42 / 62
第七章 限界突破のソウルサクリファイス
2・試練の滝を乗り越えて
しおりを挟む《グリードの記憶は継続していない》。
今、この時間で止まっているのだ。僕以外の人間と同じように。
体から力が抜け落ちる。モニターを掴む手が自然と離れ、床に膝をつく。
夢かもしれない。夢であって欲しいと願いながら枕元に放置していた携帯電話を掴み取り電源を入れる。
起動までの時間がやけに長い。早く、早くと気持ちばかりがはやる。
『しかもどう言うことだ? オレはお前がセーブした事さえも知らない。何が起きている。ゆっくりでいい、説明してくれ』
戸惑う僕に追い打ちがかけられる。彼は僕がセーブした事さえも覚えていないようだった。
「ちょっと、待って。僕にも、分からない。整理、させて欲しい」
一語一句区切るように言葉を紡ぎ、グリードからの質問を制止する。ようやく携帯電話が起動すると、すぐさま受信ボックスを開いた。
新着メール、無視。九行さんが生きているのは分かっている。
今僕が見たいのは彼女からの誘いではない。
《残り人数》が表記されたメールだ。
「グリード。君の覚えてる《残り人数》は?」
『三回だ』
彼の言葉で確信する。僕は間違っていない事を。
「僕は、夢なんて見ていない。リセットしたんだ。間違いなく、この時間に」
リセット条件が書かれたメールに記載されていたのは《2》という数字。僕がリセットしてきた証拠だ。
『とにかく、一つずつ話してくれ。何が起きているか仮説くらいは立てておきたいからな』
「……君は本当に冷静だね」
呆れるほどマイペースな男だった。自分が死ぬと聞いて声色一つ乱さない。
大丈夫、記憶を失っていても彼はここにいる。頼れる友人はまだ生きているのだ。
胸に満ちる安心感。空っぽになった心が僅かながらに満たされていく。
「順を追って言うね。まずは――」
どうにか落ち着き、ゆっくりと噛みしめるように事情を話す。
デートの事。告白。エクステンド失敗。家族と共にグリードが殺されること。犯人が連続猟奇殺人犯である事。そして、さらに二週間後に九行さん一家も皆殺しにされる事。
『シット。オレが殺された、か。にわかに信じ難いが、何が起きたかいくつか仮説がある』
ひとしきり説明を終えた後、グリードがスピーカーから舌打ちを漏らした。
『第一は、オレが寝ていた可能性だ。いわゆるスリープモードだな。いくら悪魔でも多少は睡眠を必要とする。眠っている間に殺されれば、記憶などあるはずが無い』
「でも契約は有効だった。だからグリードは生きて、逃げ切ったんじゃないかな。それにセーブした記憶まで継続していないのは説明がつかない」
『そうだな、オレも同じ考えだ。そもそも悪魔であるオレはお前たち人間のように毎日の睡眠は必要ない。つまり、この仮説は破棄していいだろう。重要なのは、次だな』
次の仮説。
きっとそれこそがグリードの記憶が消えている事と関係しているに違いない。
息を呑み、彼の言葉を待つ。
『《取り消した世界》においてオレが本当にギリギリの瀕死だった可能性だ』
「……?」
彼の言う意味がよく分からず、しばし考える。
例え瀕死でも時間を戻りさえすれば傷は癒えるはずだ。
精神に負ったダメージを引きずる事はあっても、リセットさえすればどうにでもなるのだから。
「……あっ」
そこまで考えてようやく気付く。彼は電子の悪魔。存在そのものが精神ではないのか。
もし、致命的な障害を抱いたままリセットすれば、どこかに欠如が起きる可能性が高い。
彼の仮説は納得のいく物だったが、同時に一つの残酷な事実を導き出した。
「もしかして、事件の事はもう思い出せない、とか?」
『存在しないものを思い出す事は出来ない。俺の記憶や記録をアテにするのは止めた方が良いぜ。それに、あくまでも仮説だ。間違っている可能性だってある』
「……そん、な」
足元から闇が迫る。心に黒い炎が押し寄せ、死神が大鎌を首筋へと突きつける。
僕の心の全てを取りこもうと。無へと引き込もうと。
どうしようもなかった。
残り二回のリセットで殺人犯に立ち向かわねばならない。
しかもヒントはどこにもない。犯人の正体も、どうやってあれだけの暴力を振るったのかも、なにも分からないのだ。
《死の引き金》を解除する為の道筋は全て失われた。
犯行時刻まで十三時間を切っている。
今日の夜に僕は家族を失い、そして二週間後に九行さんも死ぬ。
トリガー解除の糸口が見つからない以上、最悪の想像でも何でもなく《現実》だった。
這い寄る闇が足元から全身を浸食して行く。
『おい、ミライ。気を確かに持つんだ』
グリードの優しい声も闇を振り払う事は出来ない。
