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醜いお姫様は幸せになりたかった

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 昔々、綺麗な湖の見渡せるお城には醜い醜いお姫様がひとりぼっちで住んでいました。
 そのお姫様は美しい娘を見るたびに、嫉妬で気が狂いそうで仕方がなかったのです。

「なぜ? なぜ私だけがこんなに醜いの?」

 鏡を見ては嘆き悲しみ、そして他の娘を羨み、妬み、憎んでいました。

「お金なんかいらない。美しさが欲しい」
「その願いを叶えてあげようか?」

 いつものように鏡を前に呟いていると、どこからともなく声がしてきました。

「だれ?」

 あたりを見回すと、うっすらと姿を現しました。
 姿かたちは人間と同じですが、大きさは手のひらほどです。
 そして、その背中にはコウモリのような羽が生えています。

「こんにちは、哀れなお姫様」

 羽をパタパタとはためかせながら、うやうやしくお辞儀をしました。

「僕の名前はイル。君の願いを叶えてあげる」
「本当? 本当に叶えてくれるの?」
「うん。叶えてあげるよ。ただし……」

 人差し指をピンと立て、目を細めて笑いながらこう言いました。

「お姫様が持っている財産を全部僕にちょうだい。お城も宝石もドレスも靴も、ぜんぶ、ぜーんぶ、僕にちょうだい」
「あげるわ。全部あげるから私の願いを叶えて」
「契約成立だね」

 そう言って彼は、空中に手を伸ばしました。
 すると次の瞬間、彼の手の上にはガラスの箱が置かれていたのです。
 その中では炎が煌々と輝いています。

「それは何?」
「君の願いを叶える魔法の炎さ」

 お姫様は恐々とその炎をガラスの箱ごと受け取りました。

「これはどうやって使うの?」

 お姫様は自分の手に乗った箱を見つめながら問うと、イルは無邪気に笑います。

「簡単だよ。その炎に願えば良い。『私より美しい娘の顔を焼いてくれ』ってね。そうすれば、お姫様の願いは叶うでしょ」

 ガラスの箱の上部はいとも簡単に外れました。
 上から覗き込みつつ、言われた通りに願います。

「私より美しい顔の女の顔を焼いてちょうだい」

 すると炎は一瞬のうちにスッと箱から飛び出して、どこかへ飛んで行ってしまいました。

「あぁ、そうそう忘れてた。あの炎はデリケートだから扱いには気をつけてね。目的を果たしたらガラスの箱に戻しておくんだよ。そして、その箱は――二度と開けない方が良いと思うよ」
「え? それはどういう意味?」
「じゃあね。忠告はしたよ」

 イルは問いかけに応えることなく、現れた時と同じように空中で消えて行ってしまいました。
 しばらくすると、炎がガラスの箱に戻って来ました。
 お姫様は言われた通り、開かないようにしっかりとふたをしました。
 炎は――ガラスの箱の中でいつまでも燃えていました。



 数日が過ぎた時、ある噂がお姫様の耳に入ってきました。
 村の娘たちの顔が、皆焼かれてしまった、と言うことです。
 その様子を一目見たいと思い、村へと足を伸ばしました。
 すると、右を見ても左を見ても目に入ってくるのは男ばかり。
 女の人は誰ひとりとして外に出ていないのです。
 お姫様は、近くに居た農夫に訊いてみました。

「ねぇ、女の人はどこに居るの?」
「なんだ? 姫様でねぇか! 見違えただ。こんなに美しかっただか?」

 美しいだなんて言われた事のないお姫様は、その言葉が本当にうれしいと思いました。

「村の娘たちは呪いによって顔が焼けちまって、とても外を歩けるような顔じゃなくなったんだ。だからどこの娘も家から出て来ないんだ」

 それを聞いたお姫様はますます女たちの顔が見たくなりました。
 人に見せられない顔と言うのは一体どれ程のものなのでしょう。
 お姫様は村一番の美しさを自慢していた娘の家を訪れました。
 みすぼらしい家の戸を叩くと、声だけが帰ってきました。

「どなた?」
「私はこの国の姫。貴女の顔が焼かれたと聞いたの。見せてちょうだい」
「そんな! 見せられません! 焼けただれてしまって、原型をとどめていませんもの」
「いいから、見せなさい! 命令だから、見せなさい!」

 すると、戸がキィっと小さな音を立てて開きました。
 隙間から女が顔を覗かせています。

「まぁ!」

 お姫様は驚きました。
 村一番と言われた彼女の顔は、見る影もなく、ただ目と鼻と口があるのが分かるだけ。
 お姫様は笑いを押し殺し、「大変だったわね」とだけ言って城へと引き返してきました。
 本当に村の娘たちの顔は焼けただれてしまっていたのです。
 もう誰と比べてもお姫様より綺麗な人はいません。
 嬉しくなって、鏡を見てみると以前よりも美しいような錯覚さえ起こる。

「私は醜い? いいえ、他の女たちの方が醜い」
「――その通りさ」

 なんの前触れもなく、自分の声に応える声に辺りを見回します。
 スッと現れたのは、あの炎をくれたイルでした。

「満足した?」
「えぇ、とっても」
「よかった。今日は約束の物を受け取りに来たんだ」

 イルが指を鳴らすと、城はボロボロの小屋に変わりドレスはつぎはぎだらけの布切れに全ての光りものは消えうせてしまいました。

「じゃあ、全部もらっていくから」
「うん。もう私には必要ないもの」
「じゃあ、せいぜいお幸せに。哀れなお姫様」

 イルはそこに居たのが嘘だったかのように、跡形もなく消えてしまいました。



 身の回りの物こそみすぼらしくなったものの、きちんと顔のあるお姫様は村の人達から親しまれ、不自由のない生活を送っていました。
 ある日、隣国の王子様が花嫁探しにやってきました。
 王子様の付き人の話によると、その国の娘たちの顔が一晩で皆焼けてしまったため、そうでない娘を探していると言うことです。
 驚いた事にあの炎は他の国の娘の顔まで焼きつくしていたのです。
 顔の焼けていないお姫様はすぐに王子様の目に留まることとなりました。
 王子様の目に留まったお姫様はすぐに婚約するところまで話が進みました。
 お姫様の婚約の話はすぐに村中に伝わったうえ、人気者のお姫様の婚約とあって村中から祝福されました。
 村ではささやかながらも、村人の心がこもったパーティーが開かれることとなりました。

「嬉しいです。婚約も、パーティーも。こんなに幸せだった事は今までなかったわ」
「僕も貴女の様に美しいひとを妻にできるなんて、この上なく幸せですよ」

 パーティーの最中、お姫様と王子様は仲睦まじくおしゃべりをしていました。
 もちろん護衛の人達もパーティーに参加しているのですが、平和なこの村ではそこまで警戒する必要もなく、また、二人の邪魔をしてはいけないという気遣いから、二人の近くには他に人はいませんでした。 お姫様が目の前にあるテーブルに手を伸ばし、おいしそうなお酒を手に取ろうとすると……。

「あ……」

 同じように手を伸ばした王子様の手に触れる。

「あ、あぁ! ごめんなさい……あ!」

 あまりの事に緊張したお姫様は慌てて手を引っ込めた拍子にお酒をこぼしてしまい、王子さまの服はビショビショになってしまいました。

「ご、ごめんなさい! すぐに拭く物を……」
「気にしないでください」
「いえ、だめです。私の家はここからそう遠くないので取ってきます」

 お姫様は王子様の制止を振り切って、トコトコと家の方へと駆けていきました。




 家の中は片づけられているものの、くたびれた服が多いため小汚い印象を受けます。
 お姫様は何か王子様の服を拭く事のできる布がないかと家の中を探します。
 けれど、あるのは黒ずんだ雑巾ばかり。
 王子様の高級な服をふけるような代物ではありません。

「そうだ!」

 困ったお姫様は自分の洋服を切って布巾にしようと考えました。
 そうと決まれば、今度はハサミはないかと戸棚を漁りました。
 すると……。

「あ! あった」

 目には見えないけれど、手に当たる金属の感覚からハサミであろうと予想を付けます。
 指先で少しずつ出口へと誘導してきた『それ』はやはりハサミでした。
 けれど、そのまま引っ張り出そうとしても何かに引っかかっているようで出てきません。
 王子様も待っているだろうし……。
 時間がありません。
 お姫様は引っかかっている物を無視して無理矢理ひっぱりだしました。

「……っ! 取れた」

 お姫様が言うと同時に、引っ掻かていた物が足元へと転がります。
 お姫様の眼に入ったのは――あの炎の入ったガラスの箱でした。
 不思議な事に、戸棚から落ちたにも拘らずその箱は割れることはありませんでした。
 しかし、カランという澄んだ音を響かせてふたが外れてしまいました。

『その箱は二度と開けない方が良いと思うよ』

 イルの言葉がお姫様の頭をよぎったと同時に、炎は、ボウッと燃え上がり、お姫様の顔を――焼きました。

「ヒギャアァァァァァァァ!」

 この世のものとは思えない悲鳴。
 しかしそれを聞いていた人間はお姫様を除いて誰もいません。
 お姫様は一人、もがき、苦しみました。
 一体何時間経ったのでしょうか?
 いいえ、実際は1分にも足りない様な時間。
 お姫様は叫び狂い、声を枯らしてしまいました。
 炎がお姫様の顔から離れた時、そこには顔は存在していませんでした。
 ただ、肉が凹凸を成しているのです。
 ただそれだけです。

「あーあ。だから言ったのに」

 同情も憐れみも含まない、声が1つ。
 口元に笑みをたたえたイルです。

「な、なんで……」

 お姫様は自分の顔に触れられないでいました。
 痛みからなのか、ショックからなのか、はたまた両方なのか。

「だってお姫様、僕と初めて会った時より綺麗になったから。お姫様が自分で言ったんだよ。『私より美しい顔の女の顔を焼いてちょうだい』ってね! だから今のお姫様の顔も対象に入っちゃったんだよ」
「そんな! 戻して!」

 ヒステリックなお姫様に対して、イルは非情なほどの笑顔で答えます。

「無理言わないでよ。それに僕、言ったよね? その箱は二度と開けない方が良い、って。その約束を守らないで開けちゃったのはお姫様でしょ」

 目があった部分の肉の盛り上がった場所から一筋の液体が流れ落ちました。
 そんなお姫様に対して同情の目を向けることなくイルは笑います。

「あはは。その顔じゃあもう誰か判らないね」

 お姫様はかつて忌み嫌っていた鏡の前に立ちました。
 心境はあの頃と同じ。
 いいえ、少し違います。……あの時とは違い、恐怖を感じています。
 目に映るのは他の村の娘と同じ肉の塊。
 それは顔と呼ぶものではありません。
 顔は醜かった。
 確かに醜かったけれど、今は醜いを通り越して、バケモノと言われても仕方がないものになってしまっています。

「じゃあ、僕はもう帰るね。さよなら、醜いお姫様」

 イルはお姫様の周りを、パタパタと羽をはためかせて飛んだ後、空気に溶け込んでいきました。
 お姫様はただ一人、みすぼらしい、屋敷とは言い難い廃屋の中で、遠くで聞こえるにぎやかな声を顔を覆って聞いていました。
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