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七、 馬上舞と大身槍(おおみやり)

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(一)

 冷たい小雪に頬を撫でられる。調練で熱く火照ほてった体には心地良い。林蔵と竜は槍の代わりの長い棒で互いに打ち合っていた。竜が優勢だったが、林蔵の腹を突こうとした一瞬、林蔵は半身となり、足を一歩大きく踏み込み胸を突いた。竜は思わずうずくまる。棒の先端が分厚い胸の肉をつらぬき背中から出たような気がした。

「痛ええ。これ本物の槍だったら串刺しにされて死んでいるな、おれ」
「おまえ、おれの目を見ていたか。目をそらしただろう。見ていれば次にどう動くか、わかるはず。ぼんやりしているからだ」
「いや、それは違う。見ていた」
悔しそうに口答えする。

その細い目のせいだ。動きが全く読めなかった。悔しいが、林蔵は達人だと思う。


 調錬が終わると、練兵場にある武器庫の中で林蔵と竜と他の足軽の五人は、戦で使う槍を数えた。終わってからも竜はいつまでも槍を眺めている。

「錆びている槍がたくさんある。そろそろぎに出さないと、切れ味が悪いだろう」
「ふん、おまえ人を切ったことがあるのか」
年輩の足軽がからかうように話しかけてきた。

「あるもんか」
「へえ、おいらはあるぜ。敵兵の首を切って落とした。包丁みたいに短い刀でな。今度やり方教えてやる。おまえ刀鍛冶だったのなら、槍ぐらい研げよ」
「できない。研ぎは難しい」
「体がでかいだけの役立たずめ。何でもやってのけるようでなければ、足軽は務まらんぞ」
男は濁った目で見下すように言う。
日頃、穏やかな竜が相手を睨みつけた。


「おい、宿舎へ帰ろう。雪が酷くなりそうだから、穴掘りは休みだ」
二人の間に林蔵が割って入る。

「馬鹿、相手にするな。爺の八つ当たりだ。行こうぜ。錠をかけるぞ」
竜の耳元で囁いた。



 外へ出ようとした時、陣笠を被って獣毛の袖なし羽織を着た騎馬武者三騎が、練兵場に軽やかに駆けて来た。三騎は勢い良く場内をぐるぐると回る。艶やかな美しい毛並みの栗毛の馬に乗っている。

「誰だろう。大きくて足の太い馬だ。けっこう身分が高そうな武士だぞ。外乗りした後に走り足りなくて、ここに来たのか」
「あれ、うちの殿と若殿ではないか。勘解由様と助六郎様だ。もう一人は小姓か」

勘解由の特徴のある硬そうな、白髪交じりの縮れた長い髪と髭が陣笠からのぞいていた。

「おや、あれは波利姫じゃないか」と竜が言う。
「そうだ、小姓じゃない。あれは姫だ。雪の中で馬の稽古とは」
あきれ顔の林蔵だった。

「何だって。あれが姫、てっきり小姓かと思ったぜ」
「ほんとうに姫なのか。陣笠で顔がよく見えないが、べにぐらい差しても良さそうなものだ。色気がまるで無い」
「だが、女だてらに馬をあれだけ乗りこなせればたいしたものだ」

武器庫の戸口に隠れて見物している四人の男たちは、好き勝手につぶやき合う。

 姫は左手で手綱たずなを握ると、右手で懐から何かを取りだした。強く手を振り、ぱっと広げたのは華やかな金色の扇。真っ直ぐに腕を伸ばして手首を回し、それを優雅に頭上ではためかせた。

「おお、桜の花びらが」
四人はざわめく。

馬を駆けさせながら、姫が天をあおぐと白い雪が桜の花びらのようにひらひらと舞う。そして、腕を目の高さまで下げて、扇を真横に寝かせてと風を切る。その動きを優雅に繰り返す。

「不思議だ。雪が桜色に見えてきた」
「これは馬上舞というものか」
「なるほど、風情があるな」

いつの間にか姫の頬もほんのりと桜色に蒸気していた。見守るようにゆっくりと駆けている勘解由と助六郎が、ぱちぱちと手を打って褒めたたえている。
和やかで楽しそうな様子に林蔵が「ちっ、助六郎様と姫は仲直りしたんだな」と吐き捨てるようにつぶやく。

「何だそれ。二人がどうしたって」
一人の足軽がその言葉に食いついてきたが、林蔵と竜はそ知らぬ顔をする。

「おい、そこの者たち槍を持て」
突然の勘解由の大音声だいおんじょうが響き一同は肝を潰す。

「はい、ただいまお持ちします」
林蔵と竜は風のごとく武器庫の奥へ走った。柄が短く持ちやすい槍を探し出した。そして駆け寄る。竜は勘解由に、林蔵は助六郎に槍を両手で馬上に差し出した。

「うむ、おまえは確か、わしが下原鍛冶の鍛錬場で声をかけた者だな。名を何と言ったか」
「はい、竜と申します」
「時々、調練の様子を見ているが、槍が上達してきたな。良い武者になれ。いつまでも竜という名では武者らしくない。今日から竜ノ介と名乗れ」
「は、はい、ありがとうございます」
竜は腰が抜けて、その場に崩れるように座りこみ、深々と頭を下げた。

「邪魔だ、馬に蹴られるぞ、下がれ」
助六郎が怒鳴る。

重い槍を片手で持った二人が広場を勇壮に駆け回る。時々、両手を手綱から放して、槍を持ち替えたり頭上で振り回すが、二人の体は安定していて揺らぐことがない。
助六郎は若竹のようなしなやかさで父親の後を追う。

「重い槍を片手で持っているのに、凄い早さで駆けている」
「恐ろしい、あんなのが来たら、一目散に逃げるぜ。見事な手綱さばきだな」
小声で囁き合う林蔵たちだった。

小雪が止み、練兵場には柔らかな薄日が差し込んでいた。やがて、親子は馬上でゆっくりと槍を交え始める。親が子に技を伝授しているようだ。

 竜ノ介の胸は高鳴っていた。槍を握った時の節くれだった太い指。厚い胸板と幅の広い肩。彫りの深い顔に刻まれた無数の傷。だが、勘解由様は決して荒々しいだけの武将ではなかった。どこか悲しそうで優しい目をしておられる。あの目で、おれのことを見ていてくれた。温かい方だ。ああ、馬はいいな。実家にも馬がいた。馬は好きだ。だが、兄たちのように上手く乗れなかった。おれも高麗流八丈馬術を身につけたい。こんな風に人馬一体になれたらどんなにいいだろう。いつか勘解由様のような騎馬武者になりたい。

 波利姫は練兵場の片隅で馬の足を止めて、二人の姿を目に焼き付けるかのように、じっと見つめていた。

 

(二)

 翌日、屋敷の助六郎の居室に一人通された林蔵は、緊張した面持で座る。

「これからのことを話す。わしは御館様と供に手勢を連れて小田原に行くことになったが、親父殿は八王子城に残る」
助六郎の顔は憔悴しょうすいしていた。

「そうですか、承知いたしました。それがし支度したくいたします」
「ここに呼び出したのは他でもない、おまえに大事な役目を頼みたいのだ」
「はい、どのようなことでしょうか」

「八王子城に残ってくれ。戦の時に御主殿にいる波利姫の守り役をして欲しい。もしもの時は姫を連れて城から出てくれ。男勝おとこまさりな姫のことだから、何をしでかすかわからない。今度の戦で姫を無傷で守りきってくれたなら、足軽頭にする」

「恐れいりますが、それはお断りします。助六郎様のおそばを離れたくありません。どうか小田原へ連れて行ってください。某の他に、誰が助六郎様の槍勝負の時に脇をお守りできるというのですか」
暗い顔でうつむく。

「うむ、竜ノ介にやらせようと思う。あやつは土豪のさがれだそうだ。体が大きく若く力も強い。親父殿が言った通り、すぐに良い槍の使い手となるだろう。林蔵、足軽頭の役では足りないか」

竜におれの代わりをやらせるだと……

「申し訳ありませんが、こればかりはお許し下さい。某は足軽頭など一生ならなくてもかまいませんから、お願いです。小田原城へ連れて行って下さい。お怒りなら、無礼で許せないというのなら今すぐここで」
林蔵はゆっくりと顔を上げ、助六郎の背後にある物を睨みつける。

悔しい悲しい寂しい情けない。様々な思いが渦巻き、やり場の無い怒りによって林蔵の声と体は震えていた。助六郎様の脇を守ることができるのは、おれだけだ。側を離れるのは嫌だ。それならば、いっそう殺してくれ。林蔵の目線の先には、黒漆のさやに収まった下原の打刀が鹿の角を磨いた刀掛けに鎮座している。

「そうか、おまえは足軽の分際で、わしの決めたことに従えないというのか。そんなに死にたいというのなら。望みを叶えてやろう」
林蔵の心を察した助六郎の大きな黒目が潤み、口がゆがむ。

助六郎は両膝をつき体を斜めに捻ると、左手で鞘を握り刀の鯉口を切る。次の瞬間に右足を立て、林蔵の喉元をめがけて真横に刀身をはらった。

 ああ、おれの首が切られて落ちる。ここで死ぬのか。林蔵は目をつぶった。あごにじりじりと熱を感じる。ゆっくり目を開けると、刀の切っ先は林蔵の顎をわずかに刺して、ぴたりと止まっていた。おお、おれは生きている。この間合いなら、たやすく首が切れたはずだ。やはり本気ではなかったのだな。林蔵は安堵したが、ここで負けるわけにはいかない。助六郎の目を真っ直ぐに、まばたきもせずに見つめた。糸のような細い目が助六郎を捕らえる。顎から赤い糸のように血が垂れ、助六郎の目からはぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。

「波利姫のことは、心から信頼しているおまえにしか頼めないのだ。他に誰がいるという」
刀を抜き身のままで床に放り、茫然自失で途方に暮れている二十歳の若者の姿があった。

「助六郎様、涙をお拭きください。確かに竜ノ介は実直で頼もしい若者です。それならば、姫の守り役は竜ノ介にすればよいではないですか」
にじり寄り、幼子をあやすように語りかける。

「実は、それも考えたが、竜ノ介はあの通りの美丈夫。姫と歳も近い。いつも側《そば》に居ると、その何というか、姫の心が迷うのではないかと、間違いが起こるのではないかと。あるいは、あやつが姫に恋心をいだくのではないかと心配しておるのだ」
「某が貧相な醜男だから、姫から好かれることはないと、それゆえに安心なのですね」
「いや、そういうわけではない」
決まり悪そうに目をそらす。

「助六郎様というご立派な許嫁いいなずけがありながら、波利姫様の心に迷いが起こるわけありません。それに竜ノ介が姫様に思いを寄せることもありません。なぜなら竜ノ介は衆道しゅどう者。かわいがっている稚児がおります。ですから、女人にょにんには興味が無いのです」
雑兵たちの噂話が真実かどうかわからないが、口から出任せを言うしかない。

「何、それは本当か。それなら間違いが起ることはないな」
「某は三年前から、助六郎様の槍勝負の脇として稽古を重ねて参りました。必ずや合戦の時には、お役にたってみせます」

 
 その日の夕刻、中山勘解由屋敷の庭で小田原城へ行く者と八王子城へ残る者の名が告げられた。中山家の宿舎の足軽たちは大騒ぎとなる。林蔵と竜ノ介は互いに顔を見合わせた。

「これまで、世話になりました。おれは八王子に残れて良かった。勘解由様の下で戦えるのは光栄だ」
竜ノ介が満面の笑みを浮かべて言うと、林蔵は無表情でうなずいた。

「助六郎様がおまえに話しがあるそうだ。屋敷へ今すぐ行け。おれも付き添ってやるから」
「あれ、顎に血が滲んでますけど、どうしたんですか」

林蔵は無言だった。いつもと違う神妙な様子に戸惑いながら、竜ノ介は助六郎の居室へ向かう。

 助六郎から竜ノ介は、波利姫の護衛役をするようにとの命を受ける。その代わり、姫が無事だったあかつきには、できるかぎりの望みを聞くという。
「中山家の馬廻り衆になりたい」と言いたいところだったが、あまりにも過ぎた願いだと思い「高麗八丈流馬術に入門させていただきたい」と言うと、助六郎は笑顔で頷いた。傍らに控えていた林蔵も安堵した顔をしている。


(三)

 北条氏照が四千の兵を引き連れて小田原城へ向かう朝が来た。城に残る兵は三千。その中の一人に竜ノ介もいる。八王子城が雪で白く化粧される前の冬晴れの朝だった。留守を守る見送りの兵たちの群れが、大手門前の広場を埋め尽くし、その熱気で寒さを感じさせない。

 大手門から騎乗した氏照が漆黒の装束で現れる。黒い鉄兜の前立てには、今にも天に登っていくかのような、大きな銀色の龍が輝く。取り巻く武者たちも黒一色。勇壮な黒備えの軍団が行く。広場に集まる見送りの兵たちから、さざなみのように「おおおおおおお」という低い歓声が沸いた。

 氏照の後ろを歩く槍持役の槍に竜の目は釘付けとなる。間違いない。あの槍はふた月前に大急ぎでおれたちが打って鍛錬して、師匠が仕上げた槍だ。勘解由様が注文に来たから、中山家で使う槍だと思っていたが、御館様に差し上げたのか。槍鞘に隠されているが、俺には見えるぞ。穂先の長さは二尺四寸の平三角造りの大身槍おおみやり大身槍。刃文は湾直刃のたれすぐは流石さすがは下原刀工の槍、見事だ。気持ちが高揚して叫びたくなる。
 あの槍によって、おれの生き方が変わったのだ。あの大身槍の注文が無ければ、おれは勘解由様と鍛錬場でお会いすることもなかった。薄暗い小屋で大槌おおづちを打ち火花を散らしていただろう。ふと榧丸の笑顔が浮かぶ。

「すまん、榧丸、小田原で会うことはできなくなった」
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