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第七章 限界突破のソウルサクリファイス
2・試練の滝を乗り越えて
しおりを挟む《グリードの記憶は継続していない》。
今、この時間で止まっているのだ。僕以外の人間と同じように。
体から力が抜け落ちる。モニターを掴む手が自然と離れ、床に膝をつく。
夢かもしれない。夢であって欲しいと願いながら枕元に放置していた携帯電話を掴み取り電源を入れる。
起動までの時間がやけに長い。早く、早くと気持ちばかりがはやる。
『しかもどう言うことだ? オレはお前がセーブした事さえも知らない。何が起きている。ゆっくりでいい、説明してくれ』
戸惑う僕に追い打ちがかけられる。彼は僕がセーブした事さえも覚えていないようだった。
「ちょっと、待って。僕にも、分からない。整理、させて欲しい」
一語一句区切るように言葉を紡ぎ、グリードからの質問を制止する。ようやく携帯電話が起動すると、すぐさま受信ボックスを開いた。
新着メール、無視。九行さんが生きているのは分かっている。
今僕が見たいのは彼女からの誘いではない。
《残り人数》が表記されたメールだ。
「グリード。君の覚えてる《残り人数》は?」
『三回だ』
彼の言葉で確信する。僕は間違っていない事を。
「僕は、夢なんて見ていない。リセットしたんだ。間違いなく、この時間に」
リセット条件が書かれたメールに記載されていたのは《2》という数字。僕がリセットしてきた証拠だ。
『とにかく、一つずつ話してくれ。何が起きているか仮説くらいは立てておきたいからな』
「……君は本当に冷静だね」
呆れるほどマイペースな男だった。自分が死ぬと聞いて声色一つ乱さない。
大丈夫、記憶を失っていても彼はここにいる。頼れる友人はまだ生きているのだ。
胸に満ちる安心感。空っぽになった心が僅かながらに満たされていく。
「順を追って言うね。まずは――」
どうにか落ち着き、ゆっくりと噛みしめるように事情を話す。
デートの事。告白。エクステンド失敗。家族と共にグリードが殺されること。犯人が連続猟奇殺人犯である事。そして、さらに二週間後に九行さん一家も皆殺しにされる事。
『シット。オレが殺された、か。にわかに信じ難いが、何が起きたかいくつか仮説がある』
ひとしきり説明を終えた後、グリードがスピーカーから舌打ちを漏らした。
『第一は、オレが寝ていた可能性だ。いわゆるスリープモードだな。いくら悪魔でも多少は睡眠を必要とする。眠っている間に殺されれば、記憶などあるはずが無い』
「でも契約は有効だった。だからグリードは生きて、逃げ切ったんじゃないかな。それにセーブした記憶まで継続していないのは説明がつかない」
『そうだな、オレも同じ考えだ。そもそも悪魔であるオレはお前たち人間のように毎日の睡眠は必要ない。つまり、この仮説は破棄していいだろう。重要なのは、次だな』
次の仮説。
きっとそれこそがグリードの記憶が消えている事と関係しているに違いない。
息を呑み、彼の言葉を待つ。
『《取り消した世界》においてオレが本当にギリギリの瀕死だった可能性だ』
「……?」
彼の言う意味がよく分からず、しばし考える。
例え瀕死でも時間を戻りさえすれば傷は癒えるはずだ。
精神に負ったダメージを引きずる事はあっても、リセットさえすればどうにでもなるのだから。
「……あっ」
そこまで考えてようやく気付く。彼は電子の悪魔。存在そのものが精神ではないのか。
もし、致命的な障害を抱いたままリセットすれば、どこかに欠如が起きる可能性が高い。
彼の仮説は納得のいく物だったが、同時に一つの残酷な事実を導き出した。
「もしかして、事件の事はもう思い出せない、とか?」
『存在しないものを思い出す事は出来ない。俺の記憶や記録をアテにするのは止めた方が良いぜ。それに、あくまでも仮説だ。間違っている可能性だってある』
「……そん、な」
足元から闇が迫る。心に黒い炎が押し寄せ、死神が大鎌を首筋へと突きつける。
僕の心の全てを取りこもうと。無へと引き込もうと。
どうしようもなかった。
残り二回のリセットで殺人犯に立ち向かわねばならない。
しかもヒントはどこにもない。犯人の正体も、どうやってあれだけの暴力を振るったのかも、なにも分からないのだ。
《死の引き金》を解除する為の道筋は全て失われた。
犯行時刻まで十三時間を切っている。
今日の夜に僕は家族を失い、そして二週間後に九行さんも死ぬ。
トリガー解除の糸口が見つからない以上、最悪の想像でも何でもなく《現実》だった。
這い寄る闇が足元から全身を浸食して行く。
『おい、ミライ。気を確かに持つんだ』
グリードの優しい声も闇を振り払う事は出来ない。
例え九行さんであろうと、そしてこの世の誰であろうと、僕をこの闇から救い出す事は出来ないだろう。
「……大丈夫」
ただ、たった一人だけを除いて。
「僕はまだ、絶望していない」
静かに、口にする。
この世の誰であろうと僕を救う事は出来ない。違う時間を生きる僕の気持ちなど、誰にも理解できないのだ。
だからこそ――
僕を救えるのは、僕しかいない。
心の闇を振り払えるのは、自分の意志の他に無い。
迷いのない言葉を放った僕が意外だったのだろうか。グリードが感心の呻きを漏らした。
『お前……変わったな』
「ううん。何も変わってない。今にも逃げ出したいくらいだよ」
もし変わったと感じたのなら、それは僕では無い。環境だ。
「君が生きててくれたから、九行さんとの交わりがあったから僕はまだ踏みとどまっていられる」
『ミライ……』
かけがえのない友人と、大切な人との繋がりが今の僕に残された全てだった。
失いたくないと言う執念だけが僕を動かしていた。
「人殺しが都合のいい事を言ってるとは思う。自分は人から奪っておいて、自分の物は守りたいだなんて。あいつらとまるっきり一緒だ」
それでも、僕は立ち止まる訳には行かなかった。
僕を僕として育ててくれた家族を守るために。弱い僕を愛してくれた少女の為に。
そして、同じ時間を共有してきた友を救うために。
『お前は、間違っていないさ。人が、生命、が己の望みを叶える為に戦うのは当然のことだ。守るべきものを奪おうとする者には立ち向かわなければならない』
彼の声には、優しさの他に喜びの色が混じっていた。
出来の悪い弟がテストで満点を取った時の兄の様な。何とも言い難い声音だった。
『オレは今まで、契約した悪魔としてお前の決断を支持してきた。結果を見守り、流れに任せ、変化を観察することがオレと言う存在の本能の一つだからだ。
だが今は、今回は、一つの個として……興味という本能に従う悪魔ではなく、グリードと言う一つの命としてお前の意思を支持する』
胸が、熱い。煮え滾るように、燃え盛るように。
友の言葉が、執念だけしか残されていなかった僕の心に光を与えてくれていた。
『気付いていたか? 最初に無謀な失策をしたお前はただ嘆くだけの存在だった。
だが今はどうだ。一つの個として、折れることなく敢然と立ち向かおうとしているじゃあないか』
もう、一人じゃない。
闇など怖くない。
絶望など見えない。
『多くの失敗を、困難を、絶望を、罪を、罰を乗り越え、そして愛を知った。全ては、今この時の為だったんだよ!』
失敗が、試練が、絶望が僕を強くした。
九行さんを救おうとした向こう見ずな焼死。その後積み重ねた多くの失敗とたった一つの成功。
一つ一つの積み重ねが、僕を突き動かす真っ直ぐな《芯》へと成長していた。
『ありとあらゆる試練を乗り越え、お前は今ここに立っている。例え一度しか《エクステンド》していなくとも、お前は信じられないほどに強くなった。オレの想像以上にな』
気配を感じ、隣へ目を向けると悪魔の幻影が僕の目の前に現れていた。
随分久しぶりに見た姿。
幻覚なのは分かっている。分かっているのに、沸き上がる思いは抑えられなかった。
彼は、微笑んでいた。
いつもの皮肉気な笑みではなく、異形の貌を皺くちゃに歪めて笑っていたのだ。
『夜澤ミライ。お前は、最高の契約者だ』
涙が、頬を伝う。心に温もりが戻ってくる。
不思議だった。家族が、九行さんが死んでも涙の一滴も流れなかったというのに、どうして僕はぼろぼろと涙をこぼしているのだろう。
「僕は、強くないよ。グリードがそう思ったなら、僕の力じゃない」
嗚咽混じりに幻影へと笑みを返す。そう、強くなれたのは僕の力なんかじゃない。
「君と、九行さんがいてくれたからだ」
だからこそ、まだ僕は運命に恐れず立ち向かえる。
先の見えない暗闇も、ゴールの見えない迷路も走り抜けることができる。
全ての障害を振り払い、心に光を保つ事が出来る。
握り締めていた携帯電話に目をやると新着メール通知のランプが点滅していた。映画の誘いのメールに違いない。
この世界で、僕たちはまだ付き合っていない。
だが、それがどうした。
そんな事はどうでもいい。
僕がやるべき事は一つだけだ。家族を、九行さんを救う。ただそれだけなのだ。
心に血が通うと同時に、一つの決意が渦を巻く。
――全てが終わったら、必ず僕から九行さんに告白しよう。
――彼女への想いと、そして僕自身の罪を。
例えそれが、エクステンド条件を満たすものでなくとも。
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