例え九行さんであろうと、そしてこの世の誰であろうと、僕をこの闇から救い出す事は出来ないだろう。
「……大丈夫」
ただ、たった一人だけを除いて。
「僕はまだ、絶望していない」
静かに、口にする。
この世の誰であろうと僕を救う事は出来ない。違う時間を生きる僕の気持ちなど、誰にも理解できないのだ。
だからこそ――
僕を救えるのは、僕しかいない。
心の闇を振り払えるのは、自分の意志の他に無い。
迷いのない言葉を放った僕が意外だったのだろうか。グリードが感心の呻きを漏らした。
『お前……変わったな』
「ううん。何も変わってない。今にも逃げ出したいくらいだよ」
もし変わったと感じたのなら、それは僕では無い。環境だ。
「君が生きててくれたから、九行さんとの交わりがあったから僕はまだ踏みとどまっていられる」
『ミライ……』
かけがえのない友人と、大切な人との繋がりが今の僕に残された全てだった。
失いたくないと言う執念だけが僕を動かしていた。
「人殺しが都合のいい事を言ってるとは思う。自分は人から奪っておいて、自分の物は守りたいだなんて。あいつらとまるっきり一緒だ」
それでも、僕は立ち止まる訳には行かなかった。
僕を僕として育ててくれた家族を守るために。弱い僕を愛してくれた少女の為に。
そして、同じ時間を共有してきた友を救うために。
『お前は、間違っていないさ。人が、生命、が己の望みを叶える為に戦うのは当然のことだ。守るべきものを奪おうとする者には立ち向かわなければならない』
彼の声には、優しさの他に喜びの色が混じっていた。
出来の悪い弟がテストで満点を取った時の兄の様な。何とも言い難い声音だった。
『オレは今まで、契約した悪魔としてお前の決断を支持してきた。結果を見守り、流れに任せ、変化を観察することがオレと言う存在の本能の一つだからだ。
だが今は、今回は、一つの個として……興味という本能に従う悪魔ではなく、グリードと言う一つの命としてお前の意思を支持する』
胸が、熱い。煮え滾るように、燃え盛るように。
友の言葉が、執念だけしか残されていなかった僕の心に光を与えてくれていた。
『気付いていたか? 最初に無謀な失策をしたお前はただ嘆くだけの存在だった。
だが今はどうだ。一つの個として、折れることなく敢然と立ち向かおうとしているじゃあないか』
もう、一人じゃない。
闇など怖くない。
絶望など見えない。
『多くの失敗を、困難を、絶望を、罪を、罰を乗り越え、そして愛を知った。全ては、今この時の為だったんだよ!』
失敗が、試練が、絶望が僕を強くした。
九行さんを救おうとした向こう見ずな焼死。その後積み重ねた多くの失敗とたった一つの成功。
一つ一つの積み重ねが、僕を突き動かす真っ直ぐな《芯》へと成長していた。
『ありとあらゆる試練を乗り越え、お前は今ここに立っている。例え一度しか《エクステンド》していなくとも、お前は信じられないほどに強くなった。オレの想像以上にな』
気配を感じ、隣へ目を向けると悪魔の幻影が僕の目の前に現れていた。
随分久しぶりに見た姿。
幻覚なのは分かっている。分かっているのに、沸き上がる思いは抑えられなかった。
彼は、微笑んでいた。
いつもの皮肉気な笑みではなく、異形の貌を皺くちゃに歪めて笑っていたのだ。
『夜澤ミライ。お前は、最高の契約者だ』
涙が、頬を伝う。心に温もりが戻ってくる。
不思議だった。家族が、九行さんが死んでも涙の一滴も流れなかったというのに、どうして僕はぼろぼろと涙をこぼしているのだろう。
「僕は、強くないよ。グリードがそう思ったなら、僕の力じゃない」
嗚咽混じりに幻影へと笑みを返す。そう、強くなれたのは僕の力なんかじゃない。
「君と、九行さんがいてくれたからだ」
だからこそ、まだ僕は運命に恐れず立ち向かえる。
先の見えない暗闇も、ゴールの見えない迷路も走り抜けることができる。
全ての障害を振り払い、心に光を保つ事が出来る。
握り締めていた携帯電話に目をやると新着メール通知のランプが点滅していた。映画の誘いのメールに違いない。
この世界で、僕たちはまだ付き合っていない。
だが、それがどうした。
そんな事はどうでもいい。
僕がやるべき事は一つだけだ。家族を、九行さんを救う。ただそれだけなのだ。
心に血が通うと同時に、一つの決意が渦を巻く。
――全てが終わったら、必ず僕から九行さんに告白しよう。
――彼女への想いと、そして僕自身の罪を。
例えそれが、エクステンド条件を満たすものでなくとも。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる