〈魔女〉とは関わるべきではないとしみじみと思った。
「どうしても何もないだろ。一緒に旅をしてるんだ、助けるのは当たり前だ。そもそも、その問いを俺だけに投げ掛ける意味がわからない。あの子が何者なのか理解してるんなら、俺ではなくあの場にいた〈神族〉にこそ問うべきだろ?」
「確かにそうね。まだボウヤとはいえ、〈神族〉に懐かれる〈魔王〉なんて前代未聞だもの……器は人間でも、魔を率い立つに相応しき魂を宿した瞬間、〈魔王〉は〈神族〉を本能的に拒絶するもの。そして〈神族〉だって、その強大さから畏怖することの方が多いわ……末端の天使なら尚更ね」
そう考えると不思議よねえ、とカーマインは言いながら歩き出す。道なき獣道を進むその足取りに迷いはない。
「〈勇者〉もね、そうなのよ。〈魔王〉や〈勇者〉は、それ自体が称号であることには間違いないけれど、それをいただくには魂が重要であり、故に否応無しにそうした存在になる。そしてだからこそ、敵対する存在から畏《おそ》れられる……何故なら彼らの魂は、生ける者にとってそれほどまで圧倒的な脅威となり得ると思わせるものだから。いかなる時代においても〈魔王〉と〈勇者〉は敵に畏怖されるし、敵を畏怖させる」
「……俺はあの子に対して〈魔王〉だからという畏怖はない。敵とも思わない。あれはただの女の子だろう。仰々しい称号を与えられ、使いこなすこともできない力を宿した、ただそれだけの、人間の女の子」
「そういう答えが聞きたいわけではないわ。それとも、気付かれてないとでも思ってるのかしら?」
ぴしゃりと、問いの答え以外を受け付けるつもりもないと言わんばかりに清々しいまでの一蹴をされて、ウェインは口許だけで笑った。
ああ――これだから〈魔女〉を相手にするのは嫌なんだ。
立ち止まったウェインに、カーマインが距離を置いた道の先で振り返り、ふっと表情を緩める。
「良い顔ね。でも勘違いしないでちょうだい、あたしはあなたを追い詰めたいわけではないの」
「どうだか」
「すっかり嫌われちゃったわねぇ。まあ、あなたが何者かについて聞きたいわけではないから、構わないんだけど」
あっけらかんと言って先導を再開するカーマインに、ウェインは眉を顰めて睨みつける。
ウェインが何者か、だなんて尋ねるまでもなく既にわかっているはずだろうに、白々しい。
〈魔女〉や〈魔術師〉は、端的に言えば人間に生じた異端――変則的存在《イレギュラー》だ。本来なら生まれぬはずの存在。それゆえに魔族的とも神族的とも言える感覚を有する。早い話、人間でありながら彼らも力ある〈魔族〉や〈神族〉と同様に、あるいは彼らよりも仔細に様々なことを見抜くことが出来るのである。
カーマインが聖奈が〈魔王〉であると一目見て理解したのも、そうした鋭敏な感覚ゆえ。
そしてウェインにとってそれは忌避すべき能力であり、〈魔女〉や〈魔術師〉の特性的にもまた、決して対面はしたくはなかったのである。
「信じられない?」
「ああ。まったく」
「はっきりと言うわねえ。でも、このまま探りを入れてあたしが得することってある? 損することばかりじゃない。命は流石に惜しいわ。好奇心のままに行動して答えを得たとしても、死ぬんじゃ意味がないもの」
それもそうだ、と納得する一方で、ならば何故敢えて自分の命を危ぶませるような聞き方をしたのだろうか。
一切分からない。理解が出来ないからこそ、眉間に刻まれたシワは消えない。
「理解出来ないのと理解しようとしないのとでは、まったく違うわよ」
前を向いて歩いているのに、まるで見ていたかのようにカーマインは言った。
「どういう意味だ」
「そのままの意味よ。何を前にしても、待っていればすぐに誰かから答えが示されるわけじゃない。なら、投げ掛けられた問いに対して考えようともしないのは、ただの人形と同じだわ」
「…………」
「あたしはね、不思議でならないのよ。あなたの行動や表情がね」
黙り込んだウェインを気にも留めず、カーマインは語り続けた。
その足は変わることなく、目的の場所が既に見えているかのように動き続けている。
「さっき、あなたはあの子のことをただの女の子と言ったわ。〈魔王〉の魂を宿しただけの、ただの女の子……おそらくそれは正しいんでしょう。でなければ本来なら片手で捻り潰す事が出来るような、力も弱い子供二人を連れ歩いているはずがないもの」
「そんな動く畏怖対象と俺が、何故共にいるのか、と?」
「それ以上に、何故あなたは彼女を案ずるのか、かしら」
「…………」
ウェインは答えない。否、答えられなかった。
カーマインの問いに対する答えが見付からなかったわけではない。彼女と共に行動する理由は確かにある。
だがそれを答えようとすると、どうにも言葉を紡げなかった。躊躇ってしまうのだ。それ以外の答えなんてないはずなのに。
「ふぅん、これには答えられないのね……」
「厭味か?」
「いいえ、少しだけ意外だっただけよ。あたしとしてはその方が面白いし、観察のしがいもあるわ。あの女の子がどんな子なのか、俄然興味が出てきたし」
「………」
「うふふ、そう警戒しなくても何もしないわよぉ」
心底楽しそうな顔を見ていると、どうにも信じられない。そうでなくとも、〈魔女〉だ。言葉の裏に隠された真意には気を張らなくては――――否、〈魔女〉とひと括りにするのは早計か。
目の前を歩く〈魔女〉が厄介な性格をしているだけなのかもしれないのだから。伝え聞いたことと、示された事実、どちらが大切で――――そこでウェインは我に返る。
「……感化され過ぎだろ」
小さく呟いて、息を吐いた。
どうでもいいじゃないか、そんなこと。そんなことを考えて、何になる? すべきことは、やるべきことは、そんなことにまで考えを回すことじゃない。俺がやるべきことは、今すべきは――。
「んー? 何か言ったかしら?」
「いや、何も」
「そう? それならいいけど」
呟き声が聞こえていたらしいカーマインがちらりと振り向き、すぐに前方へと向き直る。気配を感じたのは、その直後のことだった。
咄嗟に身構えると、カーマインはふっと笑う。
「鋭いのね。でも、そこまで反応が良ければ問題はなさそうで助かるわ」
刹那、ガサガサと茂みが揺れたかと思えば、のそのそと魔物が姿を現した。
フォレストバードやハウンドウルフ、キラービー以外にも、森林に適応したスライムであるリーフスライムなど多数。行く手を阻むように現れた魔物たちは、皆こちらへと戦意を向けている。避けて通れそうにはない。
「倒して進んでいいのか?」
「ええ、構わないわ。この辺にはガルムみたいな賢い子はいないし、むしろあたしも定期的に排除してるくらいだから」
言いながらカーマインは中空に光を帯びた指先で魔法陣を描く。と、広がったその中心に手を突っ込んだ。
それは異空間と繋げてあるのか、魔方陣を境目として突っ込まれた腕が消えていた。
「迂回してる暇はないし、強行突破と行きましょ」
「それは実に単純明快。わかりやすくていい」
何かを探るように動いていた腕が引き抜かれる。すぐに薄れ消える魔方陣から取り出されたのは、一本の箒だった。
ホルスターから銃を抜くウェインの前で、カーマインは箒へと横向きに座り、浮き上がる。
「先導するスピードを上げるわ。はぐれないようにね」
言うや否や飛び出したカーマインは、箒に乗ったまま片手を振るう。軌跡を描くように浮かんだ魔方陣から顕現されたのは、無数の風刃。
カーマインは色のない風の刃を追い掛けるようにして、倒れていく魔物の群れを突っ切って行く。
ウェインはその後ろを追って、襲い掛かろうとする魔物をことごとく撃ち抜きながら駆けた。
「さっき、この辺りの魔物を排除してると言ってたが」
駆け抜ける足は止めず、左から強襲してきたフォレストバードを撃ち抜き、右から襲い掛かろうとするハウンドウルフの顔面に躊躇いなくグリップを叩き込む。そのまま前方から来るもう一体のハウンドウルフを踏み潰して跳躍、空中でキラービーへと体を捻りながら踵を叩き落とした。
そのまま何事もなかったかのように着地し、先を箒に乗って駆けるカーマインをまた追い掛ける。
「生活するにも多すぎる魔物は邪魔だから、適当に減らしているのよ。ただでさえ魔女の存在のせいでこの山には悪い噂が流れてるのに、増えた魔物のせいで何か起きようものなら、生きにくいったらないもの」
「……山を越えようって旅人や商人は少なくないからな」
「危険が少ないって判断をされることには文句もないけど、たまに護衛もつけずに山越えをしようとする輩がいるのが難点ね。偶然見かけて、助けようとしたらしたで勝手に怯えだして逃げ出すか、命乞いでしょ?」
空に浮かんで駆けながら、カーマインは指先を動かして魔法を紡ぎ、顕現するそれを追い掛けて突っ切り続けていた。
追従するウェインが容易く仕留める魔物と合わせ、駆け抜けた痕は死屍累々。それも数分も経たない内に光へと消え行く。
「ほんと、イヤになっちゃうわ。誤解を解くのも面倒だし勝手にさせるかって思ったら謂れのない罪がでっち上げられていくし……人肉を喰らう? 人骨で怪しい薬を作る? 笑っちゃうわ。そんな非道をして、何を得られるってのかしら?」
「だが世間一般はそう認識している。人が、〈魔族〉を嫌うのと同じように」
「噂話には尾びれ背びれがつくものなのは理解してるわ、嫌というほどね。それに、別に構わないのよ。顔も名前も知らないし興味もない奴らに何を言われようが思われようが。けど、問題なのはその元凶」
「……〈神族〉、か」
「未知なるものは、誰しも怖いものよ。〈魔女〉や〈魔族〉は確かに人よりも強い力を持つ……まだ何も知らない幼子であれば違うかもしれないけれど、物心がつけば自然と強大なものは怖くなるに決まっている。情報操作をすれば、なおのこと、ね」
やがて、魔物の数が目に見えて減り始めた。それはこれまで魔物を打ち倒して進んできたから、ということだけではない。
速度を緩めたカーマインが見据える先を、ウェインは立ち止まり見据えた。
多少の距離はあるが、そこにはクルフの木があり、実をつけている。だがその近くにある影を見付けて、眉を顰めた。
「……面倒なことになってるわね」
苦々し気にカーマインが呟く。
視線の先にあるクルフの木の根元には、魔物が身を丸めていた。
赤褐色の体躯は鱗のようなものに覆われ、形は爬虫類に近く、背に携えられる畳まれた翼。遠目でも鋭利な爪を持ち丸くなるそれは、見間違いようもなくドラゴンだ。
「この山にはドラゴンまでいるのか?」
ちらりと目を遣り問い掛けると、カーマインはひとつ、頷く。
「そりゃ棲息くらいはしてるわ。あれはアヤタル、大きさとしては中型程度だけど、凶暴よ……近付いたら間違いなく襲い掛かってくるでしょうね」
「そんなやつが、こんな場所に?」
ドラゴンは、魔物たちの中でも上位に位置する強大な力を有する。それこそ街道で遭遇したグリフォンよりも遥かに上であるくらいには強力な魔物だ。
だが彼らは住処から離れることは少ない。しかもその住処は人が決して立ち入ることのない場所に築かれるという。
それが何故かと聞かれれば、ドラゴンが高い知能も有するため以外の何物でもない。同時に理性的でもあるドラゴンたちの中には、人語までもを操るものもいると聞く。
であるからこそ、彼らは人に侵入すること叶わぬ場所にひっそりと巣を作るのだ。ドラゴンにとって人は脆弱そのもの、接する意義すら本来は持たないはずなのだから。
そんなドラゴンが、人も踏み入ることのできる場所で体を休めているなど、まず有り得ないはずなのだ。
「羽休めをすること自体は珍しいことではないわ。けどねえ、タイミングが悪すぎるわね……アヤタルは対話が出来るほどの知能があるわけでもない、本能のままに生きてる個体だから」
「……詳しいな?」
「悪評の一端は、アヤタルにもあるのよ。でも、あたしとガルムじゃ分が悪くて、討伐も不可能だったってわけ」
嫌そうに眉を寄せるカーマインの様子から、彼女がアヤタルと呼ばれるドラゴンと相対した経験があるということは明白だった。
それはすなわち――。
「つまり、倒していいと?」
ウェインはアヤタルを見詰めて目を細める。
視界の端で、カーマインがきょとんと目をしばたかせた。
「願ったり叶ったりだけど、倒せるの?」
「他に実をつけたクルフの木のある場所に目星はあるのか?」
「……いいえ。確実性があると把握してた場所は、此処だけよ」
緩く顔を横に振るカーマインが、僅かに眉を下げる。
その姿に嘘はないとするならば。仮にそれが嘘だったとしても、確実に採取できる場所を把握していないウェインには、別の場所に移動するという選択肢は選べなかった。
「どのみち、しらみ潰しに歩き回って見付けて戻るだけの時間の猶予はそれほどない。なら、多少は無茶してでもあのドラゴンを掻い潜って採取した方が良いだろう?」
聖奈の疲弊は著しい。
ベッドに寝かせ、カーマインから薬を貰い、それを飲ませた上でアリシアに看てもらっていると言っても、あのときカーマインが告げた通り、残された時間は半日と引き延ばされた幾許か。決して余裕があるとは言い難い。
それに、毒は回りきれば的確な解毒剤を飲ませたとしても、効きは甘くなる。早めに戻れるのならその方がいいのだ。
「みすみす死なせるわけにはいかないんだよ。俺にだってやるべきことがあるんだ、そのためにも」
聖奈には、あの少女には――当代〈魔王〉には死なれては困るのだ。
彼女を生かすためなら、多少ウェインの身に危険があっても構うことはない。
ホルスターから銃を引き抜き構えるウェインに対して、カーマインは興味深そうに顔を覗き込んでくる。
「それが本音とは思えないけど?」
「あんたを満足させる答えを告げる理由がない」
「ふふっ。ま、それもそうね」
にんまりとカーマインは笑って、魔方陣を中空に描き出す。
その目は真っ直ぐにアヤタルを睨み付けていた。
「いいわ、やるだけやってみましょうか。ガルムと挑むよりは勝機はあるでしょうしね」
倒せたらあたしとしても万々歳だもの、とおどけるカーマインと並び立つウェインは、強大なる存在であるドラゴンと対峙する直前であるにも関わらず、恐れは一切感じてはいなかった。
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